第4話「下着選びは戦場でした」
ショッピングモール三階。
ガラス越しに“女性専用”の柔らかい照明が漏れ出している。
通路を歩いてきた俺は、その前で思わず足を止めた。
「……ここが、戦場か」
ピンク、ラベンダー、白、黒。
並ぶマネキンたちの胸元は、どれも俺の視線を堂々と奪ってくる。
いや、物理的に奪うな。
香水と柔軟剤の甘い匂いが混じり合い、空気まで女の子でできているみたいだ。
心臓が爆発しそうなのに、隣の澪はやたら楽しそう。
俺だけ一人、命の危機と羞恥のど真ん中に立たされていた。
「迅ちゃん、行こ!」
「無理無理無理! 俺まだ心の準備が——」
「はい入店〜!」
袖をぐいっと引かれ、そのまま光の海へ。
入った瞬間、空気が一段階柔らかくなった気がした。
入口ですぐ、笑顔の店員が声をかけてくる。
「まあ、お二人、お揃いですか? 仲良しさんですね〜」
「えっ!?」
「はい♡」
澪、即答。俺、即死。
「ちょっと待て! 違うだろ今の返事!」
「いいじゃん。カップルに見えた方が得でしょ?」
「何の得だよ!」
「お客様達から、癒しの波動を感じます。二十五連勤の疲れが癒えました」
「働きすぎでは!?」
視線が刺さる。
どこを見てもブラとレースと女の香り。
俺は自分の存在がこの空間で完全に“異物”だと悟った。
けれど澪は、そんなの気にも留めない。
⸻
一歩進めば、レース系、シンプル系、スポーティ、派手カラー……。
“着てないのと同義”なデザインまで並び、視界が飽和する。
澪は慣れた手つきでラックをあさり、ひょいと掲げた。
「じゃん、レースにリボン! 絶対、迅ちゃん似合う!」
「似合うじゃねぇ! 初手から攻めるな!」
「せっかく美少女なんだから楽しまなきゃ損〜。お揃いにしよ」
「俺のメンタルゲージが破損するわ!」
「店員さん、癒されました〜って合掌してるけど?」
「あっ、お構いなくー!」
パステルブルー、花柄、淡いラベンダー。
そのたびに胸がどくどく鳴る。
視界の端で、《LIFE:100》が呼吸みたいにかすかに点滅した。
⸻
「初心者はスポブラかノンワイヤーが無難。慣れたら可愛いので遊ぼ?」
「遊具扱いやめろ!」
「白Tに透けないのは薄いグレーかベージュ、覚えといて。一緒に選んであげるから」
「……プロかお前は」
「女子だから♡」
ドヤ顔で胸を張るな。心臓が爆発する。
店内の照明が髪に反射して、澪の横顔がやけに綺麗に見えた。
⸻
試着室の近くで立ち止まった澪が、ひょいと耳元に顔を寄せた。
「ねえ、私がつけさせてあげよっか?」
「ッッッ……はぁぁぁ!?」
「肩紐、慣れてないでしょ? 後ろから——」
吐息が耳に触れ、全身が跳ねる。
反射的に半歩下がった俺を見て、澪はくすっと笑った。
「えっへへ。興奮した?」
「なっ……ばかやろう///」
「冗談。……半分はね」
「半分ってなんだよ!」
胸元の紙袋を脇に抱え、わざと店員ぽい動きで近づいてくる。
「お客様〜、本日フィッティング担当の小日向でーす♡ 肩紐の調整入りまーす」
「やめろォ! 俺肩紐つけてねぇ!」
「ほら、ここ。肩、柔らかい……かわいー。開発しがいあるね」
背後に回り込んだ澪の体温が、制服越しに押し寄せる。
髪が首筋をかすめ、息が甘く混じる。
喉が焼けるみたいに乾いた。
——LIFEゲージは満タン。
なのに胸の奥で、数字が赤く瞬いた気がする。
「ふふ、寿命減った?」
「減ってねぇ! でも精神が死ぬ!」
「減るのはキスだけ、だよね。だったら大丈夫。……それとも、胸に——」
「開き直んなぁぁぁ!」
肩越しに笑って、指先で胸元をつつく。
たったそれだけで、声が裏返った。
「すぐそこにいる店員さん呼んでくるわ!」
「店員なら、ここにいるよ?」
「お前は偽物だろが!」
「あぁ、いえ。お構いなく。私は、観葉植物ですのでお気になさらずに」
「いやいや、あなたは店員さんですよね」
澪はお腹を抱えて笑いながら、ふと目線を伏せる。
その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、冗談じゃない色が灯った。
「ね、迅ちゃん。……ほんとに寿命、減らないんだよね?」
「……ああ。キス以外じゃ、減らないらしい」
「そっか。……じゃあ、もう少しだけ、遊ばせてね?」
声音は軽いのに、言葉の端だけが熱い。
息の詰まり方が、さっきと違う。
“冗談の裏”が、怖いほどまっすぐだった。
⸻
押し問答の末、スポブラと淡いラベンダー、そして澪のゴリ押し一枠。
三セットを手に取り、レジを抜ける。
袋を受け取った瞬間、肩から力が抜けた。
命より重い、“買い物袋”。
「お疲れさま。はい、戦利品♡」
「……俺は、なんで幼馴染と同じ下着を選んでんだ……」
頭を抱える俺を見て、澪は笑いをこらえきれず吹き出した。
けれどすぐに真顔に戻り、少しだけ頬を赤くする。
「……迅ちゃんと一緒に選べて、嬉しかった。……好きだよ。ううん、大好き」
時間が止まった。
冗談みたいに聞こえるのに、目だけが真剣だった。
澪の瞳が光を映して、まっすぐ俺の中を覗いてくる。
怖いくらいに。
胸の奥で、《LIFE:100》がかすかに瞬く。
ほんの一拍、赤く見えた気がした。
「……っ、やべぇ」
声が漏れる。
澪は俺の動揺に気づかず、いつもの笑顔に戻った。
「次どこ行く? パフェ食べたいな」
「……お、おう……」
そっと手に触れられる。
「パフェより、私の方が甘いかもよ?」
「ちょ、おまっ……! 砂糖より甘いのは命に悪い!」
「冗談だよ?」
そう言いながら、瞳の奥では何かが揺れていた。
紙袋の重みと、彼女の笑い声だけがやけに鮮やかに残る。
——冗談のままでいてくれ。澪。
歩き出す俺に、澪が何気なく付け足した。
「そういえば、“紬ちゃん”も、こういう色好きだったよね。ラベンダー系。——今度、感想きかせよっか」
「……あ、ああ。……そうだな」
名前ひとつで、胸のどこかがきゅっと締まる。
世界は最初から俺を女子として扱う。
俺だけが、昨日の“俺”を覚えている。
けれど今は、隣に澪がいる。
それだけで、少しだけ前に進める気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます