第11話

 キャスリンはここで、聞きづらいが確かめなければならないことをアルベールに問うた。キャスリンにとっての問題は、なにも片付いてはいなかった。


 だがそれを、果たしてアルベールに確かめてよいものなのか。アルベールこそ、心の奥に痛みを押し込んでいるのではないかと思う。


「殿下。私、ここへは逃げてきちゃったの。でももう、向き合わなければならないわ。たとえ結果がどうあっても」


 キャスリンが尋ねるまでもなく、アルベールならわかりきったことだろう。


「両家は君の家に謝罪をしている」


 それはヘンドリックとシンシアの生家のことだろう。ヘンドリックは、見舞いも断られていたと聞いている。


「私が怪我をしたのは、あの方たちには関係ないことです」


「全く君はお人好しだね。ヘンドリックには責任があったんだ。彼が将来、国政に携わるなら理解していた筈だ。危機管理の最たるものが噂のコントロールだよ」


 アルベールの言葉は、もっともなことだと思った。アルベールが動いてしまっては、それは既に問題が起こったことと見做される。その前に動かなければならなかったのは、ヘンドリックでありシンシアであり、キャスリンだった。


 そこでキャスリンは気づいてしまった。

 もう遅いのだ。アルベールは動いてしまった。物事は、学園での噂話や学生同士の恋愛トラブルという域を逸脱してしまった。


「私が悪かったんだわ。あんな所で足を踏み外したばっかりに。それに、もっと早くからヘンドリック様に確かめるべきだった」


「何度も言ったよね。それをしなければならなかったのはヘンドリックだよ。彼だって、なにも考えないまま浮かれていたわけではない」


「浮かれていたでしょうか」


 実のところキャスリンには、そんなふうには見えなかった。だからこそ、ヘンドリックへ確かめられずにいた。


「ヘンドリック様が浮かれるなんてこと、あるのかしら」

「見たことがないの?」

「ありません、そんなところなんて。あの方はいつも整然となさって、いつでも変わらなく見えたもの」


 アルベールは、そう言ったキャスリンを無言で見つめた。それから再び話しはじめた。


「ヘンドリックから文を預かっている」

「ヘンドリック様が?文を?」

「君が受け取れる頃合いを見計らっていた。記憶をなくしてしまったのは、身体の傷が原因ではないと思ったから」


 キャスリンはそこで、地べたに頭をこすりつけて謝罪したいと思った。


 殿下あれは仮病です、そう言ったなら、今度こそアルベールに失望されるのだろうか。アルベールは、助祭のフリをしてまでキャスリンに寄り添ってくれたというのに。


 彼はここに来たことを公務のように言ったけれど、キャスリンにはわかっていた。取るものも取り敢えず、アルベールが王都を出たのだと。

 そんな彼に、あれは嘘っぱちでしたとは、口が裂けても言える筈がない。


 キャスリンが教会に着いた時には、アルベールは既に助祭の姿で教会にいた。きっと足の速い馬で馬車より先にここへ来たのだろう。


 アルベールは今もまだ、キャスリンの様子を窺っているように見えた。慎重に、ヘンドリックの話題にも感情を表さず語っている。シンシアの話には触れてもいない。彼女はアルベールにとって大切な女性であるのに。


 キャスリンは、初めから記憶があったことは胸のうちに仕舞い込むことにした。偽るなら最後まで偽ろうと思った。


「ヘンドリック様の文を、殿下はお読みになったの?」

「ヘンドリックが君に書いたものを読む筈がないだろう?愛の言葉が並んでいたら、次にヘンドリックに会うときにどんな顔をすればよいのか悩んでしまいそうだからね」


 一見無神経に思える言葉に慰められる、そんな友人なんてそうそういないだろう。

 アルベールはぞんざいな物言いをしても、彼の言葉にはいつでも思いやりがある。


「君だって、アイツの手本帳のような文字を読んでも、それが本心かは疑わしいと思うんじゃないか?」


 アルベールの言う通りだ。ヘンドリックは文字まできっちり整っていて、幼子の手習いの見本になるだろうとキャスリンも密かに思っていた

 あのどこにも乱れのない文字で記された文から、彼の感情なんて読み取れそうには思えなかった。


「君が望むかどうかは、実はあまり関係ない」

「それはどういうこと?」

「ヘンドリックはここにいる」

「え?」

「厳密には、すぐ麓の宿にいる」


 あまりのことに、キャスリンは直ぐには言葉の意味を理解できなかった。


「ここって、ここ?」

「それ以外にどこかある?」


 アルベールの表情からは、彼が冗談を言っているとは思えなかった。


「ヘンドリックだよ?婚約者を遠慮させるような男が、文の一通や二通や三通で君の心に訴えかけられると思うかな?」


 ヘンドリックは一体、文を何通書いたのだろう。

 そんなことより、


「ヘンドリック様が、この街にいるってことよね?」

「そう言ったつもりだけど」

「いつ⋯⋯いつから?」


 アルベールはそこで、少し考えるような素振りをした。


「ちょっと前かな。彼も謹慎していたからね」

「謹慎?」

「当然だろう。ヘンドリックには責任がある、そう言っただろう?」


 唖然となったキャスリンに、アルベールは続けた。


「君の心情を第一にしてあげたい。だが、避けては通れない。ヘンドリックはここに来る。君と対話を求めている。残念ながら、それは君のためばかりではない」


 わかるよね?アルベールの眼差しは、そうキャスリンに問い掛けているように見えた。


 アルベールの言う通り、事は王家と高位貴族三家が関わる事態となっている。

 きっかけが自身の転落事故であったことにキャスリンの胸が締めつけられた。


 だがそれも、時間の問題だったのだろう。

 大人たちはきっと、ヘンドリックとシンシアとキャスリンがどう立ち回り収めるのか、それに委ねて猶予を与えていたのだろう。


「時間切れだったのですね、殿下」


 アルベールは静かに頷いた。


「ヘンドリックを信じられる?」

「あの方は嘘をおつきにはならないわ。でも、隠すことなら得意です」

「きっとヘンドリックは隠さない。君が尋ねることには答えてくれるよ」


 キャスリンには予感があった。それは随分前からあったもので、覚悟ならできているつもりだった。






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