第30話 隣席のカップル

 コースもメインディッシュを過ぎ、終盤に差し掛かった。絵麻は食事に夢中のレオとの会話は諦め、というよりはそれどころではなくなり、未だにカップルの会話に聞き耳を立てていた。

「生田さん、もうこんな風に二人きりでお話しすることはないんですよね。最後だと思って緊張してしまったのでしょうか、少し……いや、かなりかな? 飲みすぎてしまったみたいで、酔いが回ってきちゃいました」

 女性はかなり酔っている様子で、傍目にもふらふらとしているのがわかる。

「大丈夫ですか? そろそろ帰りましょうか?」

 男性も心配げな様子だ。

「ありがとうございます。では、その前にお手洗いに行ってきます」

 女性は席を立ち、トイレへ向かったようだ。


 すると、男性が耳にスマホをあて、小さな声で話し始めた。

「すみません。メールよりも早いと思って。はい。はい、そうです。今一緒にいます。あ、今はトイレに行っています。大丈夫です。はい。どうします? これが最後って言ってました。かなり思い詰めている様子で。はい、わかりました。じゃあ、あのコンビニで。はい。……いえいえ何もしてませんよ。ただ食事をしているだけですって。そんなことしたら先輩に顔向けできません。ははは。わかりました。では」

 男性はスマホをポケットに戻し、伝票を掴むと、レジの方へと向かっていった。


 今のは何だ?

 相手に女性と一緒にいることと、女性の様子を伝えているようだった。

 そこから導き出し、ある考えを思いついたが、それはゾッとするもので、違っていて欲しいと願わざるを得ないことだった。

「あれは黒ですね」

 食事に夢中だったはずのレオが、いきなり話しかけてきた。

「なにが黒なのよ」

 聞くと、レオはくいと顎を例のテーブルに向けた。彼も聞き耳を立てていたらしい。

「聞いてたの?」

「絵麻様が意識を向けていらっしゃったご様子でしたので」

 そんなに内心があらわだったのかと、少し気恥ずかしくなる。

「黒って、つまり彼女は騙されてるってこと?」

 レオは口にしなかったが、肩を軽くすくめてみせた仕草から、肯定を読み取った。

 

 絵麻は気落ちした。レオも考え至ったということは間違いない気がする。

 もしそれが事実なら、彼女は叩きのめされ、絶望してしまうだろう。

 しかし、絵麻がしてあげられることはない。勝手に推測したことだし、知り合いでもないのだから。

 そう考えても「もし彼女がサカだったら」、その考えが振り払えず、サカだとしたら、このまま見過ごすことはできないと思った。 

 サカは既に友達だ。ネットだけの、顔も名前も知らない相手ではあるものの、最も近しいと言える存在なのだ。

 


 男性が会計を済ませたタイミングで、女性もトイレから戻ってきた。

「えっ? そんな……申し訳ないです」

 支払いは済ませたから帰りましょうとの男性の言葉に、女性は戸惑った様子だった。

「いえいえ、僕が無理にお誘いしたのですから」

「そんなことありません。絶対に払います」

「あはは、いいですって」

 押し問答を続けながら、二人は出口へと向かっていった。絵麻はレオに会計する旨を伝えて、いまだにもぐついている首根っこを掴んでレジへと向かった。


 駐車場は店の右側にある。店を出るまでは急いでいたが、出た途端に何気ない風を装い、落ち着いた足取りで駐車場へと歩いた。

 着くとそこには、エンジン音を響かせている黒のセダンがあった。

 絵麻の車は黒のセダンから3台分奥側にある。

 ここから後を追えるだろうか。運転技術も未熟なうえ、尾行などしたこともない。疑われずたどり着けるだろうか。


 通りかかるときに横目で黒のセダンを一瞥すると、駐車場に備え付けられていた照明によって車内が薄っすらと見えた。助手席には女性が座っていて、目を留めた瞬間に運転席の男性が彼女のほうへ近づいた。

 絵麻は怒りで目がくらみそうになった。速度を落とさずに通り過ぎたためそれ以上は見えなかったが、まさか手を出したのではと考えて、今にも乗り込んでやりたくなった。しかしそんな真似をするわけにはいかない。なんとか気を静めて自分の車のほうへと向かった。


 遅れて乗り込んだレオに「追うから」と伝え、「なぜですか?」と聞かれるも無視して車を発進させた。

 車通りは少ないが、黒のセダンは街中の方へ向かっていたため、不自然に思われる心配はなさそうだった。徐々に車も増えて目立たなくなるだろう。入り組んだ細い道に入らないことを願いつつ、尾行を続けた。


 やましいことがない限り、尾行されているなどと考える人は滅多にいない。

 だからかなんとか見つかることなく、コンビニまで無事に追うことができた。

 幸いにも駐車場は広く、交差点の角にL字に作られている。黒のセダンが入った入り口は通り過ぎ、左折した角の向こう側から入った。

 ここならばコンビニ自体が壁となり、店のすぐ前に停まっている黒のセダンからは見えないはずだ。


「どうするんですか?」

 それまで何も問わずにいてくれたレオだが、やはり気になるらしい。

「見つかりたくないけど、何が起きるのかを観察したいの」

「いったい何なんですか?」

「あとで説明するから」

 しぃっと声を落とすように指をたてた。

「じゃあ、コンビニ行ってもいいですか?」

 しかし、静かにするどころか呑気な声が返ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る