第27話 追憶 ④

きっかけは、カッセル侯爵の姉がヘンリー第一王子の乳母に選ばれて王宮に上がった事だった。

忙しい王妃はなかなかヘンリー王子が起きている時間に会う事がままならず、自然と乳母を母よりも慕うようになった。本来ならそこできちんと臣下として線引きをしなければならないのだが、それを指摘されても耳を貸さずにひたすら甘やかし、将来国王になる殿下は特別な存在であり殿下の言う事は絶対なのだと言い聞かせて育ててしまった。

乳母のいう事はなんでも鵜呑みにし、思い通りに動く事に気付いたカッセル侯爵は、姉に傘下の貴族たちを取り立てるように進言させ、あっという間に王太子宮はカッセル侯爵家に牛耳られてしまった。

両親の国王も王妃にさえ距離を置き、カッセル侯爵一門に持て囃され甘言のみを受け入れる様子を危ぶんだ重臣たちは会議の末、ヘンリー王子の婚約者をサフォーク侯爵家のマリアンナ嬢と決定した。

しかしその決定を議会の横暴と断じた乳母とカッセル侯爵の言葉を信じ、勧められるまま目に留まった傘下の子爵令嬢を常にそばに置き、冤罪とも気付かずに断罪し終にはサフォーク侯爵家を国から去らせることになった。


また、サフォーク侯爵家の後ろ盾と資金を失って困窮した為、ガレリア侯爵家のバーバラ嬢を王太子妃に選んだにも拘らず、ガレリア家の財産と息子のリチャード王子の想い人を妃に迎えるために、バーバラ嬢の命を王太子妃候補時代から王妃になってなお脅かし続けた事は裁判で明らかになった通りだ。


そして、あの悲恋の話の事を聞かれたので詳細は知らないと答えると、帰ってから読むと良いと一冊の本を渡された。

その本には書かれていないが、そこにもカッセル侯爵の影があるのだと告げられた。


遅くなったからと馬車を手配してもらって家に帰って書類を作成していると、父のカッセル侯爵が離れの執務室にやって来た。


「支払いが滞っていると言われて買い物が出来なかったのだがどういうことだね。

家族に恥をかかせるなど許されることではない。

来週の期日までには今日の分も合わせてきちんと支払いを済ませるように。

お前は金を稼ぐしか能がないのだから、我々に養ってもらっているという自覚をもっとしっかり持たなければいけないよ」


言うだけ言って出て行った父を見送り、私は作っていた財産を売り払う書類を破棄した。

そして侯爵家所有の王都の全ての不動産に家具や家財、目録のあるドレスや宝石類と領地を丸ごと抵当に入れ、評価額より三割ほど多く借り入れる書類を作り直すと、その全額をブレナン大公領のテスト運航へ先行投資する手続きの書類を作った。


無一文で放り出すつもりだったが気が変わった。

少し借金を背負ってもらう。

彼らは金を稼ぐという事がどういうことか知った方が良い。


この投資金額はサフォーク侯爵家がカッセル領を買い取る際の資金に充てられるはずだから、余剰分があればブレナン大公家とサフォーク侯爵家に慰謝料として受け取ってもらおう。


破産を知り怒り狂ったカッセル侯爵家の人間が離れの執務室に雪崩れ込んだ頃、私は生まれて初めて踏み入れたカッセル領を見渡せる小高い丘の上で、ブレナン女大公の昔話を聞いていた。

王都に戻ると王宮の文官の宿舎の部屋が用意されていた。

そう言えばもう帰る家は無いのだ。

資産全てを失い、平民となった彼らにとっては途方もない金額の借金を背負った元カッセル侯爵家の面々は、それぞれが一番稼げる場所へと散っていったと聞かされた。


それから半年程過ぎた頃、ホーエン王国は学園の卒業を祝う夜会で発表されたフィリップ王太子殿下とサフォーク侯爵家オデット嬢との婚約に沸いていた。

先の海難事故でブレナン大公家の窮地を救い、ホーエン王国に復興を果たしたサフォーク侯爵家の令嬢は、隣国オルレシアン王国エスティア伯爵家の令嬢でもあり、マリアンナ王妃の孫姪でもある。さらにフィリップ王太子殿下とは幼馴染でお互いが初恋の相手だと広まると、王国中の女性たちから絶大な支持が集まった。


国を挙げての結婚式と戴冠式が同時に行われ、若き新国王フィリップと新王妃オデットに国民は期待し、懸命にそれに応える若い二人と忠誠心の篤い側近たちを周囲は温かく支えた。

長い在位中、災害なども幾度かあったが、国民に寄り添い国を発展させ続けた賢君として語り継がれている。


額の中のフィリップ国王とオデット王妃は、在位三十年の記念式典の時の二人だ。

肖像画を見て、わたくしもう少し痩せなければいけないわね、と真剣に相談してきたオデット王妃を、今のままが美しいよと、目の前からするりと攫って皆に向かってウィンクする姿がかつてのアレクお祖父さまと重なった。



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