第7話 核心の記録と残された謎
異形の守護者が光の中へと消え去った後、円環の広間には、嘘のような静寂が戻っていた。
先ほどまでの死闘が、まるで幻だったかのように。
その中心に鎮座する巨大な結晶体だけが、今もなお、心臓の鼓動のように淡い青白い光を脈打たせている。
まだ震えの収まらない足で、慎重にその結晶体へと歩み寄った。アイリアが発した、あの不可解で絶対的な力。その源が、この結晶にあるのかもしれない。考古学者としての本能に突き動かされるように、その表面を食い入るように観察した。
すると、光を放つ結晶の内部に無数の、そして極めて細かな線が走っていることに気づいた。それは、自然にできた亀裂などではない。明らかに、何者かの手によって意図的に刻まれたものだ。
「……文字だ。だが、これまで見てきた古代カサル語とも
その原型となった文字とも微妙に異なる……。
これは、さらに古い時代の未知の派生系か……?」
目の前の発見に先ほどまでの恐怖も忘れて興奮に打ち震えた。
未知の古代文字。
それは考古学者にとって、何物にも代えがたい至宝だ。俺は慌ててリュックから羊皮紙と木炭を取り出し、その複雑な形状を必死に写し取り始める。
この発見を学会で発表すれば、歴史の教科書を書き換える大発見になるかもしれない……!
一人、興奮気味にメモを取っていると、隣からさらりとした涼やかな声がした。
「――“選ばれし者、架け橋となれ。古の理を解き放ち、星々の巡りに身を委ねよ”」
「は?」
何かの聞き間違いかと思い、顔を上げる。
すると、アイリアが、俺が解読に四苦八苦している結晶体を、まるで近所の図書館で絵本でも読むかのように、平然と覗き込んでいた。
「……おい、アイリア。お前、今、何か言ったか?」
「言いましたよ? そこに、そう書いてあるって」
「読めたのか!? 今の、お前が読んだのか!?」
「え? だって、普通に書いてあるじゃないですか」
彼女は心底不思議そうに小首を傾げる。
そのあまりにも当然といった態度に眩暈を覚えた。
「いやいやいや! 『普通』って何だ! いいか、これは、現代の誰も解読できていない、既存のどの文字体系にも属さない、超弩級の未知の古代文字なんだぞ!? それを、なんで君が……」
「ふーん。難しいことはよくわかりませんけど、私には読めるから、大丈夫です」
その場で崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
自分が人生を賭けて研究してきた分野だ。
何年も、何十年もかけて、ようやく一つの単語の意味を解き明かすような、地道で果てしない世界。その頂にそびえる、誰も登頂したことのない未踏峰の謎を
目の前の少女は、まるでハイキングにでも行くかのようにあっさりと「読めちゃう」と言う。
これほど、学者を絶望させる存在がかつてあっただろうか。
「……おい、アイリア。他には、何て書いてある? 全部、読んでくれ」
研究者としてのプライドをかなぐり捨て、懇願するように言った。
「えっと……」
アイリアは、再び結晶に視線を落とし、その唇で言葉を紡ぎ始める。
「“光を継ぐ者が、始まりの地で揃いし時、大いなる門は開かれる”……だそうです」
「門……? 光……?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏で、これまで集めてきた点と点が一つの線として繋がっていくような鮮烈な感覚が走った。
この砂漠の神殿
地下都市の噂
天空遺跡の伝説
それら全てが、この「門」を開くための壮大なネットワークの一部だとしたら――
俺の思考が、シリーズ全体の壮大な謎へと飛躍しようとした、まさにその次の瞬間——
「――あ、でも、ここから先は、なんだか霞がかかったみたいに、ぼやけてて読めないや」
アイリアは、あっけらかんとした声でそう言うと、結晶を指差し不思議そうに首をかしげた。
「なんでだよ!? 今まで完璧に、流れるように読んでたじゃないか! 急にどうしたんだ!」
「うーん、知らないです。なんだか、急に頭が疲れたからじゃないですか?」
「文字を読むのに疲労が関係あるか! そんな都合のいい読解力があるか!」
もはや恒例行事となった盛大なツッコミを入れると、アイリアは悪びれる様子も一切なく、ふふん、と微笑んだ。
「でもね、リョウ」
ふと、彼女の声のトーンが変わった。
それは、いつもの天然で無邪気なものではなく、どこか儚げで、それでいて確かな芯のある光を宿した声だった。
「私、なんだか知っている気がするの。この遺跡も、この結晶に刻まれた記録も……全部、私と深く関係があるんだって」
その真剣な眼差しに言葉を失う。
そうだ忘れていた。
彼女はただの不思議な少女ではない。
彼女の存在そのものが、俺が追い求めるべき最大の古代文明の謎に直結しているのだ。
アイリアの言葉の意味を反芻していると、彼女は一瞬でいつもの調子に戻っていた。
「……ってことで! 私って、やっぱりこの物語の超重要人物じゃないですか? もっと敬ってくれてもいいんですよ?」
「お前なぁ……! そのシリアスな雰囲気を返せ!」
結局、この少女に振り回されるのは、いつも俺の役目らしい。
そんなやり取りをよそに、中央の結晶体の光は
その役目を終えたかのように、ゆっくりとその輝きを弱めていき、広間は再び数千年の静寂に包まれた。
だが、二人の心はもはや平穏ではなかった。
結晶に刻まれていた「大いなる門」の予言。
そして「光を継ぐ者」という謎の言葉。
それは、この砂漠の神殿での冒険が、ほんの始まりに過ぎないことを、そして、二人の旅がまだ始まったばかりであることを確かに告げていた。
俺は、隣で得意げに胸を張るこの世界で最も不可解で
手のかかるパートナーの横顔を、改めて見つめた。
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