第五話 夕陽とお誘いと面影

 紫音しおん先輩が自転車に乗って帰っていくのを見送って、帰りの電車に乗る。


 帰りの電車は人が少ないので、隅っこの席が空いているときだけはシートに座るようにしている。


 ちなみに人が多い定期テストの帰りとかはもちろん立っている。


『電車乗りました、会えるの楽しみです』


 電車に揺られながらみどり先輩にメッセージを送信する。


 すぐに既読がついて、十秒もたたないうちにメッセージが返ってくる。


『私もましろちゃんに会えるの楽しみ!』

 

 紫音先輩と一緒に過ごす時間も楽しいけど翠先輩のことを考えていると心臓の鼓動を意識してしまう。


 動物園のレッサーパンダってかわいいけど、結婚したい!とは思わないじゃん?そんな感じ。

 

 早く翠先輩に会えないかな~背中をシートに預けて目を閉じる。

 

 ◇

 

 柔らかい枕みたいな感触を感じて目を覚ますといつもの景色とは九十度違っていた。


 目を閉じるだけ、と思っていたのについシートで横になって寝てしまっていたらしい。


「ましろちゃんやっと起きた~寝顔もかわいいんだね」

 

 翠先輩の声で意識がはっきりとしてくる。


「翠先輩?どこにいるんですか?声は聞こえるんですけど……」

「寝ぼけてるの?ましろちゃんが寝てるのは私のふとももの上だよ」

 

 なるほど、寝心地がいいと思ったら翠先輩の太ももだったのか……


 膝枕ってこと!?


 翠先輩の足によだれを垂らさないように、口元をハンカチで抑えながら急いで姿勢を正す。


「私なんかが先輩のふとももを枕にしてしまってごめんなさい!」

「そんなに謝らなくて大丈夫だよ、寝顔見れたの嬉しいし!」


 まったく笑顔を崩さないですぐに返事をしてくれる、やっぱり翠先輩って天使の生まれ変わりか何かなんじゃないかな。


「なんでもするので許してください!」

 

 私がじっと見つめていると、先輩は頬をほんのりピンクにそめて、私から視線をそらす。


 まさか……照れてる?


「許してるってば、それに……ましろちゃんいい香りしてどきどきしちゃった」


 今回ばかりは紫音先輩のいたずらに感謝しかない。ありがとう紫音先輩、また今度おいしいもの奢らせていただきます。


「ほんとになんでもしてくれるの?」


 翠先輩が耳まで赤くして、もじもじとしながら聞いてくる。


「犯罪行為じゃなかったら大丈夫ですよ」


 翠先輩はそんな物騒なこと言わないと思うけど、紫音先輩と話すときの癖でつい保険をかけてしまう。


「じゃあ……っぺたに……ューとかは?」

 

 さっきまでの元気な先輩はどこへ行ってしまったんだろう、ほとんど聞こえない声でぼそぼそ話している。


「聞こえないのではっきり言ってもらってもいいですか?」

「ほ、本当に聞こえてないの?からかってるとかじゃなくて?」

「はい、お願いします」


 先輩が首をぶんぶんと振ってから口を開く。


「じゃ、じゃあ私とデートとかどうかな!」

 

 勇気を出して言ってくれたんだろう、さっきまでは春のお日様みたいだった声色が、今は真夏の太陽みたいに感じた。


 翠先輩は私の手を握って返事を待っている。


「デートって言っても友達と遊びに行くのと同じだからさ……」


 なかなか返事をしない私を見たからか、先輩がそう付け足す。


 私の手を握る力がだんだんと強くなって、先輩の手が震え始める。


 先輩にとってのデートが友達と行くものでも、好きな人と行くものでも私の選択には関係ない。


 私の答えはすでに決まっている。


 返事をしようと思い口を開いた瞬間、先輩の髪に夕陽が当たって茶色に輝く。


 さっきまで一緒にいた三週間だけの彼女、紫音先輩の茶色に染めた髪と重ねてしまった。


 一度口を閉じて、言葉を選び直す。


「少し……考えさせてください」


 そう答えると先輩は手をすとんと落とす。


「急に言われても困るよね」


 そう言った先輩の目は、七月八日の織り姫様みたいな儚げなものだった。


『行きたいです!』すぐにそう答えられなかった自分が悔しい。


 ◇


 ベッドに寝転がって天井をぼーっと眺める。


 あれからは入っている部活だとか好きな食べ物だとかの話をしながら帰ってきたような気がしたけど、あまり覚えていない。


 まさか翠先輩にデートに誘われるなんて思わなかった。


『じゃ、じゃあ私とデートとかどうかな!』


 頬を染めながらぎこちなくそう言った先輩の顔は間違いなく本気だったと思うけど、もしかしたらそう信じたい私の目に都合良く映っただけかもしれない。


 Rime、送ってみようかな。


『翠先輩、デート行きたいです!』


 テキストボックスに入力したのはいいけど送信ボタンがなかなか押せない。 


 スマホとにらめっこしていると、しっとりとした感触が頬に触れる。


「どうしたのモフ太?」

 

 短い足を必死に動かしてかりかりしてくるので、スマホを一旦おいて頭をなでてあげる。


 スマホを下敷きにして、気持ち良さそうに寝ている。

 

 犬からしたらスマホの熱はちょうどいい暖かさなのかもしれない。


「モフ太はかわいいね~」


 ポップコーンみたいなモフ太の香りを嗅いでいると、モフ太のお腹の方から人の声が聞こえてくる、まさか……


 モフ太のふんわりとしたお腹の毛に手を突っ込んでスマホを引き抜き、画面を見る。


 そこには『通話中』と『翠先輩』の文字が映っている。


「もしもし?」

「ごめんなさい!モフ太が!えっと、飼ってる犬が間違えて押しちゃったみたいで……」


 申し訳なさすぎて、スマホの前でつい土下座してしまう。

 そんな私を見たモフ太が私の部屋から出て行く。電話かけたのに逃げるのは良くないと思うよ?


「そっか……デートの返事だと思ってすぐに出ちゃったよ~」


 あははと笑う先輩の声が私の胸を締め付ける。

 やっぱり私とのデート楽しみにしてくれてるんだ。


「その話なんですけど……」

「うん」


「デート、行きたいです。先輩三年生だし、これからは受験勉強とかで忙しくなっちゃうと思うから……」

「気持ちは嬉しいけど無理しなくていいんだよ」


『無理してません!』とはすぐに言えなかった。


「ましろちゃんには一番楽しいことを選んで欲しいんだ。選んだ結果が私と過ごすことであって欲しい」


 やっぱり先輩は優しい、こういうところが好きなんだ。


「今の言葉で自分の気持ちを再認識することが出来ました。」


 直接顔を合わせているわけでもないのに、電車に乗っていたときよりも緊張してしまう。


「翠先輩、私とデート行ってくれますか?」

「もちろん!」


 電話越しでも表情が想像出来るほどの明るい声が聞こえてくる。


「どこか行きたいところある?」


 本屋なんて言ったらドン引き待ったなしだろう。


「映画とかどうですか?」


 映画館の近くに本屋があるから選んだわけではない。断じて、帰り道に新刊を買おうと思ったわけではない。


「いいね!『死神とロシアンルーレット』っていう映画見たかったんだ~」


 昨日紫音先輩が買ってた本が原作の映画じゃないかな?原作は読んだことないけどあらすじは気になってるんだよね。


「いつにしますか?」

「流石に明後日だと早すぎるかな?」


 カレンダーアプリで予定を確認してみるけど、祝日と新刊の発売日以外に予定はひとつも入っていない。


「私はまったく予定ないので大丈夫です」

 

 本当は明日の学校をサボって行きたいくらいだけど、それだと翠先輩に迷惑がかかってしまうから心の中にそっとしまっておく。


「それじゃあ予約とっておくね~」

「ありがとうございます」


「今日はもう遅いし集合時間とかは明日話そうか」


 時計を見ると二十二時を過ぎていた。


 毎日日付が変わるまで起きている私にとっては全然遅くないけど、先輩のお肌に影響を与えたら申し訳なさすぎる……


「急に電話かけたのに出てくれてありがとうございます」

「全然大丈夫だよ、おやすみ!」


 先輩の声で耳だけでなく心まで浄化され、思わずスマホを放り投げて倒れ込む。


 タイミングを見計らったようにモフ太が部屋に入ってくる。きみが急に電話なんてかけるから心臓バクバクだよ~


「もふ太~翠先輩と電話しちゃったよ」

「ヨカッタネ!」

「ふたりで映画を見に行くなんて付き合ってるみたいだね」

「ソウダネ」

 

 夜だからか紫音先輩の寸劇みたいなことしちゃった。


 ピコンとスマホから音がする。


「通話切れてなかったわけじゃないよね……」

 

 スマホの画面をつけると『一分前に通話終了』の文字が浮かんでいる。

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