ザラザラとカミカミの魔術師

夜澄大曜

【1章】ザラザラとカミカミ

第1話

 運転士の歌声があたりに響き渡り、空を震わせた。


「天才か……」


 独り言と一緒に、ため息が漏れる。

 美しいテノール。

 力強く紡がれる旋律に、時折、繊細な揺らぎが顔を出す。

 僕は客室の窓を開け、列車の足下を見た。

 半透明の車輪に金色の光が満ちたかと思うと、重々しく動き始めた。

 車体がガタンと震え、風景がゆっくりと横に流れていく。

 先ほどの停車駅で交替したばかりだから、終点の帝都までは同じ運転士だろう。

 窓枠に肘をついて、美声に聞き惚れた。

 この世界は魔女の腹の中にあり、その恩恵で、呪文を唱えれば誰もが魔術を行使できる。いま列車を動かしているのも呪歌という魔術の一種だが、二百人を乗せた列車を動かせる者は、ごく一握りしかいない。


「あの」


 呼びかけられて反射的に目を向けると、客室の通路に栗色の髪の少女が立っていた。


「と、隣――いいですか?」


 やや甘いが芯があり、伸びやかで耳に心地よく響く声。

 運転士の歌に集中していた聴覚が、一瞬で全部もっていかれた。

 顔立ちは幼いが、僕と同じ17才くらいだろう。

 小柄で、切り揃えた前髪の下にある大きなつり目が印象的だ。後ろ髪が肩に乗り、ふわりと膨らんで、雰囲気を甘くさせている。

 服装に違和感を覚えた。赤のワンピースは妙に丈が短く、肌に密着し、メリハリのある体の線が目立つ。その上に羽織った青のコートは、逆に大きすぎて両手が隠れてしまっている。

 目が合うと、少女の瞳が大きく揺れた。


「あうっ……、ももももしかして、あんた男……?」


 僕はよく女性に間違われる。半分は確信犯だ。もともと顔の造りが柔和な方だが、髪を伸ばして、服は中性的な雰囲気のものを選んでいる。

 少女は慌てて言葉を継いだ。


「ごッ、ごめん! 銀色の髪のお姉さんに見えて、●¥◇※∀$……」


 早口で、途中からまったく聞き取れなかった。

 抜群の声質と、絶望的な滑舌。


「――君、面白いね」


「な、なっ、なにが……?」


「魔術師だろ? そんなにカミカミで、どうやって呪文をうたうの?」


 少女の頬に、サッと赤みがさした。


「なッ……! なんで、あたしが魔術師って……!」


「分かるさ」


 僕は少女の腰を指した。

 ベルトに挿した細い杖は、魔力を媒介する導具どうぐだ。


「それに、その金のメダル」


 少女が首から提げたメダルは、三本の剣に刺されて体を大きくのけ反らせた魚をかたどっている。上級魔術を操る『魔術師』の証だ。


「う……」


 少女がメダルを両手で覆って僕の目から隠そうとする。

 僕は通路側に立てかけていた剣の包みを手に取り、窓際に移した。


「どうぞ、座って」


 しかし、少女は警戒した面持ちで首を横に振った。


「……いい。さようなら」


 そっけなく言い捨てて、その場を離れようとする。

 そのとき、激しい振動が客室を襲った。

 車両全体にざわめきが広がっていく。


「なにっ?」


 少女が座席にしがみついた。

 ……いつの間にか、運転士の歌が止まっている!

 僕はとっさに少女の腕を取って抱き寄せ、前の座席に手をついて衝撃に備えた。

 列車が急に減速し、客室内を衝撃音と悲鳴が飛び交う。

 僕の腕の中で、少女が言葉にならないうめき声を上げた。

 乗客の誰かが叫んだ。


「魔物だ! 窓の外にウジャウジャいるぞ……!」


 外は見渡す限りの麦畑。ここグランディロウ公国が帝国の台所と呼ばれる所以ゆえんだ。その金色の海を割って、黒々とした異形の怪物たちが近づいてきた。

 艶やかな黒い体毛、短い四肢、細長い尾――

 外見は犬によく似ている。眼球を持たず、大きな鼻で臭いを嗅ぎ取って獲物を追う。

 無眼の犬イェル・ハウンド

 体内に棲む寄生虫にんげんを駆除するために魔女が生み出す魔物の一種だ。

 狂暴かつ獰猛、脚が速く、集団になると脅威のレベルが跳ね上がる。

 少女が早口で叫んだ。


「あうっ……魔物? おかしいよ、だっていまは……、Ю◎★◎△$●♯……!」


 少女が戸惑うのも当然だ。魔物が活動するのは夜間が多い。

 ただ、僕は以前、いまとよく似た状況で魔物の群れと遭遇したことがある。

 耳障りな擦過音を立てて、列車が完全に停止した。

 乗客は完全なパニック状態に陥り、我先にと客室から出ていこうとする。

 窓の外に人影があった。

 裾の長い、白のチュニックを着ている。

 青いケープで頭をすっぽり覆っていて、人相がはっきりと見えない。

 一瞬、炎を溶かして閉じ込めたような赤い瞳と、目が合った。


「さあ、楽しんでくれ」


 女性の声だ。抑揚に乏しく、どこか金属的な響きを感じる。

 背後から魔物が迫っているのに、まったく逃げようとしない。

 僕は少女から手を放し、床に転がった剣の包みを拾った。


「なななな何? ど、どうするつもり……! 外は危ないよ、ダメだよ絶対!」


 少女が早口で言って、両手で僕にしがみつく。


「出て行った人たちを呼び戻す。中の方が安全だからね。君はこのまま残ればいい」


「あたし、は……」


 少女は首からさげた魚のメダルをつかんだ。

 魔術師には、魔物に襲われた一般市民を救う義務が課せられているのだ。

 短い沈黙のあと、絞り出すように言った。


「……一緒に、行く」

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