第4話 義実家

 早苗はいつもよりも早めに目を覚ました。今日は土曜日だからである。

 智也は休日に一人で出かけることはめったにないため、一日中一緒だ。だから自由時間は、智也が起きてくるまでの時間だけ。タブレットは今しか触れない。

 早速取りに行こうと思ったものの、念の為に智也の熟睡度をチェックしようとベッドを覗くと、誰の姿もなかった。


 思いがけないことで早苗は息を飲んだ。タブレットの隠し場所へ向かいかけていた足を止め、キョロキョロと辺りを見渡した。しかしどこにも智也の姿はない。

 その時、廊下の外でドアの閉まる音がした。ビクッと肩を震わせ、ドアの方へ目を向けると、そのタイミングで智也が入ってきた。


「今日は実家に行く」

「え……」

 智也は、出かける時もその行き先も事前に相談はしない。全て一人で決め、早苗には命令をするだけだ。

 智也が行きたいと思った場所へ、行こうとする時間に合わせて、いつでも行けるように対処する。それが早苗のやるべきことなので、文句どころかなぜとも聞けない。

「なに?」

「なんでもない。わかった」

 しかもそれは、自由時間が潰れたこと以上に辛い宣告だった。

 


 義実家は、車で20分ほどの場所にある。

 大急ぎで準備をする必要はないが、手土産が必要だ。買ったものは論外で、必ず早苗の手作りのおかずやお菓子を持参するのが慣例だ。嫁の料理の腕を試す、ということらしい。


 智也はトイレに起きただけだったようで、早苗に伝えたあと、また自分のベッドへと戻った。

 早苗のほうは急いで着替えを済ませてキッチンへと向かう。

 

 何を作ろう。

 スーパーはまだ開店していないから、ありもので作るか、足りないものはコンビニで買うしかない。

 昨日言ってくれれば良かったのに。

 

 そう不満に思っても、そんな要望を言えるはずがない。週末なのだから、その可能性を考慮しているのが妻の努めだ。


 結局、煮物を作ることにした。結婚当初に義実家へ何度も通わされ、厳しく教わったレシピである。実家のレシピは全て上書きされ、今や甘ったるい煮物しか口にしていない。智也は、義母の味でなければ手を付けないため、作ったとしても一人で食べきるはめになり、無駄な金を使ったと叱咤されてしまうから、母の作る懐かしい味は再現できない。

 

 煮物だけでは不十分だろうと思い、煮物を煮込んでいる間にパウンドケーキも作った。焼いている間は家事と準備の時間だ。


 二時間ほどして、智也が起きてきたため、料理をまとめて、義実家へと出発した。

 車はあるが智也のものなので、当然ながら運転は持ち主がする。買い物へ行くにも許可が必要で、寄り道も外食も運転手の気分次第。


 義実家の敷地内の駐車場に車を停め、先に玄関へ向かい始めた智也から遅れを取らないように、急いで降車し、手土産やバッグなどの荷物を下ろした。


「智くん、おかえりなさい!」

 満面の笑みを浮かべた義母からの出迎えだ。

「早苗さんもようこそ。今日のお料理はなあに?」

 早苗の手から手土産をひったくり、中を覗いた。

「あら、煮物? 被っちゃったわ~。どうしましょ。味比べね。あらあら、ケーキなの? ひなちゃんもケーキを作ったのよ~。2つとも被るなんて、気が利かない嫁ね!」

 義母は、テレビの音量を30にしたような声量でまくしたてた。


 玄関を上がり、リビングにいる義父と義妹のひなこ、義妹の1歳になる息子、そらに挨拶をした。

 客だからと座っている暇はない。すぐにキッチンへ行き、お茶の用意をしながらケーキを切り分けなければならない。


「先にケーキを切り分けておいてくれたら、家のナイフが汚れないのに」

 義母のありがたい助言を聞きながら、用意したものをテーブルに並べた。

「悪くはないけど味が薄い」

 ひなこは並べた側から食べ始め、よたよたと歩いてきた息子を見て顔をしかめた。

「早苗さん、空がうんちしてるわ」

 言われて、早苗は抱き上げて連れて行った。

 早苗がいるとひなこは世話を任せきりにするので、これも義実家での義務の一つだ。


「まあまあってところね」

 ひなこが2切れ目を取りながら言う。

「ひなちゃんの作った方が美味しいわ。 1歳の子を見ながら作るだけでも大変なのに。さすがだわ~!」

 義母は、早苗のケーキを先に平らげながら感想を述べた。その横でスマホをいじりながら食べていた智也が、「つーかさ」と、ケーキをつつきながら妹に声をかけた。

「ひなって、ケーキとか作ったことあったっけ?」

「結婚してからたまに作るのよ。昨日ママ友が来たから作ったの」

 ひなこは、早苗の作ったケーキの3切れ目に入ったようだ。

「ママ友にケーキをご馳走するなんて、ひなちゃん偉いわ~! こんな若さで一児の母ってだけで凄いのに!」

「結婚して、子供を産むのは当然でしょ」ひなこはもぐもぐとしながら、早苗をちらと見た。

「最初に跡継ぎを産んでるところも偉いわ~! 完璧よ~」

「そういうのできる人とできない人っているのよね」

 早苗が義甥の危険を回避しながら、絵本やおもちゃで機嫌を取っている間、義母と義妹の会話ははずみ、ケーキは次々と消えていった。早苗の作ったほうは跡形もないが、ひなこ作のほうは残してくれているらしい。


「智くんたちも、もう3年目でしょう。そろそろ子供のことを考えてもいい頃じゃない? 早苗さんなんて今年25でしょう? 今から妊娠したとして、産むのは26? 三人くらい産むことを考えるとそろそろ焦らないと後が大変よ~!」

「そうよ。年取ったママより若いママのほうが子供も嬉しいしじゃない。私が若いうちに産んだのも子供のためよ。2歳差くらいで下に女の子を産めば、二人が小学生になっても30くらいでしょう?」

「偉いわ~! ひなちゃん、考えが大人! 誰かさんと違って旦那に迷惑かけないし、自分で将来の計画まで立ててるなんて、ホント偉いわ~!」

 親子で会話をしているというよりも、早苗に聞かせているような喋り方である。

「子供ができないのは早苗のせいだから」スマホを操作していた智也が割っては入る。「検査を受けろっていつも言ってんのに聞いてくれないから困ってるんだ。母さん達からも言ってやってよ」

 それを機に、会話は早苗の不妊についての話題へと入っていった。


 早苗は義甥を追いかけながら安堵していた。義甥の相手をしていれば、義家族たちと会話をしなくても済むからだ。生まれるまでは嫌味や当てこすりに対して反応を返さなければならず、それが義実家で最も耐え難いことだった。


 教えてもらったわけではないが、義甥の世話を代わるように促されていくうちに自然と覚えて、今ではおむつ替えやお風呂など、義実家にいる間の義甥の世話のほとんどを早苗がしている。ママが良いとぐずられたときも義妹に頼ることはできない。孫を溺愛している義母も、孫よりも息子と娘が可愛いようで、任せきりで何も手出ししてこない。


 午前にケーキを食べたこともあり、昼食は軽いものにして欲しいと言われ、冷蔵庫にある材料からパスタを作った。義甥の食事の介助をしながら慌ただしく食べ終え、食器洗いをする。

 義甥の昼寝の寝かしつけを終えたあとは、休む間もなく義母から掃除を頼まれた。

 今日は風呂のカビ取りと、トイレ掃除だった。「若い人じゃないと難しいじゃない?」と言って、日常的にしないような場所を念入りに掃除させられる。チェックが入るので、丁寧にかつ義甥の相手のしながらだ。終わったら今度は夕飯作りである。


 義実家へ来ると、義母6割、義妹3割、智也1割といった割合で声が聞こえてくる。義父は無言でテレビを見ているばかりだ。その義父は今夕飯の材料を買いに出ている。いてもいなくても空気に変化はなく、いつもの三人がいつものごとく盛り上がり、その声を背に早苗は淡々と義務をこなしていた。

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