第3話:行軍×貧弱×現代人
結局、茶々丸と目される人物は発見できなかった。手勢は叩いたとしても本人を討ち取れねば最近有名になった中先代の乱のように再起した場合取り返しがつかなくなることから理解できる通り、この戦いは如何に軍勢的に圧勝だとしても伊勢新九郎にとっては戦略的敗北であった。
とはいえ、彼女は代理とはいえ総大将として伊勢本家から派遣されたわけであるし、戦果を挙げた以上は勝鬨を上げる必要がある。
故に彼女は表面的には朗らかな笑みを浮かべ勝鬨を上げたが、その内情が昏いことを知る者は本人以外には誰もいなかった……。
「次郎はいるか」
「あっ、はい。なんですか、新九郎さん」
次郎を呼び出した伊勢新九郎は、京洛へと戻る旨を告げた。それは次郎にとって初めての長旅であり、同時に……。
「一度京洛へと戻る。旅支度くらいはしておけよ」
「旅支度、ですか」
「おぬし、恐らく馬に乗れないだろう。それに……」
「それに?」
「それは沓なのだろうが、水虫になっても知らんぞ」
「えっ、それって……」
「馬引けぇっ!」
天高くいななく伊勢新九郎が名馬、その黒毛は非常に逞しく見え、少なくとも彼の背丈よりは高かった。
「うっわ、でっけぇ」
彼もまた、この当時の馬の背丈が低いという学説を習っていたのだが、彼の耳目と学説、どちらが正しいのかは、まあ、言う必要も薄かった。
そして、鐙や鞍を覆う赤い布は、その黒毛の馬に彼女が乗る際、実に鮮やかに映った。
「どうどう、まだ走るなよ。……なんだ、何を呆けておる。早く乗れ」
「えっ、それって……」
「歩き方でわかる、おぬし長距離を歩きなれておらんだろう。特別に乗せてやるから早く乗れ」
「は、はいっ!!」
そして、次郎にとっては驚天動地の、しかし新九郎にとってはいつも通りの、京洛・関東間の往復行軍が始まった……。
「おーい、次郎。次郎。……どうした? 返事もできんくらいに疲弊したか?」
「…………」
「……おい、起きよ次郎、もう本日の宿に着いたぞ」
伊勢新九郎が手を離すなという言いつけ通りに太田垣次郎は必死に手を離さずに伊勢新九郎の甲冑にしがみついていたが、一応振り落とされなかったものの、完全に気絶しており、伊勢が馬から降りようとしたら、どさり、と馬から落下した。
「次郎!? お、おい、まさか死んでしもうたか!?」
「…………」
「……脈はある、な。……なんともやれやれ、おぬしどこから来たかわからんが貧弱すぎるぞ……。
……誰も見ておらんな……。どっこいせ」
と、彼女は次郎を担ぎ上げるや、米俵でも持つかのように肩に置いて宿の勝手口までのそのそと歩いて行った。
その光景は非常に滑稽であり、また同時に「賓客」として招いた次郎でなければ、後々に嫉視を受ける可能性も高い行動であった。
そして、ぷらんぷらんと次郎の四肢が揺れる中、月明かりだけが彼女を見据えていた……。
そして、よがあけた!
「…………ふにゃ」
「おお、起きたか、次郎」
「へっ?……あ、伊勢さん、おはようございます」
まだ目がしゃっきりとしていないのか、寝ぼけ眼のまま伊勢と受け答えをする次郎。とはいえ、彼は伊勢から衝撃的な情報を聞き取ることになる。
「ああ、おはよう。……まさか初日から意識を失うとはな……。別に急ぎの用はない故、速度を落としても良いが、お主相当貧弱なのだな」
「……伊勢さんは、あの馬によく振り落とされませんでしたね……」
「そうか? あれくらいは普通だと思うが」
「うわぁ……」
――それは、令和と室町の決定的な違いであった。何せ、令和の時代には電車もあればエンジンもある、第一バスを逃して歩いたとしても数百メートルも歩けば飲み物が買えるし、遭難なんて日本国内では山地・海域以外ありえないことであった。
一方で、室町では殺して(郎党が)仲直りなんて当たり前で、囲碁などにおいても少し助言をしただけで文字通り斬捨てられる、なんて事象も日常茶飯事であった。
当然、自動販売機でも置こうものならば諸外国のように打ち壊されるのは当然とすら言えるレベルである、普通の神経ならば令和生まれの若造が室町時代に転移ないしは転生などしようものならば、その場で死んでしまうのは半ば当然とすら言えた。
次郎はそういう意味では非常に運が良かった。転移先の現場も合戦場からは若干離れており、片方の、しかも勝った方の大将に拾われて、しかもその大将は幕府の高官の一族である。まあ尤も、そこまで運が良かったとしても、体力が全然ついていかないのは、まあ、そういうことですらあった。
「次郎、そろそろ朝餉の用意ができるはずだ。顔でも洗って、しっかりしろ。今日も行軍だぞ」
「は、はいっ!!!」
若干、昨日の顛末を思い出して顔色が宜しくないままであるが、次郎はそろそろ覚悟を決めねばならないか、と決意を新たにした。
とはいえ、その決意がどこかにすっ飛ぶ程度には、室町時代というものは令和現代の人間からすると非常識の塊であったのだが。
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