第3話

「えー、大変失礼いたしました」

「ほんとよ。……いや、まあ返事が来る前に開けたあたしも悪いけどさ」


 改めて、中央の長机に対面で腰掛けた藍墨と女子生徒。女子が慇懃に頭を垂れるから、藍墨は苦言を返しつつも自らの非は認める。しかし、女子は首を左右に振った。


「いえいえ、着替えをするような部活でなし、更衣室でもなし。中で人が服を脱いでいるかもしれないという配慮を要求する方が筋違いでしょう」

「……まあ、アンタがそう言うならそれでもいいけど」


 藍墨は半眼で頬杖を突きながら、用意された紅茶に口を付けて部室を瞳だけで見回す。部室には私物らしき電気ポットが置かれているが、資料曰く使用許可を得ているらしい。その辺りの遵法精神はあまり疑わなくても良さそうだ。


 疑うべきは倫理観や羞恥心だろう。


 藍墨はパイプ椅子にギシ、と座り直し、取り敢えず自己紹介から始めることにした。


「じゃあ、改めて。あたしは生徒会執行部の代理で部活動の活動実態を調査しに来た、二年A組の朝陽藍墨。このサイバーセキュリティ研究部がどんな部活動をしていて、どんな活動実績があって、この部室を貸与するに値するかをチェックに来た」


 途端、女子生徒は冷や汗を浮かべて曖昧な笑みを浮かべ、視線をさっと横に流す。


「おい、目ぇ合わせろ痴女」

「ハイ」

「アンタはさっき何をしてたの?」

「……着替えてました」

「制服から制服に?」

「ハイ」

「どうして」

「制服から制服に着替えたかったからです」

「――調査に非協力的、っと」

「ああすみません、すみません! ちゃんと説明するので待ってください」


 調査資料の特記事項にペンを置いた藍墨を、女子生徒はやや慌てながら制止する。


 下着姿を見られても平然としていた割には部室を奪われることには焦るらしい。この女子生徒のことがますますよく分からなくなって、藍墨は目頭を揉みながら訊く。


「じゃあ、まず自己紹介からよろしく。部長の――二夕見ふたみであってる?」


 藍墨が資料に記述されている部長の名前を読み上げると、女子は首を左右に振った。


「ああ、いえ。私は平部員の星ヶ丘ほしがおか海月くらげです。二年C組です」


 資料の名簿に目を落とすと、そこには確かにその名前が書かれている。


同い年タメか。にしても――海の月って書いてそのまんまクラゲなのね」


 藍墨が何気なく呟くと、海月は微笑んだ。


「ええ、大抵はミヅキとでも読むのでしょうね。珍しいでしょう?」

「そうね。でも覚えやすいし呼びやすくていい名前だと思う。星ヶ丘」

「いや名前で呼ばないんかーい」


 海月の投げやりなツッコミを藍墨があっさりと聞き流すと、彼女は弱々しい笑みでスンと肩を落とす。藍墨は無視して話を先へ進めた。


「で? 何で脱いでたの」

「趣味です」


 あっけらかんと言う海月に、藍墨は眉を顰めながらオウム返しする。


「趣味」

「趣味の自撮りをしていました」

「それは見れば分かるけど」

「私、エロ自撮りを撮るのが趣味なんです」

「それも見れば分かるけど」

「私、性的な画像をSNSに投稿して承認欲求を満たす性的倒錯者なんです」

「それは見ても分かんなかった」


 藍墨は眩暈を堪えるように目頭をぎゅっと摘まんで数秒、沈黙。


 酸素を求めるように何度か深呼吸をした後、適温になった紅茶を一口。ペンを取る。


「――部室をエロ自撮りに使用、っと」

「ああすみません、すみません! もう少しだけ話を聞いてください!」


 再び特記事項にペン先を置いた藍墨を、海月は取り乱しながら制止する。


 しかし自らの口で仔細を白状したのだから、弁明を聞くまでも無いだろう。ジロリと半眼を突き刺して物言いたげな顔をするも、海月は冷や汗と共に語り出す。


「聞いてください、朝陽さん。性的嗜好は人の数だけあります」

「罪も人の数だけあるけどね」

「特定の性的嗜好を悪と咎めるつもりですか?」

「露出嗜好じゃなくて部室で脱ぐことを否定してんの」

「どうして⁉ 部室でやれば発覚しても内々の問題で処理できるのに! 外で問題になったら学校の名前も表沙汰になりますよ⁉」

「どういう脅し方⁉ バレる前提で脱ぐんじゃないわよ、このド変態!」

「じゃあどこで脱げって言うんですか⁉」

「家」

「反論の余地がない」


 うっかり素を出したように海月は顔面を両手で覆って呻く。


 綺麗な顔面が台無しの下品な趣味をどう処理したものかと藍墨は頬杖を突いて嘆息し、考える。しかし、ベクトルはどうあれ、部室でSNS投稿用の写真撮影をする生徒は他にも居る。その方向性が表に出せない性的なものであるとはいえ、海月の写真だけが極端にペナルティの対象とするべきかは怪しいところであり、藍墨は頭を掻いて吐き捨てる。


「――ま、いいか。あたしは風紀委員会でもないし。今回は目を瞑る」


 すると海月は呆然とした顔を上げ、恐る恐ると尋ねてくる。


「いいんですか?」

「まあ、代理だし。それに生徒会のメンバーだとしても特別に問題視をするとも思えない。着替えてるって言い訳が通用する状況ではあると思うし――ただ、今後はもっと上手くやりなさい。鍵もちゃんとかけて、ああ、顔とかは絶対載せないようにしなさいよ」


 藍墨が微笑みながら赦しの姿勢を見せると、海月は仄かな笑みで頷いた。


「その方がえっちですもんね」

「違う! 肩を組んでくるな!」


 やっぱり特記事項に書いてやろうか。藍墨は溜息を吐いて話を進める。


「……まあ、だからといって今回の調査を問題なしで終えるかは別の話。活動実態の方はちゃんとチェックさせてもらうから。悪いけど協力してもらうわよ」

「ええ、勿論です。私にできることであれば」


 受け答えだけは立派だ。藍墨は改めて手元の資料に目を落とす。


 サイバーセキュリティ研究部。発足は昨年で部員数は二年生が三人。


 部長は二年C組の二夕見ふたみ弥香みか。副部長は二年C組の清川きよかわ澄冷すみれ。最後に平部員の星ヶ丘海月。提出されている活動内容は『サイバーセキュリティの研究』。思わず溜息が出た。


「なんでこんなクソみたいな申請が通ってんのよ……」


 思わず呟いた後、藍墨は資料を海月に見せて訊く。


「この活動内容なんだけど。具体的には何をやってんの?」


 すると海月は難しそうな顔で資料を見詰め、考える素振りを見せる。


 普段の活動内容を話してくれればそれでいいのだが、この様子を見る限りではまともな活動をしていないのだろう。とはいえ、それはこの部活だけではない。この際、深掘りするつもりは無いから、せめて生徒会を納得できるだけの活動内容を持ち帰らせてほしい。


「まあ、簡単に言うとサイバーセキュリティの研究ですね」

「そうよね。相撲部は相撲をするし野球部は野球をする。じゃあ廃部、っと」

「冗談じゃないですかぁ。ペンを置いてくださいよぅ」


 ニコニコと微笑み合いながらそんな言葉を一往復した後、ふう、と海月はハンカチで冷や汗を拭った後、ぺろりと唇を濡らした。何だか艶めかしい所作だった。


「朝陽さんは昨今のネット事情に精通していますか?」


 率直な問いに、藍墨は少し考える。


「うーん……詳しいと胸を張れるほどじゃないけど、無知ではないと思う」

「では『炎上』という言葉はご存知ですか?」


 それについては考えるまでもない。つい先ほども秋楽達と話したばかりだ。


「もちろん」

「それでは『ネットストーカー』『インターネットウィルス』『ワンクリック詐欺』『ハッキング』『フィッシング』――これらの単語に聞き馴染みは?」


 完全に理解している訳ではないが、ざっくりと単語の意味は把握している。


「ぼちぼち」

「でしたら話は早い。今は小学生ですらスマートフォンを親から買い与えられる時代です。誰も彼もが少し腕と指を伸ばせばインターネットにアクセスできてしまう。しかし、ご存知の通り、ネット上には今挙げた危険が蔓延している。つまるところ、スマートフォンを手に入れるということは、同時に地雷原に踏み入るのと同義なのです」


 ふふんと笑いながら朗々と語る海月の言葉に、藍墨は「ふむ」と聞き入る。


 やや小難しい言葉を使って煙に巻いている節はあるが、言葉には一理ある。


「未成年。というものは、判断力や責任能力が成人に及ばない、未熟な人間を法で縛り、同時に守るために作られた枠組みです。しかしながら、インターネットは被害者の年齢を問いません。あらゆる危害がどんな子供にも平等に襲い掛かるのです」


 確かにその通り。デジタルタトゥーや迷惑行為の類を未成年がSNSで世の中に流すという話はよく耳にする。それに対する危機感への感度は流石にサイバーセキュリティ研究部を名乗るだけはある。少々感心しながら藍墨は頷いた。


「なるほど。続けて」

「昨今はペアレンタルコントロールと呼ばれる若年層を守るための機能が備わっていることが多いですが、そうでない家庭もあるでしょう。そういった層に向けてインターネットの危険性を説き続ける役割が要る。そのために! 私達は日頃からインターネットやSNSを使用し、その危険性の学習、即ち研究に努めています」


 藍墨は何度か感心したように頷き、そして訊く。


「それを世間に発信していたりは?」


 すっと海月の目が壁に逃げたから、藍墨は微笑と共に再び頷いた。


「ネットサーフィン集団、と」

「ちょっと⁉ ま、待ってくださいよ!」


 ペンを持った藍墨の手を、海月が椅子を立って制止する。


「優れた研究は必ずしも全てを世の中には公開しないでしょう⁉」

「それらしい言葉を並べてどうにか誤魔化そうって魂胆が気に食わない」

「私情じゃないですか! ど、どうかご勘弁を。使い勝手良いんですよ、この部室」

「それなら猶更、もっと有意義な部活に明け渡すべきでしょ」


 反論の余地が無いのか、海月は絶妙な表情で押し黙って考え込む。


 藍墨は腰に手を置いて部の名簿を眺めると、呆れの滲んだ溜息を吐く。


「――まあ、あたしも鬼じゃない。部室の残数にもどうやら余裕はある。名前ほど高尚な活動をしていなくても、最低限、部活動らしい実績を確認できれば上手く書いてやる」


 すると海月は驚きに顔を上げ、少し黙った後、堪えきれない微笑で「……悪い人ですね」と嬉しそうに呟いた。照れ隠し気味に藍墨は肩を竦める。


「何か無いの? 実績」

「『いいね』の数じゃ駄目ですか」

「部室が貸与されてなければそれでもよかったけどね」

「じゃあ……今すぐは無理ですけど、売り上げとかでもいいですか?」


 海月が神妙な顔でそう提案するので、藍墨は眉を顰めて逡巡する。


「校則を完全に把握してる訳じゃないからこの場で完全な回答はしかねるけど、許可を貰った上で営利活動をするなら、まあ、実績になるのかしら? 何か売れるの?」


 海月は臆さず神妙に頷いた。


「はい、裏垢で私の下着を販売します」

「部が存続してもアンタは必ず退学に追い込む」


 藍墨が一蹴すると、海月は「だってぇ」と困り果てた様子で腕を組む。


 困っているのはこちらだ、早く帰りたいのに。同じように藍墨が腕を組んで考え込んでいると、何やら廊下から小さな足音が聞こえてくる。


 ビクッと、やや過剰に海月の肩が震えたかと思うと、間もなく部室の扉が開けられた。


「お疲れ様。ごめんね、遅くなって――って。お客様?」


 顔を覗かせたのは、背中まで伸ばされた綺麗な黒髪が印象的な女子生徒だった。


 丸くクリクリとした目が可愛らしい、整った顔立ちをしており、一見すると『美しい』という第一印象を植え付けられるものの、注視すると、どこか幼気な印象を受ける。背丈は海月や藍墨と然程も変わらないだろう。


 彼女を見た海月は露骨に安堵の吐息をこぼすと、微笑んで藍墨を示した。


「お疲れ様です、澄冷すみれさん。こちらは生徒会代理の朝陽さんです」


 そこまで丁寧に紹介されてしまったから、藍墨もパイプ椅子を立ってお辞儀する。


「どうも。生徒会の代理として抜き打ち監査に来た、二年の朝陽藍墨です」


 すると澄冷と呼ばれた彼女は驚きにハッと目を丸くして腰を折る。


 その明瞭な表情や仕草から、海月よりは幾らか誠実な印象を受ける人物だった。


「こんな遅くまでお疲れ様です。副部長の清川澄冷です。えっと――監査中って認識で合ってるかな? 何か私にできることとかありそう? どういう状況?」

「その言葉を待っていました」


 海月は地獄に仏とばかりの表情で澄冷に歩み寄り、声を潜めつつ経緯を語る。


「あまり声を大にしては言えないのですが」

「普通に聞こえてるけどね」

「掻い摘んで説明すると、活動実績を出さないと部室を没収されます」


 サーッと澄冷の顔から血の気が引き、微かな冷や汗が額に浮かび始める。


 澄冷は余裕を失った様子で両拳を握り、慌てふためいて目を泳がせる。


「どっ、どどど、どうするの⁉ 実績なんて無いよ⁉」

「しー、しー! あんまり大きい声で言わないでください!」

「全部聞こえてるけどね」

「それっぽい実績とか無いの⁉ 上手く誤魔化せそうな」

「結構甘いところがある人なので、客観的に評価されるものなら何でもいけるかと」

「全部聞こえてるけどね」

「靴とか舐めておく? 私、右の靴行こうか?」

「いえ、それには及びません。私に考えがあります」


 舐めましょうと言われたらどうしたものか困り果てていただろうから、その海月の言葉に救われたのは澄冷だけではなかった。


 海月はやや不敵に笑って「貴女のアカウントです」と指を立てる。


 すると澄冷はハッと顔を上げていそいそと鞄からスマートフォンを取り出す。


 藍墨が怪訝な顔で二人を睨むように監視していると、海月がこちらを見る。


「そんな怖い顔をしないでください。必ずご満足いただけるかと」

「提案する分には自由だけど、生憎、ちょっと有名です、って程度のアカウントを持って来られても、最終判断はあたしじゃなくて生徒会長とか教師だから」

「ご心配には及びません。きっとご満足いただけるかと。こちらです――」


 海月は澄冷からスマホを受け取ると、それを藍墨へと横流しする。


 大言壮語でなければいいが――そう思いながら胡乱な眼差しでスマホを眺めた藍墨は、その目を困惑と驚愕に見開く。「ん?」と言いながら、瞬きをして目を凝らした。


「『SUMI』じゃん」


 差し出されたアカウント名は、つい先ほど、小春に見せられた超人気インスタグラムインフルエンサーのものであった。フォロワー数は七十一万人。アイコンも全く一緒。


 疑いようもなく本人のもので、しかし、SNSに疎い藍墨はにわかには信じ難い。


 だが、堂々とした海月や澄冷の様子からは嘘が感じられない。


「ご存知でしたか。でしたら話が早くて助かります」


 そう笑う海月に対して、藍墨は画面を見詰めて軽く操作をしながら答える。


「ついさっき友達に教えられたのよ。――これ、本物? 騙してるんじゃなくて?」


 何か細工でもされていないかと疑ってしまうが、海月は平然と答えた。


「お望みとあらばアカウント名を変えましょう。それをご自身のスマホでご確認いただければ細工でない事が自明かと。名前は――無難に『朝陽藍墨@生徒会代理』で」

「無難どころか受難だわ。サイバーセキュリティどこいった?」

「ま、まあ、冗談はさておいても、必要なら名前も変更できるよ? しようか?」


 澄冷はやや警戒の眼差しで海月を見つつスマホを奪い返し、藍墨にそう提案する。


 しかし、SUMIというアカウント名に対して清川すみ冷という本名。


 準備する時間も無かったのにすぐに提示することができたアカウントページ。


 偽装であるという証拠が無いどころか、堂々とした態度も含めて、様々な要因がそのアカウントの持ち主であることを裏付けている。


 藍墨は「ううむ」と唸りながら自分のスマホのブラウザからSNSにアクセスしてSUMIのアカウントを閲覧するが――投稿された写真の数々と彼女の四肢を見比べてみると、確かに一致する部分が多いように見える。藍墨は観念して、感嘆した。


「いや、信じる。信じるけど――ちょっと驚き過ぎて実感が湧かない」


 さて、そんな様を我が事のように誇らしそうに眺めていた海月が口を挟む。


「どうです。実績としては不足無いかと思いますが?」

「……エロ垢風情が言ってる事実が心底腹立たしいけど、まあ、一理あるわね。これが清川のアカウントであることは、正直、疑う根拠の方が少ない。直接的に活動と結びついていると証明するのは難しいし、インフルエンサーの中の人を表立って暴露する訳にもいかないけど、だからって定量的な実績を無視もできない」


 藍墨の言葉に、二人の表情が段々と期待に染まっていく。


 喜びの花火に火を灯すように、藍墨は微笑して頷いて見せた。


「今回はこっちで上手く処理しておく。部室も余ってはいるみたいだしね」


 その言葉を受け、途端に海月と澄冷の顔色が快晴となる。


 「わーい」「やったー」と言いながら二人は両手でハイタッチを交わし、藍墨はチェックリストにペンを走らせつつ、そのやり取りをどこか羨ましそうに眺めた。


「しかし……こんな身近にこんな有名人が居るものなのね」


 藍墨は自身のスマホでSUMIのアカウントを眺めながら呟く。


「あんまり褒められると……ちょっと照れるので、程々にしてほしいかな」


 澄冷は後ろに手を組み、ほんのりと頬を染めながら満更でもなさそうにクネクネと動いている。「でしょう」と海月が胸を張るので「何でアンタが誇る」と藍墨は呆れる。


「そういや、写真にイラストとか付いてるじゃない? これ、手書き?」


 例えば、と藍墨が目を留めたのはカフェの写真。そこには、カウンターに置かれたコップの縁に腰掛ける、白い鉛筆調のミニキャラのイラスト。吹き出しでそのお店の感想が、これまた同様に手書きで記されており、観ているだけで楽しい。


「う、うん、一応イラストアプリで、指で描いてる」

「指で⁉ はー……器用なものね。……脱いで写真撮るだけの誰かと大違い」


 ボソッと付け加えると、それが誰のことであるかは自明。海月が微笑む。


「聞こえてますよ。失敬な、私だって創作系のアカウントを持ってるんですから」


 思いがけぬ事実に、藍墨は目をパチクリと見開いて海月の正気を疑ってしまう。


「アンタが? 創作? 意外ね、何、語彙は豊富そうだし小説とか?」

「アニメです」

「アニメ⁉」


 思わず声を裏返して叫んでしまう藍墨に対し、ふふんと海月は頷いた。


「――のキャラのパーカーを着ているお兄さんに『おもしれー女』って壁ドンされる話を投稿しています」

創作ねつぞうじゃねえか! 真面目に聞いて損した」


 コロコロと笑う海月。苦笑する澄冷。藍墨は溜息を吐く。


 そして藍墨は海月から視線を外し、そのままチェックリストを最後まで埋めきる。そしてふと、三人の部員の内、まだ一名と会っていないことを思い出す。


「そういや、部長の二夕見って今日は欠席? この子はどんなSNSやってんの?」


 ビクゥッ、と。心配になるほどの勢いで二人の肩が天井まで跳ね上がった。


 「ひゅ」「ぅぐ」と首でも絞められたような音が二人の喉から漏れ出て、藍墨は目を瞬かせる。何か変なことを言ったかと二人の顔を確かめると、びっしょりと二人の顔が濡れていた。青褪めた顔にどうにか笑みを取り繕うその様は、いっそ隠し事が透けている。


「ミっ⁉ みかっ、弥香ちゃんはぁ! えっとぉ……」


 チラチラと海月を窺う澄冷。嘘なら海月の方が得意なのだろうか。


「弥香は――二夕見は今日は欠席です。言伝があれば承りますが」


 海月は幾らか余裕を取り戻して取り繕うも、澄冷は目を回して狼狽える。


「そう、弥香ちゃんはお休み! 残念だなぁ、会いたかったなぁ……あ、生徒会の仕事は終わり⁉ 今日はお忙しいとこにありがとうございましたぁ! 昇降口まで送るよ!」


 そそくさと藍墨を追い返そうとする澄冷を眺め、藍墨は微笑んで頷いた。


「何を隠してる?」


 「ぴぎ」と呻く澄冷。責めるような目を彼女へ向ける海月。


 語るに落ちるとはこのことだ。何だかまだひと悶着ありそうで、藍墨は溜息を吐く。


 そんなことを考えていると、廊下の奥の方から喧しい足音が響いてきた。


 海月と澄冷がギョッとした顔を見せるから、藍墨はそれが二夕見弥香だろうことを確信する。それから数秒後、呼ばれたことを察したようなタイミングで、部室の扉が蹴破られるような勢いで開けられた。


「おっつかれ様でーす! いっやー、補習ってシステムを考えた人は今頃地獄に……」


 明るく元気いっぱいに剣呑なことを言いながら、その女子生徒は扉の前でくるりと回る。


 そして両足でピタリと着地すると、部室に見知らぬ人物が居ることに気付いて目を丸くする。次いで、三人の間に流れる空気が張り詰めていることに気付き、自分がとんでもなく場違いな空気でやって来てしまったと察して恐る恐る笑った。


「……入り直した方がいい?」

「いや、別にいいけども」


 藍墨は溜息混じりにそう回答し、「アンタが二夕見?」と尋ねる。


 すると女子生徒はふふんと笑って胸に手を置いた。「いかにも」


「私がサイバーセキュリティ研究部の部長、二夕見弥香である!」


 二夕見弥香の第一印象は、『とにかくエネルギーに満ち溢れた小柄な少女』だった。


 弥香の身長は、殆ど横並びの海月や澄冷、藍墨と比べて一回り以上小さい。


 そして対照的に、腰より長い茶髪を二本の長い三つ編みにしている。上履きから見える靴下は子供向けアニメのキャラクターものだ。足も指も細く、運動量に反して全体的に華奢。筋力は乏しそうで、小学生と見紛うような童顔だ。


「で、キミは?」


 首を傾げながら訊いてくる弥香に、「ああ、私は――」と自己紹介を返そうとする藍墨。だが、ぐいと藍墨の前に出た海月がこちらを制すように紹介した。


「弥香、紹介します。監査に来た生徒会執行部代理の朝陽藍墨さん。二年生です」


 何のつもりだと藍墨が目を細めて海月を見るも、弥香が人懐っこい笑みを浮かべた。


「お、同い年タメじゃあん! よろしくね、藍墨あしゅみ!」


 場違いに明るい挨拶に思わず毒気を抜かれた藍墨は、小さく吹き出してから「初めてそんな呼ばれ方したわ」と、どこか噛み締めるように応じた。そこに、海月が続く。


「弥香はいつもそうです。気付けば人の懐に入って、周りを引っ張るんです」

「そっか、そういう人を中心にできた部活なのね。ところで何であたしの話を遮った?」

「そう、弥香はいつもそうなんです。いつだって私達を引っ張ってくれる」

「そう、素敵な部活ね。ところでさっき、何であたしの話を遮った?」

「弥香はいつだってそうなんです」

「アンタはいつまでそうしてる?」

「……もういいじゃないですか。綺麗に終わる雰囲気だったじゃないですか」

「何でさっきあたしの話を遮った?」


 冷や汗をだらだらと浮かべる海月と澄冷。弥香は何も分からない様子できょとんと首を傾げ、二人のやり取りをどこか訝しげに聞いている。


「ねー、何の話? 置いてけぼりにしないでよー」


 弥香が不満そうに唇を尖らせるから、藍墨はそちらを見て頷く。


「本人に訊こう。二夕見、ちょっと話を――」

「――弥香! 朝陽さんはこの部の生殺与奪の権を握っています!」


 藍墨を遮って大声を上げる海月に、弥香は「はぇ?」と間抜けな顔で首を傾げる。


 それから、何が何やら分からない様子で「オッケー!」とサムズアップを見せた。


 もはやなりふり構わなくなった海月を手で押し退け、藍墨は弥香を見る。


「二夕見。単刀直入に訊くけど、アンタってSNSやってる?」

「SNS? Xならやってるよ! これでもフォロワー結構多いんだから!」


 ムフンとサムズアップを繰り返して笑う弥香。対照的に焦る海月。


「貴女は馬鹿なのでハッキリと言います。アカウントのことは何一つ言わないように!」


 危険な香りを察知した海月は、手段を選ばず、冷や汗混じりにそう釘を刺す。「あ、ちょっと」と藍墨は海月のやり口を見咎めて糾弾しようとしたが、どうやらその一言でハッと全貌に思い至ったらしい。弥香は慌て、そして得心した様子で頷いて見せた。




「ああ、ミカエルのこと⁉ 当たり前じゃん、言わな――あっ」




 遅れに遅れて両手で口を覆い隠し、青褪める弥香。頭を抱える海月と澄冷。


 顔面を冷や汗で濡らしながら目を泳がせた弥香は、チラチラと藍墨を盗み見る。


 藍墨は表情を失い、瞬きを繰り返して思考を巡らせていた。『ミカエル』。聞き覚えのある名前だ。ちょうど、『SUMI』と同じタイミングで小春から聞かされた。


 ――『これだけ不自由な国で表現の自由を叫ぶことの愚かさを自覚しましょう』


 ――『日本ほど自由で豊かな国は無いのに外国を引き合いに出すのはやめましょう』


 そんな政治的に両極端で過激な発言は人畜無害で無邪気そうな彼女の外見からは想像もつかないが、しかし、小春はそのアカウントを『究極の構ってちゃん』と評した。


 今しがたのやり取りから推し量れる人物像とは、合致する。


 そして、弥香ミカという名前と、ミカエルというアカウント名。


 全てが結び付いた藍墨はすとんと理解が胸に落ち、そしてこう叫んだ。




二夕見アンタが両翼の大天使⁉」




 健全に、真っ当な活動をしているかという監査に訪れた生徒会の代理に、部長が信じ難いほど悪名高いSNSアカウントの運用者であるという致命的な事実が露呈。


 部の存続も危ぶまれるような出来事に、三人の口から絶叫が上がった。


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