隣の空白

テマキズシ

隣の空白


 鳥の鳴き声を目覚まし時計代わりに、私はベッドから起き上がる。

 未だに慣れない、妙なまでに明るい部屋で目覚めた私は、静かにベッドから降り行動を開始した。


 この時間は私の居る老人ホームの職員達の交代時間の為、今ならバレずに外へと逃げることができる。

 静かに、音を立てないように。まるで忍者になった気分で外へと。

 カメラはもう諦めて、なるべく早く。目的の場所へ。



 私の家へと向かっていく。


 照りつく太陽の下。

 だけど私はあまり暑いと思うことができない。老化し、衰えたせいだ。

 視界はすでにぼやけていて、果たしてこれが本当に現実の光景なのか判断がつかない。


 それでも私が歩くのは、毎晩のように見る私の夢のせいだ。

 あの夢が、私の心を家へと掻き立てる。



 木造でできた、ボロボロでけど温かみのある私の家。

 私が毎日の日課である大河ドラマをソファーで見ている。


 ……たったそれだけの夢。

 だが、何か寂しいのだ。隣に誰か、大切な人がいたような。

 そんな気がして、妙に心が揺れ動く。


 けれどソファには誰もいない。私の隣は空白だった。

 震える手を握りしめ、私は歩を進める。


 バス停についた私はなけなしの小銭を握りしめ、ベンチへ腰を掛ける。

 その時、ふと隣が気になった。

 一瞬だけ何か心にジンとくる、懐かしい匂いを感じたからだ。


 しかし隣には誰も居ない。

 そんな私の事を嘲笑うように、カラスの鳴き声が木霊した。

 そしてカラス達は飛び立ち、変わりに大きな車が一台現れる。


 車の中から現れたのは老人ホームの職員達。

 私は抵抗し家へ帰りたいというが、一切話を聞いてくれることなく、老人ホームへと連れ戻された。


 何度も、何度も。桜が咲いても、蝉の歌声が聞こえても、木々が彩られ始めても、そして雪が降る時期になっても。

 私は家へと向かったが、その度に職員達に止められてしまう。


 止められる度に私の心は見えない闇に蝕まれるような感覚を受け、体が徐々に動かなくなってきた。

 時折意識が揺らいだり、眠る時間が長くなっていく。


 ……私はもう死ぬのだと、誰かに言われることは無かったが、謎の確信があった。

 ただ幸いな事に私は遺書を残す際は居ない。

 全ての財産を慈善団体に寄付するよう遺書に書き、亡くなったら職員達に読んでもらう様に頼んでおいた。


 会話するのも難しくなったが、職員達は最後まで話を聞いてくれる。

 外出を止められること以外は本当に優しく、こんなジジイを助けてくれる良い人達だ。

 受け取ってくれないとは思うが、それでも彼らに少しだけでも何かを渡してあげたいと、そう思う。



 そんな事を考えていたある日、とうとう私は外へ出ることが出来なくなった。

 夢を見ることはできるが、ただそれだけ。

 私はまともに肉体を動かすことができなくなり、壊れたブリキ人形に成り果てた。


 息をすることが辛くなり、死へと向かう日々。

 時間の感覚が掴めなくなった私には分からなかったが、職員曰く、既に半年の時が流れていたそうだ。


 手足が冷たくなり、呼吸に異音が混ざる。

 いよいよお迎えが来る。私はそう確信を持った。


 心残りは一つだけ。

 あの夢に出てきた空白を、隣にいるダレカを…私は探し求めてきたが見つけることは出来なかった。

 それだけが唯一の…心残りだ。



 お迎えの日。今日はいつもとは違う職員さんが入ってきた。

 彼女は私相手に何やら話をしてきたが、いかんせん耳も遠くなり、頭も回らない今では彼女が何を言っているのかが分からない。


 ただボウっと、彼女の言葉にただ頷く。

 これだけが今の私ができる、まだ意識があることの証明だった。


 彼女は持ってきた手提げから何かを取り出す。

 それは一つの御守だった。



 ……なにやら、心がざわつき始めた。

 彼女はそんな私の様子を見ることなく、次から次へと手提げから色んな物を取り出す。

 それらは全てかなりの時が経っているのか古臭く、時代にそぐわない物ばかり。


 それなのに、心のざわつきは増えていく。

 そして彼女は最後に一枚の写真を取り出した。

 そこに写っていたのは見たことのない初老の女性。ボヤボヤしててよく見えない。



 ……いいや。まてよ?

 彼女の事…………私は知っている?


 ああ…。ああ!! 間違い無い!!! 私は彼女を知っている!!

 だって彼女は……私の妻なのだから。


 彼女との思い出が、まるで映画のフィルムのように頭に流れてゆく。

 次第に写真の顔が鮮明になる。

 頬を何か温かい水が伝っていき、私は嗚咽をあげた。


 ようやく私は、隣にいた誰かを思い出すことができたのだ。

 わたしは震える手で娘の頬に触れる。


 お前のことも…忘れていて、本当に済まなかった。

 掠れる手で呟き、私は目を閉じる。





 再び目を開けると、私は自室に居た。

 私の大好きな大河ドラマ。ふと…横から懐かしい匂いを感じる。

 私は微笑み、彼女の方を向いた。



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