第21話

 エドワード殿下との約束で兎を狩らねばならないアルベールは、それから間もなく馬にまたがり森へと分け入った。

 白狐を狩ったらキャスリンに贈ると言ったアルベールは、馬もまた芦毛である。


 キャスリンが贈ったリボンをアルベールは左腕に結んだ。片手で結ぶのは無理であったから、途中でヘンドリックが代わって結んでやっていた。

 そんな彼も、シンシアからと思われるリボンを胸ポケットに仕舞っており、緑色のリボンの端がチーフのように見えていた。


 ヘンドリックは、シンシアとの関係を受け入れていた。学園でも二人が一緒の姿を度々目にしていたし、側付きであるヘンドリックに、アルベールはシンシアとの交流に便宜を図っているようにも見えた。


 アルベールとは対照的に、黒馬に乗ってアルベールの後を追うヘンドリックの後ろ姿を見つめていると、


「まだ思いを残しているの?」


 そう側妃に尋ねられた。


「いいえ。領地で静養する間もその後も、ゆっくり心を静める時間がございましたから、気持ちは定まっておりました。今はただ、少しばかり懐かしく思えて。彼とは婚約する前から面識がありましたし」


 そう答えれば、側妃は憐憫のこもった眼差しでキャスリンを見つめた。


「貴女の気持ちは、私も理解できるわ」


 そんな側妃を、今度は母が憐れむように見つめていた。


 側妃には元々婚約者がいたのだが、国王に嫁ぐ為にその婚約は解かれている。睦まじい仲であったのに、国と王家と貴族の事情に絡め取られて失ってしまった縁である。


 そのことを国王も王妃もわかっていたから、無くしてしまった女の幸せを嘆くことなく国の為に一身を捧げた側妃のことを、二人も気遣っているのだという。


 一度は国母と尊ばれながら、エドワード殿下が生まれてからは、側妃の立場とは慎重を求められるものとなり、その姿はどこかキャスリンに似ているように思えた。


 母も政略での婚姻であったが、当時は当たり前だった幼い頃に結ばれた婚約は、父と母に確かな愛情を育んで、二人は今もすこぶる仲が良い。


「女の幸せとは、付き添う夫で右にも左にも変わるものよね。ですがキャスリン。幸せは他者が決めるものではないわ。貴女の心が愛を感じられるなら、それはきっと幸福なことだと思うのよ」


 そういう側妃は幸せなのかと考えて、アルベールそっくりの優しげな顔には、一時でも王の寵愛を授かった幸福な貴族令嬢の面影が残って見えた。



 それは行き成りのことで、キャスリンはなにが起こったのか咄嗟にわからなかった。


 森の小径から白いものが見えたと思うと、芦毛の馬が現れた。


「アルベール様?」


 思わず口から零れた名に、側妃も立ち上がってしまった。

 つい先程、森に分け入った筈のアルベールが戻ってきた。護衛も、一緒に連れていた犬もいない。ヘンドリックの姿はどこにも見つけられなかった。


 アルベールは、真っ直ぐこちらを目指してやってきた。


「キャスリン、おいで」


 側妃のテントの前に着いて、アルベールはそう言ってキャスリンに手を差し伸べた。


「どこへ?」


 アルベールの言っていることがわからずに、キャスリンは尋ねた。


「森へ行くよ」

「え?私、ドレス姿だわ」

「構わない。落ち葉の一枚も君のドレスに触れさせないから、さあ、早く」


 そう言って、アルベールはとうとう馬から降りてしまった。


「アルベール様、どうしちゃったの?」


 こちらに近寄るアルベールに再び尋ねれば、アルベールはまるで幼い頃のようにキャスリンを悪戯めいた瞳で見た。


「白狐がいた」


 彼は、周囲に聞こえないほどの声音でキャスリンに教えた。


「え?」

「狩ってはいないよ。君に見せたくて引き返してきた」

「護衛は?犬は?ヘンドリック様は?」

「狐を追っている。大丈夫、狩らないように言っているから」


 早くと急かされながら、ドレス姿なのを躊躇ためらうキャスリンに、アルベールは焦れてしまったらしい。


 おもむろにキャスリンを抱き上げて、そのまま白馬の背に持ち上げた。細身に見える彼の身体のどこにそんな腕力があったのか、キャスリンばかりでなく母も側妃まで驚いた。 


 テントの向こうからは「きゃあ」と黄色い声が上がっていた。向けられる視線は雨を浴びるようだった。


 持ち上げるアルベールに負担を掛けまいと、キャスリンは大人しく馬に横乗りとなった。アルベールはキャスリンのあとに馬に跨り手綱を持った。そうすると、まるでアルベールの腕に囲われるような姿になった。


 再び「きゃあ」と小さな声が聞こえた。それは一つではなかったから、途端に姦しいざわめきが起こった。


「アルベール様⋯⋯」


 どうしましょう、と言う前に、アルベールは馬を走らせた。


「見失ってしまう前に、どうしても君に見せたいんだ」


 猟師でも目にすることは稀だという白狐である。キャスリンも話で聞いたことはあっても、剥製すら見たことがない。だから、麒麟やペガサスのような神話の中の聖獣と同じようなものだと思っていた。


 令嬢や婦人がたの黄色い声が遠退いて、馬は木立の道を駆ける。細い獣道を大きな身体の白馬が走る。左右に張り出す木々の枝を、アルベールが腕で払い除けて、本当にドレスに枝は僅かにも触れることはなかった。


「必ず君にも見せてあげる」


 初冬の風が頬を撫でる。だが、紅く染まったキャスリンの頬は、それを冷たいと気づくことはなかった。






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