第33話 絵

 信二はアンヌとともにアパートにあるアトリエに入った。そこにはイーゼルと絵の道具、そしてベッドとイスが2脚が置かれているだけだった。ここに来るまで話していたが、彼女はシェラドンレースのことをあまり知らなかった。だからシンジがレーシングライダーだといってもピンと来ていないようだった。


「さあ、絵を見て」


 アトリエには絵が何枚かかかっていた。美しい田園風景を描いた絵だ。信二は絵を鑑賞するふりをしてアンヌをじっくりと見た。なかなかいい女だ。ぜひ今夜の相手にしたい・・・。


「ワインでも飲む?」

「ああ。頼む」


 アンヌは2つのグラスにワインを注いだ。そしてその一つを信二に渡した。


「2人の出会いに乾杯!」


 アンヌはワインを飲んだ。だがあまり飲み慣れないようですぐに赤くなる。


「どう? これが私の絵よ」

「風景画だな。どこの?」

「郊外の風景を描いたの。私はこの国の自然が気に入っているの。だから絵におさめようと・・・」

「とてもきれいだ」


 信二にはこの絵がいいか悪いかはわからない。だがアンヌが美しいのはわかる。


「本当に!」

「ああ。僕は気に入った。君の絵を。そしてこれを描いた君を・・・」


 早速、信二は口説きにかかる。ワインと信二に言い寄られてアンヌは真っ赤になっていた。


「私、そんなつもりは・・・」

「大丈夫だよ。いろんなことを知ればもっと絵は素晴らしくなる。それを僕は教えたいんだ・・・」


 信二はアンヌの肩を抱いた。彼女が嫌がる様子はない。あとはこのまま・・・。



 しばらく時間が経って信二はアトリエから出てきた。手には1枚の風景画を持っている。あれから信二はアンヌを抱いた。意外にも彼女は経験がほとんどなかったようでずっと恥ずかしそうにしていた。だがそれでも最後には信二に溺れていた。


 信二はベッドから出て起き上がった。夜も更けてそろそろ宿舎に戻らねばならない。アンヌがベッドから声をかけた。


「また会って!」

「ああ。会いに来るとも」

「約束よ! 忘れないでね」

「ああ。忘れないとも。その証拠に絵を1枚買おう。この絵を飾って君のことをずっと思っている」


 そんなわけでいくばくかのお金を置いて来て、アンヌから風景画を買ったのだ。だがこんなものいつまでも持っているわけにはいかない。アンヌとは一夜限りの大人の関係だ。もう会うことはないだろうと・・・。


 宿舎のホテルに戻るとロビーでメアリーに会った。


「どこに行っていたのよ? パーティー会場から急に消えて」

「いや。少し用があって・・・」

「どうせまた誰か口説いていたんでしょ!」


 メアリーの機嫌がすこぶる悪い。信二はそこであることを思い出した。


「いや思い出したのさ。君はあと3日で誕生日だろう。少し早いけどプレゼントさ」


 信二はメアリーに例の風景画を差し出した。


「ありがとう! 覚えてくれたのね。それにこんな素敵な絵! うれしいわ! 宝物にして大事にするわ!」


 メアリーは喜んで信二に抱きついてくる。機嫌はすぐに治ったようだ。だが信二はもう1戦行う羽目になってしまった。


 ◇


 いよいよ予選が始まった。この日は快晴だった。各チームのマシンがコースを思いっきり飛ばしていく。

 信二も少しでも前のスタートポジションを取ろうとマシンを走らせた。だが他のチームの調子がそれを上回っていた。いくら信二がコーナーをハングオンスタイルで攻めても追いつかない。

 結局ポールポジションはマイケル。2番目はショウ、3番目はロッドマンだった。信二はかろうじて4番目に入った。その後ろには地元のイザベルがいる。彼女が虎視眈々と前を狙っているようで不気味だった。


 ◇


 信二はホテルに戻った。明日が本選だ。今日の予選の結果を見るとあまりいい結果を残せそうにない・・・自信がなくなっていた。そんなところにドアをノックする音が聞こえた。


(誰だろう?)


 ドアを開けるとメアリーだった。ティーポットやカップを乗せた盆を持っている。


「どうした?」

「眠れないかと思って持ってきたわ。ラテシャイよ」

「それはすまない」


 信二はメアリーを部屋に入れた。


「ヤマン国のホテルでも入れてもらっていたわね」

「ああ。君から聞いてルームサービスで頼んだんだ」

「今日は私が入れてあげるわ」


 メアリーは慣れた手つきでカップにラテシャイを注いで信二に渡した。


「さあ、私特製のラテシャイよ」


 前に飲んだものよりさわやかな香りがする。飲むとやさしい味が口の中に広がる。そして心が安らぐようだ。


「どう?」

「素晴らしいよ」

「そうでしょう? やはり私が入れたものでないとダメでしょう? ふふふ」


 メアリーは笑った。


「何か特別なのかい?」

「お茶の葉は同じ。でも低い温度からじっくり煮出したの。これがコツね」


 メアリーもいすに座って自分の入れたラテシャイを飲んだ。


「どこで習ったんだ?」

「私の家はお茶の商売をしているの。知らなかった?」

「ああ、初めて聞いた」

「そういえばこれだけ一緒にいるのにお互いのことを何も知らないのね」


 メアリーはふっとため息をついた。


「そうだったな。ところで君はどうしてレーシングライダーに?」

「子供の頃、シェラドンレースを見に行ったの。マービーGPね。そこでいっぺんに虜になった。だからレーシングライダーになれるように伝手を探して、訓練して、やっと・・・。でもまだまだ。もっとがんばらなくちゃ・・・」


 メアリーは苦労してきたようだ。だから最初に会った時、あれほど信二に敵意をむき出しにしてきたのだ。


「信二は? 前の世界でもレーシングライダーだったんでしょ」

「俺か? 小さい頃からバイクレースに出ていて、世界MotoGPというバイクの最高峰の大会で優勝するのを夢見ていたんだ。それがそこにステップアップする前にレース中の事故で死んでしまった。まあ、この世界に来れたけどな・・・」


 信二はそう説明した。


「それでシェラドンレースで総合1位グランプリを目指したのね。この世界での最高峰だもの」

「まあな」


 信二はそう答えた。アドレア女王と一夜の体で契約したとは言えないから・・・。


「じゃあ、明日は勝たしてあげる。誕生日祝いのお返しで・・・」

「メアリー。無理はするなよ」

「私が大丈夫よ。じゃあ、今夜はこれで・・・」


 メアリーは立ち上がって信二に素早いキスをした。そして少女のような微笑を残して部屋を出て行った。

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