第41話 静まり返った部屋

 呼んだらすぐに二人はやってきた。

 事情を説明し、レオとともに早苗のアパートへ向かうからと桐谷に言うと、彼も同行すると返ってきた。

「では、私は歩いて向かいます。向かっている途中で何かあったのかもしれません」

 それならばと桐谷に任せ、絵麻たちは車で先に向かうことにした。


「事故だったとして、もう搬送されてたら知りようがないわよね。昼寝しちゃったとかならいいんだけど……それともすっぽかされたのかしら」

 車に乗り込むとますます落ち着かなくなり、一人で考え込んでいた可能性をレオに話す。

「もしくは誘拐かもしれません」

「何を言うのよ!」

 冷静な態度で不穏なことを口にされ、話さなければよかったと後悔した。

 

 駐車場に車を入れてしばし待っていると、桐谷が追いついてきた。

「姿は見当たりませんでしたし、事故の形跡もありませんでした」

 かなり憔悴している様子だ。

「ありがとうございました。ではやはり自宅へ行ってみましょう」

 絵麻が促し、三人でアパートの階段を上っていく。

 連絡が繋がらないのだから、次にとる行動はこれしかない。

「自宅にいらっしゃるのなら、連絡がないのはおかしいのではないですか? 私もメールを送っていますが返ってきません」

 俊介はひそめた声で言った。平日の昼間で、人気ひとけがなくひっそりとしているからだろうか。

「もしかしたらスマホを取られて、閉じ込められてるのかも」

 絵麻もつられて小声になる。

 考えたくないが、連絡をとっているのがバレたというのが、可能性としては高い。

「でしたらご主人がいらっしゃるということですね」

 レオ一人だけいつも通りの声量だ。

「会いたくないわ」

 またあの男に会うと思うとゾッとする。 

「絵麻様に手は出させませんのでご安心ください」

 まるで見当違いな答えが返ってきたが、呆れて脱力したことで、少し気分が落ち着いてきた。


 早苗の自宅に着き、ドアの前に三人並んだ。

 絵麻が率先してインターホンを鳴らす。


 30秒待ったが応答はない。

 もう一度鳴らして、ドアに聞き耳を立ててみたが、何も物音がしない。


「いないのかしら?」

「お手洗いの可能性もあります」

 レオの返答に、そうであればいいと思いつつも、徐々に不安が襲ってくる。

 桐谷がためらいがちにドアを二度叩いた。

「柏木さん、ご在宅ですか? 突然申し訳ありません、桐谷です」

 応答がないため、絵麻も続けて言った。

「早苗さん、絵麻です。待ってたんだけど来ないから直接来ちゃった。大丈夫?」

 

 20秒ほど待ったが静寂しか返らない。


「ご在宅ではないようですね」

 レオが言った。

 やはりそうなのだろうか。

 絵麻は考え、数秒ののちにひらめき、ドアノブを掴んでそれを引いた。

「開いてるわ」

「ではやはりご在宅ですね」

 レオの声を横目に、おずおずと中を覗き込んだ。

「すみません」

 しかし反応はない。

「開けちゃいました。早苗さん、いる?」

 少し声を張ってみるも、やはり中は静まり返っている。トイレやシャワーなどの音もしない。


「本当にいないみたいね」

 そう結論づけるしかない。 

 他人の家にずかずかと入り込むには気が引けるし、鍵が開いていたとしても、応答がなければどうすることもできない。かけ忘れて外出したのだろうと考えるのが自然だ。桐谷も同様なのか、心配そうな様子だが、中には入ろうとしない。

 その二人の間を「失礼します」と言ってレオが通り抜け、靴を脱いで中へ入っていった。

 主人に対する態度も大きければ、他者全てに対しても気兼ねしないらしい。

 普段ならば呆れる態度ではあるものの、現状を打破するという意味では一番まともな行動かもしれない。


「絵麻様!」

 感心していたら、レオが憔悴した声で叫んだ。

「どうしたの?」

 何事かと思い、遠慮を捨ててレオをの後を追った。同様に桐谷もついてきた。


「早苗さん!」

 思わず悲鳴をあげた。

 絵麻の目に飛び込んだのは、早苗がローテーブルの横に倒れている姿だった。

 目は閉じていて眠っているようには見えるものの、息が荒い。レオが抱き上げると、頭が触れていたあたりの床に、赤い染みが広がっていた。

 桐谷は早苗のそばに跪き、おろおろと彼女の身体を見渡している。

「動かさないほうがよさそうですね」

 レオは落ち着いた動作で、ゆっくりと早苗を横たえさせた。

「救急車を呼びます。絵麻様は、柏木さんのご家族に連絡を」

 てきぱきとしたレオに促され、絵麻は反射的にスマホを取り出した。しかし、操作の行く先に迷い、手を止める。

 絵麻のスマホに早苗の家族の連絡先など入っていない。あるとすれば早苗のスマホだ。。

「どこかしら……」

 救急車を要請するレオの横を通り過ぎ、うろうろと探すも見当たらない。

「どうしたんですか?」

 桐谷が不安げな顔で聞いてきた。

「早苗さんのスマホを探してて……」


 二人であちこちを探す。救急車の来るまでの間だからと、申し訳ないと思いつつも、リビングだけでなくキッチンや寝室、バスルームまであらゆるところを探した。しかし、見つからない。

「こういう場合はどうなるの?」

 レオに聞いた。一人だけ狼狽えることなく冷静だからか、なぜか頼ってしまう。

「管理会社に聞いてみましょうか」

「教えてくれるかしら?」

「救急車を要請したので、私たちが伺わずとも病院のほうで調べることになると存じますが……生田さんって、ご主人の後輩なんですよね?」

 レオのハッと言った言葉で、絵麻も思い出した。

「そうね! そうだわ……」

 しかし、生田の連絡先は聞いていない。スマホを手に持ちながらそれに思い当たり、どうしようかと考える。

「生田さんと早苗さんは同じ職場だったから、そこに聞けばわかるかな?」

「連絡先は伺っていらっしゃらなかったのですか?」

「レオは、聞いた?」

 スマホからレオに視線を移すと、なぜ私が?という顔をしていた。

「職場はどちらでしたでしょうか?」

「確か……亀川製菓だったかな?」

「亀川製菓の生田って、生田雅紀ですか?」

 桐谷が突然割って入ってきた。

「いくたまさき……」絵麻は思い出そうとする。「確かそんな名前だったかも」

「ご存知なんですか?」

 レオが桐谷に聞くと、「雅紀の兄が同級生で……」と答えて、説明してくれた。

 生田の兄とは小学校からの同級生で、二歳違いの弟もいつも一緒に遊んでいたから兄弟ともに幼馴染なのだと言う。地元は青森だが、桐谷は東京の大学へ、生田はここの大学に進学してそのまま就職したとも聞いていたらしい。

 

 桐谷なスマホを取り出して、「違っても聞くだけなら損はないですよね」と言って耳にあてた。

 これでだめなら管理会社か、亀川製菓に問い合わせるかだろう。

 そう言えば早苗は義母が同じ職場だと言っていた。それなら会社に電話をかけて繋いでもらえればいいから、むしろ手っ取り早い。

 絵麻は遅れてそれを思い出し、桐谷に声をかけようとした。

 しかし同時に、桐谷のスマホから『はい』と聞こえてきた。

「あ、雅紀? 仕事中にごめん」桐谷は話し始め、どうしたんだ?久しぶりだなと、応じる声に答えながら、「ごめん、急いでて」と言って切り出した。


「……間違いなかったようです」通話を終えて桐谷が言った。「雅紀は早苗さんのことを知っていました。ご主人のことも。すぐに連絡して、こちらに向かうって」

 なぜか気落ちした様子で暗い表情をしている。

「世間は狭いですね。でも連絡できてよかった」

「ええ」

 絵麻は、解決したのだからと明るく答えたが、桐谷は沈んだままだった。


 そのすぐあとに救急車が到着し、無事に早苗は搬送された。この中で一番親しい絵麻が付き添い、レオと桐谷は車で後を追うことになった。

「なんで雅紀と柏木さんが……」

 去り際にぽつりと聞こえた桐谷の疑問には、往路の車内でレオが説明してくれるだろう。

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