第2話:バンドー×カングン×シンクロウ
「さて、次郎だったか」
「は、はい」
山を下りていく最中のこと。まだ名乗らぬ謎の美女は次郎に対して深く、深く忠告した。まあもっとも、内容としては当たり前の注意事項ではあったわけで。
「戦場では、私の姿を見失わないようにな。もっとも、死にたいのならば別だが」
「えっ、それって……」
「今我々は反幕府軍を討伐する真っ最中でな、あの茶々丸とかいうおてんば娘が公方様の弟君や御母堂を手に掛けたこともあって、現在中央政権と関東公方の再統一を行っている最中なのだ」
当時、謎の美女は茶々丸という姫と戦陣を構えていたこともあり、故の眼下の合戦であったのだが、次郎はこのような美女が戦場にいることに、いささかどころではない違和感を抱えていた。だが、事態は彼の想像をも超えていた。
「はあ」
「つまりは、おぬしが言うところの殺し合いの最中、というわけでな、私はその片側の大将、というわけだ」
「えっ」
若干どころではなく血の気が引く次郎。眼前の美女が人殺しの経験がある、ということもそれに拍車をかけたが、そもそも眼下の血生臭さが間違いなく
「見損なったか?」
「…………」
返答はしなかったが、次郎の沈黙はそれを明らかに肯定していた。
「まあ、そういうわけで、だ。……なぜおぬしがあそこにいたのか、そろそろ答えてもらおうか」
そして、謎の美女は次郎に対し、本命の質問をし始めた。それはまあ、つまりは、次郎がなぜそこにいたのか、そしてその目的はなんであったのか、ということなのだが、実際のところ彼女も次郎の上の名前が「太田垣」でなければ、そもそもそこまで入れ込まなかっただろう。
と、いうのも、だ。
「だから、地割れに落下したらあそこにいたんだって!」
「うつけか、おぬしは。地割れに落下したら生きてなどいられるものか」
「でもっ……!!」
反論する次郎に対して、謎の美女はため息交じりで若干の憐みか蔑み、どちらともない感情と共に次郎の家名に対して強いこだわりを見せた。
だというのに。
「まあ、いい。太田垣の手の者がこんなところにいただけでも珍妙な事態なのだ。合戦が終了した後に、おぬしを京洛か但馬まで送り届けたらお別れの関係ではあるしな」
「但馬?」
……次郎は、但馬という地名を知らなかった。一応、天気予報でも但馬地方という名称は使われていたが、彼とて東京の住まいである関係上、実家が豊岡辺りでもない限り但馬地方というところとの関係性など皆無と言えた。
「おい、自分の故国の名すら知らんのか、おぬしは」
さらに呆れた感情と共に、謎の美女は歩きながら次郎の手を引き、質問を行うことにした。
そして、まだ名乗らぬ美女と太田垣次郎は戦陣へと戻った。否、太田垣次郎の場合は「来訪した」わけだが。
だが……。
「茶々丸めはまだ見つからんのか!」
周囲の男性に当たり散らす謎の美女。どうやら、鎧兜を着て旗を指した次郎の目の前にいる「如何にも戦国武将でござい」といったていの人物は、謎の美女の部下らしかった。次郎は眼前の美女があるいはどこかやんごとなき身分の人物なのだろうか、そうも考えたが、そもそもそういう人物が戦場にいるのはおかしいな、と思い直して、まあ、色々頭に疑問符を浮かべていた。
「恐れながら、居城はもぬけの殻で……、恐らくは落ち延びたと思われます!」
「ちいぃっ……」
そして、茶々丸という敵方の姫の姿が見つからないことによる甚大な被害を予測した謎の美女は、舌打ちをしてただでさえ気の強そうな目尻をさらにつり上げた。そして、眼前の面を下げたままの部下に対して面を上げるように促したら、部下が次郎の姿にかんづいた。
「ところで、姫。そちらのお方は……」
「山の中をさ迷っていた誰かだ。太田垣と名乗っていたから手土産になると思い本陣に置いてある」
太田垣という名を聞き、部下も若干の怪訝そうな顔をし、次郎は自分が何かしたのかと聞こうとしたが、その声は部下の大きな声と姫の凛々しい声によってかき消された。
「はあ、さようで。……それがし、手勢を率いて引き続き捜索してまいりまする!」
「おう、頼んだぞ」
「えーと……」
「ん? どうした次郎」
そして、先程までの光景を茫然と眺めていた次郎が、ようやくといったていで声を掛けると、少しは気が紛れたのか、謎の美女は少し目尻を下げた。相変わらず凛々しい顔立ちではあったが、戦場特有の埃で、若干台無しにはなっていた。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。私は伊勢、伊勢新九郎だ」
伊勢新九郎と名乗った謎の美女は、微笑みすらしなかったが不思議とそれが嫌味にならない程度には整った顔立ちをしていた。だが、眼前の次郎は伊勢新九郎と聞いても何も感慨もなく、生返事をするのみであった。
「はあ、伊勢さんですか」
「おう。こんな口調でこんな状況だが、こう見えて都で着飾れば引く手あまただったんだぞ?」
一応、事実である。伊勢新九郎の顔は、可愛らしいというよりは凛々しいという方向ではあったのだが、かといって整った顔で家柄もよい女人が欲しくない家など早々はなく、都でも何度も見合いをする程度には彼女の嫁ぎ先は選び放題であった。
「…………」
「なんだその目は。確かに若干老けてはいるが、それでもそもそも政略結婚というものはだな……」
そして、次郎がうろんげな目をしているのに対して自身の年齢が適齢期を超えている自覚があったのか、それとも別の理由があったのか彼女は言い訳、というよりはこの当時の観点を以て次郎に説教をし始めた。だが、次郎の疑問点は、そこに関することではなかった……。
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃあなんだ」
「お姫様が何で戦ってるんですか?」
もっともな疑問であった。彼の記憶の上では、お姫様が戦うなどファンタジアな世界観で姫騎士云々程度の、明らかにフィクションというべき事象であり、眼前のリアルな存在で存在するとは思えなかったのだ。とはいえ、眼前には甲冑で身を固めた、それなりに育ちが良いと自称する女性が存在する。彼にとってそれは、まさに未知との遭遇であった。
「……この乱世だ、有能なれば姫だろうが下人だろうが、使わないという選択肢はないのだろう。とはいえ、家督を継ぐのは男子なのだがな」
「それは……」
怪訝そうな顔をしないように努力はしていたが、彼女はそれに対してこの世界の常識を口走った。それは彼にとって、予想外のものであった。
「女子も家督を継げんこともないのだが、その場合結婚相手は本家ないしは分家、どちらかに男子がいることが絶対条件だ。そうでなければ、どこの馬の骨か分からん輩で血統を
「…………」
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