山吹 華

 私──山吹やまぶきはなは、背中で扉を閉めて、ずるずるとしゃがみこむ。


 あ、危なかった……!


 うみにおし倒されて、偶然にも接吻……じゃなくて、口と口が当たって。


 慌てて離れようとした海の袖を引っ張って、まだこのままがいいとか思っちゃって……。


 海がとっさに腕をついてくれてなかったら、二回目のチューをしちゃうところだったよ!


「真っ赤な海、かわいかったなあ」


 ボヤきつつ息をつき、私はいやいやいやと首を振る。


 私は女の子だ。女子は普通、男子を好きになる。


 それはなんでか?


 子孫を残すっていう本能の下に、惹かれ合う定めだから。


 なのにこんな感情……。


 定期的に、無性に海が欲しくなる。


 おかしいって分かってるのに、勝手にあふれて暴走しそうになる。


「はあ……。頭冷やしてこよ」


 私はふらふらと立ち上がると、空コップ両手に階段を下りていく。


「あら、華ちゃん。飲み物足りなかった? 今用意するわね」

「ありがとう、皐月さつきさん」


 長い黒髪の女性が、冷蔵庫からオレンジジュースとリンゴジュースを出してくれる。


 雰囲気が海に似た美人さんだ。


 海の生まれは少し特殊で、父親が不明なんだって。


 皐月さんの相手ってことは分かってるんだけど、まあこういうのはタイミングが大事だしね。


 そのうちだって、海もあんま気にしてなかったし。


「海ちゃんの分も取りに来てくれたの? ダメじゃない、自分の分は自分で取りに来なくちゃ」

「私が行くって言ったんです。自分の分のついでだから」

「そう?」


 できた子ねー、お嫁さんに来てくれないかしら。


 皐月さんのパンチのきいた冗談に、思わず苦笑を浮かべる。


 気持ち悪いって、異端者だって。


 私、皐月さんと一冴かずささんが、他の大人たちになんて言われてるか、知ってるんだ。


 私の両親も例外じゃない。というより、むしろその中心にいる。


 私のお母さんとお父さんは、性別による区別が激しいほうの考え方の人で、お母さんは専業主婦だし、お父さんは休日返上の勢いで働く会社員。


 女性は家事育児、男性は働くっていう、古の脳ミソなんだ。


 当然ながら、同性愛者なんて気に障って仕方ないらしく、よく私に付き合いを考えろって言ってくる。


 ほっといてほしいよね。


 自分たちの偏った考え方おしつけてきてさ。付き合いを考えるべきなのは、お母さんたちのほうだ。


 皐月さんと一冴さんは、私にすごくよくしてくれる。


 海といると、疲れないし楽しい。


 同性愛者ってだけで、その子どもってだけで、距離を置くのは間違ってるんじゃないの?


 そんなのまるで、病原菌扱いだ。


「華ちゃん華ちゃん! ストップ!」

「え?」


 皐月さんの慌てた声に、ハッと我に返る。


 手元を見ると、コップの縁を乗り越え、ジュースがあふれ出ている!


「うわっ!? すみません!」


 傾けていたペットボトルを立て、ハンカチでこぼれたジュースを拭こうとする。


 けど、皐月さんに手首をつかまれ、止められた。


「華ちゃんのハンカチが汚れちゃうじゃない。私が片づけておくから、海ちゃんと遊んでおいで」

「でも……」

「いいのいいの。こんなのすぐだから」


 食い下がった私を、皐月さんが笑顔でおさえこむ。


 その両手には、オレンジジュースとリンゴジュースが入った、新しいコップが!


 は、早い……!


 私は頭の中で土下座をくり返しながら、それらを受け取る。


 そもそも、同性愛者だなんだって、どうしたら分かるんだろう。


 私はたぶん、海に惹かれてる。


 けど、男子を好きになったこともあるし、付き合ったこともある。


 両性を好きになるのかなって、それで片をつけられたら、話はもっと単純だった。


 普通女子は、男子を好きになる。


 それが常識で、一般的。


 なら、私が今抱いてるこの曖昧な気持ちは、気のせいなんじゃないかって、思ってしまう。


 吊り橋効果的な勘違いじゃないかって、思ってしまう。


「海、ただいまー……って」


 肘で扉をおして部屋に入ると、海は丸くなってうつむいていた。


「……寝てる?」


 机にコップを置き、四つん這いで海に近づく。


 海は膝に顔をうずめ、背中を穏やかに膨らませている。


 絹のように艶やかな、長い黒髪。


 モデルさんかってくらい綺麗な骨格。


 完璧人間みたいなルックスなのに、少し抜けてて、勉強が苦手っていうギャップ。


 海は私に、人望があるってよく言うけど、海だって裏でモテてるんだよ。


 海が神聖な空気をまとってるから、誰も近づけないだけで。


 知らないでしょ。海はそういうの、興味なさそうだもんね。


 でもね、私は気にするよ。


 だって、海のことが好きかもしれないんだもん。


 昔、付き合ったことがあるって言ったよね。


 告白したのは私。振られたのも私。


 想いは通じ合ってたのに、私がキスを拒否したせいで、愛想尽かされちゃったの。


 鳥肌が立ったというか、生理的に受けつけなかったというか……。


 触れられるのは嬉しかったし、ちゃんと好きだったはずなのにな。


 でも、さっきのは違った。


 もう一回って思った。


 キスができるのは好きの証っていうけど、やっぱそうなのかな。


 私は海の頭に顔を寄せると、そっとくちびるを触れる。


 数秒の後、体を離して海の隣に座り直した。


 でも、でもね。


 私が同性愛者かもしれないって思い始めたのは、LGBTを知ってからなんだ。


 皐月さんと一冴さんを見ていて、漠然としてた性の多様性が、学校の授業で明確化されてからなんだよ。


 知らなければ、学ばなければ、私はこの気持ちに気づくことはなかった。


 そもそも、芽生えてすらいなかったかもしれない。


 私の両親を見ても、世論を聞いても、同性愛者に対する風当たりは厳しい。


 そんな中で、自分が同性愛者かどうかに悩むのは、息が詰まってしょうがないんだよ。


 診断書があればよかったのに。


 処方箋があればよかったのに。


 異性以外の恋なんて、知らなければよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リンターセクション 流暗 @ruan_hanaumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画