第25話

 キャスリンは結局、聖夜の舞踏会を欠席した。

 王家の催しに、本来なら欠席は余程の理由を要するが、今のキャスリンならそれも許されるだろう。


 両親と兄が出発するのを見送って、キャスリンは一人邸に残った。遅い時間になるだろうから出迎えはいらないと両親に言われて、早々に自室に引っ込んで寝間着に着替えた。


 凍てつく冬は、夜空が殊更美しい。

 新月を過ぎたばかりの月は猫の目より細く、星の瞬きがひときわ美しく見えた。


 星空が見たいと思って開けた窓から、キリリと冷えた夜風が入り込んで、キャスリンはぶるりと震えた。窓辺から空を見上げて、羽織ったガウンの襟を合わせる。


 二階の窓からは、王城が見えていた。

 今、あそこに両親と兄がいる。キャスリンが不在であるのを貴族らに尋ねられて、きっと煩わしい思いをしているだろう。


 シンシアは出席したのだろうか。

 ヘンドリックが出るのだから、きっと彼女は参加しているだろう。


 去年は、ヘンドリックの婚約者として出席した舞踏会だった。ほんの数カ月のうちに、定められた人生の道筋は随分変わってしまった。


 キャスリンは、星の瞬く空を見上げて考えた。

 いつまでも、このままではいられない。年が明ければ学園の卒業はもうすぐで、キャスリンはいよいよ身の振り方を定められることになる。


 令嬢に生まれて大切にされてきたが、満足に物事を自分で決められたことは、それほど多くはなかった。


「私はどうなるのかしら」


 冷たい空気を吸ってから、ほう、と吐き出す。白い吐息は直ぐに夜気に滲んで消えた。


「私は、どうしたいのかしら」


 思い浮かんだのはアルベールだった。

 彼以外は、思い浮ぶことはなかった。


 幼い頃からの付き合いは、アルベールを親友のように思わせていた。

 男女の間の友情がどれほどのものであるかはそれぞれだろうが、少なくともキャスリンは、アルベールのことなら大抵は理解できていたと思う。


「本当に、そうだったのかしら」


 領地に引きこもったキャスリンのために、先回りして助祭の姿で待っていた彼の姿を思い出す。


 シンシアとヘンドリックの婚約が定まったときにも、一人取り残されたようなキャスリンに真実を教えてくれたアルベールを思い出す。


 狐狩りに誘ってくれた。あの神秘な森にキャスリンを連れていってくれた。芦毛のメリージェンにまたがって森から姿を現したアルベール。

 キャスリンを抱き上げ馬の背に乗せてくれたアルベール。

 奇跡のような光景に、キャスリンを引き合わせてくれたアルベール。


 心の隅のそのまた隅まで、キャスリンの胸のなかはアルベールでいっぱいだった。

 どうしてそのことに知らないふりができるだろう。


 今夜の舞踏会でダンス誘ってくれたアルベールは、今頃、誰か他の令嬢と踊っているのだろうか。そう思った途端、嫌な感情が思い浮かんで、それが嫉妬めいたものだと気がついた。


 ヘンドリックとシンシアの噂を耳にしたときは、戸惑いと不安は思い浮かんでもこんな気持ちにはならなかった。

 そこでキャスリンが思い出したのは、


「そうだわ、私、あの時も気持ちが沈んでしまったんだわ」


 アルベールとシンシアが婚約すると知った時に、キャスリンは胸がシクシクして、その夜は夕餉も取らずに寝てしまったのである。


 淋しいだけだとそう言い聞かせて、アルベールへの気持ちを諦めた。


「私ったら、いつから?」


 キャスリンは、自分でアルベールを「友人」と名をつけて、勝手に彼との間に壁を作った。そうでもしなければ、あの夜に感じた胸の痛みを鎮めることはできそうになかった。


「私、アルベール様が好きなんだわ」


 手放さなければならない思慕を、ヘンドリックに抱いた恋心に救われていた。目隠しするように心の奥に仕舞い込んで、見て見ぬふりをしてきたから、シンシアとの未来を歩きはじめたアルベールの後ろ姿を見つめられた。


 無性にアルベールの顔が見たかった。

 身分も貴族の事情も何も考えず、ただあの瞳を見つめて彼の笑顔が見たいと思った時に、胸に痛みを感じて涙が零れた。

 どうして泣けてしまうのか、もうはっきりとわかってしまう。


「アルベール様」

「なに?」


 だから、夜空に向かって呟いて、それに返事があったことに、涙は一瞬で引っ込んだ。


「アルベール様!?」


 窓の下を見おろして、その名を確かめた。


 確かめなくてもわかる金色の頭がこちらを見上げて、その後ろにいつもの護衛が渋顔をして侍っていた。


「どうしてここに?舞踏会はどうしたの?」

「君が踊ってくれるんだろう?」

「ぬ、抜け出して来ちゃったの?」


 笑みを浮かべるアルベールに、キャスリンは背後の護衛を見た。


「ご、護衛様、また謹慎処分を受けちゃう?」

「まあ、仕方ないかな」


 いつになく感傷的になってしまった時間は吹き飛んで、呆れたあとに浮かんだ気持ちがキャスリンを突き動かした。


「今、そこに行きます!」


 開け放った窓を閉める時間すら惜しくて、キャスリンはガウンを翻して部屋を出た。

 階段を小走りに駆け下りれば、執事が慌てて出てきた。


「お嬢様、如何なさいました」

「殿下がいらしたの!」

「は!?」


 先触れもないまま両親もいない夜の邸に、第一王子が訪れた。出迎えようと階段を駆け降りたキャスリンは寝間着にガウンを引っ掛けただけで、とても表に出せる姿ではない。


「なりません」


 鬼より怖いアネットに仁王立ちで止められて、キャスリンの冒険はそこまでだった。





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