第2話 絵を描く。

絵を描く人になりたいと思い始めた経緯を話そう。

元々は漫画家になりたいと思って描き始めたのが最初だ。

ただ、コレ、といったエピソードは無い。家に兄達が読み散らかした漫画があって、TVでアニメの放送を見て、物語を絵と文章で表現する事ができる、それが仕事になる。と理解した時からだと思う。

私にとって絵を描くことはとても難しい事だった。

だけど自分の中に、たくさんの物語が在り、それを具現化させる方法として1番向いているのが漫画だと思っていた。

それから、家に転がっていた漫画雑誌の中にある広告。ご存知の方も多いでしょう。○○漫画大賞作品募集!大賞50万円!というやつ。大体佳作15万円位の人が担当がついて漫画家デビューする。

自分で稼ぐという事を考えるきっかけにもなった。


我が家にはお金が無かった。

家庭の話をするのはとても複雑で一言では終われない。良い所は特に無いことだけは間違いない。

もちろん、私よりも過酷な家庭で育った人は沢山いるだろう。ただ、私にとってこの家庭は過酷だったというだけだ。

まず、父方と母方の宗教が違った。良く在る事のようだが、これは家庭を破壊するのにとても効果的だ。何かにつけて宗教に責任を放り投げられる。

そして、父は遊び人で母は宗教に熱心だった。

二人とも共通していたのは、家庭を持つとか、家庭を築くという考えを僅かにも、持っていなかった。もちろん、自身が親になるとはどういうことかなど考えていなかっただろう。

それなりの歳になったら見合いでもして結婚する。そして子供ができる。それが当たり前で普通。そういう時代だった、と言えばそうなのだろう。

後から知るのだが、父は母との結婚が決まるまで、ヒモ男だった。父方の祖母が無理矢理手切れ金を渡して別れさせて、母と結婚させたらしい。

母は、というと、働きながら他の兄弟の家政婦じみた生活に疲れて結婚でもしようと考えたそうだ。

そこに愛はあるんか。否、無い。などと茶化したくなる。

そしてそこに男の子が2人生まれ、少し離れて私が生まれた。長男、次男、長女の三兄弟が誕生した。


私の記憶は、父が働いていた会社の社宅で生活していた所から始まっている。ヒモ男だった父は結婚してから子供が出来、一応ちゃんと就職したらしい。その会社の社宅だ。

田んぼの中に、他の集落から離れて建っていた修理工場に隣接された、ボロボロの雨漏りのする3階建ての社宅だった。

3階建ての3階に住んでいた為景色は良かった。

周りは田んぼで、遮るもの無く遠くの山々が連なる景色は美しかった。

田んぼは四季折々の風景の移り変わりを繰り返す。

春の草花で彩られていた畑が耕され、

水が張られ、青空を写す水田になり、

稲が育ち、夏の光に生き生きとした緑が輝き、

やがて稲穂が膨らみ、秋の黄昏に色付く。

その風に靡く黄金の美しさに実りを知り、

刈り取られた畑が冬の訪れが近いと諭される。

冷たい朝に一面の霜に凍る稲の根元。

澄んだ空が冬を告げる。

やがて緑が芽吹き始めるまで、大地が眠る様な景色だった。

特筆すべきは、夜。星空は何より美しかった。

今ほど電気が多く無く夜になると辺りは真っ暗。

そんな所で見る事ができる夜空は、

無数の星が輝いていた。

どんなに眩しい満月の日でも星は輝いている。暗闇の中に小さな自分は溶けて消え、風と虫の音、

瞬く星々の世界。

あの頃の私の唯一の救いだった。夜空を見上げて、現実から離れて、物語の世界に心を溶かす。

沢山の物語を空想していた。


思えば、この星空を描きたいと真っ暗なベランダに紙と色鉛筆を持ち出したのが、絵を描きたいと思った記憶の中で最も始めの方かもしれない。

真っ暗なベランダだったから、紙も鉛筆も見えなくて、絵にならなかったなぁ。

絵の描き方など全く知らなかったから、教えてくれる人も、参考になる様な絵の見本も無くて、ただただ、この空はどうやったら描けるのかと考えても考えても分からなかった。

だから真っ暗なベランダに紙と色鉛筆など持ち出しても、描けるわけが無いのに、無謀な事をしたものだ。

では、今は描けるようになったのかと問われば、残念ながら、まだ、模索中。色んな夜空を描いてみたけど、未だに本物の夜空には、圧倒されるばかりだ。


いつだったか夜の森を2人で探検する漫画を描いた。10歳前後の男の子2人、1人は王子様で、1人はその乳兄弟。いつも2人で行動していたから彼らはずっと一緒にいるものだと思ってるのだけど、その夜、森に入ってしまった事で、王子は怪我をしてしまい、乳兄弟は国境の村まで追放される。離れ離れになった二人が沢山の日々を、沢山の夜を超え、10年の時を経て再会する迄の話だった。

この簡単にあらすじを文章に出来る話を、すごく時間をかけて描いたのだけど。。。

今風に言うと、異世界物、悲しい別れと運命の再会。の話なのかな?

くらいしか伝わらない漫画になった。

もちろん、何処かの雑誌に投稿したが、直ぐに何事も無かったかのように原稿は帰ってきた。。。

自分史上最高の出来だったのだが。

連載が始まる筈だったのだが。。。

今見返したら、まぁ、これじゃあ、連載始まらねぇよな。と思うけど。それでも今でも自分史上最高の漫画作品だ。自分史上ね。

その後、もう一つ女子高生の青春を描いた読み切りを描き上げて、漫画家を諦めた。25歳だった。

なぜなら、漫画より文章表現の方が向いている事に気付かされたからだ。

いや、気づいてなかったわけじゃ無い。

ただ、認めたく無かったし、小学生からずっと描いてきた漫画を諦めたく無かった。

それに勉強が出来なかったから、文章、文学的なものを全く学んだことの無い自分に、人に伝わるものなど書ける筈がないという、疑心暗鬼。

なのに、漫画と文章では、周りの反応が余りにも違った。

それと、もう一つ、漫画の絵を描くのが辛すぎた。セリフやあらすじ場面説明、いわゆるネームはすぐ出来るのに、絵を描くのが遅すぎて、40ページの作品を4、5年かけて描くと言う状態で、その上での完成度の低さ。。。


紆余曲折と言うに相応しい20代。働きながら、やりたい事をすることの難しさを学んだ。

仕事をする事、夢を追いかける事、自分の世界を広げたくて色んな所へ行ってみる事、色んな経験をしてみる事、あんまり頭の良く無い私には、上手く目標や計画を立てる事が出来なくて、全部が中途半端になってしまった。だから、絵は絵として描き、物語は文章で表現するという選択をする決心をした。


高校で美術科に入学して、絵画を専攻した。そこで学んだ絵画という表現、そして絵として私が描きたいものは、もっと言葉にならないものだったから、絵と文章を組み合わせた漫画という表現方法は、私には向いていないのだと、言い聞かせた。

そして今は、働きながら、年に2枚、多くて3枚の絵を描きながら、小説を書いている。

絵を描くこと、それから、物語を書くこと、は諦めたく無い。

漫画を描き続ける事よりも、その方が大事だと、自分にとって価値があると思うから。

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