3650ページ〜ねえ、憧れの人。あなたは今何をしてる? 私はあなたと同じ冒険者になったよ〜
朝野つゆ
第1話
3650。
なんの数字かわかるかい?
メイさんは頬杖をつきながら私に問う。
私には検討もつかない。
メイさんは指を頬でタップする。
何かのメロディのよう。
ーー3650ページ。旅を始めてから毎日書き続けている冒険の軌跡さ。
メイさんが宙に手をかざすとキラキラとして日記が現れた。
ーーある遺跡に書かれていた暗号によると僕たちはベルゼアと呼ばれるとっても大きな世界樹の切り株の上にいるらしい。でも、その端っこを誰も見たことがない。また、ある賢者によるとこの3650ページは世界全貌の1%にも満たないらしい。一体、残りの99%には何があるのか。この謎に憧れたまま死にたくないんだ。
そう言うメイさんの目は儚くて美しかった。
「その話は昨日も聞いた。ダメなもんはダメだ」
「なんでダメなの!」
私は食卓で父ジャンダムに抗議する。
ジャンダムは鼻くそをほじると机に擦り付けた。
「そんな危ないこと認められないの。諦めてくだしゃい」
「危なくないし」
私は皿に盛り付けられたオークのキノコあんかけからキノコを取って隣に座るリンリンの皿に移す。
リンリンは喜んで口にする。
「お父さんがついて行ってあげたらいいんじゃないかしら?」
「冗談じゃない。いいか?」
ジャンダムは私の目を見て言う。
「冒険者ってのは稼ぎも安定しないし、仕事だって命懸け。いつ死んでもいいようなゴロツキがなるもんだ。今日を生き抜くためなら平気で人殺しだってするような奴らだ」
「メイさんはそんなことしない!」
「お前の前ではな」
ジャンダムは食べ終えると席を立って行ってしまった。
話にならない! なんでもかんでも決めつけやがって頭にくる!
あいつの席に鼻くそをつけてやった。
少しだけ気分が晴れた。
ほんの少しだけ。
消灯した寝室は胸がザワザワして寝られない。
「いつまでこんなところにいるんだろう」
「カシカは本当に外に出たいの?」
リンリンが訊く。
「うん。リンリンは?」
「あたしは……カシカについて行こうかしら」
「なにそれ」
「あたしはお前のお姉ちゃんだからよ」
こんなことを言うがリンリンはいつもそうだ。
私より三つも上なお姉ちゃんなのに主体性がまるでない。めんどくさがりだから人の決めたことに乗っかる。
……って、今なんて?
「私についてくるって?」
「ええ。なんなら2人っきりでこの街から逃げる?」
――逃げる。
ジャンダムが認めてくれないなら逃げるしかない。
思いつかなかったのが不思議なくらい簡単な案。
1人じゃ無理でも私たちならできる。
引き攣るような笑みが新月の夜に咲いた。
ある月夜。
「水に地図、ナイフもある!」
「あと、財布もね」
カバンに必要なものを詰め込んで家を抜け出した。
まずは村を抜ける。
そして、街道に出てそれから帝都へ!
月が私たちを咎めるように照らし出す。
不安と興奮がないまぜになって自然と小走りになる。
建物が少なくなり道の両脇に鬱蒼とした木々が現れる。
「なんか、お化けとか出そうだね」
「あたしがお化けよ」
「いつの間に死んだ!?」
「さっき、トイレで」
「トイレでどうやって」
「今、考える……」
そんな話をしていると、遠くから悲鳴が聞こえてきた。
まさか、本当の幽霊が?
葉の擦れる音が慌てたように近づいてきている。
リンリンはあわあわしている。
私はカバンのナイフを持ってどっしりと構える。
茂みがモゾモゾと動き大きな影が現れる。
顔に傷を負ったいかにも盗賊という風貌の大男。
「たす、けーー」
男は地に這いつくばりながら私たちに助けを懇願する。
ーーフュグォリ!
一瞬だった。
初めて人が死ぬのをこの目で見た。
木々の隙間から巨大な獣の前脚が大男を目掛けて振り下ろされたのだ。
その前脚の主は威厳に満ちた足取りで私たちの前に姿を現す。
白銀の毛を逆立てた巨大な狼。
ところどころ血痕に濡れ、殺戮の眼差しは私たちに向けられている。
「ウァァァーーーー!」
ナイフを狼に向けて走り出す。
じゃないとやられーー。
右半身に強い衝撃を受け、視界がグルグル回る。
ナイフの落ちる音を最後に私の意識は途切れた。
目を覚ますといつもの部屋だった。
身体中が痛む。
あの狼は?
「カシカ! やっと目が覚めた! ねえ、お父さん!」
「ああ、よかった。よかった」
2人はベッドの傍で私を涙交じりに見下ろす。
「私、なにが」
2人に問いかける。
声を出そうにもカラカラ。
リンリンが水を差し出した。
「カシカが突っ込んでやられたから、ここまでおぶってきたわ」
逃げきれたの?
リンリン1人で?
そんな問いをするほどの気力が湧かない。リンリンが嘘をつく必要もないし本当だと言われればそれまでのことだ。
「それから、お父さんのとこに運んで治してもらった」
私は自分の体を見下ろす。
包帯がグルグルに巻かれている。
「基本的な治療は昔やってた仕事のおかげでできるんだ」
ジャンダムの顔を見る。
赤く腫れた目は申し訳なさそうに下を向いている。
「なんの仕事?」
「冒険者だ」
……やっぱり。
ジャンダムは上手く隠せてたつもりだろうけど私たちは気づいていた。
森に出た魔物を誰よりも多く倒していたし、妙に色んな地方の知識があった。
「もっとお前と話しておくべきだった。冒険者がどれほど過酷か。お前が手も足も出なかった狼みたいな化け物と毎日戦わなくちゃいけない。そうしても食えるのは一欠片のパンくらいなもんだ。お前が憧れられる冒険者ってのはほんの一握りの奴だけだ」
ジャンダムの下に向いた目が私の右腕に落ちる。
腕を上げる。
軽い。
異常なほどに。
なぜかーー右腕がないからだ。
「ごめんよカシカ。俺が……俺がもっとちゃんと話しておけば」
外の世界の恐ろしさ、自分の弱さを痛いほど理解できた、いや、してしまった。
冒険者は命懸け。
ジャンダムの言うことの正しさを欠けた右腕が証明している。
凍てつくような鋭い眼光。
右腕を吹き飛ばす強い衝撃。
思い出すだけで涙が出るほど恐ろしい。
でも……。
「どうしよう……私、まだ冒険者になりたい」
外が怖ければ怖いほどメイさんが輝いて見える。
あの人は一体どれだけ凄い人なんだろう。
あの人が焦がれる世界とは一体なんなんだろう。
「私……憧れたまま死にたくない!!」
震えるな私。
2人を見ろ。
お前はメイさんみたいに強くなるんだろう。
ジャンダムが私の目を見る。
いつになく真剣で。
「……はぁ」
ジャンダムがため息を吐く。
「条件だ。冒険者としてやっていける一握りになる訓練してやる。それに3年耐えれたら好きにしろ」
部屋に夕日が入る。
窓に乱反射して、私たちを眩しいくらい照らす。
「ただし、逃げ出したり弱音を吐いたらその時点で冒険者は諦めてもらう。返事は?」
「はい!!」
こうして、私は冒険者になるための第一歩を踏み出したのだ。
3年後。
朝日を浴びる男が部屋の中で1人、遠くを見て言う。
「よく冷えるな」
その目線の先には帝都などの主要な街に繋がる街道があり、2人の女が歩いていた。
「まさか、リンリンまで冒険者になるなんて」
「言ったでしょ、あたしはお前のお姉ちゃんなのだから」
「そんなに私が心配?」
「当たり前よ。でもそれよりもお前と同じ景色を見たいと思ったの」
リンリンはそっぽ向いた。
照れ隠しする時の彼女の癖だ。
風が止む。
2人の足が止まる。
「さあ、来るわよ」
リンリンがそう言うと、空気が一気に重くなった。
カシカはナイフを、リンリンは小盾を構える。
木々の間から、威厳に満ちた巨大な狼が現れる。
カシカの足は震えている。
右腕が疼いて激痛が走る。
全身が危険信号を出して、カシカを逃がそうとしている。
「しっかり」
リンリンがカシカの耳元で囁く。
カシカはハッとして深呼吸する。
ーーすぅぅ、ふぅぅ。
この3年間の血の滲むような努力を思い出し、己を奮い立たせる。
先に動いたのは狼だった。
前脚を薙ぎ払う。
その威力は地面をえぐり、飛ばされた小石は木々を貫くほどである。しかし、当たらない。
大抵の者なら今の一撃で仕留められるだろうが、この2人にはかすりもしなかった。
連続で前脚が襲う。
数百もの攻撃の末、ようやく狼は手応えを感じる。
砂埃の中、リンリンが小盾で狼の前脚に耐えている。
狼はニヤリと笑い、噛み殺そうと口を近づける。
「今よ!」
砂埃の中からカシカが現れる。
目と鼻の先に狼の大きな口が開かれている。
狼の鋭い眼光がカシカを捉える。
カシカの眼が鈍い光が反射する。
この時、狼は生まれて初めて恐怖を覚えた。それは3年前、カシカたちに与えた恐怖と同じ質量をもつ。すなわちカシカが狼には手も足も出せないほどの高みにいることを意味した。
故に、捕食対象をリンリンからカシカへ変更し大きな口がカシカへ向かう。
カシカはそれが閉じる前に狼の頬を切り裂いた。
狼は痛みに暴れ、森へと逃げていった。
「リンリン大丈夫?」
「大丈夫よー」
リンリンがぐったりと寝転びながら返事した。
腕は赤くなっているが折れてはなさそうだ。
「狼逃げちゃったわね。今夜のご飯にしようと思っていたのに」
「美味しくないよ。多分」
「そうかしら。それよりどうするのこれから」
「そうだね……」
カシカはナイフを鞘に収める。
カチャンと気持ちのいい音が鳴る。
「2人は仲間が欲しい」
「なら、まずは帝都ベロニカね。あそこなら人も多いし」
朝日の逆光に巨大な都市が聳えている。
ーーねえ、メイさん。私冒険者になるんだよ。今度は私が書いた日記をあなたに見せるから!
3650ページ〜ねえ、憧れの人。あなたは今何をしてる? 私はあなたと同じ冒険者になったよ〜 朝野つゆ @asanotsuyu
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