第2話「迷宮の奥、密かな嫉妬」
迷宮都市の活気ある喧騒が遠ざかり、代わりに肌を刺すような冷たい空気が全身を包み込んだ。ルナが「ひゃっくし!」と可愛らしいくしゃみをすると、アリスが慌ててマフラーを首元に巻き直す。
「冒険前に風邪ひくなよ」
俺が苦笑いしながら言うと、ルナは嬉しそうに俺の腕に抱きついた。
「へーき!ケンイチくんが守ってくれるでしょ!」
そんな光景に、エリーゼは呆れたように一つため息をつく。
「子供かあなたは。…風邪を引いてパーティに迷惑をかけないよう、自己管理は徹底しなさい」
その冷たい声は、迷宮の空気と同じくらい冷ややかだった。
地下へと続く石造りの通路は、まるで外界の熱をすべて吸い取ってしまったかのようだ。鼻腔をくすぐるのは、湿った土と苔、そして遠くから漂う血の匂い。足を踏み出すたびに、水溜まりがチャプンと音を立て、その反響が壁にこだまして不気味に響く。この迷宮は、底知れない深さで俺たちを飲み込もうとしているかのようだった。
「ケンイチくん、ここの魔物はちょっと強いから気をつけてね!」
ルナが元気な声で先頭を跳ねるように駆けていく。俺は剣聖スキルを発動させ、迷宮に漂う魔物の気配を、きらめく光の粒として視覚化する。それはまるで、空気中に浮かぶ蛍の群れのようだ。アリスは壁に生えた奇妙な苔に興味津々で「この苔、薬草として使えるかもしれません!」と嬉しそうにメモを取り、ルナは魔物の匂いを嗅ぎ「なんか、お腹減った…!」と呟いていた。
その瞬間、小型のコウモリの群れが頭上から襲いかかってきた。
「わあ!」
アリスが悲鳴を上げる間もなく、ルナが「うりゃ!」と叫んで突進する。しかし、彼女の攻撃は届かない。その光景を横で見ていたエリーゼは、冷ややかな視線を向けたまま、指先から魔法を放った。一瞬にして魔法陣が展開され、コウモリの群れは凍りつき、地面に落下する。
「…非効率ね」
エリーゼの言葉に、俺は心の中で毒づく。
(俺の出番、ゼロじゃん!せっかく剣聖スキルまであるのに、なんで俺、見学してるんだ!?)
そう思った、その直後だった。地面が大きく揺れた。
ドォォォォォン!!
まるで世界が崩れ落ちるような轟音とともに、頭上から大量の土砂が降り注いだ。土と石の強烈な臭いが鼻をつき、粉塵が舞って視界を奪う。俺は咄嗟にアリスを庇い、その場に屈み込んだ。ごつごつとした岩が背中に当たり、重みがのしかかる。小さな悲鳴とともに、アリスの柔らかい体が俺の腕の中に飛び込んできた。
「…ケンイチさん、怖いです…」
アリスの声が震えている。暗闇の中、彼女は俺の袖を強く掴んだ。俺は剣聖スキルで周囲の状況を確認するが、魔力によって強化された岩の壁に分断され、ルナたちの気配は遮断されていた。
「アリス、大丈夫だ。光を灯せるか?」
俺がそう促すと、彼女は震えながらも掌に治癒の光を灯した。その光が二人を包み込み、俺とアリスの距離がさらに近づく。彼女の吐息が俺の首筋にかかるほどだ。
「ケンイチさん、いつも、私を守ってくれてありがとうございます…」
「俺はただ、お前を守りたかっただけだ」
アリスは俺の腕に治癒魔法をかけてくれる。怪我はしていないと伝えたが、彼女は「念のため」と言って、優しく治癒の光を注いでくれた。その光は、陽だまりのように俺を包み込む。
「私も、ケンイチさんを守りたいんです」
彼女は小声で、まるで独り言のように呟いた。その言葉に、俺の心はざわつく。
(いやいや、俺を守ってどうする!戦力比おかしいだろ!剣聖の俺と、聖女のお前だぞ!完全に俺が守る側だろ!なんでお前が俺を守ろうとしてんだ!?)
俺は混乱する思考を無理やり鎮め、剣聖スキルを発動させた。岩の壁に斬撃を放つ。
ドォォン!!
空気が震え、耳が痛くなるほどの轟音とともに、純粋な光の筋が暗闇を切り裂いた。視界が真っ白になり、アリスは思わず目を閉じて俺にしがみつく。刃が走る軌跡が鮮やかな残像となって目に焼き付いた後、岩は内部から崩壊し、粉々になって砕け散った。舞い上がる石片の向こうで、ルナとエリーゼが呆然と立ち尽くしていた。
「ケンイチくん!」
ルナは涙目で駆け寄ろうとしたが、俺とアリスの距離の近さに気づくと、ピタリと動きを止めた。彼女の獣耳がへにゃりと下がり、尻尾の動きも止まる。エリーゼも、複雑な表情で俺たちを見つめていた。その瞳には、ほんの一瞬、氷のような冷たさが宿ったように見えた。
「……遅かったわね。非効率的だわ」
エリーゼは冷たく言い放つと、何も言わずにスタスタと先を歩き出した。ルナはぷいっと不貞腐れたようにそっぽを向き、二人についていく。彼女たちの態度の変化に、俺は首を傾げるしかなかった。
(…なんか、俺、怒らせた…?いや、違う。これが“嫉妬”ってやつか?いやいや、俺は剣聖だぞ。魔物を斬るためにスキルを授かったんだ。まさか、女の子同士の感情まで斬り分ける羽目になるなんて…。剣聖スキル:敵を斬る。じゃなくて、「剣聖スキル:女子の感情を切り分ける」になってる気がしてならない。俺の未来、迷宮の最深部じゃなくて、恋愛修羅場が待ってるんじゃ…?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます