至上の愛の形
お伝
第1話 突然の結婚
「黙っててくれないか」
眉根を寄せてそう小さく囁いたのは、昨日結婚式を挙げ、夫婦となったばかりのフォルリ侯爵様。
3か月の婚約期間中も2度しか交流はなく、お会いしても顔を顰めてお茶を飲むだけでお話しすることはありませんでした。
婚約期間も異例の短さでしたが、結婚式も立会人として国王王妃両陛下と王太子殿下とその婚約者であるギーズ公爵家のご令嬢マリアンヌ様、私の後援者である王妹のクリスティーヌ修道院長様という国内有数の重鎮がご臨席だったにもかかわらずその他の招待客はなく、披露宴も行われませんでした。
フォルリ侯爵様は結婚式の間も誰とも言葉を交わさず常に顔を顰めたまま、帰りの馬車の中でも一言も発せず目を瞑り、侯爵邸に着いてやっとほっとした表情になったような気がしました。
表情が変わらないので気のせいかもしれません。
自室での簡単な食事の後、初夜の支度をして寝室で待っていました。
これだけ相手にされていないのだから、もしかしたら白い結婚もありうるかと覚悟していましたが、心配は杞憂に終わり、とても丁寧に優しく妻にして頂けました。
少し安心した事で気が緩み、寝室での朝食の席で「旦那様」と話しかけた途端、冒頭の通りの態度だったため、黙って朝食を済ませました。
朝食後のお茶の後に旦那様が部屋をお出になってからは、用人たちは私をとても労わるように接してくれました。
邸内の使用人たちも旦那様の前では声を発することはなく、所作全てに音を立てないように気を付けているようです。
5年前、両親のヴォーグ侯爵夫妻が事故で無くなり、13歳で一人残された私には後ろ盾が無く、未成年であったことと、この国では女性は爵位を継げないため領地は王家預かりとなりました。
先代の投資失敗による多額の借金に加え、領地経営も何とか保っている状態では、将来も婿を望むことは難しいでしょう。
私は名ばかりの侯爵令嬢として王妹のクリスティーヌ修道院長様の庇護の下、この5年間修道院で暮らしていました。
公にはなっていませんが、クリスティーヌ修道院長様はお耳とお言葉が少し不自由でいらっしゃいます。
そのため、お傍に侍るものはクリスティーヌ修道院長様の態度や顔つきからお気持ちを察して動かなければならず、なかなかお気に召す侍女が見つからなかったそうです。
私の母は隣国の伯爵家の令嬢で、孤児院と養護院を支援していた関係で手話を得意としていました。こちらの王国では手話はほとんど知られていない状態ではありましたが、母から教わっていた手話を手ほどきすることでお世話係として重宝され可愛がって頂きました。
そんな折、王太子殿下からフォルリ侯爵様との縁談が持ち込まれ、あれよあれよという間に婚約が調い、あっという間に婚姻に至ってしまったのです。
王太子殿下とフォルリ侯爵様にお目にかかったのは、クリスティーヌ修道院長様の診察のため王宮の医療院へお供した時の一度きりです。
クリスティーヌ修道院長様のお体の事は公になっていないため、修道院の外では手話は使わずお世話をさせて頂いています。
修道女服に化粧っ気もなく顔を上げる事さえしていないのに何がお気に召したのか分かりませんでした。
「黙っててくれ」と言われたその日は侯爵様のご都合で昼食も夕食も別で取りました。
寝支度を整えて使用人たちが下がった後、今朝の事もあったので夫婦の寝室ではなく自室で休もうとしていたところ、旦那様が私の部屋へ入っていらっしゃいました。
「今朝は言い方が悪かった」
そう囁いて、優しく抱きしめて下さいました。
そのまま私の自室で朝まで過ごして、何も知らずに朝起こしに来た侍女を慌てさせてしまいました。
その日以降は相変わらず眉間にしわを寄せて顔を顰めたまま話をすることはないものの、食事以外にも毎日必ずお茶に誘いに来てくださり、いつの間にか旦那様の執務室に私の執務机が置かれたり、一緒に邸内を移動するときは必ず手を繋いでいたりと、最初の頃は使用人たちもずいぶんやきもきしたり驚いたりしていたけれど、1か月を過ぎるころには皆すっかり慣れて穏やかに過ごせるようになっていました。
侯爵邸の使用人は少人数精鋭です。
筆頭の執事長をはじめ、皆旦那様へとても篤い忠誠心を見せています。
その執事長から、旦那様の態度の事情は旦那様ご自身から折を見てお話があると思うので、それまでは何も聞かないで欲しいとお願いされました。
初日は驚いたし悲しかったけれど、輿入れから半年が過ぎる頃には、私は旦那様を心からお慕いしておりました。また、旦那様の態度からは私を大切に慈しんでくださっているのが伝わって来ており、幸せな日々をすごしていました。
急な輿入れのため十分な引継ぎも出来ていなかったため、クリスティーヌ修道院長様のお世話についてはとても気がかりで、頻繁に手紙をやり取りしていました。
最近頂いたお手紙で、侍女として見込みのある少女を見つけた事、その信頼できる人柄を見込んで彼女に手話を手ほどきしてほしいと知らせを受け、お役に立てる喜びと共に、ようやく安心することが出来ました。
それからすぐに、クリスティーヌ修道院長様のお世話のために一月ほど私が修道院に出向く事を許してほしいと侯爵家へ正式な申し入れがなされました。
手紙を見た旦那様はさらに顔を顰めて長い間考えた後に承諾の手紙をお出しになったようです。
「帰って来てくれるか?」
修道院へ行く前日の夜、旦那様は寝台で私を抱きしめたまま心配そうに囁きました。
「私が帰る場所は旦那様のお傍しかありません」
そう囁き返すと安心したように旦那様は目を瞑り、私たちは朝まで抱きしめ合って眠りました。
クリスティーヌ修道院長は私の顔を見て安心したような、そしてとても嬉しそうな顔で私を出迎えて下さいました。
旦那様のお返事には、出来るだけ早く妻を私の元へ返していただきたいと書いてあったそうです。
それを聞いて頬が染まるのが分かって俯いてしまいました。
修道院長の側近の修道女たちからも温かく祝福されてさらに気恥ずかしいながらも、とても嬉しかったのです。
手話の手ほどきに関しては、双方の負担を減らすためと今後のために、手話のノートを作ることになりました。
それを元に修道院を基軸にして手話を広め、修道院長様のお体の事は秘匿したまま第一人者として発表することで功績にして頂く事を提案しました。修道院長様は私の功績だと固辞されましたが、修道院主導で広めていただかなくては、手話ができただけでは意味がない事、そのお手伝いができる事がとても光栄である事、これは今まで育てて頂いたご恩返しだと思って欲しいとお話しして、側近の修道女たちからも勧めて頂いて計画は進んでいきました。
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