第7話:足跡は辿られて

 あの場から立ち去った私は、大通りに出て、人の波に紛れる。 


 ふぅ、なんとかバレずに抜け出せた。

 あの大男の情報は欲しかったけど、命あっての物種だし。

 それに、逃げ出す間際、芳賀に通信機を付けられたから、それでヨシとしよ。

 

 呼吸をゆっくり整えてから、電源を切っていた端末をオンにした。


 (わっ、めっちゃ連絡入っている……って、尾行がバレたこと伝えたあとに連絡つかなくなったら、そりゃ心配するよね)


 私の安否を確かめる連絡が何十にも入っているのを見て、急いで返信文を送る。

 

 ”こっちは、無事です。あと、芳賀に発信機を付けたので特定よろです”


 ひとまずこれでいいや。

 いや~、疲れた。

 今回ばかりは、さすがに任務失敗の四文字が浮かんだよね。


 人々の足が、横断歩道の赤信号に止められる。


 政府直轄の特務隠密部隊『卿夷十君』か。

 話には聞いていたけど、どいつもこいつも粒ぞろいって感じ。

 

 井波さんはそれぞれの部隊には、それぞれの役割があるって言ってたけど、それって全部隊、戦闘が出来るのは前提の元でそれぞれ得意分野があるってことかな?

 

 私はボスから送られている監視対象リストを開く。

 

 芳賀響輝はがひびき

 二十二歳で軍警の一般部隊に所属、三十五の歳に卿夷十君、四番隊に入隊か。

 軍人であれば、ありきたりな経歴と言いたいんだけど……。


 あの男が、拳銃を取り出し、制帽の男に発砲するまでの時間はゼロコンマ二秒。

 今時、早撃ちを極める兵士なんていないでしょ。

 

 しかも、あの童顔で、年齢四十二はおかしい。

 二十代にしか見えないって。


 それと制帽の男も、同じく四番隊所属だ。


 名前は宇津見圭うつみけい

 瞬殺されてたから実力は図れなかったけど、経歴を見るだけでも異色。

 十七歳で部隊に所属。二十代の大半を軍務に費やし、従軍経験は計八回。

 

 げぇ、この人、戦地で三桁撃破した兵士にしか与えられない叙勲してるじゃん。

 これは不意打ちじゃないと勝てないわ。


 あ、よく見たら醜女にやられた若い二人も三回は従軍しているんだ。


 信号が青になると、足を止めていた人々が流れるように動き出す。

 私は端末に目をやりながら、その人の波に乗る。

 

 (うーん、あの大男についての情報はないよねぇ)


 分かったことは、あいつも卿夷十君ってことと三番隊の所属ってことだけ。

 くぅ、無理をしてでも、もう少しあの場に残るべきだったかも。


 あの大男以外にも、醜女について、それに卿夷十君内で起こっているいざこざについても、より密度の濃い情報を手に入れられたかもしれない。


 そんなことを考えながら、ひとまずカフェ・ドロエットを目指し歩き続けて十五分。


 (……あれ? あの市街カメラって、確か区長が、市民のプライベートが侵害されているからってことで機能を停止していたよね。でも、起動中のランプが点灯しているな……)


 よく見れば、あのカメラだけじゃない。

 あっちのカメラも、あっちも。


(あ~、これ、つけられているわ。今度はこっちが尾行される番ってことかい)


 思わず足を止めそうになる。


「……つけられてる、か」


 市街カメラが起動していることからその考えも浮かんではいたが、決定打になったのはコンビニの入り口に設置された監視カメラ。

 

 そのカメラが歩道を歩む私を終始、捉え続ける。


 ちょいちょい、ハッキングかけている人、コンビニ店員に気付かれるよ。

 見たことない角度になっているって。


 予定変更――ドロエットには戻らないで、追跡者を誘い込む。

 わざわざこっちの拠点を教えてなんてあげないよ。

 けど、いきなり進行方向を変えると怪しまれるか、徐々に人目のつかない場所に行こう。


 私はメッセージで井波さん達に直帰することを伝え、本来曲がるはずの道をまっすぐ歩く。

 次の交差点を左に曲がる。直進、右折、右折……ここは左。

 

 店の場所とは真逆の方角を目指し続けていると、私自身、一度も訪れたことの無い場所に来た。

 

 これ端末なかったら絶対帰れないやつだよ、これ。

 でも、人通りは少なくなってきた。もう少し、奥に踏み込もう。


 五分が経過した。


 一つ分かったことがある。

 どうやら、私は「治安が終わっている」が枕詞の、六番区『夜煙』に入ってしまったらしい。

 

 一番区のソルヴィ・ミレティアが楽園だとしたら、この街は地獄と呼んで差し支えない。


 道の脇にどこまでも続くゴミ袋の列。

 それに群がる無数の虫。

 どこへ行っても付きまとう、慣れることの無い排水溝から漂うヘドロの匂いと油の腐敗臭。 

 どこか遠くからは、錆びついて悲鳴をあげる機械の駆動音が聞こえる。


 「……これは……酷いわね」


 昔は、普通の街だったのにね。こうも変わるもんか。

 こんなに人を見かけない大通りは初めてかも。


 数年前、技巧白夜街の実権を担う政治家たちがソルヴィ・ミレティアを超える、最新技術を導入した未来都市を作ろうとしたけど、結果はこのざま。


 半分崩れたままのモノレール。


 自動運転を可能にしようとして、掘り返され剥き出しになったアスファルトと放置された無人車両の数々。


 巨大なショッピングモールでは、設置された広告スクリーンすべてにひびが入っていて、ノイズ映像だけが流れる。


 落書きがない壁を探す方が難しいわね。

 このビル群も、ほとんどが永遠にテナント募集中なんでしょうね。


 その後もしばらく歩き続けると、廃駅にたどりついた。

 

 道すがら見たモノレールが行きつく駅。


 中は、無人にしては案外綺麗。


 床も壁も剥げている箇所は少なく、ホームレスや不良といった人のいる気配はまったくしない。

 数十もの売店、大きなチケット売り場、ずらっと並べられた待合ベンチが都市改革の背景を教えてくれる。


 成功していたら、ここも人の絶えないコンコースだったんだろうね。

 

「……よし、ここでいいか」


 私は、天窓から降り注ぐ月の光を受けるベンチに腰を下ろす。


 私と追跡者の距離は、そんなに離れていないはず。

 三分もあればここに来る。


 そして読み通り、三分が経過した頃に、私が来た入り口から人の気配が生まれる。


 あの駐車場で会った大男が天窓から差し込む月光のふちで足を止める。


「待ってたよ。追跡者ストーカーさん」


「お前があの場から逃げなければ、ストーカーになる必要はなかったんだよ」


「あはは、確かに……で、要件は何?」


「分かっているだろ。お前を連行して、然るべき場所でいくつかの質問をする」


「尋問の間違いでしょ」


 大男は私の指摘にイラついた様子で「どっちでもいい」と返事をする。

 それ見て私は、ニヤリと笑って「そう」と返す。


「ちなみに、私を連れて行っても無駄だよ。知っていることなんて、芳賀があなたの組織を裏切ったことと、醜女がグリムだっていうことだけ」


(……ま、嘘だけどね。発信機の電波さえ拾えていれば、奴らの拠点もそのうち割れるし)


 別に意地悪で教えないわけじゃない。

 ただ、目的が不明確な人間に貴重な情報を易々と提供するほど、私も馬鹿じゃないってだけ。


「そういうことだから、連行しても何も得られない。せっかく追ってきたけど、残念だったね」


 私は暗がりの中で仁王立ちする大男を見つめる。 


 しばらくすると、男は数歩前に出てくる。

 月光が、彼の漆黒のアーマープレートに吸い込まれていく。


 男は私の顔を凝視したまま、何秒も黙っていた。


 月明かりの下、彼の表情は読めない。


 そして――急に肩を揺らし、大声で笑い始めた。


「お前、なんて名前だ?」


「……先にあなたが名乗って。それが礼節よ」


 私の返しに、再び男は大笑いをする。


 今日は変な人にばっかり絡まれるなぁ……あれ? でも、芳賀の尾行は私が始めたことだから、厳密には私から絡みに行ったってことになるのかな?


 そんなことを考えていると、


「ノヴァ……俺のコードネームはノヴァだ。ほら名乗ったぞ、まさか、コードネームだから自分は名乗らないなんて言わないだろうな」


「……はぁ、分かった。光里よ。どっちも小学校で習う漢字。ひかりにさと」


「光里か、覚えたぞ。じゃあ、今からお前のについて話そう」


「勘違い?」


「あぁ、勘違いだ」


 そう言うと、ノヴァは腕を伸ばし、指で三を示す。


「一つ。俺は卿夷十君に所属しているが、その中でもさらに異質な部類なんだ。だから、任務に失敗しようが何の御咎めもない。その代わり、任務を完遂しても何も得られないがな」


 ノヴァは人差し指と中指をピンと伸ばす。


「二つ。組織が求めているものは、光里、お前が口にした芳賀と醜女についての情報だが、俺は違う。俺はな、お前について知りたいんだよ。ただの女子高生があれほど無駄のない尾行ができるか? 銃を向けられて動じないなんて、一般市民にありえるか? なにより、俺に気付かれずにあの場から逃走できるか?」


 私の頭の中で次々と言い訳が浮かび上がる。


 あんな尾行は誰にでも出来るし、芳賀には気づかれ、ノヴァにも見られていたなら尾行の意味になっていない。


 平然としているって言ってるけど、逆よ。

 怖くて頭が真っ白になっていただけ。


 私の逃走に気付かなかったのは、あなたが他に意識を割けないほど醜女が手ごわかったから。


 それを言葉にしようとするが、どれもノヴァの前では通用しないことがすぐに分かった。


「……誤魔化しはいいのか?」


「残念ながら、あなたを言いくるめられそうな言葉がさっぱり浮かんでこないから。それに、ノヴァは私を逃がす気なんてなさそうだし」


「その通りだ」


 まいったな。

 まさか、ノヴァが組織の命令系統のしがらみの外にいる人間だとは。

 そうなると、これは本気で逃げた方がいいかも。


「そして最後、三つ目だ」


 ノヴァは屈託のない笑顔で人差し指を立てる。


「光里、お前は”連行”という言葉を聞いて、どうやら痛い目には合わないと思っているようだが、それは違う。俺はお前を壊してでも連れて行く。抵抗するかどうかなんて、もはやどうでもいいことだ」


 ノヴァが拳銃を構える。


 一瞬の狂い無く、私も同様に銃を構える。


 銃口の先のノヴァと、静まり返った廃駅の空気が、重く交錯する。


(はぁ……帰れたら、まずお風呂に入りたい)


 耳をつんざくような銃声が月夜に轟いた。


  

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