第27話 義実家での夕食会
義姉夫妻を伊勢丹で見かけたあの日以来、清澄は再び自宅に帰らなくなった。
きっかけがあるとすれば『ちゃんと夫婦としてやれてるよね?』と聞かれたことくらいだろう。その確認が済んだからと言わんばかりのタイミングだ。
しかし同じ日に清澄に対して不快感がいや増しになっていたので、顔を合わせる必要がなくなり正直ホッとしていた。無意味な会話のために無理に話題をひねり出す面倒もなく、一人での食事のほうがよほど気楽だった。
それに清澄に神経を使っている場合ではなかった。サカ☆カササギから届いたメールを見て、心配になっていたからである。
以前怪我をしてパートを休んだ日に、職場の同僚がお見舞いに来てくれたらしく、それ以来彼を意識するようになってしまったようだった。掃き溜めに鶴と例えるほどの美貌と人好きのする性格から、陰ながら癒しとして見ていたそうなのだが、自宅にまで車で送ってもらったことをきっかけに、癒やしというレベルを超えてしまったらしい。
見舞いに来てくれたというメールからは、既婚者だという歯止めすら危うい感じにまで至っていて、しかも本人は気づいていないようだが、その同僚も彼女に気があるように察せられた。
婚外恋愛など、他人事ならどうでもいいことだが、サカにはして欲しくない。友人のように感じているからもあるが、モラハラの疑いのある夫がいるのに、気づかれでもしたらエスカレートするのではと心配になる。
そのようにしばし同僚についてのやりとりをしていると、不安が的中したと言わんばかりなメールが届いた。
パートを休むほどの怪我をした理由は、夫に突き飛ばされたことが原因だったらしい。怪我そのものは転んでバランスを崩したせいだと言うが、転ぶほど突き飛ばすなど尋常ではない。
サカは、自分が悪いからだと説明しているものの、それ自体にモラハラの影響を感じざるを得ず、怒鳴られているらしいとも聞き、やはりDVなのではないかと疑ってしまう。
ネットを介しての会話は表情も読めないし、反応するかどうかも自由だ。そのまま関係を断ち切ることもできる。サカとのやりとりを日々の楽しみにしていた絵麻は、その懸念から、指摘したり反論するような真似は控えていた。当たり障りないことや、愚痴にも共感するだけに留めていた。
しかし、モラハラだけでなくDVらしきことまで受けていると知っては黙っていられない。
心配が懸念を上回り、今回ばかりはと思い切って、それを指摘することにした。
EMA522[大丈夫? 今回だけでなく、これまでサカさんからのメールを読んで少し気になっていたことがあるんだ。人様の旦那様だから言いづらかったんだけど、さすがに行き過ぎなんじゃないかって気になってしまって。旦那さん、もしかしてモラハラ気味なんじゃないかな。それにDVもあるんじゃないかとも思った。突き飛ばすなんて普通じゃないし、転び方がどうとか以前の問題だよ。エスカレートしないといいんだけどって心配です]
しかし、サカからの返信はなかった。
返信を待ちながら思い悩んでいたが、夜は義実家での夕食会だった。そのために着替えて向かわねばならぬ時間になり、憂鬱ながらも車に乗り込んだ。
夕食会は、来週に控えている義姉夫妻の結婚式の打ち合わせを兼ねたもので、メンバーは義両親と義姉夫妻、絵麻たち夫妻だった。
そこで、初めて本人の口から妊娠の旨が告げられた。そうは言ってもこの場で知らないはずだったのは絵麻だけだ。
順序が逆になってしまったため、それを濁すためにもすぐに籍を入れ、式も小規模にすることになったのだと聞いた。
義両親と姉弟が打ち合わせを進める中、絵麻は黙々と食事を進めながら、時折笑顔を浮かべつつも、時が過ぎていくのを耐えていた。健一も絵麻同様に空気で、自分の子の話をしていても一言も話さなかった。
食事が終わり、健一は辞去すると言って無礼を詫び、立ち去った。観光がてら式の前乗りをする両親のために、迎える準備をしなければならないらしい。
「頭が回らないから、早めに準備しておけないのね」
健一の姿が消えたのを見て、清香が言った。
「一人でしなければならないからでしよう。仕事もあるのに大変よ。あの家にも使用人を置けばいいじゃない」
隣に座る義母がたしなめるように言った。
「そんなのお金の無駄よ。使用人なんて置いたら、向こうのご両親も落ち着かないわよ。そんな生活に慣れてらっしゃらないでしょうから」
「そういうことじゃなくて、これからのことを考えて言ってるのよ」
「初孫なんだから、ここから追い出さないでよ」
「そうだけど」義母はため息をついた。「新婚なのにいいのかしら」
「産前産後は里帰りするって言うじゃない。慣れたところにいたほうが安心なのよ」
「健一さんがいいなら構わないけど……」
「いいのよ。彼もつわりで大変な妻の世話をするより一人のほうが気楽なはずよ」
清香はそう言って、スパークリングウォーターを口につけた。その直後に突然立ち上げリ、口元に手をあてながらドアのほうへ駆け出した。
「清香!」
義母は飛び上がったよりに立ち上がり、清香の元へ行って付き添うようにして出ていった。
「妊娠とはこういうものなのだから仕方がない」
娘の様子を心配げに見ていた義父が、自分に言い聞かせてでもいるかのように言った。
「だけど無理に産む必要はないんじゃないかな。あんなにつらそうなのに」
清澄の言葉に絵麻はギョッとした。
無関係のくせに何を言っているのだろう。
「おまえは昔から姉のことばかりを大事にしすぎる。気持ちはわからないでもないが、そんなことは口にするな」
まったくの正論だ。
義父に対して、正直なところ実父よりも好感を抱いている。時代錯誤にも、生まれる前から我が子同士を婚約者にしてしまう価値観なので、似たりよったりではあるのの、多少なりともまともな倫理観を持っているからだ。
「仕事なら引き継ぎが進んでるだろう?」
「仕事のことを言ってるんじゃない。清香が心配なんだ」清澄が珍しく声を荒げた。「ただでさえ細身なのに、吐いてばかりいるからますますやせ細って、可哀想で見てられない」
絵麻の目には、むしろここ数ヶ月で少しふっくらしてきたように見えていた。ディナーも完食していたほどなので、食べ過ぎなのではと思っていたくらいだ。
「それもわずかな間だけだ。じきに終わる」
「何ヶ月もあとだろ? 待てないよ」
清澄は大げさな身振りで不安げな声をあげ、うなだれてしまった。
清澄が待ってどうするというのだろう。心配だとしても、そこまで狼狽えることではないだろうに。
絵麻は呆れていたが、義父も同様だったらしく、何も返さずに顔を強張らせていた。
今さら比較するなど虚しいことだが、姉弟揃って互いへの感情の度が過ぎているのではないだろうか。清香が結婚したことで、清澄に対する態度と、夫に対するそれとを比較できるようになり、なおのことそう感じざるを得なかった。
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