序章 ①
(……お人形さんみたい)
謁見の室。初めて帝の尊顔を見たとき、
(この御方が陛下……)
白い細面の顔に、紅色の線のような薄い唇。
口の端はゆるやかに上がっていて、目元は優しげに細められている。
肌にはほくろ一つなく、雪のような白さは体温を感じさせない。
黒い髪はしっとりとつやめき、金色の
翡翠の朝珠に龍の佩玉、まとう宝玉がかすむほどに美しい。だけど……。
(だけど、御心が見えないわ……)
笑みの向こうにあるはずの、人間らしさがまるで感じられなかった。
これほどまでに美しく、そしてとらえどころのない顔があるのだろうか?
天子とはそういうものなのだろうか?
「……花菫様?」
ななめ後ろに控えている指導係・
(いけない! 陛下への拝礼を)
思わず魅入ってしまっていた。両側にはずらりと妃嬪たちが椅子に座っていて、その視線が好奇から不審へと変わっていくのがわかる。
急いでひざまずき、両腕を目の高さに組んで顔をふせる。が、慌ててよろめいてしまい、「まあ!」「あら」と小さなざわめきが起こった。しりもちをつこうものなら、どんな罰を受けるかわからない。
「お……
頭は真っ白で、あれほど特訓したあいさつもろくにできず、しどろもどろになってしまう。あきれたようなため息がいくつも聞こえ、恥ずかしさに耳まで熱くなっていく。
「ほほほ。なんとかわいらしい妃でしょう! よいのですよ、そんなに緊張しなくても」
花菫は一瞬だけ目線を上げる。叱責させれるかと思いきや、笑って許してくれたのは皇太后だった。
玉座より一段低い場所に座っているが、豪奢な衣装が華やかで、帝よりも目を引く。
「遠くからよく来ましたね。わからぬことも多いでしょうが、徐々に慣れてきますから、心配せずとも大丈夫です。梅枝、指導係としてたのみますよ」
梅枝が「かしこまりました」と拝礼し、花菫も「は、はい。感謝申し上げます」ともう一度床に額をつけんばかりに頭を下げる。
「みなで助け合い、陛下のために心を尽くしましょう。それでは、今日はもう帰ってよろしいですよ」
皇太后が穏やかに告げると、さざめくような笑い声とともに衣擦れの音がして、妃たちが立ち上がったのがわかる。
その笑い声にまじって、ひそひそ話が聞こえてきた。
「奥州ですって」「あの衣装、いつのかしら?」
針で刺されたように、チクリと胸が痛んだ。
この肆ノ
花菫の着物は、母と兄が四方に手を尽くして生地を手に入れ、仕立ててくれた上物だ。だが高価であっても、宮都に入ってすぐに流行遅れだとわかった。
花菫が着ているのはたっぷりと生地を使った広袖だが、宮都の流行は細く袖をしぼった筒袖らしい。流行の最先端をいく後宮の妃たちは、筒袖の着物に長い紗の披帛(ひはく)を垂らしてその色合わせに工夫をこらしている。一昔前の野暮ったい服を着ているのは花菫だけで、身の置きどころがない。
そもそも花菫の実家・周家は雑貨商で、家柄も低く、宮廷とは無縁だった。豪商として知られてはいたものの、十二年前に父が死んでから商売は徐々に傾いて、今は先祖代々の家伝宝物を切り売りするほど落ちぶれていた。
そんなときに、花菫に後宮入りの声がかかった。妃候補を探していた役人が、どこかで「周家に美しい娘がいる」と聞きつけ、話を持ちこんできた。兄は一も二もなく飛びついた。娘のおとなしい性格を知っている母は大反対したが、いざ妃として召し上げられることが決まると、「ご寵愛を受けんことを」とひたすら御仏と亡き父に祈った。
今の帝、広治帝(こうちてい)はまだ若く、子はいない。花菫が早々に皇子を産めば、その子は継承権の高い皇太子となる。つぶれかけた周家が皇帝の外戚として名家の仲間入りができるのだ。いわば花菫は、周家の期待を一身に背負ってきたのである。
(でも、無理……)
いざ後宮に入ると、明らかに場違いで浮いていた。持ってきた着物や髪飾りは流行遅れだし、上流階級の礼儀作法はちんぷんかんぷん。拝礼の仕方から口の利き方までわからず、指南役の梅枝に「あたくしも後宮は長いですが、これほどなにも知らないお嬢さまが入宮してきたことはございません!」とあきれられるほど。それでも懸命に今日の拝謁のために特訓したのだが、この失態だ。
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