花天月地【第93話 運命の岐路】

七海ポルカ

第1話




伯言はくげん様が徐庶じょしょ殿を?」



 やって来た司馬孚しばふに、陸議りくぎが徐庶を連れて黄巌こうがんを探しに行ったことを告げると、彼は驚いた。

「兄上が許可なさったのですか?」

「ああ」

「何故……伯言様は今、馬など乗れる状態ではありません。やっと癒えて来た傷が開いてしまいます! 徐庶殿はともかく、なにも伯言様をやらずとも……他の人をやれば……いえ、命じて下されば私が行きましたものを」


「お前には話していなかったな」


 司馬懿しばいは弟を見遣った。

「私が涼州遠征に徐元直じょげんちょくを帯同した理由だ」


「……まず、曹操そうそう殿が見出された才と聞きましたが」

「きっかけはな。しかし奴は劉備りゅうびと戦うことを恐れ、軍師としての生を拒んだ。魏では小さな行政の役職に就いていたのだ」


 確かにそう聞いた。軍師として徐庶はそこにいたのではない。


「陸議が甄宓しんふつ殿に連れられ長安ちょうあん宮に行った折り、甄宓殿のために曹操殿が開いた祝宴があった。曹操殿の側近達が揃った祝宴だ。甄宓殿は曹操陣営の顔ぶれを陸議に見せようとしてお連れ下さったようだが。

 夏侯従兄弟かこうきょうだい荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆうなど、正真正銘の曹操の側近が集ったものだ」


 司馬孚しばふが名を聞いただけで緊張するような顔ぶれだった。


「その祝宴に紛れて帰還したあと、陸議が唯一素性を私に特に尋ねた者がいる」


 司馬孚は目を開いたままだった。

 司馬懿は頷く。


「それが徐庶だ。奴は発言権もないような末席に座っていた。恐らく誰ぞの付き合いで断り切れなかったとか、そんな理由だろうがな」


「何故伯言様は徐庶殿を?」


「分からん。何度か聞いたが、自分でも理由は分からなかったようだな。

 偽りでは無いと思う。偽る理由がないし、徐庶の名も素性も当初、陸議は知らなかった」


「それが……」


「陸議がやって来て、徐庶を牢から出して黄巌こうがんを追わせろと言ったのだ。

 奴ならば必ず賈詡より早く黄巌を探し出して、見つけ出し説得出来ると」


 陸議がそこまで徐庶を買っているとは思わなかった。


「その時に、祝宴で徐庶が気になった理由も話した。

 これといった明確な理由は無く、覇気溢れる曹操陣営ならば、例え末席の者であろうとも意味を持つ者だろうと思い、見た時に何かを感じたと」


「お二人は何か会話をなさったのですか?」


「一言も話してはいない。目を合わせたのも一瞬で、そのあと徐庶は普段通り心ここにあらずだったと言っていたが」


「つまり……徐庶殿はなにも感じていなくとも、伯言様は感じられたのですね。直感を」


「そういうことだ」


「なんでしょう……。徐庶殿は……私も、優秀な方だとは思います。

 人柄もお優しいですし、曹魏に真に忠義を誓って仕えることになれば、頼りになる方だと思うのですが……それは話を交わしその人柄に触れて、徐々に分かって来たことです。

 失礼ながら徐庶殿はその……黙って座っていても、非凡であることが直ぐさま分かるようなたちではないかと……」


「あまり腑に落ちる話ではなかったが、陸議が言うには……他の武将は一目で誰しも非凡だと分かる輝きがあったから、自分にはどれも同じように見えて敢えて引かれなかったのではないかと。あまりにそこだけ異質に見えたから、気を引いたのだとな」


 司馬懿がそう説明すると、司馬孚しばふは思い浮かべた。

 確かに名を聞くだけでも緊張するような曹操の側近達が揃っていた中で、たった一人、心ここにあらずの者を見ると、別の意味で誰なのだろうかと気にはなる。


 しかし陸議の性格から言って甄宓しんふつが与えた貴重な、曹操陣営の顔ぶれに触れる機会を、彼が無駄な暇つぶしに使うとは思わなかった。

 だから多分「気を引いた」という言葉の意味は、もっと一歩踏み込んだものだ。


 その時点ですでに徐庶を肯定的に見たのだろう。

 その理由が司馬懿は知りたかったが、まだあまり分からない部分である。

 黄巖こうがんを追わせれば見えるかもしれないと、陸議が持ちかけて来たのはそういうことだ。


「軍師とは、まだ輝いていない、内に才を秘めた者を探す本能があると言っていたな」


 司馬孚は息を飲んだ。

 そうだ。陸議は……若いが孫呉の軍師だったのだ。

 厳しい表情をしていた司馬孚は表情を緩める。


「その本能が、徐元直じょげんちょくを選んだと?」


「さてな。陸議とて見立てが外れることはある。

 今回がどうかは直に分かろう」


「兄上は伯言様を本当に信頼なさっているのですね」


「信頼とはまた別のものだ」


「そうかもしれませんが。兄上が無駄な賭けに乗るとは思えません。

 しかし伯言様のことは、折々にその力量を確かめようとなさることがある。

 兄上の本能もまた、伯言様を指しているのでしょうか」


 司馬懿はそれには答えず、立ち上がった。



「陸議が徐庶を『星』に例えたぞ」



 司馬孚は窓辺に寄った兄の背を見た。


「『まだ誰も見知らぬ輝きを秘めた、自分だけの星』」


 少し息を飲む。


「ふん。奴には似合わん、美麗すぎる表現だ」


 兄の悪態に少しだけ頷いてしまって、司馬孚は小さく笑った。

 

 何か、また陸議が優しさで無茶をしたのではと思って心配したが、彼がそこまで言うならば自分で望んだことだろう。

 何よりも司馬仲達を説得してしまうなど、並の者では出来ないことだ。


(やはりあの方は、何か特別なんだ)


 何故か誇らしいような気持ちでそう思ってしまった。

 

 そういえば自分も陸議の素性など全く知らない時に一目見て、彼は特別な人ではないかと、そう思っていたことを思い出した。



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