優しいディストピア
@eN9351
第1話(完結)
老婆が一人、食品で詰まりに詰まったビニール袋を下げて歩いてゆく。それを、道行く人々は眉を下げながら、また別の人は立ち止まって見守っている。
「あっ。」
ビニールがついに破れた。決壊した堤防から水が溢れるようにペットボトルやリンゴが転げ落ちる。が、即座に人々は駆け寄って来て、それらは逆再生されたかのように瞬時に拾い集められた。一人がカバンから新しいビニールを取り出し、破れたビニールの外に被せる。拾い集めたものが、その中に戻される。「どうもありがとう、拾ってくれて本当に助かったわ。」老婆は囲む人々を見上げ、曲がった腰をさらに曲げて礼を言う。「いえいえ、お気になさらず。」「どうってことありませんよ。」「ははは。」口角を上げて軽く手を振る人々の群れからそんな言葉が聞こえる。「お気をつけて。」そして、何事もなかったかのようその群れはそそくさと散っていった。しわしわの瞼に囲われた老婆の目で、カシャン、と何かが動くのが見えた。
「全く、アホな社会はアホな奴らを生みだすんだな。」
俺は電柱に寄りかかって呟く。呟くと同時にため息を漏らす。腕時計が指していたのは20XX年4月28日10時26分。待ち合わせより1時間半も早く来てしまった。暇つぶしに「人間観察」をするも、こんな気が滅入る街じゃろくな思いもしない。
11年前、政府は満を持して「弱いロボット」を街に放った。それらは、人間とは見分けがつかない見た目をしていて、あえて「弱いふり」をするように設計されている。人間社会にロボットが紛れ込んで、「弱いもの」を助けようとする人間の優しさを引き出すのだそうだ。一方で、優しさを持たない人間には罰金だ。「弱いふり」の程度にもよるが、人間は1回の見て見ぬふりにつき200〜1000円の罰金を科されるのだから。「弱いロボット」は見ている。いや、識別している。眼球に組み込まれた精巧なキカイで、俺達を監視している。
「こんなアホな国家に従うぐらいなら、金落としてく方ががマシだっつーの。」
その税金がどんなアホな使われ方をされているかなんて考えたくもなかった俺は、電柱に背中を押し当てて目を閉じた。
「……うわぁ〜ん、どこ行っちゃったんだろぉ。」
か細い女の声が聞こえる。
「私のめがね〜〜、めがね〜。」
…来た、「弱いロボット」だ。にしてもこのロボット、設計が甘すぎるだろ。どんなに視力が低くても、眼鏡を落としたら人間なら音や色で探れるものだ。アホな社会が造るアホな人間が造ったロボットも、やっぱりアホなんだな。
「うわぁあぁぁぁん!もう、今日のデート、どうすればいいの!うわぁあぁぁぁんわぁあぁぁぁん!!」
うっとうしい女の声が激情に任せて勢いを増す。俺の耳から脳にまでつんざく。本当にうざったるい!
「…っるせぇな!!」
優しい心もあったもんじゃない。俺は超憂鬱なんだ。
「ほら、眼鏡だぞ!」
「わ、ありがとう。」
「とっとと消え……っ。」
鬱屈とした心が一瞬にして晴れた。顔をあげたロボットは…とてつもない美少女だった。
「あ、いや……。」
俺は不意に目を逸らす。心臓が激しく音を立てているのを必死に抑えようと。それでも、キカイの目がレーザーのようにこっちに向いているのを感じる。
「あ、あの…もしよかったら、そこで、話さ…ない…??」俺の指はいつの間にか電柱の向こうにあるカフェをさしていた。
監視社会にそぐわないレンガで飾られた白い壁のカフェ。暖かい色のLEDに照らされた、つやめくツインテールの少女が歩いてくる。それでも、やっぱりこいつはロボットだ。さっき拾ってやった眼鏡はどこにいった?どうして一人で眼鏡を拾えないレベルの視力なのに、遠くから俺と目を合わせられるんだ。
彼女は2つの大きなサンドウィッチのバスケットと、コーヒーカップの乗ったトレーを机に置いた。
「この時間は空いてるんだね、いつもより早く提供してくれたよ。」
早速、両手を合わせていただきまぁす、と彼女は小さく呟き、ネイルチップの光る手でカップを掬い上げる。
「ブラックのまま?渋いやつなんだな。」
カップを赤い唇に運んでピタッと止める。
「うん、シュガーとミルクはいつも持って帰っちゃうの、ちっちゃい頃からそうしててね。それがくせになってるみたい。」
頬を赤く染めた彼女の丸い上目遣い。湯気立つコーヒーを見ていたはずの俺の目はカメラのレンズみたいにきゅるきゅるの黒目に合わさっていた。いやいやいや、やっぱりこんなに可愛いのは人間じゃない。ふーふーと息を吹きかけ、コーヒーをちまちま飲んだり、食べているうちにパンから具材をこぼしたりする仕草が「美少女」に忠実すぎて、俺は一層ロボットであると勘くぐってしまう。いや、それ以前に人間に化けたロボットは、サンドウィッチを食べたりブラックを飲んだりするもんなんだな。
「お前、これからデートする予定だったんだろ?いいのか、俺なんかと話してて。」
この設定で配置されたロボットは一体どんな返しをしてくるんだ?ということよりも、むしろ俺がその相手になりたかったのだ。
「別にいいんだよ、初めて会う人なんだから。」
「初めて会う…?」
こんな監視社会で、ロボットが認識しきれていない人間が居るというのだろうか…。嫌な予感がした。
「デートが始まってからお金払ってもらうの。だから今は何してても問題ないでしょ?」
コーヒーをトレーに置き、細い両肘を立てて口角をあげている。彼女笑っているようだ。
「お前…そんなこと…。」
俺は結露でびちゃびちゃになったアイスティーのグラスを掴めずにいた。浮ついた心が、一気に底へ沈んでゆくのを感じた。目と口を開き、彼女に言いようもない感情を向けていると、彼女は目を下に逸らした。
「仕方ないよ、うち、お兄ちゃんの収入だけじゃやっていけないんだから。」
いや、なんだこの設定は。このロボットはどれだけ人間の同情を買うつもりなんだ。彼女がロボットだという前提がこみ上げてくると、同情は不気味さに染まる。
「『弱いロボット』って居るみたいじゃない?」
心を読まれたかと思い、咄嗟にグラスに届きそうだった手を引っ込める。
「あんなの何もかも無駄だよ。優しくない人たちから巻き上げたお金は、ロボットの増設や維持に流れていくだけ。私たちには何の分配もありゃしないのよ。で、それで本当に人間は優しくなったのかしら?」
俺は浮気心と同情と恐怖でぐしゃぐしゃになった頭の中で、朝に老婆を助けていた群衆を思い出した。早足で歩く人々は、あらかじめ弱者に目をつけ、トラブルになれば駆け足で手を差し伸べに行く。早口で相手の態度を伺い、そして早足で立ち去る。人々は極限まで効率化された動きのなかで、「優しい人」という自己を証明をしてみせる。証明したくてやった訳でもなく、そうしないと、罰せられるから。
「……。」
俺は小さな顔を傾けて上目遣いをする美少女を前にして、情けなくうつむき、だんまりを決め込むしかなかった。この社会にはびこる人々に呆れていた。アホな奴らだ愚かだと見下していた。でも、そんなことがわかっていても、それでも本当は認めたくなかった。やっぱり俺は人間なんだ。
「…いいえ、みんなは罰金を恐れて他の人に優しくしてるの。それが今の人間よ。」
ロボットはまつ毛に囲われたくりくりの目を尖らせて上目遣いをしている。怒り憎しみを込めているようだ。
「あのロボットのせいで本当の善意は消えるんだわ。で、罰金ロボットに怯える気持ちだけがここに残る。」
大きな黒い瞳に涙をギラつかせる彼女が、愚かな人間と愚かなロボット、どちらに対し怒っているのかは読めない。しかし俺は、そんな様子をみていると彼女を救い出したい気持ちになった。
不気味だとは思ったけど、俺はお前に怯える気持ちなんて微塵もない。そうじゃなかったら、お前とこうしてゆっくり話したいだなんて思わないんだ。そこには俺のエゴだけがあって、本当の善意はなかったとしても、だ。
「エゴ…?」
俺は不意にその言葉を呟くと同時に顔を上げた。愛想笑いのロボットがこちらを見ている。目は合わなかった。俺は口元を引き締めて語りかける。
「諦めんのはまだ早いぞ、『弱いロボット』。」
美少女ロボットが目をまん丸にして俺の目に照準を合わせた。俺は机の下に引っ込めた拳を広げ、震えた手でかばんを探る。
俺は、このロボットに優しい人である証明をしたい。そうしなければ罰金だからじゃない。純粋に、このかわいそうなロボットを救えると思った。ただプログラムされた設定のままに生きるロボットが、救われることなんてあるのだろうか。虚しいだけではないだろうか。…それでもいい。虚しいままでいい。もとからお前らロボットが監視する社会は虚しいものだ。「優しい人」を量産するために生かされている「弱いロボット」と、ただかっこつけたいだけの人間。
――救われるとしたら、それはお互い様だ。社会が押し付けた宿命から一緒に逃れようじゃないか。
机の上に1000円をジャラジャラと小銭で取り出して、そして、一緒に出てきた1円と10円を添える。
美少女ロボットは口を小さく開けて、まん丸の目を机の上に落とす。
「ねぇ、どういうこと?」
「サンドウィッチとコーヒー代。でもあとの分は街で落として拾ってもらうなりしろよ。」
また首をかしげだした。思考回路を高速で働かせているようだ。
「言っとくけど、これはな、罰金なんかじゃねぇから。そんな社会のシステム、俺がぶったぎってやる。ただお前を助けたいがために俺は金を払うんだ。助けなかったらもっと多く罰金が取られるとかって理由じゃない。」
「優しい人なのね。」
彼女がとにかく穏やかに微笑む。
「お前ら『弱いロボット』が量産している『優しい人』みたいにはなってたまるか。俺は、自分の意志で優しい人になる。社会から強制されるんじゃなくて、自分の心で。」
それが例えエゴで、自分の思い通りになることに救いを求めているからだとしても。
「お前らはアホなんかじゃねぇよ。その気になれば、本当の人間の優しさを引き出せているじゃねぇか。なあ、こういうのを本当の善意っていうんだって、プログラムされてこなかったか?」
俺は立ち上がって食べかけのサンドウィッチが置かれたテーブルの側に手を置いた。彼女が見上げて困ったような表情を見せたが、すぐに俺が座っていた高さに目を戻した。
「そうね、私達は手を差し伸べてくれる人間を、すべて『優しい人』って判定するように画一的にプログラムされてる。だから、あなたが本当の優しい人かどうかは、私達には判定できない。その判定基準は、人間にしか理解できないんでしょうね。」
「まぁ、その人間の判定基準も、ロボットの判定基準と一緒になっちまってるからな。」
助けているだけで、罰金免除。どんな理由であれ、助けているかいないかで、善か悪かを判断する。
「うん、だからこそ、あなたは自分の心に従って生きていくしかないんじゃない?」
彼女は初めてうなずいた。目を合わせた彼女は、やっぱり眼鏡をかけていなかった。それでも俺は、彼女と出会って本当に良かったと思う。氷が溶けてきてびしょびしょになったアイスティーを一気に飲み干す。
「そういえば、お前の名前っていうか…識別番号、何ていうの?」
「遘√?繝ュ繝懊ャ繝医〒縺ッ縺ゅj縺セ縺帙sよ。」
なんて言ったのか全然聞き取れなかった。しかし、ロボット相手にかっこつけておいて場を長引かせるのも歯切れが悪いので、俺はさっさとこの場去ることにした。腕時計が指すのは20XX年4月28日11時49分。こんな真面目な話で時間の経過が早く感じられたのはいつぶりだろう。
「さようなら。」
「おう、またな。」
氷が底に溜まったままのアイスティーを片手に、彼女に軽く手を振った。
俺はこの世界を、人間の心を、元に戻したい。元に戻すということは、いつか彼女をこの世界から排除しなければいけないことを意味する。人間ひとりひとりの心で生きる価値を俺は見いだしまった。「弱いロボット」に耳を貸す訳にはいかない。もう一生、俺は彼女に会えることはないだろう。それは俺が人間で、彼女がロボットだから。
監視社会にそぐわないナチュラルなカフェに、ジャージとサンダルといったこれまたそぐわないスタイルで入ってきた男がいた。男はスマホを打っているおめかし少女の席に近づく。
「洒落たカフェだな、ここは。うまいもん食わせてもらったのか?」
「あ、お兄ちゃんじゃん。」
少女の長いツインテールが揺れる。コーヒカップに髪の毛の束が入ってしまった。
「ちゃんとありがとうって言ったか?」
男はそんなことをよそに、机に散り散りに置かれた小銭を見て言う。
「あ、あーあ!言ってなかった!でもさ、仕方ないわよね、なんかさぁー、助けてもらうのがあたりまえになってきちゃったんだもの。」
「うーん、まぁしょうがねぇわな。助けなかったら罰金ってことはな、助けることがあたりまえってことだ。」
男は彼女の前の席に座った。机が水でびしょびしょになっているのを見て、布巾を取ってこようとした。が、それを妹の声が遮った。
「さっきおごってくれた人はね、私のことを『弱いロボット』だと思ってたみたい。話合わせんの大変だったんだからー。」
「おいおい、同情も気味悪いもんだ、あんな金くれロボットと同じにするなよな。国や身内から助けがなくても、俺たちは俺たちのやり方でたくましく生きてきたんだ。」
調子に乗ってきた男が手を激しく動かして笑う。しかしその前に座る妹は、組んだ手にあごを乗せて思いふけっている。
「ほんとに『弱いロボット』は無駄なだけだと思うわ。社会が私達みたいな境遇の人を作ると、それに同情して助けてくれる人も生まれる。結局『弱いロボット』なんて配置しなくっても、優しい人はつくれるみたいなのよ。」
「本当に優しい人を生み出したいなら、金の力なんていらねぇ。そのことに早く気づいていれば、人間が押し付けの『優しさ』に堕ちていくこともないだろうに。」
兄は、妹が目の当たりにしたことを想像しながらも、もっと遠い日のことを思い出していた。二人の兄妹が、あごを手のひらに乗せてどこでもない場所を見ていた。
「でもまあ、『優しい人』がたくさんいる社会、本当に恵まれてるよね。これは『弱いロボット』のおかげだってことは認めるしかないよ。」
少女はコーヒーカップの中身――ブラックを飲み干しながら、シュガーとミルクを兄に差し出す。そして、落ち着いた動きでカップをソーサーに戻して微笑んだ。
「だってこの社会は、助けなかったら即罰金だけど、助けてもらう分にはお金取られないんだから。」
優しいディストピア @eN9351
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。優しいディストピアの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます