中編

「......ここどこだ?」


辺りを見回すも、全く見覚えがない。それよりも頭がいてぇ......。

僕はなにしてたんだっけ?

えーっと、そうだ先輩とデートした後に誘拐されて命掛けで救出したんだっけか?

それで?どうして知らない場所で寝ているんだっけ?


体を起こしてみようとするが、全身に激痛が走る。


「あっっぐっ......あぁそうだった」


痛みで思い出す。僕は度重なる負傷からの痛みから気絶したんだった。

その後、病院にいくわけにはいかなかったので猫先輩に丸投げしたんだったっけな。


ならここは猫先輩の家ってことになるのか?

それにしては綺麗すぎる。どちらかというとホテルに近い。

ふと水が床に落ちる音に気が付く。


「ま、まさか」


恐る恐る風呂場を確認すると、人影が動いていた。

あんなことがあった後で汗もかいたし、なにより廃工場なんて埃臭い場所にいたのだから仕方がないとは思うのだが、僕がいるのにお風呂に入るかね......。


ガチャ


全裸の先輩と目が合う。あ、終わった。

ここから猫先輩の、羞恥の平手打ち→鳩尾ブローのコンボにて、

本日2度目の気絶コースが確定したことを察し僕は目を閉じる。


………………


が、僕の想像は裏切られ頬と鳩尾に来るはずだった衝撃は、やわらかな抱擁となって僕にむけられた。


「せ、せんぱい!?」

「......」


猫先輩は何も言わずただ僕を抱きしめている。

僕がまだこの世にいる事を改めて確認するように。


「先輩?」


そろそろ落ち着いたであろうと判断し、もう一度声をかける。


けれど返ってきたのは、泣き腫らした目に浮かべた涙と上目遣いだった。

どう考えても原因が僕であろうことは明らかだ。泣いている誰かを励ますのは得手だが、自分が泣かせたのなら話は別だ。けれど、何かは言わないといけない。


「先輩も僕もうら若き男女なんですから、こんなラブホみたいな場所で、

 しかも裸で上目遣いなんてされたら変な気を起こしちゃいますよ、先輩~」

「......ここラブホだよ」

「えっ?」


そマ?

…と思ったけど、そりゃ学生は実家暮らしで病院も僕が拒否ったならそうおかしくもないか。未成年って点を除けばの話だけど、僕が選択肢を狭めた分何も言えない。


「あーーそうなんですね?それにしてもよく許可取れましたね」

「......無人のところだったから」

「そうなんすねぇ......」

「うん......」


重たい沈黙が落ちる。なにはともあれ先輩に風邪でも引かれたら困るから、服は着てほしいが全裸な事に気付いているのだろうか。それを指摘して更に気まずくなると嫌だなぁ。

どう切り出そうか考えていると、先輩がか細く震えた声を発する。


「......いいよ」

「?なにがいいんですか」

「変な気......起こしても良いよ......」


一瞬何のことかと思ったが、さっき僕が言った冗談を真に受けているみたいだ。

全くそういう意図はないので訂正しておく。


「先輩大丈夫ですよ、僕のさっき言ったことはほんの冗談ですから」


質の悪い冗談だと二人で笑い飛ばして、それでいつも通りに戻る予定だった。


「ぼくのは冗談じゃないよ」

「なん.....」

「ぼくのは冗談じゃない」


学校一モテる先輩に、真正面からそんなことを言われて正気でいられる人がどれだけいるだろうか。こんな状況じゃなければ僕も怪しかったかもしれない。


「せ、先輩は勘違いしてるんですよ!

 先輩は僕に命がけで助けられたり目の前で気絶されたりしたからドキドキしてて、

 吊り橋効果と感謝や迷惑かけた気持ちがごっちゃになって恋心と勘違いしてるんで 

 す!だから、一時の気の迷いで僕と関係を持つなんてしないほうが......」


早口でまくしたてるも猫先輩に遮られる。


「勘違いなんかじゃないよ、キミは覚えているかわからないけど

 ぼくが友達になろうって言った日があって」

「も、勿論覚えてますよ!土砂降りで先輩が一人雨に濡れていた日の事ですよね」

「うん、ぼくから友達になろうなんて言ったのはキミが初めてなんだよ?

 ぼくの周りにはずっと男の人がいて、怖くて恐ろしくて......けどキミは初めてぼく

 と対等でいてくれた」


薄々感づいてはいた、不幸体質のせいで幼い頃どんなふうに過ごしてきたか。

かすみは僕がいたおかげでトラウマはないみたいだが、この人にはいくつ存在するのだろうか。


「あの日から、ぼくは後輩クンが大好きなんだよ」


……素直に嬉しい。

この世界でこんなに好意をストレートに伝えられる機会がどれだけの回数あるだろうか。

先輩の手が震えている。男の人が嫌いで今日も酷い目に合った。

そんな先輩がどれだけの勇気をもって言葉にしたのか、僕には推し量ることが出来ない。

先輩が伝えてくれた想いは僕の欠けた心を満たしてくれる。

いつもそうだ、くだらないやりとりや、からかいあう毎日は僕に足りていなかったものを埋めてくれていた。

そこまで考え、僕も真正面から猫先輩を見つめ答える。


「ごめんなさい」


でも、だからこそ僕はその気持ちにこたえることができない。


「僕は先輩と付き合うことはできません」


猫先輩の目が大きく開く。僅かに口が震え呼吸が浅くなる。


「どうして......?」


本当にどうかしてるとは僕自身も思っている。

だって学校一の女性が告白してきたんだぞ?しかも全裸で。

頼ってくれるし僕を信じてくれている。そんな人この世界に猫先輩しかいないんじゃないか?とさえ思えてくる。

それゆえに、今の僕と付き合うのは酷だと思う。終わりが決まっている恋愛ほど傷つくことはないと思う。そんな経験させたくない。


「おっぱいは小さいほうが好きなんですよね、僕」

「なっ!?まだ冗談言ってると思ってるの!」

「思ってないです。だからこそ、僕の気持ちを汲んでくれませんか」


猫先輩と僕は数秒の間、視線を交わす。

先に、猫先輩がため息をついた。


「わかった汲んであげる......けどしてほしいことがあるの」

「僕にできる事なら」

「抱いてほしいの」

「!?......ごほっげほ」


驚きのあまりむせてしまう。なんつったこの人!?


「別にぼくのこと嫌いじゃないんでしょ?なら、抱くくらいいいじゃん」

「......それも無理ですよ」

「理由を聞いても良いかな」

「先輩はお礼のつもりで言ってくれてるんでしょうけど、

 もっと自分の身体は大切にしたほうが良いですよ」

「んー大切だから君にあげるって言ってるんだけどな?」


いつかこの体質が完治したら僕以外の、普通の人と幸せになる機会も来ると思う。

学校一モテる猫宮凪の初めてはその人に捧げればよいのだ。僕なんかじゃなく。


「なおさら貰えません、僕なんかよりもっと良い人がいますよ」


そう告げると、憂いのこもった眼をする。何か気に障っただろうか。


「今日の後輩クンは優しくないねぇ」

「?それってどういう」


僕が優しくない?これでもいつも人のことを思って行動してきたつもりだ。

今回の件だって先輩のことを考えて断ったのに。酷い言い草だ。


「優しくない後輩クンにはおしえてあげなーい」


べーっと舌を出し猫先輩は僕から離れる。

それから身支度を済ませ、痛みで動けない僕を残し部屋を出ていく。


「ここ明日まで借りているから好きにして良いよ。

 あと食べ物は冷蔵庫の中に入れといたから適当に食べて」

「あ、ありがとうございます」

「それじゃあぼく帰るから、今日はいろいろごめんね」

「僕もすみませんでした」

「あはは、おあいこってことで!それじゃあね」

「はい、気を付けてください」


猫先輩を見送りベッドに身を沈める。アドレナリンでなんとか会話できていたが限界だ。

部屋の時計を確認すると22時を指している。そんな寝てたのか。

幸いまだ眠気はあるのでもう一度寝入ることにする。ごはんは明日起きた時で良いか。


結局、優しくないとはどういう意味だったのだろう。やはり告白を断ったのがまずかったのだろうか。それとも抱かれなかったことに不満を抱いていたのだろうか。

どちらも猫先輩のことを考えての答えだったのだが、彼女からすると納得できない部分があったのかもしれない。また今度会ったときにでも聞いてみるか。


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早朝に目を覚まし、冷蔵庫に入っていたおにぎりとポカリスエットを完食する。

ラブホテルの仕様がわからなかったが、無人と言っていたしチェックアウト等のやりとりは必要ないだろうと荷物をまとめて出る。


一晩熟睡の末、身体の痛みはある程度収まった。これも若さゆえだろうか。

この調子なら学校にも行けそうなので、一度帰宅し着替えてから向かうことにする。


「ただいまーっと」


朝帰りは大変だ、まず玄関の音に気を付けなければならない。カチャという物音ひとつで目を覚ます人もいるので慎重に入り、足音に気を付けて移動し、自室へ移動する。

少なく見積もっても3工程に神経を削られるのだ。しかも、どれだけ慎重になっていても後日同居人にお小言をもらうことが多いらしい。


こういう時一人暮らしの便利さを感じる。

追究してくる親もいなければ、迷惑をかける同居人もいない。


一度お風呂に入り、学生服を着替える。あとは今日の昼食何を持っていくか考えたがかすみがお弁当を用意してくれることを思い出し、キッチンを後にする。

準備を終えると少し早いが登校の時間が迫っている。

猫先輩へ連絡し忘れていたのを思い出し、メッセージアプリを開き、打ち込む。


「先輩、昨日はありがとうございました」

「おにぎりとポカリスエットおいしかったです」

「今日学校いけそうです。放課後はどこに集合しますか?」


昨日の感謝と今日の予定を確認する内容を送り、家を出た。


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「ビーバー今日も見せてくれよ」

「次の数学、俺当てられるかもしれないからそれも見せて!」

「前やった小テストの答えなんだったけ~?」


いつも通り僕の席の周りには宿題乞食が群がっている。

......宿題乞食だと勉強大好き集団になっちゃうな。まぁなんでもいいや。


そんな光景を横目に須藤と他愛ない会話をする。


「なぁ須藤くん」

「なんですか柊くん」

「学校一の美女に裸で迫られて、抱いて♡って言われたらどうしますか?」

「美人局を疑います」


まぁ言われてみればそうかもしれない。


「疑った後は?」

「頂きます」


おぉ、さすが漢の中の漢だ。面構えが違う!


「毒を食らわば皿までってやつだ」

「梅毒は勘弁だけどな」


上手いこというな。


「じゃあ美人局の可能性がないとしたら?」

「美女が抱いて♡なんて事象は起こりえないので目を覚ますかな」


なんて悲しい顔するんだ......。


「せめて夢の中でくらい楽しめばよいのに」

「現実とのギャップで死にたくなるからやだね。

 というか何の質問だったんだ?いまの」

「なんでもないよ、世間話」

「あっそう」


どうでも良さそうに聞こえる声で返事してくる。


「じゃあ美人局じゃない目的で、抱いて欲しい美女の心情を答えよ」

「なんだそれ、国語の問題か?」

「似たようなもんだ」


女心と古文のテストってほぼおんなじくらいの難易度だろ。多分。


「別に心情もなにもなくないか?普通に、迫った男のことが好きなんだろ」

「そんな単純な問題か?」

「そんな単純な問題だろ、好きな男と一緒になりたいってのは

 当然な欲求であって真正面から受け止めるのが男の甲斐性ってもんじゃないか?」

「......」

「据え膳食わぬは男の恥ともいうしな」

「......なら太宰治はEDだったのかもな」

「実際の人物像とは真逆だな」


けらけらと須藤が笑っているとチャイムが鳴る。


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「まさくん、あーーん」

「あーーーん」

「どう?」

「えんううあい」

「まさくん食べながら喋るの汚いよ~」

「んっく......全部うまい!」


正直幼馴染の手料理という付加価値にばかり目を向けていたが、繊細な味にこそ最大の魅力が詰まっていた。一人暮らしが長く普段から手料理をしている僕と同じくらいの実力だと見える。弁当を食べる手が止まらない。うまい!うまいぞぉ!!


「よかった喜んでくれたみたいで」

「ん?」

「なんだか今日元気ないように見えたから、

 ちょっとでも元気になってくれたみたいで嬉しいな」


僕そんな落ち込んだ顔してたのか......しっかりしないとな長男だし。

まぁ弟も妹もいないけど。


「ごちそうさま」

「はい、お粗末様でした」

「明日は僕の番だね、何か希望はある?」


僕が決めても良いのだが、できるならかすみの食べたいものを作ってあげたい。


「うーんそうだなぁ、なんでもいいんだけど」

「お母さんそれが一番困るの!」

「まさくんから母性感じたことないよ?」

「でもおちちでるのよ?」

「放課後病院行こうね」

「婦人科はいやだぁ!!」

「精神科だよ」

「もっと嫌だぁ!!!」


年々かすみからの言葉の刃が鋭くなっていってる気がする。

全く誰の影響なんだか......。


「ごめんごめん、そうだなぁ。

 最近食べてないから牛肉使った料理が食べたいかも」

「おっけ、楽しみにしといて」

「じゃあまた明日ね!」

「おうまた明日」


明日の約束を取り付け僕らは解散する。放課後で思い出したが、猫先輩から返信はあったかな。ポケットからスマホを取り出しホーム画面を見るもニュースアプリの通知のみだ。

誰が汚職しただの、誰が死亡しただの暗いニュースばかりで気が滅入る。

特にゲームやSNSもやっていないので早々に閉じ、クラスへ戻ることにした。


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退屈な授業も終わり放課後になった、スマホを確認するもまだ猫先輩からの連絡はない。

猫先輩はおっちょこちょいだから、寝るときにスマホ充電し忘れたのかもしれない、

しょうがないのでクラスへ迎えに行ってあげるとする。


僕らのクラスとは違い、6限が終了した時点ですぐに帰宅する生徒が多いようで

あまり残っていない。

ちょうど教室を出ようとしている女生徒へ声をかける。


「すみませーん」

「はい?」

「猫先輩......じゃなくて猫宮凪さんってまだいますか?」

「猫宮さん?わからないけど、帰ったんじゃないかしら?」

「......そうですか、ありがとうございます」


困ったな、スマホも繋がらない、学校にもいないとなると探すのに骨が折れそうだ。

とりあえずいつも僕たちが通っているルートから探してみるか。


1時間くらいたっただろうか、気づけば、昨日来た映画館の近くにいた。

どれだけ探してもいつもの道にはいないみたいだ。

既に1時間経過しているし猫先輩も既に帰宅しているかもしれない。

これ以上の捜索は無意味だと考え、僕も帰路へ着く。


夕暮れ時の赤が空を染め上げる。美しさや懐かしさのなかに、わずかばかりの恐怖も感じてしまう。原因は恐らく僕自身にあるのだろう、先輩を探している途中から、悪い未来ばかり思い描いてしまっていた。


「くそっ」


かぶりを振る。

改めて猫先輩へのメッセージを開いても、既読の文字は見当たらない。

考えても仕方ない また明日、放課後になる前に猫先輩に会いに行ってみるとしよう。


ビュン


風を切る音が聞こえる。発生源を探すと前方の歩道で小学生の少女がこけていた。

恐らくは足元に段差があり躓いてしまったのだろう。

人通りはそこそこ多いはずだが、誰も助けようとはしない。

仕方ないので早足で駆け寄る。


「おーい大丈夫か」


僕が女の子に声をかけると、振り返り安堵した表情を向けてくる。


あと5Mのところでふと、耳が違和感を拾う。ゴオォォと音を立て何かが迫ってきている。

瞬時に前後を確認するも車が突っ込んできているわけではない。


だとしたらなんだ?考えられる可能性は............上!

見上げると、なにも吊るしていないクレーンと落ちてくる鉄骨が目に入る。

落下地点はちょうど女の子がこけている場所だ。


「そこから逃げて!!はやく!!!」


僕は声を荒げ少女に呼びかけるが、不安そうな顔をしこちらをじっとみているだけで

立ち上がろうとしない。この位置から少女を両手で押し助けるには時間が足りないと判断し、上半身を水平に傾け地面を蹴る。少女の方へと跳躍し右腕をいっぱいに伸ばす。


「とぉぉどけぇええ!!」


掌に人を突き飛ばす感触を受けた瞬間。感触が消える。

肘から先が消失していた。


「ぐっ......!」


無くなった腕の代わりに無機質な鉄の塊がそびえたっていた。

鉄の塊が徐々に赤く染まっていく。腕からの血が止まらない。

このままだと失血死は免れないので、すぐさま処置をおこなう。

正常な判断ができるよう、痛み止めを服用し痛みを脳から切り離す。

常備していたハンカチを二の腕当たりに巻きつけ結ぶ。


「いっっつ......」


慣れない左手と歯で結ぶだけでは止血しきれていないみたいだ。

けれど、体が5分も動けば十分なので放置する。

そんなことよりも、少女はどうなった。急いで確認しに鉄骨の反対側へ移動する。


少女に外傷は見られなかった。が、ぐったりしたまま動かない。

気を付けたつもりだが、突き飛ばしたときに縁石に頭を打ってしまったのだろうか。


「くそっ!なにしてんだ僕は!」


自分の無力さに憤りを感じる。もっと早く鉄骨に気づいていれば、走って駆け寄っていれば

と後悔が頭をめぐるが今はもっとやるべきことがある。

少女を人通りの少ない端の方へ連れていき寝かせる。

スマホを取り出し、警察と救急車を呼ぶ。これは少女のため。

3度目のコール音が鳴る、これは僕自身のためだ。


「もしもし僕だ、柊正義だ」

「またなんか面倒事か?」


スマホからダルそうな声が聞こえてくる。


「察しが良くて助かる、色々あって腕一本もってかれた」

「はぁ?......あーはっはははっは!!」


爆笑がとれてなによりだよ。IPPONってか?


「笑うのは良いが迎えに来てほしい、血を流し過ぎて倒れそうなんだ」

「はははは......はーっ、了解了解。迎えを出してやるから精々救急車に連れていかれ

 ないようにしてくれよ?」

「わかってる、頼んだぞ」


通話を切り、少女の様子を見る。先ほど軽く確認してみた結果、息はしているし外傷は見当たらない。あとは救急車を待つだけでよいのだが、生憎と僕の腕の傷を救急隊員に見つかると、連行されてしまうので不都合なため代わりを探さなければならない。

通り掛けのおさげの女性に声をかける。


「すみません!女の子が頭打って倒れてて!

 警察と救急車を呼んだんですけど、僕どうしたらよいのかわからなくて!」

「落ち着いて君、その女の子はどこにいるのかしら」

「こ、こっちです!」


これで少女は運ばれ、警察に事件として処理され一件落着なはずだ。

おさげの女性が少女の安否を確認している間に、僕はその場を後にする。

しばらく離れた、人目につかない場所に腰を下し仰向けになると急に意識が遠のき

目を閉じる瞬間。

誰かと目があった気がした。


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少女を助けた次の日の朝、僕はキッチンで黙々と料理しながら考えに耽っていた。

その後色々あったが、右腕は適切な処置をされ、後遺症はとくにない。

右腕がなくなったのは面倒だが、生活できないほどではない。現にこうやって、今日の分のお昼ご飯を作れている。かすみが牛肉料理をご所望だったので、汁が出ず冷めても美味しい牛時雨弁当を作っている。この調子なら生活もある程度は過ごせそうで安堵する。


唯一心配なのは、学校のクラスメイトやかすみに指摘されてしまうことだが、制服の袖をポケットに入れておけばなんとかなるだろうと高を括っている。


右腕よりも気になるのは、昨日助けた女の子の容体だ。

僕のせいで頭を打って救急搬送された後どうなったのだろうか、無事だとよいが。

いまさら後悔してもどうしようもないのだが、脳が自己否定をやめてくれない。

先輩の件だってそうだ、結果助けられたわけだが危険にさらしたことには変わりない。

ラブホテルでは悲しませてばかりで、僕はなにができるんだろうか......。無力だなぁ。

唯一の長所だった優しさも先輩に否定されるし、なにがいけなかったんだろうな。


料理を冷ましている間に、スマホを確認すると先輩から一通だけ連絡が入っていた。

急いで開く。


「今日は雨らしいよ」


とりあえず返信が出来る状態なことがわかってほっとした。

だが、雨らしいとはどういう意味なんだろう。

今日の天気予報を教えられて僕はなんて返せばいいんだ?


「先輩!よかったです返信なかったのでなにかあったのかと......」

「今日こそ放課後に会えませんか?」


とりあえず無難な文言を送っておく。これでよかったのだろうか、未読無視なんてされたことがないので自信がなくなってきた。

最近慌ただしく動いていたせいで、ネガティブモードに入っているみたいだ。


「だめだだめだ」


頬を叩き、堂々巡っていた思考をシャットアウトし切り替える。こうでもしないとまた、元気ない顔をさらしてかすみに心配させてしまう。

完成した料理をお弁当箱に詰め、身支度を済ませる。まだ、家を出るには早すぎるかもしれないのでテレビでもつけてみる。もしかしたら星座占いとかやってるかもしれない。


「昨日午後、都内で建設中のマンション現場から鉄骨が落下する事故が発生しまし

 た。この事故で、現場付近を通行していたとみられる10代の少女が頭部を負傷

 し、救急搬送されています。現在、少女の容体は明らかにされておらず、警察およ

 び労働基準監督署が事故と少女のケガとの因果関係について調査を進めているとい

 うことです。建設会社側は「原因については確認中」とコメントしており、安全管

 理体制の不備がなかったかも含めて、詳しい経緯が注目されています」


昨日の事がさっそく報道されている。少女の容体が気になる、だが無関係を装っている以上知り得ることはできないだろう。

そういえば昨日、気絶する直前に誰かと目があった気がするんだけど誰だったんだ......?

仰向けだったから誰かがのぞき込んでくる以外目が合う状況はないと思うんだけど......。

気絶する前だったし記憶が曖昧だ、考えてもしょうがないのでそろそろ学校へ向かう。


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「おはよ須藤」

「おーおはよう正義」


須藤は僕をみるなり怪訝そうな顔をする。


「......お前それ本気でばれてないって思ってるなら恥ずかしいぞ?」

「なんの話だ?」


すっとぼけるが間違いなく右腕の話だろう。これだから勘の良いガキは嫌いだよ。

鉄骨に持ってかれたんだから仕方ない、等価交換で少女の命繋いだから別にいいもん。


「そんなにわかりやすいか?」

「あぁ、騙すならもっと左手を動かして当然の状況を作ったほうが良いぞ?

 右手使えないんだなってのが丸わかりだ」

「ふむ、気を付けるよ」

「で、人を助ける時に怪我でもしたのか?」

「名誉の負傷ってやつだ」


腕が千切れることを、負傷で済ませてよいのかは知らんけど。


「まぁ、なにかあったら頼れよ」

「なんだよ急に」

「多分だけどお前、先輩とも上手くいってないんだろ?」


ドキッとした、どこまで気付かれているのだろうか。


「なっ、なんで?」

「お前の顔見ればなんでもわかるよ」


ドキッとした、須藤もしかして俺の事......♡


「......今キモイこと考えてるだろ。

 真面目な話するぞ、相手の気持ち勝手に推し量ってする行動は優しさとは言わな

 い。それは押し付けの善意だ。おまえにも事情があって先輩と付き合うのを断るの

 は分かるけど、優しくしたいなら一夜の過ちくらいは受け入れても良かったんじゃ

 ないか?」


今 先輩のことで僕がピンポイントで気にしている所を明確に突いてくる。

昨日の会話から大体の想像がついたのだろう。


「でも、あの時のはお礼で......しかも、初めてが僕となんて嫌だろ......」

「それを押しつけって言うんだよ。

 先輩はお前とならって言ったんじゃないのか?」


確かに言っていた、言っていたが方便だと心のどこかで思っていた。


「お前が言ってるのは、あなたのために僕は拒んでいるんです、だ。

 先輩がお前を求めているのに、お前が先輩のために拒むのはおかしな話だろ」


言われてみればそうだ。


「お前があの時断ったのは、お前自身が先輩と寝るのは嫌だと思ったからだ」

「......」


違う、と咄嗟に言い返すことが出来なかった。


「自分が嫌なことを拒否する時に、お前のためだとか言って覆い隠して

 善意を押しつけるのは優しさじゃない」


だからあの時先輩は......。


「もう少し考えてみる」


今の僕にはその時間が必要だと思った。

優しいとはなにか、僕は知らなければならない。


「悪いなこんな言い方しかできなくて」

「あぁ、いや須藤は僕のためを思って叱ってくれたんだろ。

 今のままじゃ気付けなかったと思うから、言葉にしてくれてありがとな」


須藤はにっと笑うと、思い出したように話題を変更する。


「そういえば、今日先輩と一緒に帰らないんだな」

「?どういうことだ」


今日こそは一緒に帰ろうと思っていたのだが、はて?


「猫宮先輩、さっき帰っていたぞ」

「!?」


嘘だろ。まだフードの男がうろついているだろうに、2日連続1人で帰るなんて何考えているんだあの人は。とにかく追わないと......!


「須藤、言ってくれてすぐで悪いが頼まれてくれるか?」

「なにすりゃいーい?」

「適当にごまかしといてくれ、あと鞄置いていくからかすみにお弁当届けてくれ」

「感想は?」

「明日自分で聞く!!」


それだけ伝えると、スマホだけ鞄から抜き取り教室から飛び出す。

何もないことを願いつつ、正面玄関を出る。

道が2方向に分かれていてどちらに行ったか判断がつかない。

いつもの帰り道なら右だが、僕と会いたくない場合は左に行くだろう。


どっちだ......?

確率としては1/2で分が悪い賭けではないはずだが、あの日のトリガーよりも重く感じる。

こんなところで足止め食らっている時間なんてないのに!

堂々巡りに水を差すように雨が降ってくる。


「くそっ」


雨にさえ苛立ちを覚え空を見上げて少し昔のことを思い出す。

あの日も雨が降っていた。みさきが犬に追いかけられ町内を走り回った時、僕は助ける為に

一緒に町内を一周した。結局、途中で雨が降ってきてそれを嫌がった犬が勝手にどっかへいったんだっけ。無力感に押しつぶされそうだった時に、

路地裏でゴミ箱に寄りかかっているずぶ濡れの猫先輩をみつけたんだったな。


あれは確か映画館とは真反対だった筈、なら左だ。そう思うや否や駆け出す。

確信はないし、間違っていたら取り返しがつかないが僕の知っている猫宮 凪なら、

ここで右を選ぶほどロマンにかける行動はしないはず。

つまりはあの出会いの地で待っているから迎えに来い。ということなんだと思う。


「めんどくさくて手のかかる先輩だなぁ!」


僕は記憶を頼りに目的地へと急いだ。


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雨が強くなってきた。早く迎えにいかないと僕も猫先輩もずぶ濡れになってしまう。

見覚えのある路地を左に曲がると、見えた!僕たちが初めて会った路地裏だ。


20M


ラブホテルで猫先輩を僕は拒否した。その時は、助けたお礼を体で支払われている気がして断わったと思っていた。でも、須藤に言われてようやく気付いた。

僕は単純に猫先輩と夜を共にすることを無意識的に嫌がったんだ。

そう自覚すると、理由はいくらか思い当たる。


15M


僕は女性との行為自体に嫌悪感を抱いていた。女性を嫌悪しているわけではなく、女性にそういった感情を向けること自体に嫌悪感を覚える、んだと思う。幼い頃からかすみへ向けられる視線や好意を間近で見ていればそうなってもおかしくはないと思う。


10M


だからこそ先輩の気持ちを、須藤の言う通り偽善で塗りつぶされた理屈で踏みにじってしまったことに申し訳なさを感じる。猫先輩が去り際に言った言葉にも得心がいく。


5M


猫先輩と昨日今日話していないだけですごく寂しい。毎日会っていたというのもあるだろうが、シンプルに猫先輩といるのが楽しかったんだ。恋人は無理だけど、やっぱり猫先輩とはずっと友達でいてほしい。だからこそ、会ったら真っ先に謝ろう。


0M


路地裏につく。少し入った薄暗い影の中に人の気配を感じる。

猫先輩だ。

びしょ濡れになりながら、ゆらりゆらりと僕に歩み寄ってくる。


「先輩!見つけましたよ!それと一昨日の夜は......」


言葉を続ける前に猫先輩が僕の胸へと倒れこんでくる。


「ちょ、先輩?」


慌てて猫先輩の腰を抱く。左腕のみだとやはりしんどいものがあるが、そうも言ってられない。長時間の雨風に晒されて熱でも出しているんだろうか?だとしたらすぐに対処しなければ。そう考え、ふと左手に熱を感じる。

雨の中冷え切った体、掌越しから伝わってくる薄くない服からは感じるはずのない熱。

猫先輩の体温ではないそれは僕の手にじっとりと纏わりつく。

急いで猫先輩の腰から手を放す。

恐る恐る掌を見る、雨で固まりきれなかった朱色が零れ落ちていく。


「嘘だろ......」


先ほどまで添えていた腰を見るとナイフが生えていた。深く深く背骨裏の動脈を傷つけるように突き刺さっている。明らかな殺意がナイフには込められていた。


「後輩......クン......?」


雨の音で消えてしまいそうな声で僕を呼ぶ。


「先輩!?」

「わぁ......後輩......クンだぁ......」


弱々しい声を聴きこぼさないように僕は先輩を抱きしめる。

左腕しか残っていないがそれでも力いっぱい抱きしめる。


「今救急車を呼びます!先輩もう大丈夫ですよ...!」

「後輩クン......ぼくもう......」

「違う...待ってくれよ...!先輩に僕はまだなにも...!」


否定してみるがあの角度でナイフが刺さっているのなら猫先輩の言う通りなのだろう。


「まだ......後輩クン......いる......?」

「っ......ここにいますよ」


できるだけ猫先輩に届くように耳元で話しながら、手を握る。


「いたぁ......ぼくごめんね......」

「僕こそすみませんでした」


言いたいこと伝えたいこと謝りたいことやりたいこと、数えきれないほどあったはずの言葉は紡ぐ途中で霧散していく。


「はぁはぁ......いいんだよ......」

「......先輩!先輩!」


苦しそうに喘ぐ猫先輩に声をかける。そうでもしないと今にも消えてしまいそうだった。


「ぼくは......後輩クンの友達でいられたかな......」

「もちろんですよ!これからも最高で一番の友達です!

 これから暑くなったら海デートに行きましょう、それで泳げない僕を先輩は笑うんです。

 寒くなったら僕の家でデートしましょう、こたつに入りながら足当たっちゃったねなんて 言ってドキドキして、2人でバカな事してずっと過ごしていくんです」


不安そうな顔をして涙を流す先輩に対して、ありえない未来を思い描き必死につなぎとめるように言葉を返すが、既に猫先輩の目は虚ろで焦点が定まっていなかった。


「あはは......冷たいね......背中熱い、後輩クンどこ......?

 ぼく......後輩クンだーいすき......ずっとすきなきみでいてね......?」

「......なら、僕の事ずっとみててください」

「......先輩?」


重力が増す。それでも猫先輩をしっかりと抱き留める。この世界に確かに存在していたのだから、僕はそれを忘れないように生きていかなければいけない。

先輩のいなくなったこの世界で。


「ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


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猫先輩を担ぐ、このままにしておくわけにはいかない。

最低限、両親には会わせてあげたい。


僕は猫先輩の家に向かって歩き始める。

まだ信じることができない、実際にこの眼で看取り、この手で最期を感じた。

現に今も重みを感じているのに、猫先輩がいなくなったことに実感が持てない。


……自分でもわかっている。現実逃避なんてしてる場合じゃない。


猫先輩は誰かに刺されていた、あのナイフの刺さり方からして明確な殺意があったはずだ。誰かなんて考えるまでもない、フードの男だろう。


「......あの時殺しとけばよかったかな」


あの時多少のリスクを負ってでも殺していれば、僕は金属バットで負傷せずに済んだし猫先輩は死なずに済んだ。次に会った時はもう迷わない。

そう決意すると、どこかから雨粒が落ちる音とは異なる音が聞こえてくる。

これは拍手か?


「いやぁ~、路地裏にいてくれて大変助かりました!」

「お前っ......!」


今殺そうと決めた男が僕の目の前にいた。フードを被っているがにやついているのがわかる。それが異様に癇に障る。


「......何を笑っていやがる?」

「これが笑わずにはいられますか?私たちが死んだら天国で猫さんと会うことが出来

 るのですよ?これ以上に嬉しいことはありません」

「てめぇぇぇぇ!!!!!」


怒髪天を衝いた。こいつは確実に殺す。

前回はリボルバー式だったが、今回はオートマチック式拳銃を頂戴した。サプレッサー付きだから周囲に気を配る必要もない。が、拳銃を抜けば猫先輩を落としかねない。

こいつを殺す事と、猫先輩を綺麗な状態で送り届ける事。どちらが優先か迷う事自体が猫先輩への冒涜だ。大きく息を吸い、吐く。

僕はフードの男を無視し、歩を進める。


「意外と冷静なのですね?悲しくはないのですか?」

「お前なんかに構ってる暇ないんだよ雑魚、とっとと失せろ」

「ふぅむ、困りましたね。それは置いて行って貰わないと」


全身が粟立つ。

猫先輩をそれ呼ばわりされたことに苛立ちつつもできるだけ早くその場を離れる。

本能が危険信号を発している、この場にとどまるとよくない。脂汗で背が濡れる。

とにかくフードの男が見えなくなるまで走るしかない。

悪寒がしながらも振り返らず走ること100M、確か次の交差点を曲がれば先輩の家はすぐそこだ。


「こーんにちは」「それが!」「麗しいですねぇ!!」


だがそうは問屋が卸さない。

交差点から刃物を携帯した男女3人がでてくる。

このままでは先に進めない。フードの男も後ろから迫って来ているが、まだ距離はある。

幸いにも少し引き返せば別の道がある、そう思い踵を返すがその道からも続々と不審な男女が集まってくる。

そして僕たちは囲まれてしまった。歯ぎしりをしながら全方位を警戒する。


「僕はどうしてくれてもいい!謝ってほしいのなら土下座でも地面でも舐める!

 けど、それはこの人を家に送り届けた後にしてくれないか...?」


無駄だとは思っても説得してしまう。けれど、この人数を相手するには今の僕では分が悪すぎる。


「だめですよ、そんな焦らすようなこと言われては」「興奮してきましたぁ~」

「私たちはあなたに用事はないのです」「それを渡してくださーい」

「俺たちも一緒に地獄に行くのです」「一刺し♪一刺し♪」


異常者たちが口々に好き勝手なことを言う。理屈は全くわからないが、こいつらは先輩を傷つければ同じ場所に行けると思ってるらしい。気狂いどもが...。

どうにか包囲網から脱出する術を探す。辺りを見回しどこも必ず2人組以上で通路をふさいでいるが、フードの男だけ一人であることを認める。

チャンスは一度きり。


「わかった!先輩を渡すから受け取りに来てくれ!」

「おぉ! 話がわかる凡夫は愛すべきですねぇ。

 所詮もあなたも人の子、命が惜しいのですね?」

「そ、そうなんだ...!俺を助けてくれ」


さっきとは矛盾した主張だが、気狂いどもには丁度良い文句だろう。

ゆっくりと歩いてフードの男に近づいていく。

フードの男もこちらへゆっくりと歩いてくる。にやにやとした口元を晒しこちらへ手を伸ばした瞬間、姿勢を低くし脇を駆け抜ける。よしっ、このまま回り道して......


「っは...」


重く鋭い痛みで声が漏れる。下に視線を落とすと刃物の柄が腹から生えていた。

痛みで息ができなくなり、視界が揺らぎ倒れてしまう。


「私は噓つきが大嫌いなのです...」


フードの男は冷たい双眸で覗き込み、先輩を僕から引ったくり集団の真中へと投げ入れられる。餌を待ち構えていた鯉の如く群がり次々と先輩の体へ刃物が突き立てられていく。

各々が叫び声や嬌声に近い声で騒ぎ立てながら凌辱していく。


「あああぁぁ...ああぁ?」


痛みで視界が真赤になるも自分の腹部からナイフを抜き取り、上体を起こす。

が、腹圧で臓物が溢れ出す。常識だ、だけどそんな判別が今の僕につくわけがなかった。

その結果 臓物を溢れ出しながら、うつ伏せになることしかできないなんてざまぁない。

その間も動かない先輩に対し、損壊は行われ続ける。

凄惨な光景に思わず目を覆いたくなる。けれど、僕がどうにかするしかない。

伸ばそうとした右手は肘から先がなくどこにも届かない。改めて自分の無力さを呪う。

先輩が好き勝手されているのを見ていることしかできない。

…なにもできない。


「や...め......」


心の底からの呟きだった。もうこれ以上は...。

すると願いが通じたのか気狂いどもは手を止め、先輩から離れる。


「先輩...」


ほっとするのもつかの間、代わりに自分たちの首元に切っ先をあてがい一気に引き裂く。


「......は?」


全員がげらげらと笑い、その顔は喜色に歪んでいる。

そのうち笑い声に血が混じり、濁っていく。零れ落ちた鮮血はあっという間に地面を朱色へと染め上げる。

雨に流され彼らの血が僕の血と混じる、気色が悪い。

なんだこれは...?理解が出来ない、したくなんてない。なにがどうなっているのか、

これが現実なのか虚構なのか判別がつかない。


だが事実として、フードの男を含める気狂いどもは全員自決してしまった。

儀式めいた光景に吐き気を催すが、そんなことより先輩を送り届けなければならない。

体も頭も限界をとうに越していたが、這って寄る。もう少しで届く。


その刹那、ずっと感じていた悪寒の根源が目の前に顕現する。

それは実体を伴わない黒衣の骸だった。

死神は鎌を手にし、確かに僕を絶命に至らしめた。


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僕はシャワーが落ちてくる音を聞きながら風呂場の壁に身を預けていた。


「はぁ...最悪の気分だ」


気絶するように眠っていたからってあんな悪夢をみることないのに...。

その後何事もなく先輩を送り届けることができた。事切れた先輩を見て取り乱した母親へ

事情を説明するのに時間を要したが僕の面持ちを見て一応納得はしてくれた。

千鳥足で帰宅した後の記憶はあまりないが、着替えだけはして眠ってしまっていたらしい。


「ふぅ」


風呂場からリビングへ出て適当に髪を拭く。

気づけば窓から朝日が差し込んでいる。スマホを確認するとほぼ丸一日眠りこけてしまっていたらしい。


「なぁ、この家女はいないのか?」

「......はぁ。いないよ、僕一人だ」

「あっそう、さみしい家だな。家がかわいそうだぜ」

「......」


勘違いしないでほしいのだが別にイマジナリーフレンドと話しているわけじゃない、

あの悪夢の中でも一番ありえない存在が実際に目の前に現れたってだけの話だ。

先輩を家族に送り届けた後、僕はどうすることもできなかった現状に打ちのめされながら帰ってる途中にこいつと出会った。


「なぁ、お前はなんで僕に声をかけたんだ?」

「んん?面白そうだったからだ。

 それに、お前は力を欲してそうな眼をしていたからな」


からからと死神が笑う、気味が悪いことこの上ない。


「死神様は面見ただけでそんなことがわかるのか?」

「いやぁ?勘だよ勘。お前は勘が悪そうなご尊顔してるな!」


…なんでこんな奴連れて帰ってきたんだっけ?えぇっと...。


「なんで僕お前を拾ってきたんだっけ?」

「はっ!そんなノリで死神と契約したのか?」

「契約...」

「本当に覚えてないのか?」


仕方がないだろう、大事な先輩がこの世からいなくなった後に、混乱した頭で冷静に説明をして体もずぶ濡れのまま帰宅している途中に死神と出会ったのだ。記憶が多少抜けていても致し方ないと思う。


「契約内容の説明義務は最初の一回だけなんだがなぁ...。

 まぁいいや、もう一回だけ説明してやるよ」


呆れたような顔をしながらもニヤついている死神に向き直る。


「俺様は、お上の言いつけで現世の魂を刈り取る役目を与えられている。

 その仕事中に偶々、死んだ眼をしてるくせに人助けしてるお前に出会ったわけだ」


昨日のことはほとんど覚えていないが、言われてみれば酔っ払いを暴漢から助けたような気もする。


「面白いと思って観察してたら、目があってな。それで声をかけたんだ」

「目が合っただけですぐ声かけてくるなんて、チンピラかよ」

「パンピーと一緒にするな、普通の人間ってのは俺様のことが見えないんだよ。

 普段から無視されてる奴に凝視されたら気にもなるだろ」


僕はもしかしたら人間ではなかったのだろうか?


「...あー、そんなに掌を確認しても波動拳はでないぞ?」

「ギャリック砲は?」

「でない」

「...さいですか」


でないのか...。そうか...。

どこからともなく禍々しい手帳を取り出し続ける。


「話を戻すぞ、大概の人間が俺様の事見えないらしいが体質によるらしい。

 あーどこだったかな?えーっと?あっ、あったあった被厄体質だ」


その単語を聞いた途端すっと腑に落ちた。不幸体質、あれはやはりきちんと原因があったのだ。体質のせいで、かすみと猫先輩は呪いのような運命を背負わされていたのだ。

先輩はその結果.........。


「落ち込んでるとこ悪いが続けるぞ。

 お前は俺様のことが見えた。しかもどうやら力がご所望らしい。

 だからお前に契約を持ち掛けた」


思い返した後悔に後ろ髪引かれる気持ちだったが後にする。今は現状の把握が最重要だ。


「その契約内容ってのは?」

「俺様かお前が死ぬまでの間、俺様の力を使わせてやる」

「...力っていうのは?」

「主に2つだな、1つ目は寿命が尽きる音が聞こえる。これで近くで死にそうなやつ

 を助けられるだろ? 2つ目は俺様が右手になってやる。右手がパワーアップして戻

 ってくるって考えりゃわかりやすいか?」

「パワーアップって?」

「怪力だしたり死神の鎌出したり、まぁ色々だ」

「...それなりに対価が必要になるんだよな?」

「わかってるじゃねぇか、力の代償として災いがお前を襲う。そしてこれら全ての契

 約内容は絶対遵守してもらう」


数秒押し黙る。災いとやらが何かは見当もつかないが、それを無視すれば破格の報酬だ。

なにより助けられる命が増えるのなら、僕に降りかかる火の粉なんて気にならない。


「わかった俺をどうしようと構わない。だからお前の力を貸せ」

「はっ!小生意気な餓鬼だ。

 だが、いいぜ?俺様の力存分に使ってみろ!」


こうして僕は、死神の手を借りるのであった。




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