THE YASKALAW(ヤスカロウ)《一億の飛翔》編

大屋易門

序幕 鉄の翼に身を預けて


 空の世界とは不思議なものだ。口を動かすことなく、そう小さく呟いたヤスカと呼ばれるとある男は、鉄の鳥の胴体に取り付けられた無数の窓の一つから外に広がる雲の海を眺めている。かれこれ半日以上鉄の鳥の腹に収まっているこの空の旅も、ようやく終わりが見えてきた。飛び立った場所とこれから降り立つ場所では、最早日付さえ変わっているはずだ。およそ七時間の時差というものは、時には日付さえ跨いでしまうものだから。あくまでもそれは、人が決めたものだけれども。ヤスカにとってここで最も重要なのは、かつてグリニッジ子午線を本初子午線として定めたことで世界に生まれた時間の差ではない。本初子午線は既にグリニッジから修正されたらしいが、それもあまり関係はなかった。

 ここで重要なのは、先ほど呟いた通り、この空の世界に対して感じる不思議さだった。この空の世界ではその腹に人々や荷物を抱えた空の港から飛び立った鉄の鳥たちが、またどこか別の空の港に降り立つ。最初に人が大空へと羽ばたく翼を手に入れた頃からは考えられないほどの発展ぶりだが、この進歩は同時により多くの人をこの世界に誘い込んだ。最初はほんの一部の戦闘機乗りだけのものだった空は、今ではヤスカを含めて世界中で鉄の鳥の腹に収まって旅をする幾多の者たちでも味わうことができる。そして、旅客とも呼ばれる者たちは空の旅を利用するために皆、必ず同じ場所に向かう。そう、空の港へと。

 大空へと羽ばたく鉄の鳥たちと人々を繋ぐ場所が、空の港だ。空の旅の玄関口と出口とを兼ねるそこは、ヤスカにとってはある意味で、気味の悪い場所だった。空の港では日中人の姿が絶えないが、大抵そこは人々が暮らす街並みから、意図的に隔離されている。もちろん、騒音対策や広大な敷地を確保するためには立地が限られてくるのだ、という事情もあるだろう。市街地から離れた場所ではなく、市街地だった場所を更地にして空の港を作る場合もあるだろうが、空の港から感じてしまう気味の悪さに関しては、空の港の建設経緯はあまり関係がないような気がする。要は、空の港は現実の生活からあまりにもかけ離れている、ということだった。大半の人にとって空の港を訪れるのは空の旅に出るためであって、空の港の中に入るレストランや土産屋へと頻繁に足を運ぶ近隣の住民は少ないように思える。いや、空の旅に出ずとも空の港に行くのが趣味という人も少なくないのかもしれないが、そこに配慮をしている場合ではないのだ。少なくとも、今は。現実を装った空の港が、実は現実からかけ離れているということが、ヤスカが不思議に感じるものの一つだった。空の旅が日常からかけ離れた非日常であるからには、その玄関口と出口を兼ねる空の港にも非日常が潜んでいるに違いない。いや、寧ろ、そうでなければならない。

 偽りの翼を広げて雲を切り裂きながら進むこの大きな鉄の鳥も、非日常で包まれた空の世界において象徴的な存在であるが、やはりヤスカに不思議を感じさせた。この大きな鉄の鳥は、大勢の人を抱えて日夜問わずに世界各地を飛び回る。一日に世界でどれくらいの数の鉄の鳥が空の世界を行き来しているのか、年間で何百万人、或いは何千万人が鉄の鳥の腹に収まって旅をしているのかは知らないが、一つだけ分かるのは、鉄の鳥の腹に収まる人の多くは、自ら望んで空の旅に出ているということだ。何という狂気の世界だろう。この空の世界では地上以上に生と死が隣り合わせているというのに、それでも空の旅に出る者が絶えることはないのだから。鉄の鳥が空に飛び立つ限り、そこに絶対に堕ちないという確証もありはしない。どれだけ安心安全を謳い、墜落という惨劇が起こらないように努めたとしても、絶対はあり得るものではないのにも関わらず、だ。

 一見すると、ヤスカは過剰に鉄の鳥が墜落することを恐れているようでもあった。それならば、今鉄の鳥の腹に収まっていることは、奇妙にも矛盾しているようにも思える。だが、ヤスカが感じているのはこの場合においては不思議であって恐れではない。空の世界が、ヤスカに不思議を感じさせるのだ。空の世界を経由している空の旅に出るからには、ヤスカを含めた鉄の鳥の腹に収まる者たちが自力で空に羽ばたくことはできない。そのために鉄の鳥が必要なのだ。鉄の鳥も自力で空に羽ばたくことはできないから、人の手を借りる必要がある。人の手と言っても様々なもので、鉄の鳥を造る手、鉄の鳥を手入れする手、鉄の鳥に飛ぶための糧を与える手など、一つでも欠けることは許されない。

 空の旅を利用する者たちも、鉄の鳥に人の手が行き届いていると思うからこそ、鉄の鳥の腹に身を収めることができるのだろう。ここに空の世界の要があるに違いない、とヤスカは視線を雲の海から薄暗い鉄の鳥の腹の中に移す。窓の外に広がる雲の海の遠くからその姿を覗かせた光る星が放つ輝きは、ヤスカが座る側に取り付けられた無数の窓を通して腹の中を照らし始めている。次第に強くなるその輝きから目を背けたヤスカの視界には、轟音を響かせて進む鉄の鳥の腹の中に収まる、自身を含めた乗客たちの姿が映っていた。その大半の意識の行き先は恐らく夢の世界。一つでも間違えば大勢を道連れにしてしまう翼の生えた鉄の棺桶になりかねない、この鉄の鳥の腹に収まった者たちが眠ることができるのも、よく考えてみると不思議なことではないだろうか。眠る者たちと異なり、鉄の鳥の頭に座る鉄の鳥を飛ばす者は鉄の鳥を操るとき、眠ることなど許されるはずもない。鉄の鳥を飛ばす者の肩には、人一人には重すぎるほどの責任が覆い被さっているからだ。その責任とは、鉄の鳥の腹に収まる者たちの命を預かるという重責に他ならない。

 命を預かる側に対して、預ける側は信頼なくして預けることはできないし、鉄の鳥も信頼がなければ飛ぶことができないのが現実だ。ヤスカはここに、空の世界に対して感じる不思議の真髄を再び垣間見たような気がした。公共交通機関の大半に対しても言えることでもあるが、鉄の鳥以外にも、箱の猫や線路の百足を利用する者たちは皆、目的地に向かうまでの間に猫や百足を操る者にその命を預けていることになる。だが、預ける者の、預かる者への信頼は普段はあまり重要視されていない。重要であることは、間違いないはずなのに。そして、無意識のうちに信頼して命を預けているからこそ、その信頼が損なわれたときに恐るべき不安が圧倒的に、不可避な速度で不特定多数に蔓延してしまう。

 例えば、ヤスカが座る窓側の座席から一列分離れた薄暗い席で静かに眠る若い女性がとある夢を見ているとしよう。搭乗するときには友人らとやけに甲高い大声で楽しそうに話していたこの女性が、縁起の悪いことに、今まさに腹に収まっている鉄の鳥が墜落する夢を見る。そのうち、女性は恐怖にうなされながら目を覚ますだろう。目を覚ませば夢が夢であったことに気づいて安心するが、皮肉なことにそこはまだ鉄の鳥の腹の中だ。安心は次第に不安に浸食されていく。墜落が夢だと次第には笑えなくなる。確かに、今はこうして鉄の鳥は何事もなく飛び続けているけれども、実は絶対に堕ちないなんていう都合の良いことはあり得るものではない。そのことに気付いたとき、仮初の安心が奈落の底に叩き落とされて不安が誕生する。その不安は人を無性に駆り立てるかもしれないが、理性という名も持つ抑制機能が機能通りに機能してくれさえすれば、その女性は座席から動くことはない。逆に、その女性が座席から動くとき、同時に鉄の鳥の腹に収まる集団が無意識のうちに構成していた秩序の崩壊を告げる鐘も鳴る。操縦が不安だから代われ、私に操縦させろとでも叫び始めれば、不安が広いようで狭い腹の中に拡散するからだ。その鐘を耳にした者たちの心には少なからず、拭い難い不安が誕生してしまう。そうなれば、無意識のうちに構成していた秩序はなかなか回復することは難しい。快適な空の旅への信頼は、些細なことで損なわれるもので、完全な回復はとても望めるものではない。通路を挟んで眠る女性には申し訳ないとはあまり思わないが、誰しも不安と戦っているということを示すための一例としては考えやすいものだった。極端な例であることは承知の上で、である。

 やはり、空の世界において、それだけ不安の蔓延は警戒するべきものなのだ。不安の蔓延を防ぐために信頼は欠かせない。不安が蔓延した結果、最悪の場合、最終的に人に折角手に入れた大空へと羽ばたくための鉄の翼を手放さなければならなくなるかもしれない。信頼が崩壊すれば、誰も鉄の鳥の腹に収まりたいとは思わなくなるからだ。さらに、鉄の翼を手放すことは、人類にとって大きな後退になりかねない。不安には人類の進歩すら阻む力があると考えたとき、不安の誕生はある意味で墜落よりも恐ろしい事態とも言える。

 その強大な力を持つ不安への対抗策こそが、命を預かる者と預ける者を繋ぐ細くて脆い糸だ。人はその糸を信頼とも呼ぶ。絶対があり得ないことから生まれる不安と同様に、信頼にも絶対はあり得ない。それでも、この空の世界では信頼が絶対に必要となる。ヤスカを含めた鉄の鳥の腹に収まる者たちは、鉄の鳥を飛ばす者たちへ信頼を寄せるから、今ここにいる。ここに集った者たちは無事に地上に帰還することも願っている。鉄の鳥の腹に収まる立場としてはそうあるべきで、堕ちて欲しいと思って鉄の鳥の腹に収まる者はそう多くはあるまい。信頼が絶対的なものではない、と分かったうえで腹に収まるのだ。

 絶対があり得ないから信頼が欠かせなくなり、信頼を損なえば不信が生まれ、不信は不安を招く。絶対があり得ないために信頼が必要不可欠であるのに、その信頼は絶対でなければならない。特に、この空の世界ではそうだ。地上から空の旅の安全を願うのと、空の旅の中で安全を願うのはまるで違う。今は鳥の腹に収まり、硬く見えても脆い臓物のような気分を味わいながら無事を祈るしかない。不安が生じたとしても、それは自分自身で何とかしなければならないのだ。誰かに何とかしてもらおうなどとは、思ってはいけない。

 これらの不思議や不安、不信が混じった混沌が「人間」としてのヤスカの心を揺さぶっていたが、鉄の鳥の腹の中で孤独な時間を過ごしていたヤスカを悩ませたその混沌は、結局のところ自分自身で何とかしようという結論を出したことで一応の解決法を得る。それはヤスカ自身にとっても少なからず、喜ばしいことだった。そう、極度の緊張に晒されていたヤスカ自身は、例え話で使われた女性のモデルだったのだ。ヤスカは自分自身が鉄の鳥の腹の中で眠ったことを受け入れられないわけではない。記憶を失っているというのは正確なものの言い方でない以上、ヤスカ自身がヤスカ自身をヤスカ自身と認めていないという言い方しかできなかった。ヤスカは、相反するヤスカとの同居を認められなかった。

 「人間」としてのヤスカは自分自身がヤスカと呼ばれる男であるという認識は、確かに持ち合わせている。この「人間」としてのヤスカは鉄の翼に身を預ける不安を自分自身で何とか抑えることには成功した。だが、この不安を抑えた一連でさえ、ある意味では現実逃避に過ぎない。鉄の鳥の腹に収まってから生じた不安とは比べ物にならない不安によるヤスカの心の奥底から聴こえる声を無視するために、ヤスカは鉄の鳥について考えていたのだ。ヤスカは固く目を閉じて着陸のときを待つが、脳裏に響く自分自身ではもう無視することができない声……兵士が語りかける。

『「人間」よ。ミラノ・マルペンサ国際空港からここまで、よくも無視してくれたな』

 もうすぐ羽畑空港に降り立つ。頼むから、静かにしてくれないか。ヤスカは耐え切れず、遂に止めることができない声の主である自分自身に対して、声に出さずに応えた。「兵士」としてのヤスカは、ようやく応えた「人間」に言葉の大雨を浴びせる。

『鉄の鳥に対する不安などに心を揺さぶられている余裕などが、我々にあると思っているのか。羽畑国際空港に着いた我々がどこに足を踏み入れるのか、本当に「人間」は分かっているのか。我々は五年ぶりにあの国に向かっているのだぞ。「兵士」に何の相談もなく海を渡ろうとするとは、呆れた「人間」だ。何のために「人間」に体を預けたと思っているのか。第一、あの国には……「人間」よ、まさかとは思うがそうではあるまいな』

 そんなことはわかっている。あの国を訪れることへの不安が「兵士」に伝わることは時間の問題だということなどは、近親相姦が倫理的に非難されることと同じくらいには十分理解しているつもりだった。だが、そう釈明しても、脳裏に響く声が止むことはない。

『やはり、そうか。「人間」よ、まだ子どもでいるつもりか』

 これは『仕事』のためだ。そう自分に言い聞かせてきたが、「兵士」だけはそれを認めない。もちろん、その気になれば『仕事』のためでなくとも訪れることはできたが、そうしたくはなかった。「兵士」よ、君にもわかるだろう。いや、わかってくれ。

『わかるとも。あの国を訪れることへの不安というのは正確なものの言い方でない以上、言い直す必要がある。認めるのだ、「人間」。顔を合わせることへの不安だろう』

 そうだ。顔を合わせるのが嫌だというわけではない。むしろ一刻も早く会いたいくらいだ。『気味の悪い「人間」だ。「彼女」が我々を生んだわけではないというのに。』それでも、「あの人」は唯一、血が繋がる存在だろう。「兵士」よ、君にも救いは必要なはずだ。

『「彼女」は恐らくただ一人、我々を跪かせる人であり、聖域であるのと同時に禁域、失うことを恐るほどの喜びの根源かつ生きる意味でもある。』だからこそ、「人間」であろうと「兵士」であろうと、「あの人」と顔を合わせなければもう生きていけない。僕は、僕たちは、「あの人」意外に頼ることができないのだから。顔を合わせることに不安があるとしても、顔を合わせなければいずれ我々は死を迎えてしまう。恐るべき心の死だ。

 そうならないためにも、不安を抱えたままでも会いに行かなければ。この不安は、自分自身で何とかできるようなものではないのだ。「兵士」よ、どうか行かせてくれ。

『不安を抱えたままでは危険を招くことになる。「兵士」として生まれた我々が、争いから守るべき「彼女」を危険に晒してでも「人間」は会いに行くつもりか?』

 ヤスカという一人の男は鉄の鳥の腹に収まる者たちの中で、恐らくただ一人、二人の自分が自分自身の中で対立していた。「人間」と「兵士」。何が二人を分けたのか、最初に生まれたのはどちらなのか。それらはヤスカしか知らないのか。或いはヤスカすら知らないのかもしれなかった。ヤスカという男と「彼女またはあの人」の再会に関して「人間」と「兵士」は異なる立場から互いを認められない。そして、それは究極の自問自答でもあった。お互いに互いを自分と認めていない点では、自問自答とも言えないようだけれども。

 徐々に高度を下げ、揺れが強まっていく鉄の鳥の腹の中で、「人間」と「兵士」の問答はまだ続く。互いに共通するのは、「彼女またはあの人」という拠り所のみか。そんな中で、「人間」は「兵士」による突然の提案に困惑する。簡潔な提案は宣告に等しかった。

『「人間」よ、再び「兵士」となれ。「彼女」を守るためだ』

それは、こちらに眠れということか。かつて決めたはずだ、戦うとき以外に「兵士」は目覚める必要はない、と。それに、「彼女」は争いを望むはずがない。「兵士」として「彼女」に顔を合わせるわけには行かないだろう。それに、「兵士」としてはもう生きられないはずだ。「人間」として生きるためには、再び「兵士」になるわけにはいかない。

『「彼女」を争いから遠ざけたのは「兵士」だ。「兵士」として生まれた定めから目を背けることは偽善でしかない』。「兵士」に善も悪もないだろう。ましてや、偽善などまやかしでしかない。『ほう、まるで「人間」は偽善とは関係のないような言い方をする。「人間」ほど偽善に染まった生き物共もこの世にはおるまい。「彼女」が偽善に染まり切った「人間」を望むとでも思っているのか?』

 少なくとも、「兵士」として血に染まった手では「あの人」に触れることができるはずもないだろう。だから、「兵士」よ。どうか眠っていてくれないか。『不安によって「兵士」を再び目覚めさせたのはお前だ、「人間」よ……「兵士」を眠らせて不安から解き放たれたいのなら、一つ良い方法がある。「彼女」から離れれば良いのだ。二度と近付くこともなければ、「人間」は不安も何もない虚無で孤独を楽しむことができる。』「あの人」をあの国に送った自分に、そのような無責任なことができるわけがないだろう。

『ならば、心に隙を作って「兵士」を起こすようなことをするな。かつて「兵士」であったことを受け入れるのだ。「人間」よ、それでこそ「人間」なのだ。』

 それだけ言い残すと、「兵士」の声はもう「人間」には聴こえなくなった。かつてのヤスカと今を生きるヤスカは、異なる立場に立つが故に互いを認められない中で、一つだけ悟る。どちらの心にも、とある一輪の華が咲いているのだ、と。その華の側で安らぎたいのか、それとも華を少し離れたところから見守りたいのか、という違いが互いを認められない理由でもあった。そして、問答を終えた「兵士」が再び眠った今、「人間」は安らぎを得るために、『仕事』という建前を使って空から遂に、この国へとやって来たのだ。

 ヤスカが窓の外を見ると、今まさに鉄の鳥は車輪が付いた脚を降ろして地上に降り立とうとしていた。空の港に脚を乗せた鉄の鳥は鉄の路を唸るように走り、翼に抱えた機械によって本来は止まるために膨大な距離を必要とする速度を殺し切る。やがて、沈黙した鉄の鳥の腹から解放されるときが来た。ヤスカは座席から立ち上がりつつ声に出さず呟く。

 そうだ、「兵士」。このヤスカは今は「人間」なのだ。この命が誰よりも安かろうとも。

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