ハンプティダンプティと獣の子

雪里一秋

ハンプティ・ダンプティと獣の子

今ではない、いつか。ここではない、どこか。



 かつて鉱石の発掘で栄えた、だが今では見る影もないほどに寂れた鉱山の町の一角で、少女は暮らしていました。

 少女の母親は、少女を産み落としてからすぐに亡くなっていて、それ以来、少女の父親は男手一つで少女を育ててきました。しかし、時間の大部分を少女に奪われていると感じるようになり、徐々に父親の心は蝕まれていきました。

 折りしも、その町の主産業である鉱石の産出量にも陰りが見え始め、思うように仕事が進まなくなってしまいました。

 そのうち、育児と仕事のストレスから、父親は酒に溺れるようになり、やがて蓄えていたお金もそこが見え始め、日々の生活に困るようになりました。


 父親はいつものように酒を煽ると、部屋の隅で小さくうずくまっている少女にむけて毒づきました。


 お前も仕事をして金を稼いでくれりゃいいのにーーー


 そう言うと、父親は何か思いついたのか、そうだそうだ働けばいい、としきりに呟いて、再び酒を煽りました。


 次の日、夕日が傾き始めた頃のことです。

 父親は数人の男を連れ帰ると、少女に向かって言いました。

「お前の客を連れて来たぞ。こいつらが満足するまで、言うことを聞くんだ」

 父親は男たちからお金を受け取ると、また酒を欲していたのでしょう、夜の街へと繰り出していきました。

 見知らぬ男たちに囲われる少女。

 これから何が行われるのか、幼い少女は知りませんでしたが、それはすぐに、彼女自身の身をもって知ることになるのでした。



 しばらくして父親が家に帰ると、男たちに酷く弄ばれた少女は、ぐったりとした様子で横たわっていました。

 その横にしゃがみこんで、まだ少女が生きていることを確認すると、父親は少女の眼前に一切れのパンと、熟しすぎて少し柔らかくなった果実を放ります。

「食え、お前にゃまだまだ働いてもらわにゃならんからな」



 それからというもの、日が沈むたびに少女は何人もの男に弄ばれ続けました。

 父親のもとから逃げ出そうとしたこともありました。

 しかし、その度に父親からのひどい暴力受け、あげく、逃げ出せないように繋ぎ止められた足鎖によって、少女は抵抗する気さえ起こせなくなっていました。

 男たちがいない間はずっと床に座り込んで、小さな窓で切り取られた四角い空を眺めていました。それ以外にできることはありませんでした。


 ある時、一人の男が差し入れだと、少女に向けていくつかの絵本を持ってきました。

 それからというもの、少女は昼の間中、絵本を読んで過ごしました。何度も何度も、繰り返し繰り返し読み続けました。そのうち、本のページが破れ、擦り切れてボロボロになり、書かれている文字も読めなくなりました。

 それでも、目を閉じれば、頭の中で繰り返し読むことができました。



 ある日、父親が酷く泥酔して帰ってきました。

 父親は少女の目の前に座り込むと、何かブツブツと言葉を投げかけてきましたが、呂律が回っておらず聞き取ることができません。

 それ自体はいつも通りの光景でしたが、その日は少しばかり違いました。

 父親は疲れたのでしょうか、座り込んだまま寝息を立て始めてしまったのです。


 少女は初めのうち、不安そうに父親を見ていましたが、父親は寝息を立てたまま微動だにしません。

 父親の様子を観察しているうちに、その腰元にぶら下げられた一本のカギを見つけます。


 そのカギは、少女の足鎖を外すためのものでした。

 少女は再び父親に目を移しますが、やはり寝息を立てていて、起きている様子はありませんでした。

 そっと、少女はカラビナからカギを抜き取り、自らの手で足鎖を外しました。

 そしてゆっくりと、慎重に、父親を起こさないように立ち上がり、家の外へと踏み出したのです。




 冷たく、ひんやりとした夜の空気が、少女の身体を撫でていきました。

 寂れた町は夜の闇にひっそりと沈んでいましたが、家々からは明かりが漏れ出ていて、彼女が暮らしている部屋よりも、ずっと明るく感じられました。

 長いこと暗く、狭い部屋に閉じ込められていた少女にとっては、あまりにも広すぎる眼前の世界。

 少女は少しだけ恐怖を感じながら、しかし、それ以上の期待と希望に満ち満ちた気持ちで、夜の町を駆けました。



 やがて、街の外れまでくると、一気に人の気配が消えうせ、より一層冷たい風が吹きすさんでいるような気がしました。

 少女の気持ちも、急速に冷え固まっていきました。

 目の前の暗闇に、少女は恐怖しましたが、町から届くわずかな光に照らされた『彼』を見つけ、再び足を進めました。


 少女がたどり着いた場所は、いろいろなガラクタが寄せ集められた廃棄物置き場でした。

 鉱山としての機能を失いつつあったこの地では、鉱石の精錬技術を応用して、古い金属を溶かして再利用するため、近隣の町から金属でできた廃棄物を集めていました。

 しかし、思うように事業が運ばず、結局、処理しきれない廃棄物ばかりが溢れていました。

 その廃棄物の山の中に、少女は『彼』を見つけました。



 『彼』は、ずいぶんと大きく、ずんぐりとした体躯でしたが、一応は人の形を模したのであろうロボットでした。

 しかし、廃棄物の山に持たれかかっているかのような、その姿はところどころ破損し、右足は完全に失われていました。

 『彼』は、戦争のために作られた殺戮ロボットでしたが、少女はそのことを知りません。

 少女が『彼』に近づいたのは、壊れかけた彼の姿が、絵本で覚えたあの歌にそっくりだと感じたからです。



「ハンプティ・ダンプティが塀に座った

 ハンプティ・ダンプティが落っこちた

 王様の馬と家来の全部が掛かっても

 ハンプティを元にもどせなかった」



 少女は記憶に深く刻まれたその歌を歌いながら、『彼』の手に自分の手を重ねました。

 しかし、何度その大きな手をさすっても、『彼』は反応を返してはくれません。

 少女は残念そうに、でも仕方ないな、と感じていました。何せ『彼』は壊れてしまっているのですから。

 『彼』の大きな手をさすりながら、少女はつぶやきました。


「・・・ハンプティ・ダンプティ・・・」


 すると、その声に反応したのでしょうか。

 突然、『彼』の目が淡い光を放ち、ギギギと体中を軋ませながら、少女に視線を送ってきたのです。


「オ、オジョ・・・サマ・・・」

 少女の顔はパッと明るくなりました。壊れてしまっていたと思っていた『彼』はまだ生きていたのです。

「ハンプティ・ダンプティ・・・」

 再び、少女は『彼』に向けてつぶやきました。

「ハン、プ、ティ・・・ダンプ・・・ティ・・・・・・トハ、ナ、ンデ・・・ショウ」

 たどたどしい『彼』の言葉に、少女は不思議そうな顔を浮かべました。

「ハンプティ・ダンプティ・・・それが、貴方のお名前でしょう?」

 少女の言葉に『彼』はまるで中空を仰ぐかのように顔を上げると、再び少女に向けて視線を戻しました。

「ハンプ、ティ・ダ・・・ンプ、ティ・・・コー、ルネーム、トシテ、キロク・・・カンリョウ」

『彼』、もといハンプティ・ダンプティが何を言っているのか、少女はしっかりと理解できていませんでした。しかし、何よりも絵本でしか見たことのない、ハンプティ・ダンプティが目の前に存在していることを純粋に喜んでいました。

「・・・ギギ、ゲン・・・ゲンゴ、キノウニ・・・フグ、アイガ・・・ハッセイ、チュウ・・・サイキド、ジッコウ、シマス」

 少女が心配そうにハンプティ・ダンプティを見上げます。

「大丈夫・・・?どこか痛いの?やっぱり、足がないから?」

 ハンプティ・ダンプティは首を横に振り、イイエ、と答えました。

「スコ、シダケ・・・オヤスミ、シマス・・・スグ、ニマタ、アエ・・・マス」

 そう言うと、ハンプティ・ダンプティの目にともっていた明かりがフッと消えうせます。

「・・・おやすみ、ハンプティ・ダンプティ」

 少女は愛おしそうに、その大きな手をさすりました。


 その直後―――

「そこにいるのは誰だ!?」

 不意に届いた大きな声に、少女は体をビクッと震えさせて振り向きました。

 視線の先には、ギョロギョロとした目つきの男が散弾銃を携えて立っていました。ギョロ目の男は少女のもとに近づくと、その顔を除き込みました。

「おまえ、あの呑兵衛の家の娘か」

 男はそのギョロギョロとした目で、まじまじと少女の身体を眺めます。少女の足元には、いつもつけていたはずの足鎖がありませんでした。

「なんだお前、親父のところから逃げ出して来たのか?」

 ケケケ・・・と、ギョロ目の男は下卑た笑いを浮かべ、少女の腕を掴んで自分の方へと引き寄せました。

「相変わらず華奢な身体だな・・・まぁ、ちょうどいい。溜まってたとこなんだ。お前の親父に見つかる前に、一発抜かせてもらうか・・・」

「おい、そこで何してる?」

 不意に、ギョロ目の男の背後からまた別の男の声が聞こえてきました。ギョロ目の男は慌てた様子で振り返りますが、声の主を見て安堵のため息をこぼします。

「な、なんだ団長か・・・いや、ちょうどいいのを見つけたんで、せっかくならと思って・・・」

 そういって、ギョロ目の男は乱暴に少女を引き寄せます。

「ああ、こんなとこに居たのか。さっきお前の親父が探してたぞ?」

 団長と呼ばれた男は、少女の顔を見下ろしながら言いました。

「父親が探していた」

 という、その言葉に、少女は体を震わせます。

「ま、マジすか・・・せめて一発だけでも・・・」

「すぐそこにいるし、まだ酔っぱらってやがるからな。面倒なことになるぞ」

 団長の言葉に、ギョロ目の男はしぶしぶと、握っていた少女の腕を離します。

 すると今度は、団長が少女の腕を掴み、乱暴に少女を引いて歩き去っていきました。




 小さな部屋の中に、父親の罵声が響き渡りました。

 突き飛ばされた少女は、背後の壁に強かに背中を打ち付け、苦しそうに体を縮めました。

「このクソガキ・・・なめた真似しやがって・・・!」

 少女の胸倉をつかんで立ち上がらせると、今度は床へ向けて突き飛ばします。バランスを崩した少女が床に腰をついて呻きました。

 父親は手早く服を脱ぐと、床にへたり込んだ少女に覆いかぶさりました。少女の足首を掴んで、足を大きく広げさせます。

「父親をなめくさりやがって・・・教育し直してやる!」



 一方、街はずれの廃棄物置き場には、数人の男たちが集まっていました。

 彼らはみな一様に散弾銃を携え、同じような帽子と作業着のような服を着ています。

 この町には、昔から鉱石を盗みに来るものや、鉱石の産出が減って以降は、各地から集めた鉄屑を狙って盗みにくる無法者が後を立ちません。

 ここにいる者たちは、そんな無法者から町を守る自警団でした。

 その中には、先ほどまで少女と一緒にいたギョロ目の男や、団長と呼ばれていた男の姿も見えました。

「・・・こいつが動いたって?」

 団長は、訝しげに目の前の壊れたロボットを見上げました。しかし、ロボットはピクリとも動く気配がありません。

「いや・・・さっき、あの娘がこのロボットと会話してたみたいで・・・目も明るく光ってたんですよ!」

 ギョロ目の男は身振り手振り、必死になって説明しますが、団長を含め周りの誰もが彼の言葉を信用していないようでした。

「お前・・・また酔っぱらってたんだろ。」

「団長、こいつの言葉なんて信用できませんから、とっとと返した方が良いですよ。」

「ついこの間も酔っぱらって、仲間を判別できずに散弾銃ぶっぱなしましたからね。」

 散々な言われように、ギョロ目の男は憤慨しながら「嘘じゃねぇ!」と反論します。

 しかし、「だが、実際動いていやしねぇじゃねぇか」と、団長は落ち着いた様子でギョロ目の男に言い放ちます。団長の威圧感に、ギョロ目の男は一瞬、ウッと身をすくませます。しかし、すぐにまた必死に訴えかけました。

「で、でも、ほんとに嘘じゃねぇんですよ!こいつが・・・ほんのちょっとばかりだけど動いたんですよ!」

 そういって、ギョロ目の男は壊れたロボットの手を叩きました。


「オジョウサン・・・?」


 ギョロ目の男が頭上を見上げると、光を宿したその目がーーー

「う、動いたああぁああぁ!!」

 ギョロ目の男が、いえ、その周りにいた者たちも一様に声をあげ、それとほとんど同時に、銃声が鳴り響いたのです。



 暗い部屋の中に、少女と父親の身体が打ち合う音を響かせていました。

 時折、少女は苦しそうに呻きをあげますが、父親は気にする様子はなく、一心不乱に少女へ腰を打ち付け続けます。

 にわかに父親の腰の動きが激しさを増してくると、じきにその肉欲が少女の体内に吐き出されるのであろう。そう察した少女は、息を荒げ、切なげな表情を浮かべたまま父親に向かって両手を差し伸べました。

 それを見た父親は少女に覆いかぶさると、小さな少女の身体をきつく抱き上げながら、少女の耳元で囁きます。

「ガキの分際で男の身体を求めるなんてな・・・お前も立派なメスに育ったもんだな」

 やがて、父親の呼吸も荒々しさを増し、腰の動きも一層激しさを増してきます。

「あっ!あっ!・・・パパッ・・・パパァ・・・」

 父親の腰に打たれ、呻き混じりの声が少女の口から零れ落ちました。

「いくぞっ・・・!全部受け止めろっ」

 父親が少女の身体をきつく抱きしめ、それに応えるように少女もまた、父親の身体に力いっぱい抱きつくとーーー少女の口はめいっぱい大きく開かれ、父親の首元に喰いつき、その肉を引きちぎったのです。

「ごぼぉっ!!」

 口と、引きちぎられた喉元から血を噴き上げながら、父親は慌てて少女から身をはがしました。

 あふれ出る血を止めようと喉元を押さえますが、噴き出す血の勢いは収まる様子がありません。そのまま床にひっくり返ると、すぐに父親は微動だにしなくなりました。


 口元から胸元まで、全身のほとんどを父親の血で真っ赤に染めた少女は、口内に残った肉片と血液をできる限り吐き捨て、父親の亡骸に近づき腰元のカラビナを探します。

 しかし、少女の手にカラビナが触れることはありませんでした。


 父親は同じ失態を繰り返さないよう、カラビナをあらかじめ外しておいたのでしょう。

 少女はあたりを見回してみると、父親がいつも酒をあおり、体を伏して眠っていたテーブルの上にカラビナを見つけました。

 しかし、テーブルまでの距離は、足鎖で壁と繋がれている少女にとっては絶望的な距離でした。できる限り、鎖がめいっぱい伸びきるまでテーブルに近づいて、精一杯腕を伸ばしますが、まだまだ腕一本分ほど届いていません。


 少女は再びあたりを見回します。

 自分の足には足鎖。その鎖は太いボルトで壁に固定されていました。

 少女はダメ元で鎖を力いっぱい引いてみますが、やはり少女の力ではどうすることも出来ません。


 三度、少女はあたりを見回し、そしてすでに動かなくなった父親に目を向けました。

 少女はじっと父親の亡骸を見つめ、そして、何か思いついたのか、その足を掴むと力いっぱい引き寄せます。父親の身体は、少女にとって相当重いものでしたが、それでも鎖を引きちぎろうとするよりは、だいぶマシでした。


 時間はかかりましたが、何とか父親の亡骸を、壁と鎖の継ぎ目まで近づけます。

 少女は父親の足を持ち上げると、壁と鎖の継ぎ目に向けて勢いよく振り下ろしました。



 町の明かりがほとんど届かない廃棄物置き場。そこでは複数の男たちがロボットを囲っていましたが、その場にいた誰もが口をつぐんでいました。

 十発ではきかない、二十数発程度の銃声が鳴り響いたのち、ロボットは再び動かなくなっていました。

「ほ、ほんとに動きやがった・・・」

 誰かが呟きました。すると、堰を切ったように他の男たちも次々と声をあげました。

「おいおい!なんだよこのロボット!」

「壊れてたんじゃないのか?なんで動いたんだ?」

「・・・こいつ、確か戦時中に使われた戦闘用のロボットだって話じゃ・・・」

「ホントかよ・・・それじゃ、このままここには置いておけねぇぞ」

「溶鉱炉に入れてとっとと溶かした方がいいんじゃないか?」

 ざわざわと、男たちの声が騒がしさを増してきます。その騒がしさを止めたのは、団長の一声でした。

「お前ら落ち着け!騒ぎ立ててる暇があったらとっととコイツを処分するぞ。だれか作業場にいって溶鉱炉に火を・・・」

 団長が指揮をとっていると、その場の空気に似つかわしくない、幼い声が響きました。

「ハンプティ!!」


 その場の全員が、声の方へ視線を向けました。

 暗がりの中、その声の主を見て取るのは困難でしたが、それがあの少女であることは、全員が察しました。

 その声の主に、ギョロ目の男が近づいていきます。

「お、お前・・・また逃げ出してきたのか・・・懲りねぇやつだな・・・」

 そういいながら、手にしていたライトを少女に向け・・・男は絶句しました。

 自らの顔を、両手で覆い隠すようにして立ち尽くす少女。その全身は真っ赤に染まり、そこから漂っているのであろう、鉄臭さの混じった生臭いにおいが、男の鼻孔を満たしていきます。

「お、おい、お前・・・その姿は・・・」

 そう言いかけたギョロ目の男に向かい、少女は咆哮しながら飛び掛かると、男のギョロギョロとした両目の奥深くまで指を突き立てました。

「ぎゃああああぁっ!」

 あたりに男の悲鳴が響きます。間髪入れずに、少女は近くの男に飛び掛かると、父親にそうした時のように、喉元に噛みつき、肉を引きちぎりました。

 次の男にはーーー残念ながら喉元まで届きませんでしたが、脇腹の肉を嚙みちぎることができました。

「このっ!クソガキがっ!」

 視界の中で、自分に銃を向ける男の姿を見て、少女はすかさず別の男に向けて走りだします。その瞬間、いえ、一瞬遅れて散弾銃が火を放ちましたが、すでに走り出していた少女に命中することはなく、その代わりに脇腹を食いちぎられた、可哀そうな男の身体を吹き飛ばしました。


 その場にいた男たちは慌てふためき、すでに統率が取れない状況に陥ってしまっていました。


 そしてまた、少女が近くにいた男に飛び掛かろうとしたその瞬間、突如少女の眼前に散弾銃のストックが現れ、強かに頭を打ち付けてしまいました。

 そのまま地面に倒れ込んだ少女の身体を、団長が踏みつけてきます。少女は抵抗しようとしますが、頭を殴り飛ばされた衝撃で視界がグルグルと回り、うまく力を入れることができませんでした。

「ガキが・・・やってくれたな。まるで野生の獣じゃねぇか」

 団長は少女に向かってそう吐き捨てると、散弾中の銃口を少女の右膝に押し付けてーーー引き金を引く。


 ボンっ!と音が鳴り響き、一瞬遅れて少女の悲鳴も響きました。


 少女の右膝は、撃たれた衝撃で半分以上が削り取られていましたが、完全にちぎれてはいませんでした。

 団長は少女の右足に手をかけると、乱雑に、あらぬ方向へ足を折り曲げました。その痛みに耐えきれず、少女は苦痛に満ちた悲鳴を上げ、痛みに見開かれた目からは大粒の涙が零れ落ちます。


 やがて、その周囲に男たちが集まり始めました。

 団長は少女から足を離し、しかし、少女から目を離すことなく、散弾銃を突き付けたまま、周りの男たちに問います。

「・・・何人やられた?」

 しかし、団長の問いに答えられる者はいませんでした。暗がりの中で突然訪れた地獄絵図のような状況下は、誰もがお互いの生存確認を行えるような余裕はありませんでした。

「・・・ったく、まあ、それはまた確認するとして、とりあえずこのガキにゃしっかりと落とし前つけさせないとな」

 団長の言葉に、男たちは少しざわつきます。

「だ、団長・・・いいんですか?」

「あぁ、どうせ時期に死ぬんだ。最期にいい思いさせてやれよ」

 そういって団長は一歩二歩下がると、タバコに火をつけてふかし始めました。


 男たちが、地に付したままの少女に群がります。

 その様子を見て、団長はカカッと笑い声をあげました。

「野生の獣みてぇな小娘に群がるとは、お前らも少しは相手選べよ」

 タバコを口に咥え、スウッと一息深く吸い込みました。が、その口から煙を吐き出そうとするよりも前に、自らの意志と関係なく強制的に煙を吐き出せられました。


 いつの間にか団長の身体は、硬い金属の塊によって押しつぶされるように締め上げられていたのです。

「な、なんだっ・・・これ・・・!!まさかっ!!」

 団長は何とか背後を振り返ろうとしましたが、キツク締め上げられた体は団長の力でもびくともしませんでした。

 そして、団長の背後には、まるで闇夜に浮かぶ獣の目のように二つに並んだ光が浮かび上がりました。

「獣・・・ダト? マダ、年端モイカナイ、ソノ娘ガ、獣ダト? ナラバ、貴様ラハ、一体ナンダ?」

 その声に、少女を取り囲んでいた男たちも振り返りました。

 そして視界の中に、鉄の塊に締め上げられながら呻く団長と、その鉄塊の正体———すなわち、先ほど自分たちが破壊したと思っていたロボットの姿を見て取り、全員がまた悲鳴をあげました。

 一人が散弾銃を構えて、ロボットに向けて引き金を引きました。すると、それに続いて何人もの男が次々と引き金を引きはじめました。

「ってめ・・・らっ!やめっ・・・!」

 男たちの放つ散弾の何発かが、団長の足先に命中してその肉と骨を削り取りました。だが一方で、ロボットにはまるで効果がない様子で、平然とロボットは男たちに向けて言い放ちました。

「ソノ娘ヲ苦シメ、慰ミ者ニスル貴様ラハ・・・“ケダモノ”デハナイカ!!」

 ひとしきり大きな咆哮を上がると、ロボットは団長を握りしめていた手を振り上げ、地面を殴りつけました。その衝撃で団長は一瞬にして押しつぶされ、周囲に血と肉をまき散らしました。

 誰がともなく、男たちは悲鳴を上げると、ロボットに背を向けて逃げ出しました。しかし、ロボットがそれを許すはずはありませんでした。

 ロボットが右腕を横向きに振りかぶると、その手が手首から切り離され、ドスンッと地面を鳴らしました。そのまま、ロボットは逃げる男たちに向けて腕を振るいます。すると、切り離された手首の付け根から、前腕につなげられた重金属製のワイヤーがうなりを上げ、男たちの身体と、男たちが逃げた先にある建物まで達してすべてを引き裂いてしまいました。



 ひとしきり大きな咆哮を上げたのち、ロボットは少女の方へ向き直ると、両腕と残された左足を器用に使って少女の元へと歩みよりました。

「御嬢サン」

 ロボットの姿を見て安心したのでしょうか。少女の顔には安堵の笑みが浮かんでいます。

「ハンプティ・・・生きてたんだね」

 少女の言葉に、ロボットは少し考えた様子で硬直しましたが、やがて再び口を開きます。

「私ハ・・・ハンプティ・ダンプティデハ、アリマセン」

 言語機能修復のために再起動したロボットは、同時に記憶領域の復旧も実行し、メモリに残っていた過去の記録を再認識していました。



 ロボットは、戦時中、ある裕福な家柄の屋敷でメイドロボットとして使われていました。その家には娘が一人おり、ロボットは彼女を「お嬢さん」と呼び、「お嬢さん」もまた、ロボットを一人の家族として接していました。

 しかし、幸せもつかの間、戦火は徐々に拡大していきました。

 やがてロボットは政府命令により強制的に回収、戦闘用のロボットとして改造され、前線へと送りこまれたのでした。


 その記憶を、ロボットはすべて取り戻したのです。

 そう、ロボットは初め、少女と自らが仕えていた家の一人娘を混同してしまっていたのです。そして、少女を自らの主として、誤って認識していたのです。でもーーー



「・・・デスガ、貴方ガ私ヲ、ソウ呼ブノデアレバ、構イマセン」

 ロボットの所有権は、すでに抹消されており、従うべき相手は存在していません。そんな中で、記憶データの不整合があったとはいえ、少女を主として認識した以上、それはロボットの中ではーーーハンプティ・ダンプティの中では、絶対なものになったのでした。

「そっか・・・良かった・・・」

 そう言って、少女はまた、弱弱しく笑いました。

 撃ちぬかれた右膝からは、まだ血が滴り、それによって彼女の生命は急速に失われつつありました。

「・・・少シ、痛ミマスヨ」

 ハンプティ・ダンプティは少女の右膝に顔を近づけると、口に当たる部分のカバーを開放しました。そこには高出力のレーザーガンが埋め込まれていました。

「あ・・・」

 少女の怯えたような声。しかし、ハンプティ・ダンプティは無機質に、出力を調整したレーザーで少女の右膝を焼き落としました。

「あぎ・・・いぃ・・・」

 身体が焼ける痛みに、少女はうめき声を漏らします。

「コレデ、止血ハ完了デス」

 ハンプティ・ダンプティは少女を抱きかかえると、外れかけていた腹部の装甲を自ら引きちぎりました。ハンプティ・ダンプティの腹部には、いざという時に人手で操作ができるよう、操縦席が設置されていました。

 狭苦しいその場所に少女を押し込める形となってしまいましたが、しかし、そこが彼女にとっても一番安全な場所であることは間違いありませんでした。


「マズハ、治療ガ必要デス・・・ガ、ドコカ行キタイ場所ハ、アリマスカ?」

 ハンプティ・ダンプティの問いかけに、少女は少し悩みましたが、笑みを浮かべて答えました。



「あなたと一緒なら、どこへでも」




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