第30話

 さて、そうして出発した二人を見送った後、藍墨と澄冷は近くにあるスーパーへ向かう。そして事前に電話で確認した通りに置いてあったバーベキュー向けの食材と、ついでに菓子や飲料の類も適当にカゴに詰め込んで、死ぬほど重い荷物に後悔しながら徒歩で帰宅。


 冷房の効いたコテージの広々としたキッチンで、二人は並んで下処理を始めた。


 藍墨は買ってきた肉を良い塩梅に切り分け、澄冷は漬け込み用のタレを作る。


「それにしてもさ」


 雑談が途切れて生まれた数秒の沈黙の後、不意に澄冷がそう切り出した。


「ヘアピン」

「…………」

「名前呼び」

「…………」

「日焼け止め」

「…………」

「らせん階段、カブト虫」

「流石にそのジョジョネタは伝わらないって」


 藍墨が思わずツッコミを入れると、澄冷はここ最近で一番嬉しそうに笑う。


「六部読んでくれたの⁉」

「ああくそ、やられた! 引っ掛かった……部室に置いてあったから」

「誰かが読んでくれるかなって思って! わー、今度話そうね! どのスタンドが最強かとか、六部の結末の是非について語り合おう!」


 「はいはい」と藍墨が苦笑しながら肩を竦めると、すんと澄冷は笑みを落ち着かせる。


「で、海月ちゃんと何かあったの?」

「落差! 急に表情を消すな! 怖いから!」


 どうやら躱しきるのは難しいだろうと判断した藍墨は、やれやれと溜息を吐き出すと、肉に切れ込みを入れながら視線を返す。


「昨日の夜、少しだけ仲良くなった」


 そう素直に白状すると、キラキラと澄冷の目が輝く。そして、言いたいことを堪えるようにくねくねと呼吸を荒くして悶え始めた。傍目には不審者である。


「アンタも大概テンションがバグってるわね」

「皆が仲良いのが凄く嬉しい! 凄く何があったのか聞きたい! でもそういう関係性って当事者同士で大事にしてほしいというか、私は異物なの!」


 ショッキングピンクに染まった目ではぁはぁと葛藤する澄冷を不気味に眺め――やがて、吹き出す。何だかんだ、出会った時よりも弥香や澄冷のことを理解できてきたのが楽しい。


「いいから手を動かしなさい、澄冷」


 その名前呼びに目を丸くして背筋を伸ばした澄冷は、へらっと嬉しそうに笑う。


 そして「はーい」とニコニコしながら包丁を使わない作業を次々に片付けていく。


「――で、そういうそっちは? 二夕見との、弥香との関係はどうなの」


 藍墨がニヤリと笑って肉の下処理を済ませた包丁を丁寧に洗いながら訊くと、ピタ、と澄冷の動きが止まる。そして、洗い物を終えて引き続き野菜の下処理に移ろうとした頃、ようやく我に返った澄冷がぶわっと顔中に変な汗を滲ませて白を切った。


「な、な、何の話?」

「今日日珍しいくらい狼狽えるわね。ほら、アンタ達仲良いじゃん」

「き、気付いてたの⁉」

「逆に気付かれてないと思ってたの?」


 その返事が来ること自体が驚きだった藍墨が唖然と訊き返すと、澄冷は顔を真っ赤に染めて俯く。「いやぁ」「その」「うぉむをん」とモゴモゴ喋りながら黙々と調味液の類を脇に除ける。そして、次の下処理に移るべく海鮮類と塩を手元に置いた後、小声で囁き尋ねた。


「ど、どこまで……気付いてる?」


 あんまり揶揄うのも悪いが、この流れで誤魔化すのも変だろう。藍墨は少し悪気を覚えて含み笑いで視線を逸らしつつも、ハッキリと事実を答えることにした。


「その辺は流石に曖昧だけど、凄く仲が良いなとは思ってる」

「……弥香ちゃんのことが好きだってことは?」

「薄々と勘付いてたわ。でも、確信したのは今ね」


 そこでようやく自爆に気付いた澄冷は、ボッと顔を染め、俯きながら両手で真っ赤な顔を覆った。声を上げて笑う藍墨に対して、「ころして」と耳まで赤い澄冷が呻く。


「旅行が終わったらね」

「うぅ……違うの。いや、違くないんだけど、違うってことにしてほしいの」

「はいはい。まあ、応援してるから頑張んなさいよ」


 藍墨が包丁で野菜の皮を綺麗に剥きながら言うと、澄冷は仄かに火照りの残る顔を藍墨に向ける。そして、その言葉を噛み締めると、少し真剣に訊いてきた。


「やっぱりさ、仲良し四人組の中に……こう、女の子同士のアレがあるとさ」

「気まずいんじゃないかって?」

「や、別に同性愛がどうこうという話じゃないけどね? 純粋な友情じゃないというか」

「だからって愛情は不純じゃないし、友情だって完全に純粋じゃないでしょ」


 藍墨があっけらかんと言うと、澄冷は驚きに目を丸くして、何度か瞬きを繰り返す。


 「アンタの気持ちは真っ直ぐだし、心から応援できる」と藍墨が付け加えると、澄冷はほんのりと火照った頬をだらしなく緩めて、「うんっ」と弾むように頷いた。


「まあ、あたしも海月のことが気になってるし」


 澄冷が腹を割った以上、こちらもある程度は歩み寄るべきだろう。


 そう考えた藍墨がとぼけるような表情を貼り付けてそう言うと、ガバッと音を立てて澄冷が剥いた目をこちらに向けてくる。そして、その表情に徐々に喜悦を滲ませていき、やがて、怖くなるくらい呼吸を荒くしてジッと藍墨を見詰め続けた。


「餌を待つ大型犬か!」

「だって! 聞きたい! 凄く聞きたいんだもん!」

「話す話す、話すから。弥香には言うんじゃないわよ」


 藍墨はそう言って、渋々な雰囲気を装いつつも満更でもない恋バナに花を咲かせた。


 やがてバーベキューの下処理も終わりを迎えようという頃、一足早く持ち分が完了した澄冷が、大きく伸びをして、リビングダイニングの椅子に座った。


「――明日には、帰るのかぁ」


 ふと、澄冷が寂しそうな顔と声でそう呟いた。藍墨がチラリとそちらを見ると、彼女はスマホを悶々とした顔で弄っている。視線を戻し、藍墨はこう返した。


「寂しい?」

「寂しいよ。もっと皆で遊びたい――十泊くらいにすればよかったなぁ」

「流石にあたしと海月の財布が絶命するから勘弁して」

「大丈夫、大丈夫。私、お金あるから! 貸すよ!」

「そんな関係不健全でしょ」

「利子は十日で一割ね!」

「そんな契約不健全でしょ」


 「ぬうう」と悲しそうに突っ伏して目を瞑る澄冷を、藍墨は静かに見詰める。そして、「まあ、なに」とクッションを挟んでから。下処理を終えた野菜を見下ろして言った。


「アンタ達となら旅行じゃなくても楽しいし、連休は一年に何回もある。高校の夏休みは来年も。大学は行くか分からないけど、行くなら今よりもう少し時間があると思うし、大人になってもこの関係が続いていれば、誰かは車を出せる。お金はもっと使える」


 それから藍墨が振り返ると、澄冷は少し泣きそうな顔で藍墨を見詰めていた。


 藍墨は自分の中にも確かに在る寂しさを仕舞って、ハッキリと言い切った。


「今日という一日はあたしにとって特別で大切だけど、名残惜しくはない」


 そう不敵に笑うと、澄冷はむっと唇を閉じてスマホを置く。そしてパンパンと二度ほど両頬を強く叩いて「うん!」と叫び、「その通り!」と藍墨を両指で指した。


「で、今日という一日を大切にするからこそ、私は写真を撮りたいの!」


 澄冷は決意を秘めた眼差しを藍墨に注いで、そう力強く言う。


 藍墨は「ふうん」と澄冷の理念に感心しながら、手を拭いて「そんなに撮ってるの?」と興味本位で訊く。すると、どうやら先ほども写真関連の作業をしていたらしく、澄冷は藍墨をちょいちょいと手招きしてスマホを見せてきた。


 言われるまま近付いた藍墨がスマホを覗き込むと、そこには眩暈がするくらい数多の写真が収められていた。「うわ」と藍墨が声を出すと、澄冷は目を細めて笑う。


「定期的にタグ付けしないと管理ができなくなっちゃうの」

「言うだけあって凄い量ね。これの中から良さそうなのを投稿する訳だ」

「私は文字とか書き入れたりするから、そういう相性も加味してね」


 言いながらスラスラとスクロールして大量の写真を見せつける澄冷。


「ここまで多いと見返すのも大変じゃない?」


 藍墨が思わずそう尋ねると、澄冷は苦笑して頷く。


「普通に振り返ってると時間が溶けるね」


 しかし、澄冷は「でも」と続けて別のアプリケーションを開く。


「例えば動画に編集したりして動画サイトに投稿したりとか、現像してアルバムを作ったりとかするようにしてるの。するとね、無気力に写真を眺めるのとはまた違う思い出し方ができるし、単にスマホをスクロールするよりも、幾らか思い出しやすい。それに、例えば掃除が嫌になった時の現実逃避とか、寝る前の暇潰しとかにもうってつけ」


 そう言って澄冷は画像アプリに戻ると、今回の旅行で撮影した写真を眺める。


 新幹線の車内で弁当を頬張る弥香。尿意を我慢する弥香。満面の笑みでサムズアップする弥香。それから、手を振る海月や、スマホを弄る藍墨。その後のソフトクリーム屋までの道で見付けた面白い看板や自動販売機、景色、ソフトクリーム屋の内装。遊覧船、漁港、海鮮丼に水族館に、ホテル、それから無人の大浴場。今朝のバイキングの後は、コテージに向かう最中の海月と弥香の後ろ姿。コテージの内観。


 この後には、海とバーベキューが続くのだろう。


「今回の思い出も、私は、アルバムにするよ」

「……じゃあ、現像にかかった代金はあたしにも請求して。代わりに、見せて」


 藍墨が感情を噛み締めながら言うと、澄冷は「お金なんていいのに」と言いつつも、しかし、藍墨はその思い出を、胸を張って手に取る権利が欲しいのだと察する。


 澄冷は「そっか」と自分宛に呟いた後、徐に頷いた。


「じゃあ、受け取ろうかな」






 ――二夕見弥香は実の両親の名前も知らなければ、顔すら覚えていない。


 蓋をした記憶の奥底に微かに漂っているのは、いつものように扉の奥から聞こえてくる怒号。絶叫。扉を開けたら矛先が自分に向くから、弥香は閉じこもっていた。


 一度目の転機は叔母家族に拾われた時だ。扉から聞こえてくる声は、喧嘩から、自分とは無縁な談笑に変わった。隔離するように与えられた鳥籠のような部屋で、扉の向こうの声をずっと羨み続けたのを覚えている。しかし、扉を開けたところで待っているのは、無関心な常識だけだと知っていたから、弥香は部屋の中で膝を抱えて、再び閉じこもった。


 二度目の転機は、一人暮らしを始めた時だ。扉から声が聞こえなくなった。代わりに、スマホという扉の向こうから、インターネットの賑やかな声が聞こえてくるようになった。何かを言う度に聞こえてくる通知が自分を向いていたから、それに縋った。


 そして、三度目の転機を現在進行形で迎えている。


 今――弥香は夢心地の中に居た。


 夢を見ているのだろう。曖昧な部屋の中で膝を抱えて、目の前の扉を眺めている。


 扉からは喧騒が聞こえてきた。喧嘩ではないし、他人事のような談笑でもない、不思議と心が安らぐような、居心地の良い声と声と声。それを子守歌にしてこのまま眠りに溺れてしまいたくなったが、眠る以上の幸福が扉の奥にあることを思い出す。


 そして弥香は立ち上がると、扉を――開けた。


「あ、起きた!」


 時刻は十八時半。空には既に月と星が浮いて、紫紺が水平線に滲んでいた。


 人工灯が少ないこの辺りから見える夜空は美しく、冬場はもっと綺麗なのだろうかと想像を膨らませた。そんな既に真っ暗になったコテージの二階のバルコニーで、藍墨と澄冷と海月がバーベキューセットを囲っていた。三人は炎と部屋の照明に照らされた顔をこちらに注いでいる。澄冷の声だったのだろう、彼女はこちらに手を振っている。


 弥香は呆然とした顔で寝ぼけまなこをパチパチと開け閉めする。そして、ぐっと身を起こそうとして、自分が備え付けのロッキングチェアで寝ていたことを思い出す。それから、何度か目を擦った後、鈍い思考でボーっと、何があったかを思い出す。


 あの後、昼過ぎに四人で合流して海水浴場近くで昼食を摂った。


 それから数時間ほど海で遊んだ後、バルコニーに帰還。シャワーを浴びて、着替えて、バーベキューの準備をしようという話になって――そう、確か、火を起こす際は危ないからと言われて藍墨に遠ざけられたのだ。だから、ふんぞり返ってロッキングチェアに座って、うとうととしている内に――十数分、眠りに落ちてしまっていたらしい。


「ほら、そろそろ火が良い具合です。食べ始めますよ」


 そんな風に海月が弥香を手招くので「うん」と弥香は目を擦りながら立ち上がろうとする。しかし、寸前、ポロポロと涙が落ちてきた。ギョッとする三人。


「また変な夢でも見た?」


 と、藍墨が不安そうに顔を覗いてくるので、弥香は笑顔で首を左右に振った。


「ううん、今日はね。凄くいい夢を見たの!」


 そういってぴょんと起き上がった弥香は、服の裾でごしごしと豪快に顔面を拭う。「こらこら」と澄冷が笑ってハンカチを取り出す中、藍墨は安心してトングを鳴らす。


「さ! あたし達が丹精込めて下処理した肉と魚と野菜を食わせてやる!」

「わーい!」


 弥香は満開の笑みを咲かせて拳を突き上げる。そうしたかと思えば、突き上げた拳を笑顔でもう片方の拳と合わせて、上機嫌にグルグル回しながらリズムを刻む。


「バーバーベーベーバーベキュー、キューキューキューキューバーベキュー」

「ほら、MPを吸い取ってきそうな踊りをしてないで。何食べたい?」


 藍墨は取り敢えず無難に野菜を敷きながら弥香に尋ねる。


 弥香は「んっとね」とテーブルに置かれた食材をジッと見詰めた後、ハッと思い直したように顔を上げて藍墨に手を差し出し、トングを受け取ろうとする。


「私焼くよ!」

「サンオイルなら用意してないけど」

「私が焼くの! 私を焼くわけじゃないの! もう日が沈んでるでしょ!」


 弥香はびっくりした顔で藍墨からトングを奪い、藍墨は真顔でボケを言う。


「バーベキューの遠赤外線で焼くのかなって」

「それはもう肉じゃん! トング持った友達の横でサンオイル塗りたくってバーベキューの赤外線で身体を焼くならそれはもう食肉なんだよ! じっくり火が通ってるじゃん!」

「『注文の多い料理店』だね!」

「注文は多くていいからボケを減らしてよ」


 澄冷のボケに寝起きの頭で一生懸命に突っ込む弥香。そこに海月が追い打ちする。


「ガヤにも負けず」


 藍墨が海月に悪ノリをする。


「ボケにも負けず」

「野次にも雑なジョークにも負けぬ」

「そういうものに」

「わたしはなりたい」

「もういいんだよ、宮沢賢治は!」


 きゃっきゃと笑う藍墨と海月へ鋭いツッコミを入れた弥香は、「もお!」と頬を膨らませてプンプンと怒りながらトングをカチカチと鳴らし、食材を掴みだした。


「私がツッコむときにボケるのやめてよね! ツッコミ苦手なんだから!」

「別にターン制って訳じゃないけどね。それより、本当に焼いてもらっていいの?」

「燃やすのは得意だからね!」

「炎上アカウントの持ちネタみたいに言うのやめてね?」


 藍墨は呆れながらツッコミを返した。


 すると弥香は、小さな感謝を微笑に湛え、肉を網に置きながら言った。


「冗談はさておき、藍墨あしゅみんと海月は旅行のスケジュール管理とか色々やってくれたじゃん? 藍墨あっしゅもうと澄冷で食材を下処理してくれたし! 澄冷のお陰でいいホテルに泊まれた!」


 そして弥香は満面の笑みで胸を張ってトングと共にポーズを取った。


「私も何かお返しをしないとね!」


 そんな水臭いことを言うものだから、三人は呆けた顔を突き合わせる。


 すると、出番だぞ、と押し付けるように海月と澄冷がジッと藍墨を見詰めるから、一番槍を努めさせてもらうことになった。藍墨は無表情で虚空を見詰めて一拍考えると、その表情を力の抜けた微笑に変え、何ら気負うこともなく淡々と否定する。


「でも、アンタがあたし達を引っ張ってくれた」


 開口一番を受けて、弥香は目を丸くして瞬きを繰り返す。そこに藍墨は続けた。


「ハンドルは上手に切れても、ガソリンが無いと車は動かないでしょ」


 一番槍の足跡を辿るように、海月が「そうです」と同調しながら言葉を重ねる。


「私達は割と協調性という言葉で主体性を誤魔化す節があるので、どこに行きたい、って率先して引っ張ってくれる人は貴重です。貴女は貴女のままでいいと思います」

「明るい人が明るく振る舞うことも、充分に仕事と言えるんじゃないかな」


 そこに澄冷もそう付け加えると、弥香はしばらく驚いたように押し黙る。


 やがて――少しずつその顔を赤くさせながら、赤くするに伴って顔を俯かせていく。完全に地面を見詰める頃には顔は真っ赤に染まり、口許はだらしなく緩んでいた。それから、弥香は真っ赤な顔に緩み切った笑みを浮かべると、もじもじしながら明るく言う。


「そんな褒めるなよぅ……じゃ、じゃあお肉は誰かに任せちゃおうかなぁ?」

「任された。ほら、トング寄越して」


 藍墨は微笑と共にそう言って弥香からトングを受け取り、代わりに肉を焼き始める。


 それを静かに見詰めた後、弥香は嬉しさを堪えきれない様子でくねくねし始めた。


「皆は私がいないと駄目なんだから」

「ええ、この部で一番替えが利かないのは貴女かと」

「常識人枠は三人居るからね!」


 海月、澄冷がそんな風に励ますので、藍墨はニヤリと海月の方を見た。


「三人? 下着姿をネット上に投稿する常識人をあたしは知らないけど」

「おや! そうでしたか。ご安心ください、辞書の引き方から丁寧に教えます」

「アンタに教えられるのは豆の挽き方くらいでしょ。ほら、アンタも菜箸で焼け」

「やれやれ、後でこの箸で『あーん』してあげますよ。先ずは鶏肉を焼きます」


 そんな掛け合いと共に二人で肉を焼き始める様を、弥香と澄冷は嬉しそうに眺めていた。


 さて、それからしばらく色々なものを焼いては食べ、下らない話をして。そんな風にバーベキューが進んでいくと、やがて弥香がポツリと呟いた。


「カタストロフィ、だね」


 疑問符を浮かべる海月と澄冷。藍墨は苦笑しながら訂正する。


「ノスタルジー、ね。滅ぼすな」


 「分からなかったのが悔しい」と頭を抱える澄冷。可笑しそうに肩を揺する海月。


 弥香は仄かに頬を染めながらも「そう、それ」と藍墨を指さしてから腕を組む。


「まあ、明日もあるけどさ? 旅行の最終日はやっぱり、どうしても帰る前の寄り道感があって寂しいじゃん? 実質、今日のお泊まりが最後っていうか」


 「気持ちは分かりますよ」と海月が笑って同意を示すと、弥香は安心したように寂しそうな顔を見せた。そんな顔で焼ける肉を眺めた弥香は、やがて、微笑んだ。


「でもね、皆のお陰で――凄く、凄く! 楽しかった。大変な部分は助けてもらえるし、行きたい場所を言うと乗り気で付いてきてくれた。スケジュールを管理してくれたお陰で安心してその時間を楽しめたし、澄冷の人脈のお陰で遊びの幅が広がった」


 そう言って弥香は膝を揃えると、笑顔で頭を大きく下げた。


「皆、ありがとね。心の底から、ありがとう」


 そのお礼に謙遜の言葉を返すのは無粋だろう。「どういたしまして」と、揃う気配のない言葉で口々に答えた後、「でもやっぱり、水臭いですね」と海月がニヤリと笑った。


 んふふと笑う弥香と、微笑む海月。しばらく視線を交えた後、海月が言葉を継ぐ。


「私は――私が提案したものを笑顔で喜んでくれて、嬉しそうにその感想を言ってくれて。そういう貴女達を眺めているのが好きだからこの部活に居るんだろうなあ、とそんな風に初心に帰れる旅行でした。だから、貴女達が楽しんでくれるならそれ以上は求めません」


 そう語った後、「そのつもりだったんですけどね」と海月は困った笑顔で藍墨を一瞥。話の続きが読めた藍墨は、軽薄な笑顔でヘアピンを撫でた。海月は微笑し、続ける。


「今後はもう少しだけ、私が行きたい場所も積極的に言わせてもらえたらなあ、と」


 緊張からそんな風に濁した言い方をする海月だが、それを全力で肯定するのが二人。


「もちろんだよ! 行こう! 私は海月ちゃんの趣味、格好良くて好きだもん!」

「そうぞよ! 今回、海月はあんまり我儘を言ってくれなかったからね! 次回は海月の行きたい場所に行くとか、そんな感じでバランスを取ろう」


 自分が思っていたよりも、ずっと自分の方を向いてくれていた二人に、海月は少し感極まった様子で視線を逸らす。「ええ」という短い呟きは、収まりきらない程の感情に満たされていた。藍墨が微笑んでその顔を見詰めていると、「何見てるんですか」と調子を取り戻した海月が頬を歪めて笑い、やれやれと藍墨は肩を竦めた。


 そして、次は澄冷の番だった。彼女は静かに語り出す。


「私はさ、好きなものを好きだって言うためにSNSを始めたの。でもね、やっぱり私は皆のことが好きで、でも、それはやっぱりSNSでは言えない部分だからさ、できれば今、ここで、ちゃんと皆に伝えたい」


 三人はその言葉をしっかり受け止めるために、真面目な顔で黙る。すると、澄冷は困ったように眉尻を下げて「あんまり静かだと照れちゃう」と笑った。「こっちも照れくさかったら茶化すから」と藍墨の言葉に「合いの手、入れましょうか?」と海月。期待にそわそわとしながら続きを待つ弥香を見て、澄冷はこほんと咳払い。


「私達は――凄く性格や調子が合うお友達って訳ではないんだと思う」


 意外な第一声に驚く三人へ、澄冷は己の思うところを明かす。


「例えば、藍墨ちゃんはしっかり者で真っ直ぐで、人の痛みに寄り添えるけど、手を差し伸べるだけが正しさじゃないと理解している。海月ちゃんもしっかり者だけど、真面目過ぎる場を和ますような冗談を言ってくれるし、まあ、一概に褒めたくはないけども、足りない部分を黙って一人で補ったりしてくれる! 弥香ちゃんは明るい。凄く明るい。これは他に誉め言葉が無いとかじゃなくて、それが、君の一番の魅力!」


 そう笑顔で語った澄冷は、少し照れながらこう続けた。


「私達は違うやり方で友達を大事にする。だけどね、そんな私達にも共通点がある」


 澄冷は真っ赤な顔を誤魔化すように何度か叩いた後、言った。


「皆が好き。それで、好きを理由に集まった」


 ――流石に堪えきれなくなった藍墨は顔を押さえ、「ごめん! 聞いててこっちも恥ずかしくなってきた!」と茶々を入れる。「私もです」とパタパタと顔を扇ぐ海月。「皆が黙ってるから!」と澄冷が少し安堵して噛み付くも、弥香だけは笑顔で先を期待する。


 うっと呻いた後、澄冷は真っ赤な顔を俯かせながら締めの言葉を括った。


「だから私は、この部活と皆が好き」


 そう言って頭を下げる澄冷。三人はそれぞれの方法で照れながら拍手を返す。


 澄冷はしばらく黙って顔を両手で覆った後、「完全に場に流されました! 明日には忘れてね!」と叫ぶも、無理な話だ。照れくさかろうとも、友人に友愛をハッキリと伝えられて嬉しくない人間は居ない。藍墨は確かに、胸に熱を抱いていた。


 ――と、今度は三人の視線が藍墨に突き刺さる。


 「え」と藍墨が頬を引き攣らせると、海月がニヤニヤと言った。


「順番ですよ、藍墨さん」

「待って、これ全員で何か恥ずかしいことを言おうって流れ?」

藍墨あしゅみんだけだよ、何も言ってないの!」

「藍墨ちゃんの、恥ずかしい台詞を、聞きたいな♪」

「亡者が地獄から足を引っ張ってくるんだけど」


 真っ赤な顔で心中相手を探す澄冷を蹴落とすように無視し、藍墨は黙々と肉を焼こうとする。しかし、海月が藍墨からトングを引っ手繰ると、それを澄冷に横流しした。


 どうやら逃げ道はないらしい。藍墨は苦笑して腰に手を置き、嘆息する。


 すると、三人が期待に目を輝かせて口々に囃し立てる。


 「よっ、大統領!」と可笑しそうにする海月。


 「一緒に地獄に落ちよう!」と顔の火照りが静まらない澄冷。


 「入部してくれてありがとね!」と場違いに明るく優しい声援を送る弥香。


 徐に澄冷がスマホを取り出し、動画を撮る様を半眼で睨みながら、藍墨は深呼吸をして語り出す。


「――まあ、その、何かしら。じゃあ……こういう雰囲気になってしまったので、部長に代わって旅行二日目、つまり事実上の最終日的な今日に締め括りのご挨拶をします」


 無難な逃げ道を見付けた藍墨を憎そうに見るのは澄冷と海月。弥香はコクコクと頷く。


「その前に、私事で恐縮ではございますが、私はこの部で一番の新参者です。そしてそんな私がどのようにしてこの部活にお世話になったかを語ります。まず、私は中学時代、母の大病があって登校をしませんでした。治療費と入院費と生活費が切り詰められた極限状況、諸般の事情で頼る相手が居なかったため、私が働くしかなかったのです」


 ――少しだけ真剣な表情になる三人。藍墨も、少し真面目な顔で続けた。


「母は未だに罪悪感がある様子ですが、私はそんな風に言ってほしくありません。私は母を愛しています。その為に、自分でできる最大限を果たした自分を誇りに思っています」


 大きく頷く澄冷や海月。弥香は一抹の親近感を瞳に浮かべていた。


「とはいえ、登校できなかったことも事実。私は中学校を孤独に卒業し、そして私達のよく知る高校に入学しました。そこでは、有難いことに友人ができました。こんな私に好きだと言ってくれる相手も現れました。運動能力を買って運動部に誘ってくれる先輩や顧問の先生も、それから――心配してくれる担任も。私は、環境に恵まれました」


 「しかし」と、藍墨は昔を懐かしんで目を細める。


「自分の居場所が分かりませんでした。既に出来上がっている輪の中に後から入って、大した志も無いのに上手くやれるのだろうかと、自分を卑下して一歩引いた場所に立っていた自覚があります。変わりたい、と、心の奥では思っていたのでしょう。でも、私はそんな気持ちから目を背けて、合理的に生きる自分をどうにか肯定していました」


 三人の神妙な眼差しを順に見た後、藍墨はこう続ける。


「そして、貴女達に出会いました。最初は、ふざけた連中だと思いましたよ、本当に。でも、明るくて楽しそうだと羨ましく思いました。そして――ある花火大会の日、海月に手を引っ張ってもらいました。部長に、歓迎会を開いてもらいました。澄冷には悩みを打ち明けられて、頼られて、私はそこで、自分を部の一員だと思えるようになりました」


 藍墨は浅い呼吸を何度か繰り返して心を落ち着かせ、胸に手を置く。


 思い返すと、まだ短い歳月だ。それでも、その歳月が藍墨の心には深く、深く、突き刺さっている。そのせいか、一瞬、目の奥に熱を感じた。藍墨は誤魔化すように視線を上げ、下田の夜空に広がる月を眺めて再び心を落ち着かせた。


「今はここが私の居場所です。あたしを、受け入れてくれてありがとう」


 ――最初の相槌は澄冷のすすり泣きだった。ギョッとする藍墨だったが弥香と海月も目尻に涙を浮かべている。最中、澄冷と海月が順に藍墨に言った。


「そんな風に言わないでよ、藍墨ちゃん」

「これはあれですね。完全に、してやられました」


 澄冷の背中を撫でつつ、笑いながら自らの目尻も指で拭う海月。


 弥香はポロポロと涙を落としつつも笑顔で拍手をしてくれている。


 藍墨は穏やかに微笑んだ後、最後に、締めの言葉を伝える。


「そんな訳で、今回の旅行は凄く楽しかった! また行こう!」


 力強く藍墨が言うと、面々は湿気を振り払うように歓声を上げた。


「おー!」


 そうして、動画の撮影を終えた澄冷が、今度は写真を撮り始める。


 やがて、バーベキューの食材も尽きて全員が腹と心を満たした後、弥香の提案により、今日、この時間に旅行の一番の思い出として集合写真を撮ることとした。音頭は相変わらず弥香。台詞は「我らー?」という、相変わらず曖昧な言葉。


 シャッター音の寸前に響いた四人の声は、やはりまったくもってバラバラで、けれども、そんなことが些細に思えるくらい、同じ気持ちを共有していた。




――了

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