第13話 飲み会の誘い

 金曜日の朝がきた。パートを終えると智也と二人きりの週末がくる。そのため、早苗にとって月曜日よりも気が重くなる朝だった。

 パートを始めた頃よりも仕事そのものは憂鬱ではなくなっていた。義母にはうんざりしてはいても、業務に慣れてきたことで怒鳴られなくなっていたし、業務に集中することや職務を全うすること自体にも楽しみを見出していたからだ。

 義母の態度も、義娘を貶めてやろうというのではなく、新人の従業員を厳しく鍛えてやろうとするものだった。そのため、教えを忠実に守り、仕事を覚え始めたら、驚くことに以前よりも親しく話せるようになっていた。

 最初の頃こそ、他の従業員と話さないように鉄壁のガードよろしく守られていたものの、最近ではむしろ義母の方から従業員に声をかけ、会話を促したりもするようになった。

 

 その日の休憩時間も、早苗が同席しているにも関わらず、義母は従業員が顔をだすとテーブルに呼びつけ、生田も現れ、社員やパート仲間数人と談笑をしていたのだった。


 そして話が途切れたとき、その瞬間を見計らってでもいたかのように、生田はその場にいる仕事仲間の顔を見回しながら、少し声を張り上げて言った。

「今夜は金曜日です。皆様ご予定はありますか? なければ、ここに居るメンバーで飲みに行きませんか?」


 その珍しい提案に場は静まり返った。予想もしない提案だったからだ。社員に声をかけることは意外ではないとしても、パートの従業員たちはほとんどが主婦なので、仕事おわりに1時間程度のお茶会はあっても飲み会なんてものはない。


 そこにいた社員は生田と生田の先輩の二人で、あとはパートの義母、早苗、中年の主婦が2人と、早苗と同年代の事務の女の子だった。たまたまお昼ご飯時に居合わせただけの、仲が良いというわけでもないメンバーだった。


 しかしその珍しい提案に、珍しい人物がいの一番に賛成の声を上げた。

「いいわね。たまには飲み会なんていいかも。楽しそうよ。ね、福原さん、牧田さん、行きましょうよ」

 義母が中年主婦パートの2人に水を向けた。

 二人はうーんと、悩む素振りで答えない。そこへ生田の先輩社員が先に答えた。

「生田と飲むのは久しぶりだな。今夜は空いてるし、このメンバーってのも面白いかも。賛成」

 続いておずおずと事務の子が答える。

「私も今日は予定がないので構いませんが、私なんかが行ってもいいのでしょうか?」

 その言葉に、先輩社員は歓喜の表情を浮かべた。

 彼女は、特別目を惹くわけではないものの、丁寧な仕事ぶりで一目を置かれている。そんな彼女に、先輩社員は少なからぬ好意を抱いていたようだ。


 次に義母と同年代の福原と牧田が、「夫に聞いてみるけど……」と言いながらも参加の意を示した。

 あとは早苗だけである。視線を感じたため、一秒も悩んでいない答えを口にした。

「私は行けません。みなさんで楽しんでいらしてください」

 ああ残念、という空気に満ちた。

 しかし仕方がないのである。職場に慣れ、少しずつ従業員たちとも会話をするようになってきたのだから、誘われて嬉しくないはずはなく、できるなら参加してみたい。しかし妻が夫を差し置いて飲みに行くなど、智也が許すはずがない。お伺いを立てると想像しただけで、背筋が寒くなる話だ。 

 義母も当然そう思っているはずだと考えていたら、意外な反応が返ってきた。

「あら、智くんのことを気にしているの? 聞いてみればいいじゃない。もし智くんも飲み会とかだったら、あなた家にいても暇でしょ?」

 まさかである。しかし、母はよくても息子は許さないから無理なのだ。

「無理だと思います」

「私がいるんだし、智くんもオッケーしてくれるわよ」

「いえ、智也がオッケーなんて、するはずがありません」

「何言ってるのよ。智くんはそんな甲斐性なしじゃないわよ」

 そして業を煮やしたように、義母は電話をかけ始めた。

「あ、智くん? お仕事中にごめんなさい」と切り出して話し込み、しばらく問答を続けると思いきや、あっさりと通話は終わった。

「オッケーですって」

 耳を疑う結果が返ってきた。

 義母の予測通り智也も飲み会があるようで、だからなのか、母の力なのかはわからないが、許可を出してくれたらしい。

 それならばと場所の相談が始まった。


 パート従業員の終業は午後4時だが、社員たちは5時のため、6時に開始することにした。場所も決まり、生田がその場で予約の電話を入れた。

 その間、早苗は呆然と成り行きを見守っていた。行くとは言っていないが、誰もその確認を取ろうとしない。早苗の性格と義母との関係が知られているからなのか、義母の決定に早苗が有無を言うとは誰も考えないようだ。


 

 終業の時間になった。会場は会社からバスで10分ほどの距離にある、駅の近くの居酒屋だった。早苗の家からは歩いていける距離だったので、早苗は一旦帰宅することにした。他のパートの面々も、夫に送ってもらえるのか、家族の様子が気にかかるのか、皆いつも通り帰路についていた。



 早苗は帰宅し、通勤用の動きやすい服装から、抑えめながらも多少洒落た服装に着替えた。

 紺色の5分袖のワンピースに、水色のカーディガンだ。髪もセットをし直して綺麗にまとめ、小粒なイヤリングと、ささやかなネックレスも添えた。

 着替えが済むとタブレットを取り出し、SNSを眺め始めた。

 5時を過ぎたころ、智也の終業時間になったためスマホを開く。いつもは飲み会や残業の有無を箇条書きのような簡潔さで連絡をしてくるが、今日は違っていた。


 智也[俺も飲み会だから遅くなるが、お前は遅くならないように。わかってるだろうが、タクシーは使うなよ。それから母さんに感謝しておけ。母さんの顔を立てるために許可したんだからな。羽目を外すなよ]

 さほどでもない反応に、安堵のため息をついた。

 早苗[わかりました。6時からなので、遅くても9時には帰宅します]

 智也[8時半には帰っとけ]

 早苗[はい]

 返信し、またタブレットを眺めようと手にとったが、その時、玄関のチャイムが鳴った。

 

 宅配便だと思うけどもしかしたら、という淡い期待に緊張が走る。

 ドキドキしながらドアの覗き穴を見た。その途端に期待が的中したことを知り、心臓が激しく脈打った。


「お疲れ様です」

 ドアを開けたその目の前に、生田の眩しいほどの笑顔があった。

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