第10話
「そんな訳でSNSを始めることになった」
「いやどんな訳だよ。滅茶苦茶すぎるでしょ、サイバー研」
翌朝。登校中にバッタリと出会った秋楽と小春へ事の経緯を掻い摘んで説明すると、呆れ顔の秋楽からそんな半眼が向けられた。小春は可笑しそうに肩を揺らしている。
最寄り駅から徒歩十分の通学路。まだ低い太陽をビル群が遮り、濃い影が伸びている。
「で――結局、始めたのはX?」
小春が後ろから訊いてくるので、藍墨は肩越しに画面を見せる。
「そう。本当は始めるならインスタかって考えてたんだけど、馬鹿みたいな勝負をすることになったから。環境は統一しないと話にならないし、向こうに合わせたわ」
「メイド服着たら写真送ってね」
「写真は送らない。見たら冥土に送ってやる」
今から藍墨の敗北を期待している秋楽へ、藍墨は冷たくそう吐き捨てる。余談だが、メイド服は何故だか澄冷が二着持っているらしく、話はとんとん拍子で進んだ。
「それで、今の朝陽のスコアはどんなもんなの?」
小春が興味津々の様子で尋ねてくるので、藍墨は溜息混じりにXを開く。
表示されたのは昨日開設した藍墨のアカウントだ。アカウント名は弥香からの原型を失った呼び名を借りて『あっしゅもう』。フォローは初期設定時に提示された気象庁と防災情報。それから裁定者として進捗管理をする澄冷のサブ垢だけ。フォロワーも同様。
直近の投稿は簡素な一言。『起きた。おはよう』。当然、反応はゼロである。
それを見た秋楽と小春は全てを察して「あー……」と気まずそうな声を上げる。
「全然ダメ。まるで伸びない――いや、まあ言い訳をすると、伸びない理由は分かり切ってるんだけど、伸びるような投稿が思い浮かばないのよ。何かアドバイス無い?」
藍墨の弱音を聞いた二人は顔を見合わせて考え込むも、「うーん」と悩むばかり。
すると秋楽がパッと顔を上げ、ぐへへと笑いながら指を立てる。
「手っ取り早いのはもう嘘を吐いちゃうことだね。『電車でオタク趣味に理解のあるイケメン外国人男子小学生がキレると手を付けられなくなるサラリーマンを論破してスタンディングオベーション拍手喝采って話したっけ?』」
「全部盛りやめなさい。二郎系か。それで伸びたって虚しいだけでしょ、馬鹿馬鹿しい」
馬鹿みたいな話をする藍墨と秋楽をさておき、小春は真面目に戦略を練ってくれる。
「――さておき、下手な鉄砲も数撃てば何とかなるかもしれないけど、どこを狙うかも大事だと思うんだよね。どれくらい伸ばせば勝てるの? 他の二人はどんなもん?」
言われて藍墨は「そういえば見てないわね」と顎を摘まむ。
事前のルール決めで、アカウントを閲覧することや相談の為に他人に見せることは許可を貰った。気になったのでメッセージアプリで澄冷に訊いてみると、即座に既読が付いた。そしてほんの十数秒後には『どうぞ!』と二人のアカウントのリンクが送られる。
「見せていいと言われてるのでご覧ください。まずは一人目、部長の二夕見」
言いながら藍墨が立ち止まってリンクを開くと、二人がひょいと画面を覗き込む。
アカウント名は『みんなのぶちょー』。フォロー数は四百。フォロワーは三十五。
一見すると藍墨よりずっと交流相手が多いように見えるが――アカウントのホームを閲覧すると、そこにはずらりと他人のリポストが並んでいる。『この投稿をリポストしてくれたらフォローします』という文言を片っ端からリポストしているらしいが、明らかに百件以上流しているのに、フォロワーは三十五名と痛々しい。
どうにかして大量のリポストを遡って彼女の投稿を見てみると――
『女子トイレと男子トイレが同じ大きさなのは不公平だと思う。排泄の所要時間は女性が圧倒的に多いのにそれを考慮しない設計は日本の女性蔑視の価値観が透けて見える』
『女性専用車両があるのに男性専用車両が無いのはおかしい。日本の女尊男卑の価値観が色濃く反映されている』
『消費税増税反対。政府には国民の苦悶の声が聞こえないのか』
『未だに増税反対を訴えてる奴、現実見えてる? 財源どうするのって話』
『おねがい のびて』
絶句する三人。辛うじて、頬を引き攣らせた秋楽がマイルドな言葉を選ぶ。
「しっ、思想……つ、強いねえ!」
その言葉を聞きながら、藍墨は殆どミカエルと同じような弥香の投稿の数々に頭を抱える。部外者に見せる可能性もしっかり連絡したはずだが、彼女は隠す気があるのだろうか。そんな藍墨の隣で、しょっぱい料理を頼んだら塩を口に捻じ込まれたような顔をしながら小春は目頭を揉み、嘆かわしそうに投稿のハート部分に着目する。
「え、ええと……最高スコアは? 六? うん、一番伸びてるので六件……だね」
「こ、こんななりふり構わない手段で……六件。えっと、まあ、朝陽よりは多いね!」
「いいから、無理にフォローしなくて。見てらんないから次行こう」
そう言って藍墨は再び澄冷のメッセージを開き、今度は海月のリンクを踏む。
再び三人でスマホの画面を覗き込んだ。
アカウント名は『ジェリーフィッシュ』。フォロー数は三。フォロワーは三千。
昨日開設とは思えないその信じ難い数値に「は⁉」と藍墨が声を上げるも束の間、真っ先に視界に飛び込んできたのはホーム画面最上部に固定された昨夜の投稿。
『ちょっと待って、今日クラスの(友達いわく)イケメン男子と満員電車で一緒になって吊革掴めなくて困ってたら手を引っ張られてベルト握らされた話したっけ? 本当に興味なかったから、えぇ……って思ってたら「これでも振り向いてくれないの?」って半泣きで言われたオタクのアカウントがこちらです←』
戦慄しながら視線を下げると、『いいね』は二万一千件。バズっていた。
それを見た秋楽が声を裏返し、そこに目を見開いた小春が追従する。
「めっちゃ伸びてる⁉ たった一日で二万越え⁉ 何この人!」
「嘘のレベルが高すぎる。いや、凄いよこの投稿。素人目にも詰まってるもん、承認欲求が――そして、その承認欲求への嘲笑による拡散も織り込み済みなんだ! それに、この人、これだけじゃない。他にもかなりのバズを連発してる」
「やめなさい! そのザ・モブキャラみたいな解説! つーか何なのよこの投稿、読めば読むほど腹立つわね!」
藍墨は改めて文章を読み直し、頭を痛めながら罵倒する。
「イケメンに興味ありません感を出しつつも友達の言葉で客観的に美形を主張してるのもムカつくし、困ってるクラスメイトに下心で自分のベルトを握らせるクラスメイトの道徳も終わってるし、それに好意を抱かれてる事実に興味ありません感を出しておきながらネットに投稿する矛盾にも言いたいことはあるし、あと絶対に最後のオタクアピールは要らないでしょ」
息を切らして怒涛のツッコミを入れる藍墨を、秋楽が肩を叩いて宥める。
「落ち着いて朝陽、術中にハマってるから。そのツッコみたいという衝動を刺激することで、その感情を『いいね』に還元する高度な手法なんだよ、これは」
「何であんたらそんなに詳しいのよ」
秋楽と小春は戦慄の表情で海月の投稿を流し読みして、感心の声を上げている。
思い返すと確かに、彼女は創作系の投稿もすると語っていた。この類の勝負は彼女の独擅場だったのである。「ううむ」と唸っていると、秋楽が笑いながら肩を叩いてくる。
「待ってるね、メイド服。絶対私にも見せてね」
「アンタらに頼ったあたしが間違ってたわ」
秋楽も小春も感心しきりでまともなアドバイスが見込めない。
澄冷に頼るとしよう。藍墨が呆れながらスマホをポケットに仕舞って歩き出すと、二人も呑気な顔でそれに続く。
青々とした道をしばらく歩くと大通りに差し掛かって人通りも増え、辺りが少し賑やかになる。藍墨が半ば無意識にサイバー研の面々を探してみると、それに気付いた小春が藍墨の斜め後ろで頬を綻ばせ、「いや、しかし」と呟く。
「真面目な話、朝陽が楽しそうでよかったよ」
「ね! 杞憂だった」
秋楽も小春の言葉に笑顔で賛同をするので、藍墨は口を噤んで二人を見る。
二人が楽しそうであると断言するくらいには自分は浮かれていたのだろうか。ふと我に返った藍墨が少し恥ずかしくなって頬を染めるも、二人は茶化さず微笑んでいる。
「……そんなに楽しそうだった?」
ぶっきらぼうに藍墨が訊くと、「うん」「凄く」と二人は頷いた。どうやら無意識にテンションが上がっていたのかもしれない、と藍墨は己の両頬を片手の指で押さえる。
「そっか――楽しいのか、あたしは」
藍墨がぽつりと不可解なことを呟き、それを聞いて二人は首を傾げる。「哲学?」と小春が茶化すでもなく純粋に質問をしてくるので、藍墨は独り言を会話に変換する。
「いや……なんか、楽しいとかそういう自覚も無く夢中になってたから。言われて初めて、今、自分が楽しんでいたことを理解したというか……何と言うか」
話の焦点が曖昧なまま話し始めて曖昧なまま区切った藍墨は、そこで言葉を整理する。
藍墨は考え込みながらのんびりと通学路を歩いて、朝の空に目を向けた。
真っ青な空だった。ペンキで塗り潰したような群青を背景にオフィス街のビルが朝日を浴びて堂々と輝き、足下にはフェンスや電柱の作り出す影が長く伸びている。
つい一昨日のことだというのに随分と昔のように感じられる横浜の花火大会を思い出し、吐息をこぼした。
顔を覗かせた盛夏も、早朝はまだ少しだけ眠いのか。気温は随分と落ち着いている。
段々と暑くなっていく夏に、そして夏休みに想いを馳せた藍墨は、そこに期待を抱いている自分を見詰め直し、一瞬だけ目を瞑ってから微笑した。
「――よかった。部活に入って。アンタ達に背中を押してもらえて」
藍墨が自分の心と向き合った末にその言葉を紡ぐと、二人は驚き、目を瞬きさせる。
少しだけ照れくさそうな顔を見せた後、二人は揃って破顔し、「おう」だとか「うぃ~」だとか、照れ隠しにおどけた声を上げて、そんな風に朝の時間は過ぎていった。
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