第24話
漁港まで向かう道中には、明らかに観光を意識したソフトクリーム屋があった。
どうやら最近オープンしたばかりらしく、カフェの居抜き物件だろうか、木目調の洒落た落ち着きある風貌の中に、場違いに色とりどりなメニューが並んでいた。
四人は吸い込まれるように店に入っていき、そして各々が好きなソフトクリームを注文する。そして、人の少ない店内の窓際カウンター席で横一列になって食べ始める。左から順に、澄冷、弥香、藍墨、海月だ。弥香は両脇を保護者に囲まれながらご機嫌である。
「みかんソフト美味しいねぇ。他のも気になるなぁ」
ニコニコと唇を汚しながら言う弥香を横目に、藍墨は抹茶ソフトを食べつつ忠告。
「あんまり食べ過ぎるとお昼が入らなくなるからね」
「大丈夫だよ。甘いものは別腹って医学的に証明されてるもん!」
「別に、物理的に胃袋が増える訳じゃないんだから」
そう呟く藍墨の身体越しに弥香を覗き込んで、海月が弥香へニヤリと笑う。
「弥香。『甘いものを食べようとすると胃袋が広がる』のが、別腹の正体と言われてます」
「……つ、つまり?」
「甘いものを先に食べたら別腹は作用しない可能性が高いです」
ハッと弥香は汚れた口を手で覆い隠し、そしてチラリと左隣を見た。
そこでは顔を真っ赤にしながら黙って話を聞く澄冷が居た。その両手にはみかんソフトとバニラソフトが一つずつ。どちらも既に半分ほど食べ終えており、コーンをサクサクと咀嚼しながら感情の読み取れない瞳で三人を見詰めている。そして、嚥下。
数秒後、何を言うのかと身構える三人の前で一言。震える声を絞り出す。
「美味しいよ」
そう言って次の一口を食べ始めた。
三人は吹き出して、それから賛同の意を示しつつソフトクリームに口を付けた。
そうして食べ終わる頃、弥香が汚れた唇を拭こうと紙ナプキンを探す。しかし、それがカウンターの少し奥の方にあったから、面倒くさがってハンカチを取り出そうとした。
「こらこら」と藍墨、「弥香ちゃん」と澄冷が目敏く見咎め、一枚ずつ紙ナプキンを取り出し、遠慮なく左右から弥香の口を拭く。そうして弥香は両脇からされるままに唇を拭かれ、海月はそんな様を可笑しそうに眺めながら、頬杖を突く。
「子育てに苦労する夫婦みたいですね」
また妙なことを。藍墨が呆れて半眼になると、最初に乗ったのは弥香だった。弥香は目を潤ませながら藍墨の服の裾を摘まんで上目遣いに言う。
「パパ、最近帰りが遅いけど何してるの? ママが違う香水の匂いがするって……」
「やめろやめろ! なんでそんな浮気する夫の解像度が高いのよ、アンタ」
「いいのよ弥香ちゃん。ママはこの人と結婚できて幸せだから。しあわせ、うぅ……」
「
「朝陽さん。子供は一人じゃ作れません。仕込んだのは貴女でしょう?」
「出してないし生えてない。仕込む棒が無いのよ。お店で変なことを言うな」
藍墨は不安になって店内に視線を巡らせる。幸いにも他の利用客は居なかったが、聞き耳を立てていたレジの受付の中年女性は可笑しそうに肩を揺らして俯いていた。藍墨は心底申し訳なく何度か会釈をした後、全員の頭を一度ずつ叩いておいた。
さて、それからしばらくして、澄冷が「ちょっとお店の人と話してくるね」と退屈そうな受付の女性の下へスマホを持って向かう。弥香もバタバタと追いかけていった。
澄冷は力強く、ソフトクリームが美味しかったこと、デザインが可愛らしくて好きであること、店の雰囲気が好みであることを伝え、満更でもなさそうな店員たちに写真撮影の許可を貰っていた。弥香もその隣で凄く美味しかったと感謝を伝えている。
「『好き』を伝えることを躊躇わない生き様って、本当に素敵ですよね」
海月はしみじみと噛み締めるように、澄冷と弥香をそう評する。
確かに、澄冷はインフルエンサーとしての活動理念がそこに基づいている。弥香も、SNS自体はロクでもない使い方ではあるが、本体は好意を隠さずにハッキリと伝える。反面、藍墨も海月も、二人に比べれば臆面なく愛を叫べる人間ではない。
「――そうね。あたしも、そう思う。だから一緒に居て楽しい」
「同感です。彼女達の笑顔を見ていると、こっちまで元気を貰えますから」
そう語る海月をしばらく黙って見詰めた後、藍墨は少し踏み込むことにした。
「アンタも大概、あの二人のことを好きよね」
「おや、他人事のように。朝陽さんのことも好きですよ」
「はいはい、ありがとね。でも、それって何で? アンタが単なる愛情深い人間だとは思えないんだけど。何か好きになった理由ってあるの?」
「随分な物言いですね。私は博愛主義者の慈善的な聖人ですよ」
「自己愛主義者の病的な露出狂じゃなくて?」
「いいんですね。買っても。喧嘩を。脱ぐ準備はできてますよ」
「悪かった、悪かった。アンタの人の良さは認める」
ガバッとシャツの裾を摘まんだ海月を、藍墨は冷や汗と共に懸命に止める。
本気で怒っている訳ではなさそうだが、本気でなくても平然と脱ぎそうだから恐ろしい女だ。海月は「まったく」と唇を尖らせて言った後、肩を竦めながら続ける。
「私は、子供ながらに社交の場に連れ回される日々が大嫌いでした」
ぽつりと語り出す海月の言葉は、彼女の幼少期の話だ。社長令嬢として幼い頃から英才教育を叩き込まれていたことに対する、嫌悪感を発露する。
藍墨は一転、真面目な顔をして話を傾聴する。
「その『嫌い』を自分なりに分析したんです。たぶん私は、大人の顔色を窺うのは苦手ではないし、気に入られるよう振る舞うのも得意でしたし、きっと、評判は然程も悪くありませんでした。ですから私は、社交的に振る舞うのが得意な人間なのでしょう」
ではどうして。藍墨が視線で問うと、海月は自嘲気味に言う。
「しかし、退屈でした。楽しくありませんでした。――ただ、それだけです」
なるほど。その話がどう繋がってくるかを察して頷いた藍墨に、海月は続ける。
「その反動なんだと思います。私は楽しくない場所から、楽しくないことを理由に逃げだした。だったらその先に楽しさが在ってほしい。そうして見付けた楽しそうな笑顔を大事にしたいと思うのは、至って自然の話でしょう?」
海月はそう尋ね、瞳を伏せながらも頷いた藍墨に微笑む。
「私が歩いてきた道の延長線上に貴女達の笑顔があるんです」
例えばもしも、海月が何か思い悩んでいて、その発散として奉仕的な振る舞いをするのであれば、そこには異議を唱えたい。だが、彼女は冷静な自己分析の末に、自分の大事なものを見つけ出して、それを大切にするよう努めているだけだ。
尊重こそすれども、否定などできる話ではない。藍墨は何度か頷いて微笑んだ。
「そっか。なるほどね」
「ご理解いただけましたか?」
「変なことを聞いて悪かったわね」
「お気になさらず。それより――」
海月はもごもごと口を動かすと、店内に視線を巡らせた。
「――口の中が甘くて仕方がありません。飲み物って置いているんでしょうか?」
藍墨は釣られるようにして店内へ視線を巡らせる。
正確なメニュー表はレジカウンターに置いてある一枚だけか。壁に貼り付けてあるのは購買意欲を煽るようなデザインポスターばかりであり、目当てのものはすぐには見つからない。しかし、藍墨がレジ脇のポップアップに目を留めると、そこに一文。
「『当店特製ブレンドコーヒー 一杯百五十円』だって」
藍墨がレジを見詰めながら読み上げると、「お」と海月がそちらを一瞥。そして藍墨に視線を流しながら謝辞を込めて会釈し、立ち上がろうとしたその時だった。
丁度、店員との談笑や店内撮影を終えた弥香と澄冷が戻ってくる。
「ただいまー。ごめんね、待たせて。もう大丈夫かな?」
澄冷がホクホク顔でスマホの写真を確かめつつ尋ねてくる。
「そろそろ良い時間だと思うし、漁港行こう漁港。行こう漁港行こう」
弥香が澄冷の言葉に上機嫌に追従するので、藍墨はちらりと海月を一瞥して制止の声を上げようとする。珈琲の準備などそう時間は掛からないだろう。そして海月のことだ、時間管理に抜かりはないはず。つまり、数分程度の追加時間は問題ないはずだが、
「――ええ。遅れない内に行きましょうか」
海月は微笑みながら視線を店の扉の方に向ける。
海月が何を考えているのか、正確に推し量ることは藍墨にはできない。だが、以前、風邪をひいた彼女の見舞いに行った日。海月はこう言った。
――楽しくないことはさせたくありません、と。
遊覧船を楽しみに待っている友人を、たかが数分、珈琲の為に待たせるのも嫌だということだろうか。それは流石に過剰ではないだろうか?
藍墨は一瞬の葛藤の末、「珈琲は?」と、三人に聞こえるように声を張った。
不思議そうに二人を見る弥香と澄冷。だが、海月はどこ吹く風で微笑んだ。
「今日は暑いですから。向こうでお茶を買います」
遊覧船による三十分の航行を終えた四人は、そのまま漁港近くに立ち並んでいる飲食店の一つに入った。石の床に木製のテーブルが敷き詰められているその食堂は、獲れたばかりの新鮮な魚介をふんだんに使った、その上で格安の、この辺りでも特に評判の良い店だった。店には磯の香りが海から漂い続け、賑やかな喧騒が絶え間なく響いている。
お昼時ということもあって客足は随分と多かったが、奇跡的に待ち時間は無かった。
「――いやー、魚、全然見えなかったね!」
弥香は卵黄の乗ったネギトロ丼をレンゲで刺しながら、言葉に反して明るく笑う。
対面でいくら丼を食べていた藍墨は、緑茶でそれを流し込んで笑い返す。
「まあ、遊覧船って基本的に魚を楽しむためのものじゃないから」
「釣りも駄目だしさ。折角百均で釣竿を買ってきたのに、無駄になっちゃったよ」
弥香がネギトロをお玉程の大きさで掬い取って一気に頬張る。ショートニングの混じっていないマグロ尽くしの脂の味に、弥香は「んふふ」と頬を緩めた。すると、弥香の隣で三食海鮮丼を美味しそうに食べていた澄冷が視線を虚空に投げながら会話に入る。
「この後ってしばらく完全に未定だよね? どうしよっか?」
海月がエビ天の尻尾を小皿に除けながら、片手でスマホを取り出し、時刻を見る。
「ホテルのチェックインまではまだ随分と時間がありますし、予定通り、各々好きな場所に行っていいでしょう。ここに来るまでで、行きたい場所はありましたか?」
海月がそう言って三人を見ると、海鮮丼を頬張る三人は順繰りに回答した。
「楽しすぎて全然気にしてなかった!」と悪びれない弥香。
「私は、この四人で散歩とかでも全然いいかな」と楽しそうな澄冷。
「アンタ達が決めた場所に付いて行くつもりだった」と苦笑する藍墨。
三人の回答を受け止めた海月は形容しがたい曖昧な笑みで「どうしましょうか」と繰り返し尋ね、三人はスマホを取り出して次の目的地を探すこととした。
「私はね、皆が決めた場所ならどんな場所でも付いて行くよ!」
取り敢えず思考と選択を放棄した澄冷が断言し、海月がニヤリとそれを揶揄う。
「この辺りに心霊スポットがあるらしいのですが……」
「わ、私に二言は無いよ。海が近いからね。塩と真珠を買い込んで行くよ」
「無理すんな。声が震えてるわよ」
藍墨が憐れんでフォローを入れるも、澄冷は冷や汗まみれで意地を張る。
「無理してないもん。皆が地獄に行くなら私も地獄に行くもん」
「へえ、二人が極楽で一人が地獄の場合はどっちに付いて行くの?」
「朝陽さん、その地獄行きの一人は誰ですか? どうして私と目を合わせないんですか?」
「仏教だと邪淫は地獄行きだから」
藍墨がしれっと言い返すと「邪淫パンチ」と海月の純粋な暴力が藍墨の肩を襲う。
ゴツ、と鈍い音を立てるも束の間、骨の固い部分を指の平らな部分で殴ってしまった海月は、「ぐぅ」と呻きながら拳を抱えて身体を丸めた。喧嘩に不慣れが過ぎる。
「ポケモンだと威力二〇のノーマルタイプって感じだったわよ」
藍墨が不憫に思いながら海月の手を掴んで様子を確かめてやると、海月は半泣きで「せめて格闘タイプと言ってください」とされるまま手を差し出した。
そうこうしている間、珍しく一人真面目に目的地を探していた弥香は、「ねえ、これ! ここ行きたい!」と言いながら三人にスマホを見せる。
そこに映し出されていたのは、ここからそう遠くない場所にある、深海魚特化の水族館であった。
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