第20話

「キャスリン、まだ無理をしなくてもよいのよ?殿下はきっと、貴女が長く引きこもっているからとご心配になったのでしょう。ですが、無理は禁物です」


 母は、アルベールから届いた招待状に顔色を曇らせた。できることなら、このまま卒業まで社交は控えてよいと思うようだった。


「お母様、いずれは外に出なければならないことですわ。来月には聖夜の舞踏会もありますし、そのあとは直ぐに年が明けます。学園の卒業までこのままというわけにはいかないでしょう?」


 キャスリンがそう言えば、兄も珍しく賛同した。


「母上と一緒であれば、無闇とキャスリンに纏わりつく者もいないでしょう。外気に当たって気が晴れることもあると思いますよ」


 兄は狩りが得意である。狐狩りは紳士の社交であり冬の娯楽でもある。兄は毎年この季節がくるのを楽しみにしていた。それで声が明るいのだろう。


「アルベール殿下のお誘いとなれば、無下にするわけにはいかないでしょう。キャスリン、私も一緒だ、なにも心配いらないから見学するといい。森の空気は気持ちが良いよ、きっと気が晴れる」


 気が晴れると言われても、キャスリンは既に随分と立ち直っており、多少の煩わしさは感じても社交場を厭う気持ちはなかった。

 父もアルベールの誘いならと言ったことで、キャスリンは久しぶりに貴族たちの前に姿を現すこととなった。



 気張っていたのは、どうやら我が家だけのようだと思ったのは、狐狩りの会場でシンシアを見つけたからだ。


 彼女はいつもと変わらぬふうに、婦人用のテントに設けられた席に座っていた。隣には母親のブルック侯爵夫人がおり、シンシアは微笑みを浮かべて前を見ていた。


 アルベールのことを強心臓だと思っていたキャスリンは、シンシアもどっこいどっこいだと思っている。あのまま二人の縁が結ばれていたなら、最強の組み合わせだったのではないかと思った。


 シンシアは、真っ直ぐ前方を見つめていた。視線の先にはヘンドリックとアルベールがいた。あんな熱視線をこんな場で投げかけられるシンシアは、やはり『愛の扇動者』だろう。


 シンシア、ヘンドリック、ヘンドリック、シンシアと、キャスリンは二人を交互に眺めるうちに、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

 周りの耳目を気にしても言われることは言われるのだし、気にするだけ損だと思った。キャスリンもシンシアを真似て堂々としていようと、香りの良いお茶を楽しむことにした。


 それに、いくら注目を浴びたくないと思っていても、この席では無理だろう。

 キャスリンの母は側妃の最も仲の良い友人である。当然、母は側妃のテントに招かれて、必然的にキャスリンもセットでくっついていた。


「キャスリン、元気そうで何よりだわ。アルベールから話は聞きました。手はまだ痛むのかしら?追試では震えが酷くて解答を書きたくとも書けなかったのだとか。本当に可哀想に」


 アルベールめ。

 全力で挑んで敢なく沈んだ追試のことを、今になって掘り起こされるとは思わなかった。母が胡乱な眼差しを向けてくるのには気づかないフリをして、キャスリンはうふふと曖昧な笑みを浮かべていた。


「キャスリン」


 告げ口王子アルベールの登場に、キャスリンは母を倣って胡乱な眼差しで彼を見た。彼が側妃のテントに姿を見せた途端、幾つもの好奇の眼差しがキャスリンの頬を刺す。

 離れたテントにいるシンシアも、きっと今頃は、同じような視線に晒されているのだろう。


「えーと、キャスリン?」


 反応の鈍いキャスリンに、どうしたのかな?と小首を傾げるアルベールを無視したままでいたのだが、側妃が哀しい顔をしたのでそのくらいにしておいた。


 アルベールから少し離れたところにヘンドリックが控えているのが見えた。キャスリンが目礼すれば、ヘンドリックも小さく頷いた。


 アルベールはそんな二人の様子を見ていたが、なにも言うことはなかった。


「アルベール殿下、本日はご招待を頂きましてありがとうございます」

「ええ?どうしたの?改まって」

「わたくしだって、社交場では淑女の一人でございます」

「へえ」


 そこでキャスリンは、「あっ」と思い出して、ポーチの中からごそごそ取り出した。


「贈る相手も貰う相手もいない私たちですから」


 それは短いリボンだった。青いリボンにはアルベールのイニシャルを刺繍している。

 リボンは狩りに参加する男性への差し入れで、婚約者や親しい友人、親兄弟に贈るものである。腕に巻いたり、馬のたてがみに結ったりする。


 キャスリンは兄にも同じものを既に渡しているのだが、兄以外には贈る相手がいなかった。

 それで、互いに婚約が破談となって淋しい身の上となったアルベールに、兄と揃いでリボンにイニシャルを刺繍して贈ることにした。


 飾り文字の「A」は、アルベールのキャソックに刺繍した図案と同じである。領地の教会で司祭のキャソックに刺繍したのを、助祭姿の彼にも頼まれたことを思い出す。


 あれから季節は過ぎて、キャスリンもアルベールも、随分、状況は変わってしまった。


「ありがとう。キャスリン」


 アルベールはリボンを受け取り、青い瞳を細めた。初冬の日射しに髪も瞳も澄んで見えた。


「怪我には気をつけてね。無理して深追いしてはいけないわ」


 つい心配になってしまったキャスリンを、アルベールはなにを思うのか無言のまま見つめていた。






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