混沌区立米米高校転校記

佐波.A

初日: 誠意と英語の校舎裏

親の都合で、僕――佐藤は地方の進学校から、東京のA区にある高校へ転校することになった。

「進学校からの転校生」という響きは、普通なら多少の憧れや尊敬を集めるものかもしれない。だが、僕の新しい学校は、最初の一時間目から常識の外側を軽々と飛び越えていた。


右を見ると、真顔でノンアルコールビールを飲んでいる生徒。

「いや、それ本当にノンアルか?」と突っ込みたいが、先生も何も言わない。

左を見れば、机を寄せ合ってボードゲーム『カタン』を真剣にプレイしている謎の集団。

「授業中だよな、これ……」と頭を抱えたくなる。


この学校、完全にカオスだった。


そんな混沌を体験したばかりの初日昼休み。僕はクラスメイトと親睦を深める間もなく、なぜか学校の裏へ連れ出されていた。


取り囲んでいるのは、いかにもヤンキー風の男たち。赤く染めた髪に、だるそうな目つき。テンプレのように胸ぐらを掴まれ、いきなり高圧的な声を浴びせられる。


「おい転校生、調子乗ってんじゃねぇぞ?」


(いや、乗る調子すら与えられてないんだが。)


そんな僕の危機に、救いの女神……いや、正確には清楚系眼鏡女子が現れた。

黒髪をきちんと結び、真面目そうな制服姿。まるで教科書から抜け出したような清廉さ。


彼女は一歩近づき、落ち着いた声で言った。


「大丈夫ですか?」


僕は胸ぐらを掴まれたまま、なんとか返す。


「君は……?」


「同じクラスの委員長、早苗と申します。困ったことがあったら何でも言ってくださいね」


あまりに穏やかな口調に、僕の方が混乱する。


「僕は転校生の佐藤……って、今そんなことしてる場合じゃないんだが……!」


必死に答える横で、ヤンキーの手はますます力を込めてくる。


それを見て、早苗は小首をかしげながら言った。


「もしかして困ってますか?」


「これが大丈夫そうに見えるか~~~! 早く先生呼んでくれ!」


叫ぶ僕に、早苗は眼鏡の奥の瞳を細め、まるで品評するかのように言葉を返す。


「人に物を頼むときには、誠意を見せる必要があるんじゃないでしょうか」


……この人、天然なのか鬼なのか、どっちだ!?


混沌の学校生活は、初日からすでに波乱の幕を開けていた。


「おい転校生、叫んでも無駄だぜ。ここは俺たちのシマなんだよ」


――まさか学校に“シマ”があるのか、この高校。

不良漫画の読みすぎじゃないのか、こいつら。


胸ぐらを掴まれて必死にもがく僕の耳に、のんきな声が飛び込んできた。


「あのぉ……誠意の方は?」


振り返れば、相変わらず眼鏡を押さえながら落ち着き払った委員長・早苗が立っていた。

え、誠意? 今この状況で!?


「はぁ!? 誠意? こっちは窒息しかけてんだけど!」


すると委員長・早苗は、胸の前で両手を重ね、うっとりとした顔でこう呟いた。


「息を……息を呑む美しさなんて……」


「いや誰がロマンチックな表現求めてんだよ!? 今ガチで息止まってんの!!」


「つまり佐藤くんは、文字通り“息を呑んでいる”状態なんですね。詩的です」


「助けろよぉぉぉぉぉ!!!」


僕の必死の絶叫をかき消すように、ヤンキーがドヤ顔で口を開いた。


「……息を呑むは英語で――Breathtaking」


「いや急に授業始めんな!?」

僕は胸ぐらを掴まれたまま、思わずツッコむ。


「すごいです!」

横で委員長・早苗が目を輝かせた。

「まさかあなた、英語の授業を先取りしているんですか? 不良に見えてとても学習意欲が高いんですね!」


「いや学習意欲じゃなくて威圧感で息止まってんだよ!!」


ヤンキーは鼻で笑いながら、さらに英語を続ける。

「転校生、こういうのを英語で何て言うか知ってるか?」


「し、知らんよ!」


「――Welcome to Hell.」


「それ英語力の無駄遣いだろ!!」


「素晴らしい発音です」

早苗はなぜか拍手をしている。

「授業中にカタンをやっている人たちより、よほど教育的です」


「教育的じゃねぇ!!!」

僕の叫びが、また校舎裏に響き渡った。


「じゃあ次の授業だ。リピートアフターミー!OK?!」


「なんでだよ!」

胸ぐらを掴まれたまま、僕は必死にツッコミを入れる。


ヤンキーは得意げに読み上げる。

「『お前に明日は来ない』は英語で…… トゥモロー グッナイ!…」


「明日が来てるじゃねえか! 殺意ゼロだろ!!!」

僕は思わず全力で突っ込む。


その横で、早苗が目を輝かせながら拍手した。

「すごい! ネイティブ並みの誤訳です!まるで声が紡ぎ出す現代アート!」


「褒めるな!! ネイティブ並みの誤訳ってなんだよ!しかもなんで間違いを芸術扱いしてんだよ!意味がわからないよ!」

僕の叫びは、校舎裏の壁に反響する。


ヤンキーは勝ち誇った笑みを浮かべる。

「ほら転校生、ついてこれるか? ここは俺たちのシマ――そして俺の英会話教室”ルベリッツ”だ!」


「聞き覚えのある新手のシマだな……」

僕は思わず呆れる。


「いいえ」

早苗が真顔で口を挟む。

「これは英語ディベートの場です。佐藤くん、勝つには“誠意”を英語で言ってみてください」


「誠意を英語で!? えっと確か……」


ヤンキーが割り込む。

「――シリアス ハート!」


「絶対違うだろぉぉぉぉぉ!!!」

僕の叫びは校舎裏に響き渡り、転校初日の胸ぐら事件は混乱の渦に包まれたまま、幕を閉じた。


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