ボフン!

ぴぴ之沢ぴぴノ介

ボフン!

 幼い頃、ドールで遊ぶかぬいぐるみで遊ぶか、やんわりと二極化していたように記憶している。無論、私はぬいぐるみ派。それは今も健在だ。ぬいぐるみはその柔らかな素材とヒト型では出せない奇抜さ、常識外れの構造を当たり前にかわいく魅せている。少なくとも私にはそう見えているのだ。触り心地も素材が好みであれば一生触っていられるし、その一生、というのも、ただではない、出会った瞬間から墓場まで共にしたいという覚悟の元にある。残念ながらそう誓いたいと思うほどの理想的なぬいぐるみには出逢えていないのだが、まだ人生始まって十数年だ。昨今の平均寿命を当てはめるとまだまだ時間はある。

 私の家は骨董品店を営んでいる。祖父母の代から継がれる店で、私もその営みが好きであるから継ぐ気でいる。物心ついた頃には店に出て近所からは店のトレードマークとして見られるようになった。程々に栄えているこの街だが友人の家は近くて徒歩十分圏内。困ることは無かったが家が隣同士だのお向かいさんだのと聞くと私も羨ましいとつい口からこぼしてしまう。

 それが持ち前のネタとして定着してきた頃、君は隣に引っ越してきた。中学三年生の二学期であった。忘れるはずがない。ジリジリと暑苦しいだけのカラッとした長期休みに引越し業者のトラックが狭い路地を圧迫し、父親らしき人物が業者と忙しく荷物を搬入しているのを見て一抹の期待を握りしめた。

 その日の夕方、自室の窓を網戸に切り替えて換気をしていると外には同年代と見られる子が母親と見られる大人に連れられ挨拶回りに行っている様子が覗えた。握りしめた期待は次第に種になり芽を出し始めた。いけない、いけない。そう抑えつけようとするもその指の合間を押し退けて蔦が伸びてきた。次はうちの家だろうか。一階は店だから人が住んでいるとも思わないだろうか。上階には、三階には私が住んでいることなど予想できやしないだろう。高揚に対して失望しないためのシミュレーションもしてみたり。とにかく私はこの非日常に舞い上がっていた。これからの生活にどれほどの影響を及ぼしてくれるのだろう。

 きっとその時の私は目が輝いていただろう。ベットに横たわっていたぬいぐるみを一体手に取り急いで階段を降りる。一階に続く階段をそろりそろりと踏み、聞き耳を立てた。どうやら期待通りの事が起きるようだ。君が細々と喋る。

「あら、うちにも同い年の子がいるんです」

 お母さんのこの言葉で確信した。夏休み明けから私は登下校をこの子と共にできる。持ち前のネタが一つ減ることは少し残念だったが、まあ良い。退屈が埋まるのなら、それで。

 私達は出逢ってすぐに打ち解けた。君はその時から無口だったがその割に一日に二、三度口を開いた時にする話は格別に面白かった。それが偶に苦しかった。次第に溜まって段々と私といるのがつまらないかが心配になってきた。同時期に私は君と釣り合っていないことを自覚するようになった。出会いから半年でそれぞれの道へ進むことになったが、エリート校に進んだ君はきっとそこで話す方が楽しいに決まっている。何も無い私よりも輝くものをもつ精鋭達と交流する方がきっと。沈黙の中で君の仕草が何かを訴えかけようとしている。そんな幻覚が見える時がある。もしかしたら君も私に言うべきことがあるのかもしれない。そう信じたかった。

 私達は高校生になっても会えば話をし、休日はよく遊びに行く仲である。ギリギリとどうしようもない醜い心を引きずったまま今に至る。

 君を知ってからもう二年は経つ。いつの間にか夏は鬱陶しく纏わり付く湿気とセットになって巡り来るようになった。それなりに仲を保っている私達は近所の人からすれば平和の象徴なのかもしれない。が、その実私は君に思うところがあるし、きっと君も同じだろう。君に至っては、そうであってほしいのだ。




 夏休みの部活の帰り道、君に見つかり駅から家まで話しながら帰った。最近は君の真意を暴こうと頭を捻っては自らの行動で全てパーにしている。今日こそ君の心を繙きたい。さながら推理小説のようだ。

「……うーん。ねえ、私と居るの、つまらない?」

「そんなことないよ」

「そっか。じゃあ……」

 ああ、また言えない。「なんで何も言わないの?」と、それだけじゃないか。結局私も君と同じなんだ。言うべきことを言えていない。私に指摘する筋合いはない気がする。

 納得して、それで冷静になれるのならここまで燻らせちゃいない。まだ、苛々している。言葉に詰まった私を見ても君の表情は何も変わらない。私に続きを求めない。私に、私に興味がない? そんなにつまらない? そう責めることもできない。

「はは、……今日はもう帰ろうかな!」

「もう帰っちゃうの?」

「明日ちょっとお店の手伝いしなきゃだし……まあ、また会えるでしょ」

「……うん」

 今日は少し踏み込めた気がするが、結果としては何ら変わらない。開けたドアから鳴るベルに溜め息を隠した。今日は店の手伝いなんて無い。

「おかえり。また言えなかったの?」

「ま、そんなとこ」

「今日ばあばからりんごが届いたの。二、三個冷蔵庫に入れといたから食べたかったら剥いてたべな」

「はーい」

 林檎は旬がまだ先のように思うが、そういう品種もあるのだろう。荷物を下ろして手を洗う。冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出して自分用のコップに注ぎ、ぐびっと一杯、飲み干す。無意識からか果たして定かでない声が漏れる。もう一杯分注いで水筒をしまう。冷やされている林檎と目が合い、手に取った。ひんやりと冷たいそれは時間の経過を匂わせる。気持ちが良い。今すぐにでも食べたいものだが、少し冷静になったとはいえ、むしゃくしゃしている時に包丁を握ってしまえば思ってもいない方向に事が進むかもしれない。

「やめとこ」

 林檎を元に戻した。冷蔵庫が時間切れのアラームを鳴らしたのもその時だった。大きな音が鳴ると何だか心が波打ってしまう。君のことを思い出してまた……

 自室に戻り荷物を投げ置く。誰も使わないうちにシャワーでも浴びよう。ああ、そうだ。折角だし湯船にも浸かろう。さっき注いでそのままの麦茶を飲もう。頑張って気を取り直して自分の機嫌を取ろうとしている。

 そんな作戦も水の泡。湯船に浸かっている間、記憶から派生した被害妄想とそれに付随する夢うつつの文句が頭をかけ巡る。

 何? 気を遣ってんの? もう二年は一緒にいるのに? 一緒に居る時、何でもべらべら喋る愚かな私に仕方なく背丈を合わせてやってるってこと? ああ、そうだ。君は優秀だ。頭が良いし、努力もするし、私の知らない世界を知っている。きっと、そこで気づいたんだ。馬鹿ほどよく喋る。賢い奴は黙ってんだって。私を、見下しているんだ。無意識のうちに私を下の者だと認識しているんだ。当然、君にはその権利があるから。でも、悔しい。私には話したいことがある。何でもいいから話していたいという気持ちも。だって、君のことを知りたいから。

「ああ、あ~~~もう!!!!!」

ボフン! 

 気づけば風呂から出て、雑に乾かした半乾きの髪の毛を垂らし、ぬいぐるみを布団に叩きつけていた。惨めだ。無様だ。心なしか、このぬいぐるみは、君に似ている。無愛想で、何も喋らなくて、何を考えているかなんて計り知れない。こいつも私を……見下していたら? どうしよう。どうもしない。生活している世界が違うからだ。

 そもそもぬいぐるみに生活なんてあるのだろうか。生活を営む私達が勝手に他のものも生活をするという幻想を抱いているだけだ。羨ましい。私が生活をしていなければ君にこんなことを思う必要もなかったのだから。自分で自分の首を締めるだけの人生だ。こんなものは欲しくなかった。ぬいぐるみにもぬいぐるみの苦悩があるのだろうか。あって欲しいと思う。否、あって欲しくないとも思う。私がぬいぐるみになる時には苦悩なんてあって欲しくないからだ。ぬいぐるみからの共感など要らない。人間の言語とかいうふざけた音声を受けて何を思うでもなく空を見つめている方がなんとなく理想的だ。

「ちょっとお? 麦茶出しっぱなしだけどぉ?」

 下階からお母さんの張り上げた声がする。今日も店は締まった。夕食まであと少し。それを食べて、寝て、起きたらまた同じことを繰り返す。私は、どうすれば良いのだろう。今更君に追いつけないのに、そのせいで勝手に溝を見つけている。見えないものが見えている。君にも、そうなのだろうか。

 ああ、また同じことを、繰り返す。床に落ちたぬいぐるみの手を掴んで布団に投げる。ボフン!というふざけた音はどうにかならんのか。こんなに思い悩んでも君はきっとこれほど軽い気持ちでいるのだろうか。そう思った途端、悔しさが蘇り膝から崩れ落ちた。

 君に似たぬいぐるみは、まだ私のことを見ていてくれる。

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