第16話 大分④

 海羽達がキャンプ場に着いたのは、もう日が沈み始めた頃だった。急いでチェックインし、道具を借りると、割り当てられた区画に移動する。隣にはトラックと見紛うほどのキャンピングカーが停まっていた。


「すっご。本格的だ」


 ヒカリは車に視線が釘付けになる。


「ヒカリちゃん。真っ暗になる前にテント組み立てないとっ」

「そうだった。ごめんごめん」


 二人がかりで、ポールを組み、ドーム型のテントを張る。四隅にペグを打ち終わると、陽が完全に沈んだ。初心者向けなだけあって、すんなりと設営できた。


「BBQ付きプランとか便利だよね。でも火つけるの大変って聞くけど、あたし達できるかな?」

「着火剤が付いてるみたいだから、大丈夫だと思う」


 キャンプ場のスタッフがBBQコンロなど、道具一式と食材を運んでくれたので、海羽達はお礼を口にする。

 ランタンの光で食材を確認すると、牛肉のロース、カルビ、鶏肉、ホルモン、野菜といったラインナップだった。


「地元の食材らしいよ」

「美味しそーっ。あたしが火を起こしてもいい?」

「もちろん。着火剤を下に置いて、周りに炭を立てかけるといいらしいよ」


 海羽がランタンを高く掲げると、ヒカリは海羽に言われた通りに着火剤と炭を並べると、着火剤に火をつけた。あっという間に燃え上がり、炭に火が燃え移る。


「これってすぐ焼いていいの?」

「炭から火が出てる間は良くないみたい。白くなるまで待ったほうが、食材が焦げないんだって」


 海羽はシビルバンドで検索したネット記事を読みながら答える。


「早く白くなれー」


 しばらく待つと、火が落ち着き、炭が白く燃え始めた。


「海羽っ! もういいよねっ? 焼こう焼こうっ!」


 ヒカリが野菜と肉を網の上に置いていくと、香ばしい匂いが広がっていく。


「匂いだけでご飯食べれそう」


 ヒカリの言葉に海羽はクスクスと笑う。


「本当だね。焼けてきたから食べようか」


 海羽は野菜を、ヒカリはカルビを皿に取り、口にする。


「うんまーっ。炭で焼くお肉って、なんでこんなに美味しいんだろ」

「野菜も新鮮だよ。甘味がすごい」


 二人はBBQを堪能し終えると、風呂で汗を流した。入浴場からテントに戻る道すがら、空を見上げると満天の星空が煌々と輝いていた。


「きれー。だけど、夏なのに肌寒いね」

「標高が高いからね。焚き火しながら、星空を見ようか」


 二人は、焚き火のセットを済ませると、チェアに座って夜空を見上げる。


「こんなに綺麗な星空、初めて見る」

「あたしも。吸い込まれちゃいそう……。あっ!」


 ヒカリは立ち上がると、ランタンを高く掲げて、海羽の前に立つ。海羽が首を傾げながら、ヒカリを見つめると、ヒカリが驚いた顔つきになる。


「みっ、海羽っ! UFOに吸い込まれちゃうよーっ!」


 そう言って、ヒカリは爪先立ちをした。ヒカリが期待する目で海羽を見る。


「気分が台無しだよヒカリちゃん」


 ヒカリは項垂れた。


「海羽って、容赦なくなったよね……。それがいいんだけどさ。でも傷つく……」

「ごめんなさい。でも、私にとってもヒカリちゃんにとっても、必要なことだから」

「わかってる。わかってるよ。ギャグが面白くないあたしが悪いの」


 そう言いながら、ヒカリはチェアに座り直した。


「ヒカリちゃんはギャグじゃなくても、人を笑顔に出来る人だと思うけどな」

「そうなのかな……」


 自信のなさそうな表情になるヒカリ。


「だって、私はヒカリちゃんと旅しててずっと楽しいから」


 海羽は笑顔を見せる。


「海羽……。ヘクチッ!」


 ヒカリは大きなくしゃみをして、体をぶるりと震わせる。


「寒い? 風邪ひかないように――」


 その時、背後から男性の声が聞こえた。


「良かったら、温かいココアでもいかがですかな?」


 海羽が後ろを振り返ると、一人の老人が両手にマグカップを持っていた。マグカップからは白い湯気が立ち上って、甘い香りが漂ってくる。


「いいんですか?」


 海羽は突然の親切に甘えていいのか、躊躇ちゅうちょした。


「はい。その代わりといってはなんですが、少し老人のお喋りに付き合っていただけると、ありがたいのですが」

「もちろんですっ。あたし達、こういう出会いのために旅をしてるのでっ」

「ありがとうございます。では、冷めないうちにどうぞ」


 そう言って、男性はマグカップを海羽達に手渡すと、自分のチェアと飲み物を隣から持ってきた。


「初めまして。僕は三枝勝といいます。あのキャンピングカーで、全国をふらふらと旅しています」


 男性が指さしたのは、ヒカリが釘付けになった立派なキャンピングカーだった。


「私は遠野海羽といいます。東京から沖縄に向かって旅をしてます」

「あたしは九条ヒカリですっ。L.I.Q.制度じゃ測れない価値あるものを探してますっ」

「君たちはまだ十代でしょう? 面白い旅をしていますね」


 三枝の皺が深くなる。


「三枝さんはいつから旅をしてるんですか?」

「七十歳の時からこの旅を始めて、もう十年になりますかね」

「すごーい。ベテランだ。全国制覇したんですか?」


 三枝は首を横に振る。


「歳を取ると、そう長い距離は移動できないんです。それに日本は広い。行きたいところはまだまだあります」

「三枝さんはどうして旅をしてるんですか?」


 すると三枝は優しげに微笑んだ。


「妻と良く話してたんです。いつか旅をしよう。全国の名所を回って、色んな景色を見ようって。それを叶えてるんです」


 海羽は、その言葉が過去形なことで察した。


「奥さんってどんな人ですか?」


 ヒカリが無邪気に尋ねる。


「彼女は小さな頃から病弱だったそうです。僕が二十五歳の時に結婚したんですが、僕の世代は第一次ベビーブームの直後で、結婚がある種ブームのようなものだったんです。当時の僕は、親戚やら会社の上司から毎日のように見合いの話が舞い込んできました。だけど」


 そこで三枝は言葉を切り、飲み物を口にした。


「ある日、公園で苦しげに座り込んでる女性に出会いました。心配になって、声をかけましてね。下心はなかったつもりなんですが、彼女の瞳を見た瞬間、心を奪われました。彼女を介抱した後に、僕はプロポーズしました」

「キャーッ!」


 ヒカリが黄色い声を上げる。


「でも断られました。私は満足に家事をこなす事も、ましてや子どもを産むこともできない。私なんか結婚する資格はないんですと。だけど僕は諦められなかった。僕が生涯を共にするのは彼女しかいないと思ったんです。そして彼女は根負けしました」

「素敵―っ」

「三枝さんが結婚されたのって、人口がどんどん増えていた時代ですよね? 失礼ですけど、周りはどんな反応だったのか聞いてもいいですか?」


 結婚が当たり前になり、人口が段々と増えていた当時は、L.I.Q.制度導入後の現在と重なるところがあると感じたため、海羽はどうしても聞いてみたかった。


「もちろん反対されましたよ。結婚した後も、子どもがいないことで陰口を言われました。彼女は季節の変わり目になると寝込むことも多くて、僕が家事や看護もしていたので、周りからしたら人生を捨てたようなものと映ったようです」

「酷い……」


 海羽の口から自然と言葉が溢れた。


「でもね。僕は彼女と結婚したことを一度も後悔したことはありません。彼女と過ごす時間はかけがえのない光だった。その光が、今も僕を灯してくれます」


 そう言って、三枝は笑う。どこまでも穏やかで優しい声音に、海羽は泣きそうになった。鼻を啜る音がして、ヒカリを見ると、ヒカリの瞳は潤んでいた。


「すごく素敵な話を聞かせてくれてありがとうございます。三枝さんが、奥さんのことをどれだけ大事に想ってるのか、すごく伝わりました」


 ヒカリは涙声で気持ちを伝えた。


「そう言ってもらえると僕も彼女も救われます。僕らは周りから祝福されなかったですから、親戚づきあいもだんだん疎遠になりましてね。子どももいないので、彼女のことを覚えてる人がいないんです。良かったら、彼女のことを少しでも覚えていていただけると、嬉しいです」

「お名前を聞かせてもらってもいいですか?」

「千佳といいます。数字の千に、美しいの佳で、千佳です」

「あたし達は、勝さんと千佳さんを祝福しますっ! 絶対に忘れませんからっ!」

「……ありがとうございます」


 ヒカリの言葉を受けて、三枝は静かに眉間を押さえた。

 海羽達はココアのお礼を伝えて、テントに入った。シュラフに入りながら、三枝から聞いた話を振り返る。


「すごい話聞いちゃったね。なんて言ったらいいかわからないけど、胸がいっぱいになった」


 ヒカリが上を見上げながら口にする。


「周りからどれだけ反対されても、大切にしたい人がいるって凄いよね。きっと、看病だって大変だったはずなのに。そういう時間すら二人にとっては、尊い思い出なんだ」

「当人同士が好き合ってるんだから、反対するなんて野暮なのに」


 ヒカリが憤慨した口調になり、海羽は苦笑する。


「それはそうなんだけどね。でも、周りも意地悪しようと思ってたわけじゃないんじゃないかな」

「どういうこと?」

「その人達の考える幸せの形があって、三枝さんがそこから外れようとしたから止めたんだと思う。私のお母さんが、L.I.Q.制度に順応するのが幸せだと思ってたように」

「幸せの形かぁ。それって、みんな同じものなのかな?」

「私は違うと思ってる。だから、この旅を始めたんだし。でも、常識とか流行とか時代によって、これが幸せな生き方だって、無意識に考えちゃうんだと思う」

「そういうのに逆らって生きるって、鮭みたいだね」

「鮭? どういうこと?」

「鮭って、川を登って産卵するんでしょ? 最初から川で生きてればそんなことしなくて済むのに、わざわざ海で育つなんてさ。あっ、ってことは、あたし達って鮭なんじゃない?」


 ヒカリが肘を使って起き上がり、海羽を見る。


「ヒカリちゃんって、やっぱり無理にギャグ言おうとしない方が面白いよ」

「喜んでいいのかビミョー」

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

「うん。……もう少しランタン付けててもいい?」

「いいけど? じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」


 そして海羽は、瞳をつぶった。


 *


 L.I.Q.庁のビルで、一人の男性が会議室で玲奈と向かい合っていた。


「あのー。久我さん。もう二十二時を回ってますし、続きは明日にしませんか?」


 久我と呼ばれた男性は、こめかみがピクピクと動いた。


「黒川。与えられた仕事も全う出来ず、遊び回っていた人間が言えた台詞か?」


 吐き捨てるように発せられた言葉は、鋭利なナイフのように鋭かった。玲奈の体が萎縮する。


「す、すみませんでしたっ! でもでも、遊んでいたわけではなく、二人にL.I.Q.制度の素晴らしさを教えようと――」

「貴様の言い訳など聞きたくもない。それに明日は、俺は出張だ」


 玲奈が下を向いて、ホッと息を吐く。


「九条ヒカリを連行する。彼女は沖縄に向かっている。そうだったな?」


 玲奈の顔に緊張が走る。おずおずと顔を上げて頷く。


「そうです……」


 久我はシビルバンドを操作して、ヒカリの現在地を確認する。


「大分県にいるな。明日は宮崎県に向かう可能性が高いか」


 久我が本気になったことに、玲奈は戦慄する。

 海羽さん、ヒカリさん……。どうか無事に帰ってきてください。


 *

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