優等性不良と悪魔令嬢~学園一の美人令嬢の秘密を知ったら、なぜか襲われました~

丸井メガネ

第1話 初めてのキスはアブナイ味がして

「......ん、ちゅ......んぷ」

 薄暗い寂れたカフェの一角で、卑猥な口淫の音が響く。長い黒髪を可愛らしく纏めたボーイッシュな彼女は、他の客がいないことをいいことに積極的に舌を絡め、呆気に取られている男を貪らんと更に激しく抱きしめる。

 男は何が起きたのか理解しておらず、幼い子供のように両目を素早く瞬きさせ呆然としていた。

 やがて男を一層強く抱きしめた女は、満足したかのようにゆっくりと舌を引き抜くと、赤面して固まっている男の横に来て写真を撮る。

 シャツの間からはだけた胸元がしっかり映るようにしたポージング。男の両腕を腰に回させ、まるで襲われているかのようなツーショット。その乾いたシャッター音で、男はハッと我に返る。

「ごほ......お、お前今......何を......」

「あつーいキス? 気持ち良かった?」

 女は蕩けきった雌顔で、男にもう一度軽くキスをすると悪魔的な笑みを口元に浮かべる。手に握られたスマホには彼女が男とキスをしている写真が表示されており、彼女はそれを見せつけるように振っている。

「これで、黙っててくれるよね。私の大事なひ・み・つ♡」

 学校一のお嬢様が、清楚で真面目で優秀な彼女が、ショートヘアの男装で、自分の腰の上に座っている。そして、自分と熱いキスを交わして、タバコを吸わせて悪魔的な笑みを浮かべている。

 男はようやく状況を理解したのか、金魚のようにパクパクと口を震わせている。

「ふ……ふ……ふざけるなー!」

 やがて興奮と驚きで真っ赤に湯だった男の口元が歪み、彼の絶叫が虚しく響いた。

 この日、高校生日比谷蒼人の平穏な生活は幕を閉じ、波乱万丈な日常が幕を開けたのだ。


 


 高校生、日比谷蒼人は学校生活にある二つの悩みを抱えていた。

 一つは、友達ができないことである。もちろん、彼が陰キャという訳でもなければ、自分の事を自慢して回るような嫌な奴でもない。

 ではなぜか?

 それは、周りの学生を見れば一目でわかる。

 朝、登校した彼が玄関に入れば、

「ひっ! ご、ごめんなさい! すぐにどきます!」

 生徒たちは蜘蛛の子を散らすように消えていく。

 昼、お弁当を忘れて学食に顔を出せば、

「ひっ、すみません! すぐに席空けますね!」

 わざわざ四人用のテーブルに一人で座ることになる。

 そう、彼は恐れられているのだ。

 金髪ショート、筋肉質の高身長、そしてオオカミのような鋭い目つき。まさに不良と言われる部類の人間だ。

 そう、見た目だけなら間違いなく不良であった。

「よう蒼人。相変わらず浮いてんな」

「もう慣れたよ」

 もちろん、蒼人の強がりである。実際は寂しくて仕方がない。

「なるほど、寂しいと。仕方がない、優しい誠也君が、一緒にご飯を食べてあげよう」

 蒼人は一瞬、エスパーでも持っているのかと、ふざけたツッコミを入れそうになった。

 彼は実に察しがいい友人である。

「お前、人の話聞いてたか? ていうか、俺を人除けに使ってんじゃねえ」

 蒼人の話を全く聞いていない誠也は、お構いなしに席に着くと豪華なお弁当を広げて食べ始める。

 見ているだけで腹の空きそうな豪勢な弁当を尻目に、蒼人は手元にある学食のカレーを口に運ぶ。

「それにしても珍しいね。人目を嫌う君が学食で食べるなんて。」

「忘れただけだよ」

「コックに作ってもらえばよかったのに」

「家には頼らねえ。知ってんだろ」

 蒼人が日本一の財閥、日比谷グループの跡継ぎである事を知っている人間は数少ない。公表されていないのは彼の意向だからであるが、友達が少ないのもそのことが原因だろう。

 彼が財閥の跡継ぎだと知れば、少なくとも友達は増えているはずだ。もっとも、ある事情を抱えていた彼は自身の家を嫌っているのだが。

 しかしその背景があったとしても、日本の大企業や財閥の子息が通う楼学館において、彼ほど浮いている人物は彼を含めて二人しかいない。それも、悪い意味で浮いているのは彼だけである。

「ったく、お前も少しは姫野さんを見習ったらどうだ?」

 誠也が指差す先には、一人で黙々と昼食を食べるお嬢様の姿があった。蒼人とは違う、高嶺の花というべきか。お腹辺りまで伸びている黒い髪は、さらりという音が聞こえそうな程しなやかで、高校生とは思えないほど発育の進んだ細身の身体。

 間違いなく、年頃の高校生なら誰でも惚れてしまうような完璧な存在。それがこの学園で有名な令嬢、姫野彩華だった。

「姫野グループの御令嬢か......すげえよな。どんだけ運が良けりゃあんないい家に生まれるんだ?」

「さあな」

 確かに、生まれる家は選べない。運がいいのかもしれない。だが、生まれた家がすべてではない。

 くだらない話題に付き合うことなく、蒼人は空いたトレーを持って席を立つ。

「おい、まだ食ってるんだけど?」

「誘った覚えはないぞ。それに、お前食べ終わるの長いだろ」

「待ってくれるのが友達じゃないのかい?」

「たかが飯くらい一人で食えよ。俺は忙しいんだ」

 ちらりと蒼人の視線が泳ぐ。視線の先には、同じく食事を終えたばかりの彩華がいる。彼女は蒼人の視線に気づいて、一瞬微笑むと直ぐに学食を後にする。

 彼女こそが、今彼を困らせている二つ目の悩みである。

 そう、蒼人は忙しいのだ。これから学園一の御令嬢に、会いに行かねばならないのだから。


「遅かったね蒼人」

 人気のない校舎裏の非常階段。その一角で、階段に腰掛けていた彩華はのんびり来たであろう蒼人に声を掛ける。

「校内で呼び出すな。あと、パンツ見えてるぞ」

 はしたなく組んだ足の隙間から見える白い布地を、彩華は慌てて隠す。

「......えっち」

 頬を赤らめながら、上目づかいで呟く彩華は破壊力抜群だったが、蒼人には一切効き目がない。

「見せてたくせに、可愛い子ぶってんなよ」

「む、つれないな~。こういう時は、慌てて弁明するのがテンプレだと思うんだけど?」

「もうその類は効かねえよ」

「一昨日はあんなに興奮してたのに?」

 その一言で、蒼人の顔が一気に赤くなる。カフェでの出来事が脳裏に浮かんだ蒼人は、柄に似合わず取り乱す。

「あ、あれはお前のせいだろ!」

「ん~? あれって、何の事かな?」

 彩華は一昨日と同じ様な、悪魔的な笑みを浮かべる。いつの間にか取り出されていたスマートフォンには、あの時の写真が映し出されていた。

「もしかしてー、これの事かな?」

「くっ......それはお前が!」

「蒼人はこれがある限り私に協力するしかない。そうだと思うけど?」

 蒼人は、グッと口ごもる。そう、彼は彩華に逆らえないのだ。あの画像がある限り、彼が平穏な学校生活を送るために、彼は彼女に従うしかなかった。

 全ては一昨日の夜、彼女に声をかけた時から始まったのだ。


運命の日、蒼人は急なバイトのシフトに入っていた。何でも、店長が用事があるとか何とかで、急遽連絡があったのだ。

「お疲れ様です」

 薄暗いバーの扉を開けて、蒼人はカウンターの奥にいる若い女性に挨拶する。

「ああ、お疲れ様。今日は悪いね」

 若くも大人びた雰囲気を醸し出しているのは、蒼人のバイト先の店長、久世冬美だ。後ろ高目で纏めた黒いポニーテールがよく似合っている。

「ちょっと妹のところに」

「そうか、小夜ちゃんは元気だったかい?」

「ええ。今度、連れてきますよ」

 冬美は蒼人の事を怖がることがない。彼が財閥の跡継ぎということを知っているからである。もちろん、跡継ぎのお坊ちゃまがこんな寂れたカフェで働いている事情も知っている。

 だからこそ、冬美は姉のように蒼人を可愛がっていた。

「それじゃ行ってくるよ。と言っても、八時までには帰れるだろうから、店番頼んだよ」

「はい、気を付けて」

 黒いスーツに薄いオーバーコートを着合わせて、冬美は店を後にする。店番といっても、郊外にある寂しいカフェには深夜にもならないと客は来ない。

 蒼人は黙々と掃除をこなしていく。慣れた手つきでテーブルを拭き終わり、箒をもって外にでる。郊外といっても東京、既に派手な青年や仕事終わりのサラリーマンがちらほらと見える。

 そんな賑わいはじめた街の雰囲気を眺めていると、その雰囲気を壊す怒声が通りに響く。

「このアマ! てめえ、俺のいうことが聞けねえのか!」

「だから、しつこいっての!」

 蒼人が顔を上げると、道の真ん中で二人の男女がもめあっているのが目に入る。女の方はお団子の黒髪ボーイッシュで、耳につけたピアスや、よれた革製のデニムジャケットを見るに、随分と困った様子である。

 対した男の方は三十は超えているだろうか。胸元の空いた派手なシャツに、どこかのブランド品と思われるネックレス。恐らくはヤバい系の人だろう。そのせいか、誰も彼女を助けようとしない。

 

 その時、男が女性を突き飛ばしたかと思うと、右手を振り上げる。血管が浮き上がるほど握りしめた拳を、道に倒れた女性めがけて一直線に振り下ろす。

 しかし、その拳は女性の身体を傷つける前に、間に割って入った蒼人に受け止められた。

「流石に、それはまずいと思いますよお兄さん」

 蒼人は庇うようにして男の前に立ちはだかる。

「なんだてめ......え......」

 男は割って入ってきた蒼人を恫喝しようと顔を上げるが、その勢いは自分より大きく強面の蒼人を見て一瞬で消え去ってしまう。

「女に手、あげてんじゃねえよ」

 蒼人は驚いて逃げようとした男の手を締め上げる。男は情けない悲鳴を上げるとその場に膝から崩れ落ち、泣きそうな顔で無様に許しを乞う。

「す、すみませんでした! 殺さないで......!」

「殺しはしねえよ。二度とここに近づかなければな!」

「ひいい!」

 蒼人が一喝すると、男は足をもつれさせながら慌てて走り去っていった。辺りの野次馬は歓声を送ることもなく、冷めた様子で消えていく。

 薄情な通行人に目を向けることなく、蒼人は地面に倒れている女性を助け起こす。

「大丈夫ですか?」

「......え? あ……」

「えっと……大丈夫ですか?」

「あ、うん。ありがとう!」

 彼女は暫く蒼人の顔を眺めていたが、我に返ると慌ててバッグから飛び出した物を拾い集める。

 蒼人は手伝おうと、離れた位置に飛んだカード入れを拾い上げる。そして意図せずにその表面にある学生証を見て、蒼人は思わず声を上げた

「……姫野、彩華?」

「え?」

 視線の先で、荷物を拾い上げていた少女の手が止まる。後ろで止めていた髪が解け、見慣れた長い髪が現れて、二人はお互いに顔を見合わせて、再び驚きの声を上げた。

「「ええ~~~!!」」

 

「えっと……姫野さん、だよね?」

 人目につかないようカフェの中まで移動した二人は、しばらく無言のままうつむいたままだった。気まずい空気に耐えかねた蒼人が、静寂を破り声を掛ける。

 びくりと肩を震わせて、目の前の少女は小さく頷く。

 あの高嶺の令嬢が、清廉無垢なあの姫野彩華が、大学生が着ているようなお洒落な服を着て、寂れたカフェの半個室にいるなど誰が想像できようか。

「……日比谷君」

 どう声を掛けようかと蒼人が考えていると、不意に彩華が声をあげる。

 そして、顔を上げた蒼人は次の瞬間、人生で最も衝撃的な体験をすることになった。

 ドンッ、という叩く音が耳元で鳴ったかと思うと、彼の唇に不思議な感触が走ったのだ。

 熱く、甘い、今までの人生で経験したことのない初めての感触。知識はあったが、経験するのは初めての行為。

 それはまさしく、姫野彩華からのキスであった。


 

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