第38話 結婚式
その週末に、義姉夫妻の結婚式があった。
上座の二人は、互いに笑みを向け合っていて、傍目には幸福そうに見える。
自分はどうだったのだろう。結婚式のときは、清澄をこれから愛するのだと期待に胸を膨らませていた気がする。
まだ自分を見ていなくても、いつかは見てくれると信じていた。
しかし信じて、ただ時だけが過ぎただけだった。
隣に座る清澄は、心から祝っていると言わんばかりに終始笑顔を浮かべていて、義両親と共に姉の美しさを褒め称え、結婚したことを喜び合っていた。
清香の妊娠は伏せられているようだったが、体調を考慮してか、式はテキパキと進行し、簡潔に終了した。
出席者を見送り親族だけになると、清香は疲れきった様子ですぐに着替えに下がった。両親たちは笑顔で会話をしている。絵麻は帰るタイミングを伺いながら、隅のほうでスマホを眺めていた。
すると清澄が部屋を出て行ったので、これからの予定を聞くために後を追った。仮面夫婦とはいえ、夫を差し置いて勝手な真似はできないし、面倒でも清澄の予定に合わせなければならない。
喫煙スペースへ行ったらしく、清澄はタバコを吸っていた。煙のかからない方向から近づいて話しかけると、「わからないよ。父さんに聞いて」と要領を得ぬ返答だけで足早に去ってしまった。
たらい回しにされそうだと面倒くさくなり、去っていく背中を見ながら大きなため息をついた。
「吸いますか?」
誰だと思って振り返ると、健一の姉だった。確か、真部朋子と名乗っていた。
「いいえ。吸わないんです。ありがとうございます」
絵麻が答えると、朋子は二本目のタバコを取り出して火を付けた。
「絵麻さんでしたよね。遠縁になりますが、これからよろしくお願いします」
そう言って、人懐っこい笑顔を浮かべた。その笑顔は、健一の姉というよりも妹と言ってもいいくらいに幼く見えたが、話す印象は大人の女性らしい落ち着きがある。
「朋子さんは、いつまでこちらにいらっしゃるんですか?」
真部家は、新幹線で二時間ほどの場所に住んでいる。自己紹介のときに、朋子は実家暮らしだと聞いていた。
「今夜にも帰ります。前乗りしておりましたので休みを使い果たしてしまいまして。明日は出勤しなければなりません」
「お仕事はご自宅の近くなんですか?」
「そうなんです。歩いて行ける距離です」朋子はふふと笑った。「母が家から出させてくれないんですよ。健一が大学で家を出てしまったので、娘は出したくないと言って聞かなくて」
朋子がタバコをもみ消したタイミングで二人は連れ立ち、親族の控室へと向かい始めた。
「健一がお宅へよくお邪魔させていただいているようで、ありがとうございます」
朋子が歩きながら言った。
義姉夫妻が食事へ来て以来、頻繁に食事へ来るようになっていたから、そのことだろう。
「夫と清香さんは仲の良い姉弟ですから」
含む意図はないものの、事実であるし、それ以外に返答が思いつかない。
「仲の良い姉弟とはいいですね、うちとは正反対だわ」そう言って、朋子は邪気のない笑い声をあげた。「清香さんも大変なときですから、清澄さんもさぞ心配なさっていらっしゃるんでしょう」
「そのようですね。初めて妊婦を間近で見たせいか戸惑っているようです」
「健一も同様に初めてのことですが、あまり間近でとは言えないようです」
絵麻は思わず足を止めた。朋子の含みのある物言いに驚いたからだ。
「清香さんは、実家にいらっしゃる方が安心できるのでしょう」
絵麻は無難な返答をした。
同時に足を止めていた朋子から、なぜか見据えるかのような視線を向けられる。
「それが、新居へ越してから一度も起居を共にしたことがないそうですよ。清香さんのベッドは新品のままで、荷物もほとんど何もないそうです」
内容自体もだが、健一は姉にそんなプライベートなことまで話しているのかと少し驚く。
「新居を決められた時期は悪阻が始まっていたそうですから仕方がないのではないでしょうか」
「そうですね。新婚でも仕方がないことですよね」
言葉の端々に含むものを感じる。
「私も新婚の時期というものはありませんでした。夫は忙しく、ほとんど自宅にいないものですから、新婚時期も同様でしたわ」
しかし絵麻はそれに乗るつもりはなかった。
健一は抱えている不安を姉に吐露しているのだろう。絵麻にも打ち明けていたほどなのだから。
朋子はそれを聞いて心配し、探りを入れているように思える。
だとしても、どう反応してやることもできない。例の疑念を打ち明ければいいのか? 親戚とはいえ初対面の人間を相手にそんなことはしたくない。
「ええ、おっしゃりたいことはわかります。夫婦によって違うものですものね」
そう言うと、朋子は探るような目をふっと細め、笑顔も最初に感じた印象の、邪気のないものに変わった。
「妊娠がどれほど辛いことなのか、わかりかねますし」
「おっしゃるとおりです。出しゃばった物言いなどして、大変失礼いたしました」
朋子の探りは終わったらしい。
ホッとして、再び控室に戻るために歩き出そうとした。
「ですが健一と清香さんは、ほとんどお付き合いらしいお付き合いがないままに婚姻届にサインしたんです。それなのに最初から離れ離れでもいいというのは、体調のことを考えても違和を感じませんか?」
歩き出そうとしていた絵麻は、会話が終わっていなかったことに気がつき、その内容にも驚き、朋子の方へ振り返った。
するとその顔から笑みは消えていて、先程以上に鋭い視線を向けられていた。
朋子は何を言いたいのだろう。絵麻は困惑し、返答に窮した。
「健一はお腹の子が自分の子なのかどうかを疑っています」
「えっ?」
いきなり言われ、絵麻は動揺した。
「健一は、清香さんと婚前交渉をした記憶がないそうなんです。二人で食事をしたときに一度だけ飲みすぎたときがあり、記憶が朧げだから、清香さんはその日だと訴えているそうなのですが、妊娠するような行為をして記憶をなくすはずはないと、本人は不思議がっています」
まさかと驚く。
盗み聞きした内容に匹敵するレベルのインパクトだ。
しかも、と言って朋子はさらに続ける。
「清香さんは妊娠週数を未だに教えてくれないそうなのですが、健一の見立てでは、出会う前に懐妊したのではないかと不安を感じております」
弟からここまで打ち明けられれば心配するのも当然だ。
しかしなぜ式を挙げた直後、まだその余韻の残る会場で、初対面の相手にその疑念をぶつけてきたのだろう。
「私は今夜帰らねばならず、こちらへ来る機会はそう多くはありません。弟を祝いに来たら想像と違う様子を見せられ、そんな疑念を聞かされて、居ても立ってもいられないのです。絵麻さんには無関係なことと思いますが、そういった理由で不躾にもご相談のような真似をしてしまいました。それは、姉として何か行動を取らなければ帰れないと思ったからなのです」
そう言った朋子の面持ちは、弟のためならばなりふり構わないという決意に満ちていた。
そこまでの覚悟があるならば、清香本人か、義両親に訴えるべきだ。なぜこのように遠回りな真似をするのだろう。
いや、それは愚問だ。朋子はわかったうえで絵麻に打ち明けている。
「あの喫茶店へ行きませんか?」
朋子は、ロビーにある喫茶店の方向を手で示して言った。
「ええ、行きましょう」
絵麻は承諾した。
行けば、姉弟の疑念を打ち明けられるのだろう。
絵麻は無関係だと言っていたのは、単なる誘い水だ。その話をするに違いない。
レオも早苗も健一も、そして朋子すらもみな、同じ考えに至っている。絵麻一人の問題ではなくなってきている。面倒だからとまごついている場合ではなくなってきたようだ。
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