第14話 ブレイブ・シンボル

 ◆第三幕:バルク視点


 ――落ちる。


 視界の端で、白いローブがふわりと舞った。


 次の瞬間、拳ほどの石がフローラの肩をかすめ、彼女がよろめく。


 前を歩いていたフィリオが反射的に腕を伸ばし、掴み取る。


 だが、その勢いで二人まとめて足を滑らせ、斜面側へと傾いた。



「うおおりゃあーーー!


 頭で考えるより先に、体が動いていた。


 重い荷を背負っていることも、岩肌の険しさも、この一瞬ではどうでもよかった。


 地面を蹴る音がやけに遠くで響く。


 腕を伸ばした瞬間、彼らの驚きに見開かれた瞳が、やけに鮮明に映った。


 

 指先が袖を掴む。

 

 そのまま抱き込むように二人を引き寄せ――重力に引きずられた。


 足場が消える。

 

 空気が耳を裂く音を立て、全身を叩く。


 背中の荷が引きちぎれそうなほど揺れ、腕の中の二人の重みが一気にのしかかる。


 岩肌が眼前を猛スピードで流れ、茶色と灰色の線になって視界を埋め尽くす。


 着地の瞬間を頭で計算しながら、必死に体をひねった。

 

 せめて俺の背中で衝撃を受け止める――それしか考えられなかった。



 ドガァッ――!


 背骨を通じて、全身に響く衝撃。肺から勝手に息が抜け、視界が一瞬白く弾ける。

 

 だが、落下はまだ終わらない。

 

 岩肌を滑り、転がり、時折ぶつかる度に、鈍い痛みが背中から腕へ走る。


 指先は決して離さない。二人の体温と重みが、生きている証そのものだった。



 やがて、横からせり出した大きな岩にぶつかり、ようやく動きが止まる。


 息が荒く、胸が焼けるように熱い。


 痛みと痺れが交互に全身を巡る中、腕の中の二人がまだ動いているのを感じて


 ――ほんの少し、安堵した。



 フィリオとフローラは軽傷で動揺しているが、バルクは背中や腕から血が流れ続けていた。

 

それでも彼は不敵な笑みを浮かべ、小さく呟く。


「このくらい、おれっちの朝メシ前だって言いてえけど、……ちょっと痛ぇな」


 フローラは涙目で震えた声を出す。


「……ごめんなさい……ありがとう……」


 フィリオも真剣な表情で頭を下げる。


「命の恩人です……本当にありがとう」


 バルクは荒い呼吸を整えながら、仲間を守れた達成感を胸に刻んだ。



◆第四幕:上とのやり取り


 崖際に立つガイル、ヒュー、ミナが声を張り上げる。


「みんな! 無事か!」


ガイルの声が風に乗って届く。


「ああ! なんとかな!」


痛みをこらえ、必死に声を張り上げるバルク。


「登ってこれるか?」ガイルが聞く。


「無理だ! もっと登りやすい場所に回る!」


バルクは咄嗟に判断し、腕の中のフィリオとフローラを見つめる。


背中を伝う痛みと血の熱が、不安と焦りを呼び起こす。それでも、守るしかない


──そう自分に言い聞かせた。



ガイルは険しい顔で応じる。


「……分かった。山道を回って、合流地点で待つ」


その言葉にわずかな安心を覚えるものの、目に見えない不安が胸をくすぐる。



ミナは唇を噛みしめ、恐怖と心配を押し込めながら声をかける。


「……お願い、無理しないで……」


ヒューは少し間を置き、冷静な口調でぽつりと言った。


「……気をつけろ……その先も油断は禁物だ」


その言葉の端には緊張感が漂い、安心と不安が入り混じった微妙な空気が伝わってくる。


◆第五幕:必死のロッククライミング


フローラは素早く回復魔法をかけ、バルクの傷を包む。


バルクは岩壁を見上げ、暗い影の中で静かに呟いた。



「……俺なら問題はない。だが、あの二人には危険すぎる」


言葉に迷いはなかった。鋼のような決意が滲む。


「だから――二人をまとめて担いで登る」



「無、無理です……!」

フローラの声は震えていた。


「ちょ、ちょっと待って……荷物もある、人間二人だぞ……」


僕の胸は疑念と恐怖でざわめく。



しかし、バルクは微笑みすら浮かべて、黙々と腕を構える。


その巨躯は圧倒的な筋力を誇り、岩壁の微細な凹凸や砂利の動きを


瞬時に見極める観察力を持つ。


視覚と感覚を研ぎ澄まし、次の足場や手掛かりを即座に判断する力


――それに加えて、筋肉と神経が完全に同期した敏捷性で、


彼は危険な岩壁を縦横無尽に駆け上がる。


力と俊敏、判断と正確さ――すべてを併せ持つ男だけが挑める、


無謀とも言える登攀計画だった。



バルクは一切の逡巡を見せず、背中に大きな布を巻きつけ、

僕とフローラを固定して担ぎ上げる。

「おれっちに掴まってろ。絶対に離すな」


背中で必死にしがみつくフィリオと背中のフローラに短く指示を出す。



背にのしかかる重みは常人なら一歩も進めぬほどだ。

だが彼は腕と脚の全てを総動員し、岩の凹凸を確実に捉える。


ごつごつとした岩肌に指をかけ、足先をわずかな出っ張りに押しつける。

右手・左足・右足と、三点で必ず体を支えながら次の手を探る

――それが登攀の基本、三点支持。

重さを分散させ、片手を離す瞬間すら計算された動きで、

彼は一段、また一段と壁を上がっていく。



「……っふ……!」


三点支持を崩さぬよう、両脚で体を支えながら、パンパンに張った腕を

左右交互に数回軽く振って血を巡らせる。

その一瞬の余裕さえも、緻密な観察と判断があってこそ可能だった。


だが正面の岩は行き止まり。

僅かな足場を横に移動し、身体を壁に沿わせて滑るように移動する。

背中に抱えた僕たちの重みでバランスは狂いそうになるが、

バルクは歯を食いしばり、爪先と指先の感覚だけで耐え切った。



手のひらは擦れて血が滲むが、握力は緩めない。


足元は砂利と小石が混ざり、踏み込むたびに小石が崩れ落ちる。


体がわずかに揺れるたび、二人の重みがのしかかり、痛みが走る。


「俺も足を使って……」


フィリオが申し出るが、バルクはすぐに声を張った。


「動くな! 重心が狂う!」


背中越しにフローラが震える声で呟く。


「……なんで、ここまで……」


「仲間だからに決まってんだろ」


バルクは低く力強く答える。



岩の突起を掴み、指先の血をかすめながら体を引き上げる。


滑りやすい箇所もあるが、一歩一歩慎重に進む。


額から汗と血が混じり、呼吸は荒い。


崩れる石も反動で身体を持ち上げ、全身で仲間を守る意志を示す。



背中のフローラとフィリオの重みを感じながら、バルクは前へ前へと岩をよじ登る。


一歩一歩が生と死の狭間のようだが、仲間の安全が力を与える。


険しい岩肌を登る手ごたえと重心の感覚が、彼の集中を途切れさせずにいた。


岩肌を登るその姿は、力と敏捷、観察と判断をすべて兼ね備えた者だけが成せる、

常軌を逸した挑戦だった。



◆第六幕:合流


 必死の登攀を乗り越え、ついに登りやすい尾根へとたどり着く。

 

そこから山道を少し進むと、崖上で待っていたガイル、ミナ、ヒューの姿が見えた。


「バルク!」

 

ミナがすぐに駆け寄り、荷崩れした荷物や装備を外し傍に置く。

 

擦り切れた服や傷んだ革袋を手際よく直しながら、仲間の姿を確かめるように


視線を走らせた。


 

フローラは震える両手でバルクの手を包み込み、涙をこぼす。


「……生きてて、本当に良かった……」


 その隣でフィリオも、仲間たちの顔を見た瞬間に胸を突かれた。

 

 ――自分は本当に滑落したのだ。

 

安堵の裏側から、遅れて現実の恐怖が這い上がってくる。もしあの時、


バルクが飛び込んでくれなかったら。もし手が離れていたら。


考えるだけで足が震えそうになる。


 だが、その背中に守られた感覚が、恐怖を上回る力を与えていた。

 

フローラも同じ思いだった。怖くて仕方ない。けれど、だからこそ


――バルクが前に立つ限り、自分も進める。そう強く思えた。



 ガイルは全員の顔を順に見やり、険しい声で言葉を落とす。


「……俺の判断ミスだ。以後、絶対に仲間を危険に晒したりはしない」


 普段は冷静なヒューが、その場で珍しく感情をあらわにした。


「……次は絶対に……止める!」

 

その一言に、全員の胸に緊張と決意が強く刻まれる。


 

すぐに隊列が組み直された。

 

先頭にガイル、そのすぐ後ろに護衛役のバルク。

 

続いてフィリオ、フローラ、ミナ、最後尾にヒュー。

 

それぞれの位置に迷いはなかった。


 

バルクはまだ痛む背中を押さえながらも、豪快に笑ってみせた。


「岩の方がダメージ受けてるぜ!この程度で止まれるかよ!」


 その姿に、恐怖で萎えかけた心が再び奮い立つ。


 仲間を守り抜いたその背中が、彼らの勇気の象徴になっていた。




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