第参章 廻る心情
第十四話 紡がれる絆
秋綱が人形使いの里に着いてから、既に三月が過ぎていた。秋綱は修行をする代わりに子供相手に読み書きを教える、という条件の中にその身を置いていた。
「秋綱殿。昼餉の用意が出来ました」
子供に文字を教える背中に、魅月の声がかかった。
「あぁ、すまない。もう、そんな時間か」
微かな笑みを浮かべながら振り返る秋綱に、魅月は思わず視線を外した。
「どうかしたのか、魅月?」
「秋綱先生、魅月お姉ちゃんの顔、真っ赤だよ」
思わず疑問を口にした瞬間、子供の中からそう言う声が上がった。
「な!」
「あ、耳まで真っ赤になった!」
魅月が声を上げると、別の子供から声が上がる。
「魅月お姉ちゃん、秋綱先生が好きなんだ!」
無邪気な声に魅月が俯くと、秋綱は静かに首を横に振った。
「魅月は誰にでも優しいだけだよ。それに、大人をからかうのは、やめなさい」
秋綱がそう窘めると、魅月の表情が一変した。
「秋綱殿! 昼餉が冷めてしまいます! 早く食べていただかなければ、片付けに時間がかかります!」
「魅月? 何を急に……」
怒っているのだ、秋綱がそう言うよりも速く、魅月は踵を返していた。
「魅月……?」
「秋綱先生、あのね……」
魅月の背中にかけた疑問を、教え子の一人が簡単な説明をしていた。
無言のまま昼餉を食べ終えると、秋綱は魅月の背中に視線を止めた。
――秋綱先生が好きなんだ!
そんな子供の言葉に、秋綱は静かに首を振った。
「魅月……」
「はい、なんですか?」
秋綱が静かな声をかけると、魅月から声だけが返ってきた。
「いや、魅月は少食だな、と思っただけだ」
秋綱の言葉に魅月は微かに肩を震わせた。
「可笑しいですか?」
冷静を保った声に秋綱は苦笑すると、見えないとわかっていながら、それでも首を横に振った。
「いや。栞も食の細い方だったが、それ以上だと思った。それだけの事だ」
秋綱の声に魅月は、今度は秋綱にもわかる程に大きく肩を震わせた。
「私は、何を嫉妬しているのでしょうね……」
呟きにも似た、そんな声が秋綱に届いた。
「魅月……?」
「気付かれているのでしょう? 私がこの村で『特別』なのは……」
魅月は背を向けたまま、そう声を出した。
「あぁ、そうだな。この村で魅月を慕う子供は多い。この村で魅月を遠巻きで見る大人も多い。だが、君が一声かければ、俺の様な余所者にも、修行をさせてくれる」
「私はこの村で唯一の医者です」
魅月がそう言うと、秋綱は静かに頷いた。
「この村には多くの薬草を必要とはしません。それは私がいるからなのです」
「どういう事だ?」
魅月の言葉に秋綱は静かに問い返した。
「この村で唯一、兇螺の『技業』を多く知っている人間だからです。私の医療技術は、村を出れば、軽く百年以上進んだ物になります」
「魅月……?」
自嘲気味に声を上げる魅月に、秋綱は不思議そうな顔をした。
「わかりませんか? 私は四肢を無くすような大怪我をした人間に、容易く代わりの物を提供できます。秋綱殿の様に、声帯が壊れても、容易に『交換』出来ます。私に用意できない物は内臓と頭だけなのです」
「それは……」
魅月の言葉の意味を秋綱は理解できなかった。理解しようにも、それだけの知識が無いのだ。
「私はその気になれば、瞳を用意する事も可能です。用意しろと言われれば、耳を用意する事も出来るでしょう。それがどれほどの事か、秋綱殿にわかりますか?」
魅月は静かに疑問を投げかけた。
「私は、畏敬の念で見られているのです。ですから、秋綱殿の様に歳の近い方に、普通に接してもらえる事がどれほど嬉しいか、秋綱殿にわかりますか?」
堰を切った魅月の感情に、秋綱は静かに首を横に振った。
「私は気付いているのです。秋綱殿に対して、この『想い』が強くなればなるほど、秋綱殿が笑顔を取り戻されていけばいくほど、より一層、この『想い』が全てになっていく事を……」
そこまで言うと、魅月は振り返り、笑顔を浮かべた。
「奥方を亡くされた秋綱殿には悪いと思います。ですが、私は秋綱殿に奥方がおられない事を、安心しているのです」
ですが、魅月はそう呟くと、秋綱に近付いた。
「その心に住み着いた、奥方に、私は嫉妬しているのです」
そう言うと、魅月は静かに目を閉じた。
「私は何と卑しいのでしょうか……? 秋綱殿の優しさに惹かれ、秋綱殿の心にいる奥方に嫉妬をし、そして、秋綱殿の心を一人占めにしたい……」
「魅月。君は卑しくなんてない。それは、誰しも『恋』をすれば感じる事だ。その気持ちの大小は別にして、な……」
――それは、誰でも持っている物だ。
静かに声を出し、秋綱は立ち上がった。
「だが、現実はそれほど思い通りにはならないのも事実だ。君の気持ちは嬉しい。正直言って、栞に会う事が無く、或いはもっと時間が過ぎてから、君に出会っていたら、俺は君に『想い』に応えられたかも知れない……」
秋綱がそう言うと、魅月は涙を流しながら、首を横に振った。
「そう思うのでしたら、期待をさせるような素振りをしないで下さい! そんな優しい言葉をかけられたら、私はあなたの想いを期待してしまう!」
「俺は、あの男を殺す事しか考えていない。だが……」
一旦言葉を切ると、秋綱は魅月の方に顔を向けた。
「あいつは『この感情』を十五年も抱き続けていた。どれだけの『憎しみ』があいつに宿っているのか、俺には想像がつかん。それを考えるようにしてくれたのは、君だ」
「秋綱、殿……?」
涙を拭う魅月に、秋綱は静かに近付いた。
「君には感謝している。本当に一歩だけさがって考えれば、気が付く事だった。それだけは、はっきりと礼を言える。少しだけ、栞の願いを理解しようとする、そんな自分を見つけられたのだ」
――それでも……。
秋綱は拳を強く握りしめた。
「俺はあいつを『許す』など出来ん。俺を恨むのであれば、俺を殺せばいい。俺が憎いのであれば、俺を狙えばいい。栞を、屋敷に仕えていた関係の無い人間を、巻き込む必要はどこにも無い」
「……秋綱殿。今日から、修行相手が替わります」
吐き捨てる様に声を荒げた秋綱に、魅月は静かな声を出した。
「傀儡師は全員相手にしたが……」
「いいえ。全員ではありません。この村で一番強い傀儡師が、今日からあなたのお相手をします」
魅月がそう言うと、秋綱の表情が僅かに曇った。
「一番強い? 宗一殿が一番の使い手では無いのか? 確か君は……」
「宗一は確かに『一番の使い手』です。ですが、一番強い『傀儡師』は別にいます」
魅月はそう言うと、微かに笑みを浮かべた。
「誰だ……?」
「今、あなたの目の前にいます」
魅月がそう言うと、秋綱は驚愕の表情を浮かべた。
「今日より私が秋綱殿のお相手をします。私は宗一に比べ体力はありませんが、傀儡師としての実力だけならば、私の方が遥かに勝っています。ですから、気を付けて下さい。女の嫉妬は強いですよ?」
魅月は静かにそう宣言をした。
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