第33話 ファミレスにて

 レオがその場で検索したところ、車で5分ほどの距離に深夜でも営業しているファミリーレストランがあるらしかった。ではそこで落ち合おうと決め、それぞれの車で向かうことにした。

 

 ドリンクバーを注文し、レオは自分のコーラと絵麻のコーヒーを取りに行った。なにやら不満げな様子で、警戒すべき相手をなぜ誘ったのか、とでも言いたそうな顔で苛立ちを表に出している。暴力を行使していたのは別の男のほうだが、彼も仲間だと見ているのだろう。

 彼もコーヒーを選んだらしく、戻ってきて絵麻たちの向かいの席に腰を下ろした。

「まだ自己紹介をしておりませんでしたね。僕は生田雅紀と申します」

 頭を下げられ、絵麻も釣られてそれに倣った。

「進藤絵麻です。こちらは執事の影谷です」

 レオは未だ警戒している様子で、生田をじっと睨みつけている。生田は微笑したまま一瞥し、再び絵麻に視線を戻した。

「突然お誘いしてしまって、すみません。勝手なことながら、事情を伺いたく思ったものですから」

 レオのことは放っておくことにして、絵麻から口火を切った。

「ええ、当然のことだと思います」

 生田は気を悪くする様子もなく、微笑して答えた。

「実は通りかかりというのは嘘なんです。レストランから後をつけておりました」

「えっ?」

 生田の顔から笑みは消え、目を見開いた。

「搬送された女性とは初対面でしたが、まったくの他人というわけではないと考えたからです」

 そう切り出して、ツイキャスを視聴していたことと、メールのやり取りをしていることを説明した。


「そういうことですか」

 生田は納得したようにつぶやくと、視線を窓の方へ逸らした。

「ええ。ですからレストランでの会話を耳にして、声にも聞き覚えがあったものですから、まさかと思って後をつけました」

「それが本当でしたら凄い偶然ですね。ネットで出会った相手に街中で遭遇するなんて。可能性としてはゼロではないでしょうが、それにしても驚きです。しかも探していたというならまだしも、偶然気付くなんてあり得るのでしょうか」

 生田の反応を見ると半信半疑というより、疑の方が強い印象を受けた。絵麻の説明に対してではなく、それが本人だったという点で。

「生田さんとお話すれば、推測が事実かどうかわかるかもしれないと期待しておりました。ですが、お誘いしたのはそれだけではありません」

 絵麻は本題に入ろうとして、声のトーンを低くした。

 生田はああ、とつぶやくように言い、笑みに力がなくなった。 


「生田さんは、彼女を騙していたのですか?」

 予想していたのだろう。聞いても動揺は読み取れず、微笑までは浮かべていないものの、落ち着いた表情をしている。

 しばらくそのまま目を合わせていると、生田は根負けしたようにふぅと息を吐いた。

「……それが、進藤さんに何か関係があるんでしょうか?」

「彼女が、そのメール相手のサカさんであれば、無関係ではありません」

「ならば無関係です」

 穏やかに、しかしピシャリとした口調で返された。

 だとしても、それだけで引くつもりはない。

「では撤回します。サカさんでなかったとしても、見過ごせません」

 それには驚いたようで、生田は目を大きく見開いた。

 しばし呆然とし、次に笑い声をあげた。

「お二方とも映画のヒーローのようですね」

 そう言ってまた笑った。

「早苗さんは職場の同僚なんです。僕は女性と交遊するのが好きなので、パートで入って来られた早苗さんに惹かれて話をしてみたくなった。それだけです。それ以外の意図はありません」

 それで説明が済むと思うなよ。

 絵麻は睨みつけた。

「先輩と呼んでいらっしゃいましたし、ご主人と連絡を取っていらっしゃるご様子でした。それなのに、コンビニではお互いに他人のように振る舞っていらっしゃいましたよね? あの意図は?」

 あはは、とおかしげに笑った生田は答える。

「連絡を取り合うなんて大袈裟ですね。電話が来たから駆けつけただけです」

「いえ、早苗さんとご一緒していらしたレストランでも電話をされていましたよね?」

「盗み聞きですか? なかなか趣味が良いとは言えませんね」

 気づかれていることはわかっているはずなのに、絵麻が無関係だと信じているからか、しらばっくれようとしている。

「先ほどの質問の答えをまだいただいておりません」

「早苗さんを騙していたか、という質問ですか?」ああ、おかしいという顔を引っ込めて、真剣な顔になる。「僕がご主人の後輩だと自覚していながら二人きりになっていたことが、騙していたことになるのですか?」

 生田はやれやれという仕草で、さらに続ける。

「倫理的に正しいとは言えませんが、確かに最初から既婚者であることは知っておりました。姑にあたる方が息子の嫁ですと紹介されていましたから。褒められたことではありませんが、既婚の女性にアプローチをするというのは、独身の方を相手にするのとはまた違った楽しさがあるんですよ。早苗さんを気に入ってしまったこともありますが、その刺激も楽しみたかった。ですが不倫なんてところまでは行きませんよ。面倒ですし、僕はそこまで女性にのめり込まないたちなので」

 言い終えてカップを手に取り、口をつけた。

 なんでもないことだという態度だ。責められることにも慣れている。言葉からも、態度からも、これが初めてではないという印象を受けた。

 駐車場では冷静さを失っていたが、暴力沙汰は慣れていないせいなのだろう。しかし、今や彼女は搬送され治療を受けている。無事とわかれば平気なのかもしれない。


 生田にとって、早苗は数多くのうちの一人というだけなのだ。旦那と知り合いであることも初めてではないように思える。旦那が承知しているならば、それは単なる火遊びだという価値観なのかもしれない。

 しかし、遊びに利用された女性にとっては違う。みなが同じ価値観を持っているわけではないと知らないのだろうか。

 恋をした高揚感と、夫以外の男性を愛してしまった罪悪感、その間で自己嫌悪に苦しむことを知らないのだろうか。不倫の定義はさておき、身体の関係までは行かずとも、その苦しみは同じだ。

 早苗のようにモラハラを受けていればなおのこと、自責の念で大いに苦しんだことだろう。

 この男は自分が楽しいからという理由で他人を弄んでいる。なんて自己本位な考えを持っているのだろう。


 絵麻は怒りを抑えながら、冷静になるように努めて言った。

「早苗さんが先輩の奥さんであることは、いつご存知になられたのですか?」

「1ヶ月ほど前でしょうか? 早苗さんを自宅へ送ったあとに、先輩の車が駐車場に入ってきたので声をかけました」

「旦那さんの反応は?」

「うーん」本気で考え込んだ様子を見せる。「知らなかったことだから仕方がないって反応でした。先輩は、僕が既婚の方でも相手にしていることをご存知ですから。先輩は奥様がなびいたことの方が問題だとおっしゃっていました」

「それで鉢合わせるように計画を立てて、奥さんにお灸を据えようとしたのですか?」

「先輩の意図はわかりませんでしたが、今日奥様を誘って食事をしたあと、コンビニで待ち合わせようとは言われました。しばらく忙しかったので、今日まで早苗さんとお会いする機会がなかったんです」

 なんとか取り繕うとしているが、こんな説明で納得できるはずがない。

「生田さんは早苗さんに対して、単なる火遊びの相手としてしか見ていなかったのですか?」

 生田はすぐに答えず、数秒ほど沈黙した。

「そうですね」ようやく返ってきた声は変わらず冷静だった。「ですから、単に仕事帰りにご自宅へ送るだけ。二人きりで食事をしたのも今日が初めてです」

 こういう男の思考回路はまったく理解できないからか疑問だらけで、腹立たしくも、問いを重ねざるを得ない。

「そんなことをして楽しいのですか?」

「楽しいです。プラトニックな恋愛ってセクシャルなものよりも面白いんですよ。身体の関係になってしまうとむしろ冷めてしまうこともある。触れるか触れないかのギリギリで相手を求めている瞬間が、最も楽しい時ですね」

 聞いたところで絶対に理解することはできないと思った。

「それで相手の女性が苦しんだり、離婚することになったとして、あなたはどう感じるのですか?」

「それは僕の問題ではありません」

 絵麻は10秒ほど待ってみたが、生田は言葉を続けなかった。

「早苗さんに愛を感じたことはありませんでしたか? 本当に自分の楽しみのためだけの存在だったのですか?」

 もう無理だと思ったが、一縷の望みを求めて聞いてみたくなった。きっかけは火遊びでも、途中からでも本気になったのであればその限りではない。まだ救われると思ったからだ。

「僕たちは初対面です。その関係としては異例なほど踏み込んだところまで、進藤さんからの質問に答えてきました。僕には何もメリットはないのにですよ」

「メリットはあるでしょう。答えることで、罪ほろぼしになると考えたのではないでしょうか?」

「罪ほろぼし? あんな現場を見られたわけですから、暴力に関しては無関係だとご説明したかっただけです」

 なぜか誤魔化された気がした。本気だったのか遊び相手だったのかを聞いているのに、話を逸らされている。

「それは、警察にご説明することではありませんか?」

 生田はハッとして、次に自嘲するように微笑した。

「そうですね。僕は何をしているのでしょう。あなたに説明しても意味はないのに」

 全てが計算ずくで話しているようで、違うような面がちらと見えた。

「私が早苗さんの友人なら、私に説明することで、彼女にも伝わるとお考えになられたのでは?」

「いえ。可能性はゼロではないようですが、そんなのあり得ないですから」

 生田はそれを最後に、視線を窓ガラスの方へ逸らした。

 その表情は物思いにふけるかのように沈み始め、この場から遠く離れていったように見えた。

 これ以上聞き質しても答えてもらえない。

 なぜかそんな気がした。


「絵麻様、帰りましょう」

 その存在をすっかり忘れていたレオに言われ、絵麻はハッとした。

「生田さん、お付き合いいただきましてありがとうございました」

 絵麻は軽く頭を下げて言った。

「いいえ、こちらこそ失礼なことを色々と申し上げてしまって、大変失礼いたしました」

 生田は再び落ち着いた微笑に戻っている。

「それでは、失礼します」

 札をテーブルに置き、絵麻はレオとともに店を出た。

 生田は席に座ったまま、スマホを見るでもなく、ただ窓の外を眺めていた。

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