西部劇警察署 ―銃マニアな警官しかいない所轄……平和と言えば平和?―

五平

第1話:『木目の告白』

署内に鳴り響くサイレンの甲高い悲鳴に、真宮(マミヤ)は顔をしかめた。その不協和音は、彼が今磨き上げている愛銃の「ブラックウォールナット」のグリップの、静謐な木目と全く相容れない。


「ったく、うるせぇなぁ…」


彼が手にしているのは、丁寧にカスタムされたリボルバー。その中でも、特にこだわって交換した木製グリップは、まるで生き物のように彼の掌に吸い付く。彼は、指先で木目の微細な凹凸をなぞりながら、視線を遠い過去へと飛ばした。この木は、何十年、いや何百年もの間、森の中で風に揺られ、雨に打たれ、太陽の光を浴びてきたのだろう。その一本一本の年輪には、気の遠くなるような時間の記憶が刻み込まれている。


「こいつぁ、ただの木じゃねぇ。森の記憶を吸い込んだ、生きた化石だ。それをこうして、俺の掌に収まる形に……ああ、なんてことだ」


真宮は、その滑らかな表面に頬ずりをする。銃という、一瞬の間に命を奪うことを目的とした冷たい鉄塊に、これほどまでに温かい命の記憶を宿らせた職人の手仕事に、彼は深い敬意と愛を抱いていた。署内に響く騒々しい音とは対照的に、彼の世界は静かで、そして美しい。


「真宮、ぼんやりしてないで急げ!」


同僚のジョーが、焦った声で真宮を現実に引き戻す。人質事件の報せだった。銃を持った犯人が、雑貨店に立てこもっているという。真宮は、まるで愛しい恋人から引き離されるように、リボルバーをホルスターに収めた。その一連の動作には、もはや訓練された警察官のそれではなく、彼自身の銃に対する美学が反映されていた。


現場に到着すると、警察官たちが騒然としていた。犯人は強硬な態度で、交渉に応じる気配がない。人質は店のオーナー夫婦。緊迫した空気の中、真宮は人混みの後方から、犯人の立てこもる店の窓を見つめる。彼の視界に入ってきたのは、犯人が人質の頭に突きつけた、無骨な黒い拳銃だった。


「…無粋だ。なんの個性もない、ただの量産品。まるで、魂のないプラスチックの玩具みてぇだ」


真宮は、心の中で犯人の銃を罵倒する。その銃には、彼の愛するような「物語」も「記憶」も「美しさ」も何一つとして存在しない。ただの暴力の象徴。その事実が、真宮の美学を深く傷つけた。


「俺が行きます」


真宮は、無線機を手に取り、静かに言った。周囲の警官が驚いて彼を止める。


「馬鹿か、お前!交渉の専門家でもないお前が、何ができるってんだ!」


ジョーが真剣な表情で言った。だが、真宮の目は、遠くの犯人の銃を見つめたまま動かない。


「アイツは、何もわかっちゃいねぇ。銃の本当の美しさを……いや、俺が教えてやる」


真宮は、ゆっくりと一歩を踏み出した。その足取りは、まるで神殿へと向かう信者のように、静かで、厳粛なものだった。彼は、拡声器を手に、犯人に向かって呼びかけた。


「おい、そこの素人。お前が手にしているその銃、どこのメーカーだ?…いや、いい。どうせ、魂のこもってない安物だろう」


最初の言葉から、真宮は挑発的だった。だが、彼の声には、嘲りや怒りはなく、ただただ、深い悲しみと失望が滲み出ていた。犯人は、その声に苛立ちを覚え、窓から顔を出して叫ぶ。


「うるせぇ!俺が何を手にしていようと、お前には関係ないだろうが!」


真宮は、にこやかに微笑んだ。その表情は、まるで初めて美術館で傑作と出会った時のように、純粋な感動に満ちていた。


「関係なくない。大ありだ。なぁ、お前…木目って、好きか?」


犯人は呆気にとられた。人質交渉の場で、まさかそんな問いかけをされるとは夢にも思わなかっただろう。真宮は、そんな犯人の戸惑いを無視して、話を続けた。


「俺の相棒は、このブラックウォールナットのグリップを付けている。見ろ、この深い色合い…まるで、熟成したウイスキーのようだ。そして、この複雑な木目…これこそが、この銃の魂だ」


真宮は、自分の愛銃を取り出し、そのグリップを太陽にかざして見せた。光を浴びて輝く木目は、まるで生きているかのように揺らめいて見える。彼の「思考の暴走」が始まった。


「この木はな、何百年も前に、遠い森で静かに呼吸をしていた。雨が降ればその雫を吸い上げ、風が吹けばその音を聞き、鳥が止まればその重みを感じていたんだ。それが、ある日切り倒されて、研磨されて…この銃のグリップになった。でもな、その記憶は決して失われることはない。この木目一つ一つが、森で生きた証なんだ。俺はこのグリップに触れるたびに、風の音を聞き、森の匂いを嗅ぎ、木漏れ日を感じることができる」


真宮の言葉は、まるで詩を朗読しているようだった。彼の声は次第に熱を帯び、感情が溢れ出す。


「お前は、この銃をただの道具だと思っているんだろう?人を傷つけるだけの、ただの鉄の塊。違う!この銃は、このグリップのおかげで、生きているんだ!森の記憶を、命の物語を宿しているんだ!」


犯人は、真宮の常軌を逸した熱弁に、初めは恐怖を覚えていた。しかし、その恐怖は次第に、奇妙な興味へと変わっていく。男の目は、真宮が持つ銃のグリップに釘付けになっていた。彼の無骨な銃とはまるで違う、美しく、温かみのある木製グリップ。


「どうだ?お前が持っているその銃は、お前に何を見せてくれる?何を聞かせてくれる?何を感じさせてくれる?何も無いだろう!ただ、冷たい金属と、無機質なプラスチックの感触だけだ!」


真宮は、犯人の心に突き刺さるような言葉を続けた。彼の言葉は、犯人がこれまで信じてきた「力」や「暴力」の価値観を揺さぶる。


「お前の銃には、お前の人生が刻まれていない。何の物語もない。だが、俺の銃には、俺がこれまで歩んできた道のり、銃を愛してきた時間が、この木目に刻み込まれているんだ。俺はこのグリップを撫でるたびに、自分が何者で、何を信じているのかを思い出す。……お前にも、そういう存在が必要なんじゃないのか?」


真宮の言葉は、静かに、そして深く、犯人の心に染み渡っていく。彼の心の中には、これまで経験したことのない感情が湧き上がっていた。それは、恐怖でも、怒りでもなく、感謝だった。


「……ありがとう、あんた。俺の人生には、何もなかった。何一つ、俺だけの物語がなかった。でも……」


犯人は、震える手で自分が持っていた銃を窓枠に置いた。そして、震える声で言った。


「…あんたの銃、見せてくれないか。その、ブラックウォールナットってやつ」


真宮は、ゆっくりと微笑み、愛銃をホルスターから抜いて、その銃口を自分自身に向けた。


「ああ、もちろん。お前が持つに相応しい、最高の物語だ」


そう言って、彼は銃を投げ渡した。その銃は、まるで生きているかのように、犯人の掌に収まった。犯人は、真宮の言葉通り、グリップを優しく撫で、その温もりを感じた。


「…本当に、温かいんだな」


犯人は、静かに銃を窓枠に置き、両手を挙げて投降した。事件は、一発の銃声も、悲鳴も、何も無いまま、静かに幕を閉じた。


署に戻った真宮は、自分のデスクで愛銃を磨き直していた。ジョーが、呆れたような、しかしどこか感心したような表情で真宮の隣に立つ。


「お前、本当にすげぇな。あんなんで、よく解決できたもんだ」


真宮は、愛おしそうにグリップを撫でながら、静かに言った。


「当然だろ?銃は、人を傷つける道具なんかじゃねぇんだ。人生を語るための、最高のツールなんだよ」


彼の言葉は、その場にいた誰の心にも、深く刻み込まれた。

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