タイム~路地裏のタイムトラベル~

貝月 恵芙

第1話 路地裏の秘密

エピローグ


「今回はいつものおせっかいを我慢したんだ

ね。マヤ。」

その澄んだ横顔にお似合いな鈴の音色のような声で、彼は隣で窓の外から通りを眺める彼女に話かけていた。

「いつものってなによ。しかもおせっかいって言った?

 私はいつも依頼主のことを思って、考えてささやかな手助けをしているんじゃない。

 それがあってからこそ依頼が成功してるんでしょ。」

通りに目を向けたまま頬杖をついて彼の発言に反論する彼女。

「それに今回はちょっと変わってたし。」

そうつぶやくと形のいい唇に薄い笑みを浮かべた。窓の外を数名の人がちらほらと通り過ぎていく。その人々が目の前を横切っていくのをただ見つめているだけのように感じられるが、その顔に浮かんでいる笑みからも彼女の頭の中では別の何かが再生されているのは明らかだった。

「なんか・・・。楽しかったよね。あの時は。

 ユウだってそう思ったでしょ?」

先ほどから彼女に向かってキツイ言葉を浴びせている彼は少し考えるような表情を見せてから口を開いた。

「あんまり依頼のことについて感情移入はしないつもりなんだけと、面白いかそうでないかって言われたら、面白かったとは思うけどね。」

「面白いかどうかなんて聞いてないけど。 ユウだってなかなかな言い方するよね。

私は楽しかったって言っただけ。」

「うるさいな。揚げ足をとるのやめてくれないかな?

 聞かれたから答えただけだよ。」

二人はそんなふうにお互いの言い分を主張し、言い合いをしているが

その姿はどこか満足そうで楽しそうに見えた。


第一章 路地裏の秘密


人は過去への後悔を繰り返しながら前へ進んでゆくことで人生を作り上げていく。

過去に戻ることはできないことをわかっているからこそ後悔し、

その先の人生ではより満足のできる今を過ごしたいと願う。

もしも過去に戻ることができたとして後悔への未来を選ぶ前に戻れるとして

果たして人はどのような選択をするのだろうか?


後悔の中にはすぐに忘れることができる後悔と

その先何十年と忘れることができない後悔の二つが存在していて。

その人の人生の様々な場面でその後悔の記憶はフラッシュバックされる。


はず・・・


だって私がそうだから。


特別な不満があるわけではもちろんない。

学生の頃から何に対してもソツなくこなすことが出来た。やるべき課題、依頼されたお願い事、周囲との人間関係など全てに対して取り立てて苦しいと感じたことはなかった。それなりに出来てしまうから周りからの評価も決して悪くはなく。高校時代には生徒会長を任されたこともあった。

人当たりの良い性格から常に自分の周りには誰かがいる。だから友達関係で悩むこともなかった。

成績はというとこれまたそこそこ出来ていた。日々の課題を淡々とやっていれば成績順位は半分よりも後半になることはなくて特に苦労することもなく高校三年間は過ぎていった。

大学受験も推薦入試で早々に決まりとにかく無難な学生生活だった。

特にがんばらなくてもそれなりに出来てしまう人生。でも、だからこそ自分の限界を感じるほどギリギリの努力をしたことはなかった。人生をかけて夢中になったものはなかった。

そればかりか自分の心の中には何かが欠けていてそれが埋まらない限りこのままそれなりの人生が続くことになると漠然と感じてもいた。

もっともその欠けているものが何なのかは当時も今もわからないが。


社会人になり会社に属するようになってもこの感覚は変わらなかった。

働くことが嫌いというよりはどんなに金銭的な余裕があったとしても自分は働くことをやめないだろうなと思うくらいに働くことは好きだと思う。今の仕事が果たして自分の生涯の仕事になるのかどうかはさておき、今の仕事は周りから見たら人気のある職業で羨ましいと思われることもあるのかもしれない。自分がこの仕事を選ぶことは普通だったら絶対になかった。大学のゼミの先輩が先にこの仕事を選び、私にもぴったりだと思うと紹介してくれたのだ。就活の頃になってもこれといって選びたい職業もなかった私は先輩を頼って神戸の空港でグランドスタッフとして働くことになったのだ。昔から英語は好きで成績もよかったことが先輩が私を誘ってくれた理由なのだろう。

千葉県出身の私は就職をきっかけに一人暮らしを始めた。夜が遅く、朝も早いから空港まで三十分程の場所を選んだ。仕事はなかなかハードで初めのうちは早朝勤務も辛く遅刻も数回経験してしまった。やはり学生時代までの頃とは違って少しは努力して仕事にも責任感を持たなければいけないと思い行動に移していくうちに、時間の経過もあるだろうが仕事にも慣れて職場での人間関係もスムーズに流れていくようになった。女性がほどんどの職場ではあるが案外みんなが仲良くプライベートで一緒にいることも多かった。シフト制での勤務となるとお休みの日が同じ同僚と自然とより仲良くなっていくもので一緒に時間を過ごす人も決まってくるのが一年半くらい経った頃。

そして仕事に余裕が出てくると次に欲しくなるのはプライベートの充実で。恋人との時間が欲しくなるそうで。

だから私は今ここにいる・・・?


「・・・さん。」

「泉さん?どうかした?」

ふと自分がどこにいるのかを再確認して私は我に返った。

「あ。ごめんなさい。」

目の前には今日初めて会った男性。確か名前は・・・前田さんだったかな。彼と話をしている途中に意識が自分がここにいる理由を探す旅に出ていた。そして危なくもまたあの記憶まで呼び覚ましてしまいそうだった。

「大丈夫?なんかぼーっとしてたけど。  仕事終わりなのかな?」

話を聞いてませんでしたとは言えない。なんの話だったのか見当もつかないけれどそんなこと言えるはずもないし。

「大丈夫です。仕事終わりなのはそうですが大丈夫ですよ。」

と大丈夫を繰り返す、ぼんやりとした返事を返していた。

「そっかそれでさ。俺こういうとこ来るの初めてなんだよね。友達にどうしてもって言われて。なんか変に誤解されてもあれだから言うんだけどさ。」

誤解とは?

よくわからない前田の言葉に曖昧な笑みを返したのだったが。

「泉さんて空港で働いてるんでしょ?かっこいいよね。空港で働く女性って。俺そういう系の人がタイプなんだよね。」

そういう系とは?

やはりこの人の言っていることはよくわからない。私の仕事はいったい何系なんだろう。


ここは最近できたばかりで有名なホテルの四十五階にあるイタリアンレストラン。大型のバーカウンターもあって結婚式や色々なイベントで使用されているそうだ。少し暗めの店内と落ち着いたウッドテイストのテーブルとイス。店内の半分がガラス張りだということもありそこから見える夜景が素晴らしいというのも頷ける。出来立ての人気スポット。

今日はここで婚活パーティーなるものが催されているのだ。今目の前にいる前田とはここに来て早々に声をかけられた。

ここに来る前に少し参加者の情報を聞いていたのだが、男性は独身で高収入な者だけなのだそう。婚活パーティーで独身かそうでないかの情報は必要なのだろうか?結婚したいからここに来るのであってそうでないのならはなから参加しないのでは。色々とよくわからないと感じながらその話を聞き会場までやって来た。もちろん私が自分からそんなところに来るはずもなく会社の同僚で一番仲の良い鈴音のお願いで一緒にやって来たのだった。


及川鈴音とは同期入社で入社式に知り合った。

それから半年くらいは特に親しくもならずにいたけれど同じポジションになることが増え彼女と何度か仕事に慣れる方法をアドバイスし合ったり、二人とも名前がSの頭文字なのでSSコンビと呼ばれるようになったり、そしてなんといっても休みの周期が同じであることが二人をより友達へと近づけていった。住んでいる場所も近く早番の仕事終わりにはお互いの家で女子会をするようにもなっていた。

鈴音の性格はいたってシンプル。はっきりとしているのだ。女子特有と言われるべたべたした感じは一切なくてさっぱりとした話し方や言いたいことはきっぱりと告げるというスタンス。私は女子!というようなタイプの子よりも鈴音のようなさばさばした女子が昔から好きだった。自分の性格もどちらかというとそっちで言いたいことを言い合える関係が理想だった。やりたいことはやる!やりたくないことはやらない!その判断が早い人間はそういう者同士でいたほうが楽なのだ。そうでない人間に対してこれをやってしまうと冷たい人、怖い人なんて印象がついてしまいなんとも付き合いにくくなってしまう。もちろん全てにおいてこのやる!やらない!主義を発揮できるわけではないことはわかっているし、その中でお互いに譲り合っていく分別もある。お互いに波長が合わないとただただ険悪なムードしか生まない。鈴音とはこの波長がまさにお互いにぴったりと合ったのだと思う。そういう関係を見つけるのはけっこう難しいのだ。だからこそこんなにも早く仲良くなれたのだと思う。

そんな鈴音からこの婚活パーティーに誘われたのが三日前。

「砂羅って彼氏いたっけ?」

突然お昼の休憩の時にこう切り出したのだ。

「なに?突然。」

「いや。そういえば聞いたことなかったなって思って。いるの?」

「いないよ。よく家来てるんだからわかるでしょ。」

「だよね。」

「それだけ?」

「んー。実はさ。土曜日に婚活パーティーがあってね。行こうか迷ってるんだけど。一緒に行かないかなと思って。」

「婚活パーティー?そういえば鈴音も今彼氏いないんだったね。」

「そう。なんかさ、仕事もそろそろ慣れてきたじゃない?タイミング的にもいいかなって思って。」

「鈴音結婚したいの?」

「そういうわけではないけどね。有紗先輩がこの前行ってきたらしくて楽しかったんだって。この前できたばっかりのホテルの上でやってて雰囲気もすごくよかったんだって。」

「私そういうの行ったことないな。あんまり興味もないけど。」

「だよね。やめとく?」

どうしようか。

今特に彼氏が欲しいと感じていたわけではなかった。でも鈴音の言うように最近は仕事にも慣れてきて余裕が出来ていたから何か変化があってもいいのかもしれないと感じたのも本音だ。

「暇だし行ってみようかな。」

気が付くとそう返事をしていた。

「ほんと?じゃあ行っちゃう?砂羅が一緒なら楽しそうだし。」

「そう?なんにもわかってない人だけどね。私。」

「いいよ。一緒に行ってどんなのか見てみようよ。何かいい出会いがあるかもしれないしね。」

といった具合に話が進み私たちは人気ホテルで行われる婚活パーティーに参加したとい流れ。その鈴音といえば到着してすぐにモデルのようなルックスのイケメンをロックオン。すぐさま声をかけに行くという積極的行動に出ていった。お互いに話したい人がいた場合の別行動はオッケーだと約束を交わしたのだから文句は言えないがそれにしても早かった。

一人で過ごす時間が長くなりそうだなと考えていた矢先に私は前田に声をかけられたのだった。

「泉さんて名前はなんて言うの?」

前田が再び声をかけてきた。

「砂羅です。」

私はあまり会話が進まない程度に返答を返していたが前田にはあまり私の雰囲気が伝わっていない様子でどんどんと話しかけてくる。

「砂羅さんか。可愛い名前。やっぱり名は体を表すだね。」

「そうですか?どうも。」

「休みの日って何してるの?映画とか好き?よかったら今度一緒に行かない?」

止まらないな。この人。こんな会話をかれこれ一時間以上続けていた。ことあるごとに次の約束を取り付けようと話を振ってくるのだ。私にその気がないことは十分すぎるくらい伝わっているはずなのに。

「映画はあまり見ないですね。」

うそだ。映画は大好き。一人で映画館へもよく行くし。でも。

そっけないくらいに短い返事をしてみてもあまり効果はないようで「そうなの?趣味とかないの?俺さ、ほんとタイプなんだよね。砂羅ちゃん。スタイルも顔も。とりあえず今度ご飯でも行こうよ。二人で。」

砂羅チャンテ・・・。

いきなり呼び捨てなのね。許可したつもりもないのだけれど。ホント嫌だな。この人。そろそろ限界が近いと感じていた時

「彼氏とかいなんでしょ?だったらいいじゃん。」

と強引に私の腕をつかんできた。

「ちょっともういいかげん・・・」

前田のしつこさにつかまれた腕を振りほどき少し突き飛ばそうとして両手を伸ばしたその時

「砂羅!ごめんね一人にしちゃって!」

突然モデル級の男性と過ごしているはずの鈴音が私たちの間に入り込んできた。

「すず・・・」

「私たち門限があるのでもう帰らないといけないんです。お話しの途中みたいですが時間がやばいのでこれで失礼しますね。」

と前田の反応を見ることもせずに私の手を引き会場を後にした。

「鈴音。もういいの?さっきの人とはどうなったの?」

私は何も言わずにずんずんとエレベーターホールまで進む鈴音に声をかけた。

「なんかさ。最初はカッコいいしいいなって思ってたんだけどね。話してるうちになんだか自分の話ばっかするしつまらなくなってきちゃって。他の人も同じ感じ。年齢もけっこう上だしさ。私にはまだ早いって感じみたい。」

要するにつまらなくなったということか。私も鈴音にさっきのいきさつを話し終えると何だかおかしくなってきてエレベーターが来るまで二人で笑いあった。自分たちにはこういう場所は向いていなかったのだ。

それに・・・。


ホテルを出て鈴音と仕切り直してお気に入りのカフェで夕ご飯を食べた帰り道。

「間違ってたらごめんね。」

またも鈴音は唐突にそう切り出した。

「なに?」

「砂羅ってさ。もしかして忘れられない人とかいるの?」

「え?」

「なんかね。ずっと感じてたんだけど。砂羅って明るいし面白いしそういう面が表にあってあんまりわからないんだけど。」

鈴音がどう伝えたらいいのかを考えていることがすごく伝わってきた。

「時々すっごく遠くにいる気がすることがある。」

前を見ながら鈴音はそう言ってさらに続けた。

「たまにだよ。でもなんか考え事してるんだろうなって。それがたぶん・・・悲しい考え事なんだろうなって思えてね。」

そう言うと立ち止まってから私を見つめて微笑んだ。

「なんか悩んでるんだったら話してね。」

「鈴音。」

「無理強いするつもりはないよ!ただ、もし言いたいことがあったらいつでも聞くよってはなし。」

それ以上鈴音はこの話を続けるつもりはないといった様子で歩みを再開した。そこからは私が何も言えずにいることもあって全く違う他愛もない話をして別れた。

鈴音の感覚の鋭さには驚いた。これまで築いてきた人間関係で私の心の奥の思いに気が付いた人はいなかった。少なからずいた恋人でさえも。

そう。

いるのだ。

私には忘れられない人がいる。


私が育ったのは同じくらいの年代の家族がたくさん住んでいるファミリータイプの賃貸マンション。そこの一階に生まれた時から住んでいた。私は一人っ子で小学校に上がるまでは少し遠い幼稚園に通っていたこともありマンションで一緒に遊ぶ子供はいなかった。小学校に上がるのと同時にマンションの向かいの部屋に引っ越してきた家族がいた。

私の住むマンションは長方形の建物でその真ん中は天井のない吹き抜けでその吹き抜け広場を取り囲むようにして部屋が並んでいるタイプだった。真ん中には特に何もないコンクリートの広場があるだけでその空間を挟んだ向かい側にその家族は引っ越してきたのだった。家族構成はうちと同じ。ただ私と同じ年齢の子供は男の子だった。小さい頃から特に人見知りもしない性格だったのは相手も同じで引っ越しの挨拶の日に私たちは出会った。

「初めまして。向かいに引っ越してきた立花です。」

そう挨拶をしてくれた人はとても笑顔が素敵な人だった。

私の母は他人への受け入れ態勢が抜群によくて、いい人を見抜く天才でもあった。その母がお向かいの立花さんを一目見て気に入ったらしいのだ。確かにあんなに綺麗に楽しそうに笑う人は滅多にいないと私も感じた。そしてその隣に立っていたのもこれまた笑顔の可愛い男の子。それが立花隼人だった。

「こんにちは。立花隼人です。よろしくお願いします。」

あの時の元気な声と人懐っこい笑顔は今でも忘れない。この日から私たちはほとんど毎日一緒に過ごすようになっていった。


隼人は三才から空手を習っていてこっちに引っ越してきてからも週に二回近くの道場に通っていた。運動神経のよかった隼人はすぐに頭角を現し練習を重ねるたびに上達していった。小学校に上がるとマンションには同じ学校の同級生がたくさんいるのでみんなと遊ぶこともあったが多くの時間を隼人と過ごすようになっていた。私たちが集まるのはいつもお互いの家の間のコンクリート広場。高学年になると隼人は空手と並行してサッカーを始めた。広場は小学生のサッカーコートにちょうどよくて隼人はよく練習をしていた。私はというと、特に習い事もしていなかったのと母の影響で小さい頃から図書館っ子だったので読書をすることが生活の一部のようになっていた。だからサッカーをする隼人を見ながら学校で借りてきた本を読んでいることが多かった。

「砂羅はさー。サッカーしないの?」

隼人はことあるごとに私をサッカーに誘う。

「しないよ。やり方わからないし。見てるほうが楽しい。」

「そうなのかー。じゃあずっと僕がサッカーやってるの見てたらいいね。」

「うん。」

「でもさー。本読んでたら見えないじゃん。」

「ほんとだ。」

そんな他愛もない会話をしながら過ごす時間はとても楽しいものだった。


中学生になるとこれまでほどは一緒にいることは少なくなった。

これまでの小学校時代とは違って中学からは制服がある。制服はそれまで曖昧だった男の子と女の子の境界線をくっきりと浮き彫りにさせる。それはお互いに異性であることをこれまでよりも意識せざるを得ない感情を芽生えさせもする。だからといって私たちの関係性が変わるわけではないけれど、お互いに同性の友達も増えて自然とそれまでとは同じようにはいかなくなっていったのだ。隼人はサッカー部に入り忙しくなっていた。

私は特にやりたい部活があったわけではないが何かしらの部活には属さないといけないという学校のルールがあったため図書部という少し変わってはいるが好きなだけ本が読めるという部活に入部。ひたすらに活字を追い求める日々が始まった。


それでも隼人と部活のない日には広場でともに過ごした。

サッカーをする隼人は小学生の頃と変わらないけれど、中学生になるとたまに私と一緒に本を読みたがることもあった。そんなときには広場はピクニックスペースに変わる。シートを広げて私の選んであげた本を隼人が私の隣で読む。お互いに話す言葉は少なくても、これまで一緒に時間を共有してきた中で自然と出来上がった信頼の空気みたいなものが二人を包む。

手を伸ばせば隼人の存在に触れることができる。その安心感を一番近くで感じることのできる空間。この空間と時間は私にとって最も落ち着くものでどんなことよりも大切だと感じていた。

隼人は幼い頃から空手をしているくせに線の細い体つきでスラッとした長身、さらに整った顔立ちで女子生徒からの人気は学年内トップだった。誰とでもすぐに打ち解けられる性格がさらに同性からも異性からも愛される要素となって同じ学年で隼人を知らない人はいないほどだった。

「隼人君てほんとに優しいよね。」

「他の男の子とは違って嫌なこと言わないもんね。」

「サッカーも上手だし、頭もいいし。全部カッコいい。」

そんな会話を一日に何度聞いたことか。私は自分から目立った行動をとる方ではなかったけれど隼人とよく一緒に帰っていたことで不本意ながら有名になってしまった。

「あの人彼女かな?」

「よく一緒に帰ってるもんね。」

そんな風に言われることも少なくはなかった。

隼人とはクラスが離れてしまったがよく私のクラスにやってきては私に話しかけていた。それも誤解につながる理由だったのだろう。

「砂羅。今日うち母さんいないんだけどさ。」

「じゃあうち来る?お母さん今日はカレーだって言ってた。」

「ほんと?行く行く!美沙さんのカレーうまいんだよな。じゃあ今日一緒に帰ろうな。部活終わったら門でな。」

なんて会話を聞かされたらそれはそう解釈してしまうのも頷けるというものだ。私が見る側でもそう思う。でもそれを二人とも特に訂正しようとは思わなかった。私と隼人は確かに他の男女の友達よりも仲が良くてお互いを大切に感じてはいるけれど、それを超えるものはお互いになかったと思う。


あの事件が起こるまでは。


私の属する図書部は取り立てて忙しい部活ではない。運動部のように大会があるわけでもなく発表の場があるとするならば文化祭の時に限られる。

そんな部活ではあるが本好きの私にとっては静かな場所で心行くまで読書ができることはありがたくて時間を忘れて夢中になってしまうことも多かった。そんな時はたいがい最終の下校時刻ぎりぎりになってしまい運動部と帰宅時間が重なる。隼人を待っているというわけでは特にないのだけれど私を見つけたときは必ず部活の仲間とではなく私と一緒に帰ってくれる。同じマンションだからというわけではなくてそうするのが当たり前なのだというように。


その日は運悪く。

本当に運が悪く下校時刻を過ぎての帰宅でも隼人に会うことはなかった。季節は秋から冬になる頃で暗くなるのも早かった。もうすぐマンションのエントランスだという時突然、目の前に知らない男の人が立ちふさがった。

「砂羅ちゃん?」

「どちらさまですか?」

「砂羅ちゃんだよね。今日はひとりなの?いつもいるやつと一緒じゃないんだ。」

勝手に一人で話を進めるこの男の人の勢いに気味が悪くなりその場を離れようとすると

「ちょっと待ってよ。俺さ前から君のことかわいいなって思っててさ。今から遊びに行かない?」

なんて馴れ馴れしいのだろうか。とんでもない申し出に早々にその場を立ち去ろうとした。

「いいです。もう帰るところなので。」

「いいじゃない。ちょっとだけだしさ。」

さらに近寄ってくると手を肩に乗せ顔を近づけてくる。

「やめて!離してください!」

拒絶の反応を見せると途端に

「なんだよ!ちょっとくらい付き合ったっていいじゃねーか。少しくらいかわいい顔してるからって思いあがってんじゃねーぞ。」

そう言って肩に置いた手に力をいれて強引に引き寄せようとしたその時

「なにやってるんだよ!お前!」

聞き慣れた声。

そう思った次の瞬間には男の人の手を払いのけ私を自分の背中に隠してくれた隼人がいた。

「あんた誰?」

そう言った隼人は今まで見たことのないような表情と声で男の人を威嚇した。

「砂羅に何してたんだよ。」

男の人は隼人の剣幕に押され何も言わずにその場を立ち去って行った。

「大丈夫か?砂羅。」

振り向いた隼人は私の知っているいつもの雰囲気を取り戻していた。

「あ・・・うん。平気。ありがとう隼人。」

「お前!こんな遅い時間まで学校で何やってたんだよ。お前の部活こんなに遅くまでやることないんだろ?」

またもやすごい剣幕の隼人が飛び出してきて私は圧倒されながら

「う・・・うん。そうなんだけど。本読んでたら気が付いたらこんな時間で・・・。」

「気をつけろよ。変なやつ多いんだからな。」

「あの人私の名前知ってたの・・・。なんでだろ。」

私のその言葉を聞くと

「まじかよ。じゃあお前だってわかって近づいてきたってことなのか。知ってるやつじゃないんだよな。」

「全然知らない人だった。たぶん大学生なんじゃないかな。」

「また来るかもしれないな。とにかく!お前ももうこんな遅くに帰ってくるのやめろよな。」

そんなことわかっているけれども・・・。隼人の勢いに押されて頷くしかなかった。


そんなことよりも驚いたことがある。私はこの時に気が付いてしまったのだ。あの男の人に触れられた時に感じた感情に。隼人以外の男の人にあんなに近くで触れられたのは初めてだったけれど心の底から嫌だった。気持ちが悪かった。学校では必要以上に自分の近くに男の子がいることはあまりない。そもそも私は隼人と恋人同士だと言われているもんでほとんど男の子と触れ合うことがなかったから気が付かなかったのだ。こんなにも隼人以外の男の人に触れてほしくないと感じるなんて。この気持ちを知ってしまった時から私にとって隼人はもうただの幼馴染の男の子ではなくなってしまった。

隼人に対して恋愛感情を抱いてしまった。

あれからあの男の人が私の前に現れることはなかった。あの後すぐに隼人が私の両親に何があったのかを報告。そのまま警察に連絡がいった。特に危害を加えられたわけではなかったので大事にはならなかったのだが警察もパトロールを実施してくれているのだろう。

あのときの隼人の剣幕があまりにも恐ろしかったというのも影響しているのではないかとひそかに思っている。そう感じるくらいに隼人の怒りは大きかった。

しかし私はそれどころではなかった。あの男の人がどうのこうのなんてあれ以来頭の隅にも浮かんでは来なかった。

なぜなら。


私の心は隼人でいっぱいだったから。

隼人に恋心を抱いてしまったから。


あれから少しの間、隼人は自分の部活よりも私と一緒に帰ることを優先してくれた。

隼人の態度は今までともちろん変わらない。

変わったのは私。何を話していてもこれまでとは違う感情がわいてくる。

隼人の横顔はこんなにも素敵だったのだろうか?

隼人の声はこれほどまでも私の耳に心地よく響いていたのだろうか?

隼人の体はいつの間にこんなにも逞しく男の人になっていたのだろうか?

帰り道で発見する隼人への新しい感情に私は戸惑ってばかりいた。そんな時間を私は一人大切に感じながら私たちは高校生になっていった。


私と隼人は同じ高校に通うことになった。高校でも隼人の人気はあっという間に広まっていった。一年生でサッカー部ではレギュラーメンバー入りを果たした時の初試合には隼人のファンだという女子生徒が学校中から押し寄せたほど。相変わらずの誰にでも優しい性格とますます磨きのかかっていく容姿でその人気は留まるところをしらない。それでも隼人には幼馴染の彼女がいるという中学からの噂はどこからともなく広まっていて目立って隼人に声をかける女子はいなかった。

私はそんな恵まれた環境に甘んじていた。隼人に恋心を抱いてからもその想いを口にすることはなかった。隼人の前では表向きはこれまでと同じ幼馴染を演じ、周りからくる隼人の彼女としての目線も受け止めていた。どんな形であれ隼人の一番近くというポジションに自分がいられることに安心していた。

そしてそれと同時に何もない自分が隼人にふさわしくないのではないかという大きな不安も抱えていた。

私は高校に入ってもこれまでと生活が変わることはなかった。高校では特に部活に入ることを求められることもなかったので帰宅部だった。勉強も運動もこれまで同様、特に無理をすることなくある程度の結果が得られるためにその程度で止まっていた。

特に何かに必死になることもない。自分が夢中になれることがあるわけでもない。

中身の空っぽな自分には何事にも一生懸命で努力を惜しまない隼人とは釣り合わない。その不安が私が隼人へ気持ちを伝える勇気を奪っていた。

そのまま高校生活は残り一か月というところまできていた。私たちの関係はこれまでのまま幼馴染同士。周りからは恋人同士。大学はとうとうばらばらになる予定だった。隼人はサッカーの推薦を受けて県内の大学へ。私は特に行きたい大学があったわけではないが県外の大学へすすむことになっていた。

この曖昧な関係ももうすぐ終わりをむかえる。このままでいいのかと自問するようになっていた。答えを出すのにためらっていた私はある日、聞いてしまったのだ。いや、厳密には聞きそうになってしまったというべきなのだが。

隼人はその日教室で高校最後の部活へ行くために準備をしていたようだった。私は担任に頼まれた資料作りをするために一度職員室に行き資料を持って教室に戻って来たところだった。教室へ入ろうとしたところで話声が聞こえた。

「隼人君って大学決まったんだよね。」

クラスの女子の声だった。

「そうだよ。決まった。なんで?」

隼人の声も聞こえた。

「いや・・・。私も同じ大学なんだ・・・よね。」

「なんだそうだったのかー。じゃあまたよろしくな。」

「うん。それでね・・・。」

女子生徒の声が止まった。何かを言い出したいようなそんな雰囲気を感じた。

「私ね。ずっと隼人君が好きだったの・・・。  」

やはり告白だった。

隼人はすぐに答えなかった。

「えっと・・・。」

こんな場面に出くわすなんて。聞きたくないという気持ちが大きかったが隼人の返事が気になるのもまた本音だった。私たちは表向きは恋人同士ということになっている。それは隼人だって知っていて何も言わない。

本当は隼人はどう思っているの?これは隼人の気持ちを知ることが出来るチャンスかもしれない。そう思うとその場から足が動かなかった。すると隼人が話し出すよりも先に女子生徒の声が聞こえた。

「砂羅が彼女だってことは知ってる。」

そう言った彼女の次の言葉が心に突き刺さった。

「でもほんとはそうじゃないんでしょ?付き合ってないってことみんな知ってる。」

「え。」

隼人の声が聞こえた。

「隼人君モテるからさ、砂羅が彼女だって言っとけば誰も告ったりしないからそうしてたんでしょ?

みんな言ってる。 

砂羅はなんでもサクッとできちゃうし綺麗だから周りの男子に好きな子多いけど隼人君とは・・・。なんか似合わない気がするんだよね。隼人君はさ。なんでも一生懸命がんばるタイプでしょ?」

足元が崩れ落ちたような感覚に襲われた。これまで私が彼女だと周りはそう思ってると本気で信じていた。それを受け入れているから隼人も特定の彼女を作らないしそれでいいと思っていると。それが二人の共通の秘密だと。

でもそれは嘘だと周りが知っていたなんて。私はどんな目でみんなから見られていたのだろう。そう思うと恥ずかしさと悔しさで消えてなくなりたくなった。それ以上二人の会話が耳に入る心の余裕は私にはなくなっていて気が付いたら一人、屋上へ続く階段を登り切っていた。

隼人はあの子になんて返事をしたのだろう。聞くのが恐ろしかった。どんな状況になっていたのか確かめることはもう私にはできなかった。


『隼人君とは似合わない気がする。』

自問自答していた答えを突き付けられた気がする。胸を張って好きだといえるものが何もない私。空っぽの私にはその時から自信すらなくなってしまったように思う。そのまま隼人に気持ちを伝えることすら出来ずに高校を卒業し県外へ出た私はあれから隼人がどんな生活を送っているのか全く知らない。それを知るのが怖くてずっと実家には帰っていない。あれからもう何年経ったのだろう・・・。

一番近くにいた存在は今や一番遠い存在になってしまったのだ。


あの時。

あの会話を最後まで聞いていればこんなにこの気持ちを引きずることはなかったのだろうか?

別の未来があったのだろうか?


そんな今更なんの意味もないことを考えながらふと気が付くと自分の家をとっくに通り過ぎてしまっていることに気が付いた。

「しまった・・・。つい考えちゃってたらこんなところまで来てた・・・。」

私の住んでいる町は昔から貿易が盛んな港町で異国情緒あふれる人気の観光地である。そのため私の住んでいるエリアもどこか外国の街並みを感じさせる雰囲気になっているのだ。レンガ作りの建物や異人館が点在する場所も近くて住み始めた頃はよく近所を散策したものだった。そんな異国の街並みが見られるエリアまで来てしまっていた。

「帰らなきゃ。」

そう呟いて戻ろうとしたその時、ふと一つの路地を目が捉えた。

細い路地であまり目立たないがなぜなのだろうとても気になった。時間もそこまで遅いわけではなく暗くなってもいない、それに周りに人の気配もする。少し寄り道しても危険なことがあるわけでもないだろう。

「なんでこんなに気になるんだろう?」

そう言って私はその路地に近づいた。

路地の両サイドはレストランと民家。レストランは人気のイタリアンレストランで私も一度訪れたことがあった。

その時には気が付かなかったくらいの路地。

そこへ一歩足を踏み入れた途端それまで聞こえていた周りの音が遮断され突然静寂が訪れた。少し怖い気がしたがこれほどまでも気になる理由が知りたくて奥へと進んでいった。二十歩ほど歩いただろうか。時間にしてほんの数分。すぐに突き当りが見えてきた。

正面の突き当りには海外で見られるような壁から水が流れ落ちている小さな噴水が設置されていた。大理石のような石で作られたそれはイタリアの飲料用の噴水フォンタネッラのような様相だった。水はライオンを象った彫刻の口元から流れ落ちていた。噴水の中央上部にはライトが灯っていて暖かなオレンジでその一角を照らしていた。噴水の壁の左右にはアーケードの通りが続いていた。

「こんなところがあったんだ。こんな突き当りから続くアーケードってどこにつながってるんだろ。ちょっと不思議なところ。でもなんでだろう?見ていると落ち着く感じがする。」

小さな振動を感じてライトが揺れると照らされている水もかすかに揺らめきながら流れ落ちる。

その光景をじっと眺めていると突然


ぐにゃり


流れ落ちる水がこれまでとは違った揺らめきを見せた。と感じた瞬間に目に入るすべての景色が同じように歪んで見えた。

「なに・・・?」

そのまま視界は真っ暗になった。









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