第31話 最低な人間
店の前に停車しているのだから、確かに店内へ入ったほうが不自然なく様子をうかがえる。素知らぬ振りをすれば尾行してきたとは思われないだろう。
そう考えて、絵麻もレオとともに店内へと向かった。レオは一直線にドリンク売り場の方へ歩いていき、絵麻は雑誌を選ぶふりをしながら、店の外をうかがうことにした。
早速とばかりに目をくれたとき、助手席から女性が降りてきた。1台分間を空けて停まっている隣の車に歩み寄っていく。
乗り込まず、立ったまま何かを話しているようだ。俯き加減の表情は、かなり強張っている。
程なくして女性は隣の車の助手席に乗り込んだ。
黒のセダンの運転席から男性も降りてきて、隣の車の運転席に歩み寄っていく。なにやら話したあと、上着から取り出した紙片を運転席から伸びた手に渡していた。
すると受け取った手はすぐに引っ込み、車はバックをして駐車場から出て行った。
一人残された男性は店内に入ってきて、缶コーヒーとタバコを買ったあと、店の外にある灰皿の近くでタバコを吸い始めた。
「なんなんですか?」
レオは水とスナック菓子を買ってきたらしく、ビニール袋をガサガサと揺らしている。
「車で説明するわ。もう戻りましょう」
絵麻はそう答えてから、コンビニから出る前にと男性の様子をちらと伺い見た。
すると男性は通話をしていたのか、スマホを耳にあてていて、慌てた様子でタバコをもみ消し、車へと戻って行った。
何事だろう。女性とは無関係のことかもしれないが、なぜか絵麻にはそう考えられなかった。
「追いかけないと」
尾行を続けたほうがいい気がする。
「本気ですか……」
呆れ声のレオを引きずり、ともにコンビニから出た。
男性は乗り込んですぐに発進させたため、急ぎ足で車へ向かう。
あの慌てようでは尾行には気がつかないだろうと判断し、とにかく見失わないことを心掛けて、黒のセダンのすぐ後ろに付いて走った。
車はすぐ近くのアパートの駐車場に入っていく。
駐車場の入り口付近に停車させ、音を立てないように気を配りながら近づいた。
薄暗いが、電灯が何ヶ所にもあったので、遠くからでも見通すことができる。
それに夜もふけているためか、住宅街ばかりのここは静まり返っていて、話し声も聞こえてきた。
「何をしたんですか?」
「お前、こいつを病院へ連れていってくれないか?」
黒のセダンの男性と、もう一人別の男性の声がする。
「ええっ?」
「だからこいつを、お前の車に乗せて病院へ連れて行ってくれ」
病院とは不穏である。なんなんだろう?
声だけでは埒があかないと考えて、様子が見えるところにまで移動することにした。
「絵麻様、お使いください」
後ろからついてきたレオが、小型の機械を差し出した。
「なにこれ?」
「音声レコーダーです。この距離なら感度は充分だと思います」
用意がいい。礼を述べて、早速起動した。
「どうしたらいいんだ。俺がやったってことがバレるのはまずい」
「どうしようもないですよ」
声のするほうへ近づいていく。駐車場に停まっている車の影に隠れながら、二人の姿を覗き見た。
「先ほどの女性のご主人でしょうか?」
レオの言葉に絵麻は頷く。
女性が乗り込んだ車が、駐車スペースを避けて停車している。その近くに黒のセダンもあり、二人はそばに立っているようだ。
「何をしているのかしら?」
「あ……」
レオの言葉と同時に絵麻も気がついた。そして怒りで目の前が暗くなった。
会話をしている二人の間に、女性が倒れている。コンクリートの上にだ。そんな状況は不自然だし、しかも血を流しているようにも見える。
「警察と救急を」すぐさまレオに命じると、既にスマホを耳に当てていた。
彼らは女性を黒のセダンの後部座席に乗せたようだった。
「暴行されたことにしようか。お前がこいつを犯せば、駐車場でレイプされたってことになるだろ?」
バカなことを言っている。なんてことを考えるのだろう。
「何言ってるんですか? そんなことできるわけないでしょう?」
二人が知人同士なのは間違いないようだが、上下関係もあるようだ。
「ま、レイプまではされなかったってことで、ひったくりか何かに遭って暴行されたことにしよう。お前が見つけたことにして病院へ連れて行けば、俺は疑われないはずだ」
「そんなの上手くいくわけないですよ。ひったくりだとして、ここまで殴られているのはおかしいでしょう。先輩、奥さんの怪我は先輩がやったんじゃないって言ってたじゃないですか……」
弱々しくも責め立てる声だ。
「こいつが歯向かってきたから、夫として躾けてやっただけだ。暴力じゃない。車の中で身動きが取りづらくて、力加減を間違えただけだ」
やはりあの男は女性の夫らしい。だとすればなおのこと女性がサカである可能性が高まる。モラハラにDVの揃い踏みだ。
「大丈夫でしょうか。命に関わるほどの怪我でしょうか?」
「とにかく、お前と二人で飲んでここに送ってきたけど、悲鳴かなんかが聞こえて戻ってきてみたら、こいつが倒れてたってことにしよう。バッグがなくなってるから物盗りだってすぐわかるだろう」
「救急車を呼んで、そう言ってもいいですか?」
「そんなことをしたら騒ぎになる! お前はこいつと病院へ行って、俺は実家に行くから──」
逃げ出しかねない言葉を聞いて、絵麻は焦った。
逃がしてはならない。警察と救急車が来るまでは、ここに留めておかなければならない。
今にも女性のもとへ駆け寄りたい気持ちでいっぱいだった。しかし、それを無理に抑えて彼らに喋らせていた。なぜなら、レコーダーに録音した音声は、女性に有利な証拠になるはずだと考えていたからだ。駆け寄ったところで救急車を待つしかなく、何もできないだろうと思ったからでもあった。
しかし立ち去られたら現行犯を取り逃がすことになる。最も避けたい展開だ。
写真も撮ったし、証拠としては十分だろう。
絵麻は意を決し、二人のもとへ行くことにした。
よし、と立ち上がりかけると「絵麻様」と、レオに腕を掴まれた。
「なに?」
「危険です。やめてください」
真剣な目で、有無を言わさぬ物言いだ。怯みそうになるも、絵麻の頭にあるのは、彼女の力になることだけだ。彼らを逃したら後悔するどころではない。
絵麻はレオの手を振りほどき、「一応空手習ってたから大丈夫よ」と嘘を言って静かに駆け出した。
「早く行けよ。俺はもう行くぞ」
「行かないでくだいよ。救急車呼びましょうよ」
未だグチグチと押し問答を続ける二人のもとへ駆け寄り、その背後から大声を出した。
「逃げ出すなんて許さない」
突然のことで驚いたのか、二人の身体は数センチ浮き上がったように見えた。
「そこのあなた最低ね」絵麻は女性の夫らしき男性を指した。「こんな最低な男は見たことがないわ。そっちのあなたも大概だけど」次に黒のセダンの男性を指す。「暴力を振るっておきなから誤魔化そうなんて神経を疑うわ。これは犯罪よ」
二人はびくびくとしながら、ゆっくりとこちらへ振り返った。
すると夫らしき男性は、ホッとしたように顔を緩ませ、安堵の表情を浮かべた。
「あんた誰だよ。人違いじゃないの? こんなとこで何してんの?」
声からも余裕を感じる。
「さっき女性を殴って気絶させて、そこの車の後部座席に押し込んでたでしょ。見てたわよ」
「あー、そのことか。いやいや、それはあんたの勘違いだ。酔っ払っちまったんで、寢かせやっただけだ。こいつが今から送るんだ」
大げさな身振りをしながら言った。しかし説得力を感じさせるどころか詐欺師のようにしか見えない。
「そう。じゃあ、様子を見ても構わないわね?」
言いいながら車の方へ足を踏み出した。
「いや、なんでだよ」夫らしき男性が、素早い動きで目の前に立ちふさがる。「誰だよあんた。つーか関係ないっしょ。俺らの仲間なんだから」
「仲間? 夫婦じゃなくて?」
怯まず、男性の横を通り抜けるように進行方向を変えて進んだ。
「あ……」黒のセダンの男性の驚く声だ。
それで絵麻も気づき、同時に夫らしき男性の耳にも聞こえてきたようだった。
救急車とパトカーのサイレンの音がだんだん近づいてくる。
音が大きくなるごとに彼は身体を強張らせ、みるみる顔が青ざめていく。
それを見て絵麻は思わず口元を緩めた。
「気づいてすぐ呼んだのよ」
彼はハッとした顔をして、自分の車に向かって駆け出した。
「あっ」
逃げられる!と思ったらレオが彼を捕捉した。腕をつかみ、ひねりあげるようにして動きを止めた。
「絵麻様のおっしゃるとおりにしてください」
いつの間に駆け寄ったのかわからないが、息一つあげず、最初からその場にいたかのように冷静だ。
「誰だよ……」
痛みがあるのか、顔をしかめた。
絵麻はちかづき、夫らしき男性の顔を覗き込んだ。痛みであえぐ顔を見て、ざまあみろと思う。むしろもっと味わえばいいのにと。
「あんたらみたいな最低人間には反吐が出る。絶対に許さない」
睨みつけ、精一杯威圧するように言うと、彼の顔は恐怖で歪んだ。
徐々に近づいてくる緊急車両のサイレンの音が、さらに顔を引きつらせたようだった。
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