本作は、創作における独創性の問題を取り上げています。
オリジナリティのあり方をわかりやすく述べた〝壺〟と〝スープ〟の喩え。
これが秀逸なのです。
その人が、これまでに触れてきた様々な創作物とそれに触れた時の感情。
そのひとつひとつが、スープとして心の中の壺に貯まる。
空っぽだった壺は、やがてその人の好きなもので満ちていく。温められていく。
やがては、心の中の美味しいスープを、いつか誰かにも届けたくなるのかもしれない。
そうです。
ずっと自分を楽しませてくれた作品。
そしてそのときの感情が新たなる創作へと繋がるのです。
〝壺〟と〝スープ〟の喩えからわかることは、創作とは何もないところ生まれないということ。
たくさんの作家から受け取ってきた幾つもの作品の要素が、必ずどの創作物にもあるということです。
同じことは、作家のマークトゥエインも言っています。
「まったく新しいアイデアなど存在しない」
しかもそれは1874年頃に書かれたエッセイの中にすでに述べられているのです。
〝どこかで見たことがある〟
そんな言葉が、作品に向けられたとき。
不安になる創作者もいると思います。
しかしそれがなにも悪いだけのことではないと、このエッセイは教えてくれているのです。
〝テンプレを用いるか用いないか〟
つまりは、独創性を高めるのか、流行に乗るのか。
不特定多数の読者からの評価が金銭や出版機会に結びつく小説投稿サイトでは悩む問題だと思います。
誰もが高く評価されたいものですわ。
しかし本作は、それはただの迷いであり、
そこばかりに囚われてムリをしたり逡巡することの無意味さを教えてくれます。
なぜ自分は物語を作るようになったのか。
そして。
初めてなにかを作ったときは、どう感じたのか。
そんなことを思い出させてくれる本作は、素晴らしいエッセイだと思います。