師旅煩悩 -桜夜奇譚- 社畜モブ→吸血姫“桜夜(さや)”にTS
くりべ蓮
第一章「禁戒の剣と夜の街」(きんかいのけんとよるのまち)
第1話「目覚めたら美少女(物理)。ただしセクハラは自分に返ってくる件」
ズキリ、と脳の奥で警報が鳴る。
月曜の朝、死んだ魚の目で目覚まし時計を止める時の、あの絶望的な頭痛だ。
徹夜明けのプレゼン資料作成か? それとも、急な仕様変更で休日出勤した時のデータ入力作業か?
(どっちにしろ、また会社か……)
諦念と共に重い瞼をこじ開けた俺は、視界に映った光景に思考を停止させた。
見慣れたシミのある天井じゃない。
まるで高級ホテルのような、優美な彫刻が施された天蓋(てんがい)。
ふわりと身体を包むのは、どう考えても俺の安物マットレスではありえない、
シルクと思しき極上のシーツ。
「……夢、か?」
いや、違う。
肌を撫でるシーツの感触も、鼻腔をくすぐる芳しい花の香りも、やけにリアルだ。
寝ぼけ眼をこすろうと腕を上げた瞬間、俺は二度目のフリーズを余儀なくされた。
視界に入った自らの腕が、まるで陶器のように白く、驚くほど華奢だったのだ。
なんだこの、折れてしまいそうなほど細い手首は。
俺のたくましい(※ただし脂肪)腕はどこへ行った?
混乱のままベッドから転がり落ち、ふらつく足で部屋を見渡す。
アンティーク調の家具、豪奢なドレッサー。そして、その中央に鎮座する全身鏡。
そこに映っていたのは、俺が知る「俺」――冴えない20代社畜、佐藤拓也(さとうたくや)――ではなかった。
月光を溶かし込んだような艶やかな金髪が、美しい。
覗き込むと吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳。人形のように整った顔立ちは、およそ現実味がない。
そして、黒いドレスから伸びる手足は驚くほど長く、それでいて出るべきところはしっかりと主張している。
控えめに言っても、神が造形に三日三晩はかけたレベルの、完璧な美少女。
「どこの……VTuverだよ……」
呆然と呟いた声が、鈴を転がすようなソプラノで響く。
鏡の中の美少女が、俺と同じように驚愕に目を見開き、口元に手を当てた。
――違う。こいつ、俺だ。
そう認識した瞬間、頭痛が再び俺を襲った。
今度はただの痛みじゃない。脳内に直接、膨大なデータが流れ込んでくるような感覚。
『名前:桜夜(さや)』
『種族:吸血鬼(白夜の一族)』
『特性:夜間活動に優れる。日光、特に強い光は著しく能力を低下させる』
(は? 吸血鬼? 夜勤専門職ってことか?
白夜の一族ってなんだ、部署名か何かか?
日中行動制限とか、フレックスタイム制より厳しいんだが……)
混乱する俺の思考をよそに、情報は続く。
なるほど、俺はこの“桜夜(さや)”という吸血姫に転生してしまったらしい。
何がどうしてそうなったのかは一切不明。
前世の記憶といえば、パワハラ上司・刈田の罵声と、デスクに突っ伏して意識を失ったところまでだ。
過労死か?
だとしたら労災は……いや、もう関係ないか。
「……とりあえず、現状把握だ」
男なら、いや、男だった俺なら、まず自分の身体を確かめるのが筋というものだろう。
俺は鏡の前で、おもむろにドレスの肩紐に手をかけた。
するり、と布地が滑り落ち、白い肌が露わになる。
我ながら、とんでもない光景だ。
どんな美少女ゲームのCGも霞むレベルの現実離れしたプロポーション。
だが――。
「……なんだこれ?」
肝心要の部分に、なぜか不自然な光のモザイクがかかっている。
まるで倫理的にアウトな海外の動画みたいに、都合よく胸の先端や股間が見えなくなっていた。
角度を変えても、鏡に近づいても、この邪魔な光は執拗に追ってくる。
「チッ、見えないなら……触るまでだろ!」
思考が完全に前世のオッサンに戻っていた。
俺は自分の豊満な胸へと、ごく自然に、純粋な好奇心(という名の下心)で手を伸ばした。
その瞬間。
「ぐぅっ!?!?」
脳天を金属バットでフルスイングされたかのような、凄まじい衝撃と激痛が全身を駆け巡った。
視界にノイズが走り、世界が明滅する。
パワハラ上司・刈田に詰められた時の比じゃない。
脳みそに直接ブルースクリーンが表示されたような、強制シャットダウンレベルの痛みだ。
「いっ……てぇ……なんだ今の……」
ぜえぜえと肩で息をしながら、俺は理解した。
どうやらこの身体には、厄介なセキュリティが搭載されているらしい。
“下心”を持って自分の身体に触れようとすると、強制的に激痛という罰(ペナルティ)が与えられる。
見ることも、触ることも許されない。
なんだそのクソ仕様は! 宝の持ち腐れにもほどがあるだろ!
「……まあ、いい」
俺は痛む頭を押さえながら、ふらりと立ち上がった。
なってしまったものは仕方ない。
社畜時代に培った、理不尽への耐性(あきらめ)がここで活きるとはな。
身体の謎、この「禁戒」の謎、そして吸血鬼としての俺。
考えることは山積みだ。
「情報が足りなすぎる。まずは着替えて……」
俺は部屋の隅にある巨大なウォークインクローゼットの扉を開けた。
そして、その中身に絶句した。
ゴスロリドレス、チャイナ服、戦闘用のボディスーツ、果てはメイド服まで。
およそ考えうる限りの衣装が、所狭しと並べられている。
「なんだこれ? ハロウィンか? 会社にこんな格好で行ったら即コンプライアンス違反だぞ」
フリルやリボンだらけの服には辟易しつつ、俺はその中で最もシンプルで、見慣れたシルエットの服を手に取った。
身体のラインに沿う、タイトな黒のパンツスーツ。これなら落ち着く。
手早く着替えを済ませ、鏡の前に立つ。
完璧な美貌とスタイルを持つ吸血姫が、まるで敏腕秘書か女性エージェントのような、クールで知的な雰囲気を纏っていた。
うん、悪くない。
俺は窓の外に広がる夜景を見つめた。
煌々と輝く無数のネオン。眠らない街。
俺の脳裏に、前世で最も縁遠かった街の名前が浮かぶ。
「よし、行くか」
鏡に映る絶世の吸血姫――桜夜は、不敵に口の端を吊り上げた。
その中身が、くたびれた社畜だとは誰も思うまい。
「夜の出勤(パトロール)といくか。まずは歌舞伎町からだ」
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毎日15時に投稿予定。
この作品は師旅煩悩という作品のスピンオフです。
小5の時に女子の胸をみてしまう呪いをかけられた少年が、高2の時に美少女剣士に出会い、いつの間にか吸血鬼と戦う羽目になるダークファンタジーです。
https://kakuyomu.jp/works/16818792437807521095
良かったら、本編も読んでください。
桜夜ちゃんは、修学旅行編で登場します。
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