ある気持ちの話

ぴぴ之沢ぴぴノ介

ある気持ちの話

寝返りを打って軋むベッド。唸る私はどうも落ち着かなかった。部屋の電気を点けるのも面倒で開きっぱなしのカーテンの間から月明かりが零れていた。

 一件の通知が来た。友達からだ。

『どう?渡せた?』

 寝そべりながら文字を打ち込む。

『うん』

『でも答えきくの忘れた……』

『えええ!?』

 こんな反応は想定内だ。逃げてしまった。好きだからこそ、君の答えを知りたくなかった。

 バレンタインデー。チョコの甘い匂いと可愛らしい装飾が目立つ街。その雰囲気に包まれて恋愛のあれこれを楽しむ私達。

 中高の間、三年も片想いしていた人についに告白をしたのだ。年頃とはいえ、らしくないことをしてしまった。その場で答えを受け取れば良かったはずで、脳内シミュレーションでもそうだった。

 が、本番では恐怖に覆われて手足が震えてしまった。もし、君が私のことを拒んだらこれまでの気持ちはすべて無かったことにしなければならない。

 明日からの私がどうであるか、君の一言で決まってしまうことが怖かったのだ。

「あ~あ、ばかじゃん……」

 人を好きになれる単純さはあるくせにいざという時に二の足を踏むのは明らかに短所だ。脳内予想ではこの時間には嬉しさでバタ足をしていたのだ。リスクを侵したのは自分だが、結果を受け入れられないなんて、自分がそんな貧弱な精神だとは思ってもいなかった。

 言い訳をつらつら並べて、出された課題を放り出したまま目を閉じた。今日はもう疲れた。




 目覚めた。夢見ることなく、寒さに叩き起こされた。掛け布団の上で寝ていたらしい。出てきそうな鼻水を無理矢理出して、時刻を確認する。

 午前ニ時。夜型の友人が寝始める頃か。

 そういえば課題をやっていなかった。そんなに多くないと油断して放り投げてしまう癖がある。今からやってもまだ眠れる余裕は作れそうだ。

 午前三時の手前。課題を完遂し、あくびを一つ。眠たいが、頭が冴えて寝付くのに時間がかかりそうだ。

 喉の乾いた感覚に促され部屋を出る。家族を起こさないよう、ドアの開閉音にも気を遣う。

 葉擦れの音ですら響きそうな静けさは昼には無い特別感とこのまま特殊イベントが発生しそうな高揚感がある。今外に出て散歩をしたら何か面白いことに出くわせそうな気がしてならない。

 現実は補導されて終わり、か。そのリスクを冒せる自信は無い。大人しくリビングで水を飲む。

 現実、付き纏うものが多い。その付き纏うものに助けられ、生命を繋いでいるが、一度手放されてみたい。

 私と同じような人に出会ったり、オカルト研究者も腰を抜かすような超常現象を目撃したり、ベタに魔法が使えたり……。

(魔法が使えたら、君の心も覗けるのかな)

 ……また、君か。鼓動の高鳴りは興奮より不安を示していた。指先から血の気が引いていくような感覚。現実、こんなものか。

 もう、君が何を考えているのか、さっぱりだ。三年もの間見て、それなりに関わってきたが、それだけで分かるほど簡単な人ではない。

 というより、人自体簡単なものではないのだろう。私だって自分のリードを自分で掴めている感覚が無い。それでいて他人の気持ちを追うだなんて無理がある。その上で考察をしていたって精度などたかが知れている。

 お互い自分を知らないことが共通点にあるが故にわかることもあるが、それでは相変わらず不安定で、結果オーライ。

 君の心がわかったって自分の幸不幸が予め決まっていたことを思い知るだけで、結局苦い思いは避けられない。迷って迷って友達とキャーキャー言っていられる方がまだ楽しいのかもしれない。

「……はぁ」

 ため息くらいならと静かな夜に僅かな声を落とす。冷たい水に起こされた身体も体内時計によって無理矢理寝かせようとしてくる。

 シンクにコップをそっと置いてなんとなく手を洗ってみる。一昨日はここでお菓子を作った。友人と一緒に作ってみたが人に渡せるクオリティに仕上がった。

 もう君はあのお菓子を食べたのか。偶に疑り深い君は訝しんで開封すらしてないのだろうか。

 部屋に戻ろう。朝日が迫る。




 甘い匂いが充満する。数ヶ月前から決めていた告白のタイミングはもう目と鼻の先だ。

 すべての事情を知る友人は嬉々として手を貸してくれた。無難にクッキーを作ってチョコをかけようと提案したところ、難なくOKが出た。とりあえずゲテモノを生成せずに済むようだ。

 クッキーを焼いている間に板チョコを割って湯煎する。

「そうそう、そんな感じ。なあんだ、上手いじゃん」

「まあ、これくらいはね?」

「ふっふっふ~、三年間の『ラブ』を存分に込めなね」

 にやにやしながら私の顔を覗き込んできた。友人は偶に猫のようにちょっかいを出してくる。他人って気楽だなあと思う。

「そういえば、隠し味とか無いの?」

「ん? 隠し味?」

「うん、料理には隠し味があるもんじゃない?」

「違う?」と首を傾げて同意を求めるも「ものによるね~」と流された。

「カレーじゃあるまいし、そのままでも十分だよ」

「そうなんだ」

「何? 入れるとして何入れんの?」

「え、え~……なんか、りんご、とか?」

「それもうカレーの気分じゃん。まあ、あるかもしれないけどさあ」

 友人はやや呆れているようだ。料理に関して無知なのも大概にすべきだったかな。

「隠し味は気持ちでいいの! ほら、そろそろ焼けるよ」

 隠し味は気持ち、か。ここに来て思うことではないのだが、君への気持ちなんてわからない。確かに好きなのだろうし、この気持ちは恋なのだろう。付き合いたいと考えているのだから。

 それでも好きとか嫌いとか、愛とか恋とか。そんな在り来りな言葉で片付けたくなかった。君が何か、そう、特別なもので形容される人でなければならなかった。そうでなければ私はこの気持ちを誰に向けても良いことになってしまうからだ。

 他者より頭一つ抜けているその理由こそが君を好きな理由なのだろう。どうしてもこの胸の苦しみの原因を知りたい。

 なんて、小難しいな。感情に任せてただ友達の延長線上にあると思えば楽なのかもしれない。それが一般論の一つだというのも承知だ。だが、それではいけない。

 きっと、君にも同じように思われたいからこんなことを考えている。使命感に駆られるように、臨時のライフワークになるように。私は君を好きな理由を探し続けなければならないのだ。




 馴染み深い音がぼんやりと、次第に確かな輪郭を伴う。朝だ。頭が疲れる夢だった。

 定刻に身体を起こして身支度を始める。ああ、今日学校に行けば君がいるのか。

(少し、嫌かも……)

 普段通りにしていれば君と接触することは無い。それでも昨日のことを気にしていないこともないだろう。少し、少しばかり、気が重い。

 心に鉛を抱えたまま登校する。いつも通り友人に挨拶をして着席する。

「ねえね、あっちから連絡とかあった?」

「ううん」

 力無く首を振った私を見て友人は少し気遣うような素振りを見せる。寝たとはいえ一度起きてしまったせいか寝不足の体調だ。

「今日、訊いてみる……とか?」

「う、うーん……変に思われないかな」

「思われないって大丈夫! 逆に告白しといて返事聞かなかった方が変だから!」

「うぐっ……」

 ごもっともだ。昨日、君は何かを言おうとしていた。多分返事をしようとしたのだ。そこから逃げたのは何度反芻しても自分に非があるという結論に至る。

(今日は君に見つからないようにしよう)

 なんて、気休めにすらならない。逃げ続けてその先に私が納得できる未来はない。向き合わなければならないのだ。

 して、どうするべきか。もう一度呼び出せば良いのか。悶々としていると授業は終わり、いつの間にか夕日が空を焦がしていた。空に何を投げかけても掴まれることなどない。問うのは止めた。

「ねえ、もう帰る?」

 好きな声がした。窓を見つめ続けていたせいで気配に気が付かなかった。見つかってしまった。強制的に向き合うことになってしまったが、これを好都合だと思うしかない。

「え、あ、ああ、うん」

「そっか。じゃあ途中まで一緒に帰ろう」

 顔が熱い。舌は回りきらず、君が何を考えているか、考察することも難しい。ごく自然な流れで一緒に下校することが決まった。

 校門を出てから二人の足は揃って右へ向いた。

「こっちなの?」

「うん。こっちでしょ? 昨日こっちに去っていったし」

「……うん」

「聞こえた? 昨日の、返事……的なの」

「え? 言ってた!? ごめん。無我夢中に逃げちゃって」

「そう」

「うん」

 流れる沈黙が重い。車道を走る僅かな車が有り難いくらいだ。

「……あの、さ。嫌じゃなければもう一度、聞かせてくれない?」

 君の家が何処にあるのか知らない。故にいつ別れるか分からない。早いところでケリをつけてやる。

「あぁ、うん。いいよ。……俺で良ければ」

「……! えと、OKってこと?」

「もちろん。はは、何? これで振ったら怖くね?」

「そ、それはそうだけど……」

 気が抜けて二人して笑ってしまう。まだ実感が無い。ずっと好きだった君を私はこれからも好きでいられるのだ。これ以上ない幸福。

 そんな君とこれからの未来を願えたら。チョコレートよりも甘ったるく、重たい想いが体中に拡がった。いつも感じているより熱くて、あったかくて、さめやらぬ感情。初めてだ。溢れんばかりの愛おしいこの特別な気持ちにいつか名前をつけてみたい。

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