「男のくせに料理なんて」と笑われたけど、今やギルドの胃袋を支えてます。
@hiragi0331
第1話
「ボルダン様……本当に出ていってしまわれるのですね」
グリュメ家料理長のノマリスに悲しそうに言われ、ボルダン・グリュメは困ったように微笑んだ。
「ああ、そういう約束だからね。……それに、もう『様』は付けなくてもいいんだよ」
そう、ボルダンは今日この時を持ってグリュメから籍を抜かれた。
グリュメ家伯爵エドガー曰く、「顔も頭も平凡で何の役にも立たない。成人する日に籍を抜くから好きに生きろ」と要約すればそんなことを宣言され、今日この日を迎えた訳である。
「ノマリス、私に料理という道を教えてくれてありがとう」
「とんでもありません! ボルダン様が興味を持ってくれたからこそ、私もお教えすることができたのです」
そう、顔も頭も平凡、と称され血の繋がっている筈の家族から冷遇されていたボルダンが興味を示したのが『料理』だった。厨房を覗き忙しく働く料理人たちを見て感化されたのか、それともその手腕に感激したのか、それは定かではないけれど。
ボルダンは深々と頭を下げてノマリスに言ったのだ。
『料理を教えてください』
まさか仕えている主の御子息が、一介の料理人でしかない自分に頭を下げる光景が信じられなくて「頭を上げてください!」と叫んでしまったことは少々苦い思い出だ。
そうして乞われるがままに教えてみれば、彼は驚く程の吸収力で次々と習得していき、最終的には家族に出す食事に紛れ込ませてもバレないくらい……むしろ好評だった……に腕を上達させた。
「その料理の腕があれば、どこでもやっていけます。私が保証いたします」
「私もです!」
「俺もです!!」
他の料理人だけでなく、使用人たちも声をあげてくれた。使用人たちの賄もボルダンが作るようになっていたから、当然だろう。
「ノマリス、皆も本当にありがとう。……貰った包丁、大切にするから」
ボルダンの荷物は鞄一つ、そして布で厳重に巻かれた包丁一本だけだ。
「こまめに、ちゃんと研いでくださいよ」
「分かっているよ、包丁は料理人の命だからね」
その言葉に、彼はもう貴族ではなく『料理人』としての道を選んだのだと嫌でも実感する。今更ながら彼のことを馬鹿にして礼遇したグリュメ家に怒りが湧くが、もうどうしようもないことだ、とノマリスは涙を堪えた。
「もう行くよ。皆、どうか元気で」
「はい、ボルダン様もどうか、どうか……」
やっぱり堪えきれなかったノマリスの頬に涙が伝う。他の使用人たちも、何人か泣いていたり、何かを堪えているような顔をしている者がいた。
もうこれ以上は駄目だ、自分まで泣く、と判断したボルダンは背を向けて馬車へと乗った。
「ボルダン様の作ってくれたパフロウのシチュー、美味しかったです!」
「クックルのから揚げ最高でした!」
「フィンパーンのムニエルも!!」
ドアが閉まる寸前までそんなことを言われ、ボルダンは苦笑しつつもじわじわと嬉しさが込み上げ、目から伝い落ちそうになるのを必死に堪えていた。
そして馬車が見えなくなるまで見送ったノマリスは、部下に向かってこう言った。
「じゃあ、俺も辞めるから」
「えっ!?」
これには部下だけでなく、使用人たちも驚く。
「ど、どうしたんですか?」
「ボルダン様が辞めたからですか?」
「まあ、それもあるが……」
ノマリスはがしがしと頭を掻いて、溜息を吐いた。
「ここの家族がボルダン様になんて言ったか知ってるか?」
『男が料理なんて気持ちわる~い』
『なんと軟弱な趣味だ、恥を知れ!』
うわあ……と使用人たちはドン引きした。じゃ、その『男』が作ってる料理を元々食べていたお前らはなんなんだ、と。
「グリュメ家は男性が料理をするのに抵抗がお有りのようですから? じゃあ男である料理人の私は、グリュメ家には恥でしかないので辞めさせてもらいます! ……という手紙を厨房に残しておいたから、誰か渡しておいてくれ」
それじゃ、とひらひらと手を振って門へと向かうノマリスに呆然としていたが、すぐに部下たちは我に返った。
そして。
「俺たちも辞めようぜ」
「そうだな、男が料理人で恥ずかしいって言ってる家なんかで働くの嫌だよ」
「同感」
それっ、とばかりに駆けだす部下たちは、きっと与えられた部屋で辞める旨の手紙を書くのだろう。
それに残りの使用人たちも顔を見合わせた。
料理人たちが一斉に辞める、ということはつまり。
「……きっと私たちの仕事になるわよ」
「冗談じゃないわよ。ボルダン様の姉のアネット様なんてロクに料理できないクセに!」
「そうよそうよ、男の料理人が嫌なら、自分でやればいいんだわ! 出来るとは思えないけど!」
「で、俺たちにまわってくるってか? やめろよ、御貴族様の舌を唸らせる料理なんかできねーよ!」
「てかどっちにしろ文句言うんなら自分でやれってんだよ。嫡男のルーカス様だっているんだからさ。ま、できないだろうけどな!」
そう話しながら歩き出す使用人たちの心は、もう決まっているようなものだった。
馬車から降りて、僅かな路銀で辿り着いた先。
そこは、冒険者ギルド内の食堂だった。
というか『料理人急募! 住み込み可!』のポスターがでかでかと貼ってあったため、飛びついただけだったのだが。
「やあ、ありがとう、来てくれて! 一人、家族が急病で故郷に帰っちゃってね、困ってたんだ!」
料理長であるマルコは、申し訳なさそうな、それでも嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「えっと、ボルダン君だね? ここに来る前はどこかで働いていたことは?」
「……ある貴族の家で働かせていただいておりました」
嘘は吐いていない。本当のこと……その貴族の家の一員だったこと……も言っていないが。
それにマルコは「ふうん?」とちょっと首を傾げたが、特に詮索はしてこなかった。それにボルダンは内心で胸を撫でおろす。
「得意な料理は?」
「パフロウのシチューに、クックルのから揚げ……それから」
次々と料理の名前をあげていくと、頷きながら聞くマルコの青い瞳に期待の光が宿ったのが分かった。
「うん、スイーツもそれだけ作れるのなら充分だね。よし、採用!」
「い、いいんですか?」
あっさりと決まってしまったことに驚くと、マルコはにこにこと笑いながら頷く。
「人手不足っていうのもあるし、料理の腕に関してはすぐに分かることだしね!」
言外に料理の腕が悪かったらすぐにクビに出来るし、と言われたような気がしたが、「そうですね」とだけボルダンは答えることにした。
「じゃあ、とりあえず住むところ案内するから、準備できたらよろしく!」
「は、はい!」
先を行くマルコの後を、ボルダンは鞄を持って慌てて追いかけた。
布を外して包丁を取り出せば、一目見たマルコは「使い込まれた良い包丁だね」と言ってくれた。
そして。
「君には得意だって言ってたパフロウのシチューを任せるよ。丁度沢山獲って来てくれた人がいてね」
どん! とばかりに調理台に乗せられたパフロウの肉。
パフロウは角が生えた巨大な草食魔獣だ。群れをなして行動し、赤身が多くしっかりとした旨味を持つ。
下処理はされており(後から聞いてみたら、そこは業者を頼っているという)、何時でも調理可能な状態だ。が、いかんせん量が多い。
「ここにある調味料は何でも使ってくれていいよ」
「ありがとうございます!」
「じゃ、よろしく!」
そう言うと、マルコはもう一人の料理人……ボルダンの先輩にあたる……ジャックの元へと向かった。先程軽く挨拶した限りだったが、活発で陽気な印象の男だった。
ちら、とそちらの調理台を見れば、魔茸が山積みになっている。ソテーか、もしくは卵を使ってオムレツにするのもいいな、とボルダンは思ったが、いけないいけない、と思考を元に戻す。
冒険者たちが戻って来る夕暮れが開店時間なのだから。
「よし!」
ボルダンは気合を入れて、包丁を手に取った。
そして迎えた開店時間。
汗と泥に塗れた屈強な冒険者たちが、どやどやとやってきた。
「あー、腹減った!」
「つっかれた~! とりあえず、黒ビール!」
「おーい、こっちも!」
はいよっ! と威勢の良い声と共に、エプロンを身に付けた店員たちが幾つもの黒ビールのジョッキを事もなげに持ち上げ、テーブルへと運んでいく。
ガチンっ! と音をたてて乾杯して、ぐびぐびと飲み干せばほろ苦さと炭酸が喉を心地よく潤して、ぱちぱちと弾けた。
「ぷはぁっ!」
「はぁー、たまんねーな、この一杯!」
「今日のメニューは?」
この食堂に決まったメニューはなく、入荷した食材でその日のメニューが決まる。
「えーと、パフロウのシチュー、焼き魔茸とパフロウの串焼き、魔茸のグラタン……」
「おっ、パフロウのシチュー大好物なんだよな!」
「俺も好きだけどよ、シチュー得意だった小僧、確か辞めたんだよな?」
「ああ、家族が病気で、だろ? じゃあ、マルコかジャックが作ったのか? いや、あの2人が作っても美味いけどよ」
するとそれを聞きつけたのか、厨房からひょっこりと顔を出したマルコが言った。
「今日のシチューは、入ったばっかの新人が作ったんだよ!」
どよっ、とギルド中が沸いた。
「えっ、マジ? じゃあ、食べてみねぇとな!」
「こりゃ楽しみだ! シチュー、3人分!」
「こっちは4人分だ!」
「おーい、こっちも!」
次々と入るシチューの注文に。弱弱しい悲鳴が厨房から聞こえて来たのに、ドッと笑い声が響いた。
それから程なくして、シチューが運ばれてくる。
「おお、良い匂い!」
「いただきまーす!」
スプーンで掬い上げ、一口。
瞬間、目が自然と見開かれた。
口に入れて歯を立てた瞬間、ほろりと解けるパフロウの肉。だけど決して食べ応えが無いという訳ではなく、赤身肉の旨味がよく出てジューシーな味わいだ。大き目に切られたカライモは、ほくほくと口の中で柔らかく崩れる。キャロネも柔らかく煮込まれ、タマニアはとろりと甘く蕩けた。
これは!
「うまい!」
「おいしい!!」
賞賛の大合唱がギルド内に響いた。
「おかわりくれ!」
「こっちも!」
瞬く間に広がるおかわりの声に、店員たちは「はーい!」と返事をして答えていく。
そして新しくやってきた冒険者たちもまた。
「おい、パフロウのシチュー、すっげえ美味いぞ!」
「マジでオススメ! 食ってみろって!」
既に食べ終えた彼らの言葉に、「そんなに言うなら」と注文。
「わ、ほんとだ!」
「すごく美味しい!!」
そうしてまたあがる純粋な賞賛。
寸胴鍋いっぱいに作ったシチューは瞬く間に無くなり、一息付いた頃、マルコは厨房からボルダンを連れて来た。
「聞いてくれ! パフロウのシチューを作ったのは、このボルダン君だ!」
冒険者たちの遠慮のない視線に、ボルダンはぶわりと顔が熱くなるのを感じる。
「おお、お前か! すっげえ美味かったぞ!」
「良い拾いモンしたじゃねーか、マルコ!」
「他にはどんな料理作れるの?」
「今から楽しみだな!!」
その言葉に、胸がじわじわと熱くなった。グリュメ家では家族の賞賛だと受けたことはなく(自分の料理と知らなかったのだから仕方ないのだが)、それでも美味しいと言ってもらいたい、と心の隅で思っていた。使用人たちは凄く褒めてくれるし、それは嬉しかったけど、だけど喜んで欲しかったのは、認めて欲しかったのは、と暗い気持ちを払拭することはできず。
だけど今、自分が作った料理を素直に「美味しい」と言ってくれる人たちがこんなにいる。
「ありがとうございます」
胸を当てて礼をすれば、「随分気取った礼だな!」「そんな畏まるんじゃねーよ!」とまた暖かな言葉がかけられた。
「……ボルダン」
見ればジャックが目の前に立っていた。
新人の自分がこんなに褒められて良い気はしないだろう。嫌味の一つや二つなんてことない、あの家では日常茶飯事だったじゃないか、とボルダンはきゅっと唇を結んだ。
すると。
「レシピ、教えてくれないか?」
ジャックは少し恥ずかしそうに微笑んで、そう言った。
答えはもちろん。
「は、はい! あの、先輩の魔茸のグラタンのレシピ教えてください! ホワイトソースと魔茸、それから紫カライモの味わいが絶妙で、とろとろでほくほくで……、チーズも何種類か混ざってるんですよね?」
「おっ、よく分かったな。もちろん、いいぞ!」
先輩後輩の微笑ましくも切磋琢磨する光景に、周りからは「若いっていいねぇ」「頑張れよ!」「美味い飯、期待してっから!」と激励の声が飛んだ。
「あー、グラタンも食いたいな。おーい、グラタン一つ! 白パンも!」
「白パンでホワイトソース掬うのたまんねーんだよな、こっちも!」
今度はたちまちにグラタンの注文が殺到した。
2人は顔を見合わせて頷き、厨房へと戻る。マルコはそんな2人に目を細めてから、自身の調理へと取りかかった。
それからというもの。
「今日はクックルのから揚げがあるぞ!」
クックルは巨大な鳥型の魔獣。野生のものもいるが、多くは農村で家畜化されている。
注文すれば、こんがりと揚がったクックルのから揚げが、どん、と置かれた。ふわりと漂う芳ばしい香りに、ごくりと喉が鳴る。
「いただきます!」と早速フォークで突き刺して齧り付けば、ざくっ、と良い音が響いた。じゅわりと肉汁が溢れ、あふあふと息を吐きながら味わう。ショウムとガリクスが染みこんだクックルの肉は噛みしめる程に柔らかく解け、旨味を口腔内に溢れさせた。
そこをすかさず黒ビールで流し込めば、もう最高という他はない!
「っはー! 美味い!」
「すっげー大きくて食べ応えあるな!」
「今日は、グラミートのジンガ焼か。おーい!」
グラミートは大型魔猪。濃厚な旨味と脂が特徴だ。
置かれたグラミートは芳ばしい色あいのタレでつやつやと光り、ふっくらと焼かれていた。添えられているのは黄緑が優しいリーフェンの千切り、櫛切りにされた赤が眩しいサングラ。
ナイフで大き目に切り分けて頬張れば、じゅわっ、と口いっぱいに甘辛いタレが広がった。芳ばしい香りが鼻に抜け、ジンガのピリッとした刺激がこの甘辛いタレに絶妙なアクセントを加えている。噛みしめる度に柔らかなグラミートが、その身に吸わせた旨味、そして脂をを滴らせてくれるのが堪らない。
千切りのリーフェンは瑞々しくて、シャキシャキと歯ごたえも楽しく口の中をさっぱりとしてくれる。タレが付いたリーフェンもまた本来の野菜の甘みと合わさって格別に美味しい。サングラも新鮮かつ程よい甘さで、ぷちりと弾ける食感が楽しい。
「んー! このタレ最高! グラミートも厚くて食べ応えあるのが良いな!」
「あの、俺サングラ苦手だからお前」
「好き嫌いすんな! 自分で食え!」
「クリムシュリンプのグリル焼き! これ好きなんだよな!」
「あー、お前はクリムシュリンプ好きだよな。ま、俺も好きだけど」
クリムシュリンプは、海で獲れる深紅の体色の甲殻魔獣。
テーブルに置かれたそれからは、バターとハーブの良い香りがふわりと鼻孔を刺激する。
早速とばかりに齧り付けば、ぷりっとした身の食感、そしてバターの風味が口いっぱいに広がった。クリムシュリンプのほのかに感じる旨味と甘み、そしてバターのまろやかなコクと甘みが程良く混じりあい、思わず笑みが零れてしまう程に美味しい。
添えられた旬の野菜のグリルにルミナシトのソースを添えたものは、程よい歯ごたえを残しつつ、ルミナシトのソースの程良い甘酸っぱさが良く合って、口の中をさっぱりとさせてくれた。
「でっかいクリムシュリンプだな。食い応えある!」
「獲って来たヤツがいるんだろ? 今までもそうだったじゃねーか」
そう話して、ハタと気が付く。
「……ってことは好物を獲ってくれば」
「美味く料理してくれる……ってことだよな!?」
パシンッ! とハイタッチの音が高々と響き渡った。
そのこと……好物を獲ってくれば美味しく食べられる……ということに気が付いた冒険者たちの士気は大きく上がった。
クエストの受注件数は難易度関係なく増加し、職員たちは割り振りに大忙し。それに伴い食堂への『食材』の提供も大きく増えた。
メジャーなものはもちろんマイナーなもの、そして高級と呼ばれる食材。中には「これ食べられる?」みたいなノリで持ち込まれるものもあったが、どちらにしろ調理のしがいがあることに違いはない。
「先輩、このドラゴンの耳は……」
「うーん、随分固いから、まずは柔らかくすることが先決かな?」
「固さを残して……あっ、燻製にしてみるのはどうですか?」
ジャックと共にあれこれとメニューを話し合うボルダン。
その姿を見ながら、マルコは思う。
(ボルダン君が来てくれて本当に良かった)
彼が来てからというもの、食堂の評判は鰻登り。冒険者だけではなく、一般のお客さんも噂を聞きつけて来てくれるようになった。拡張工事を検討しよう、という話が出ているくらいには。
ありがたい、と思う反面、疑問に思うこともある。
ボルダンは何者なのだろう、と。
顔を合わせた時から思っていた。彼の仕草には品がある、と。
何気ない日常の動作に食事の所作、自分やジャック、冒険者たちに見せた礼……とても平民とは思えない。
そう、まるで『貴族』のようだと、そう思った。
だとすれば彼は何故、このような……失礼だが……場所で料理人として雇われるのを望んだのだろうか。それ以前に彼はどこでその技術を学んだのだろうか。
(複雑な事情があるのだろう、が……)
マルコは軽く頭を振って、息を吐いた。
(深く詮索するのは止めよう。彼自身が話したくないのならばそれで良いし、話してくれた時は受け止めよう)
ボルダンは、もうこの食堂に無くてはならない存在なのだから。いなくなっては困ると同時に、悲しいと素直に思う。
「マルコさん、試食お願いできますでしょうか?」
「ああ、喜んで!」
ボルダンの問いに、マルコは大きく頷いてみせた。
その一方で。
(……おいしくない)
グリュメ家一同は、食事を取りながらそう内心で感じていた。
厄介者のボルダンを追い出した束の間、料理人達が一斉に辞めた。他の使用人たちに作らせようとしたが、「料理は専門外ですので」と丁寧に断られる始末。
仕方なく外食で済ませたものの、毎日では出費がかさむ。新しい料理人を雇おうとしたが、
『こちらのお家では、男性の料理人は軽んじられると聞いておりますので』
と、要約すればそのような事を言われて軒並み断られてしまう。
そもそも『料理』というのは『力仕事』が多い。よって女性よりも男性の方にどうしても比重が傾いてしまうのだ。
数少ない女性料理人を何とか探し当て打診をしてみるが、
『申し訳ありませんが、料理を『軟弱』などと仰る方々に仕えることは出来ません』
と、また要約すれば以下略。
ここでようやくグリュメ家は、料理長であったノマリスを始めとした料理人たちが根回しをしたのだと気が付いたがもう遅かった。
ノマリスに誤解()を解いてもらうべく捜索したが、その行方はようとして知れず。
当然ながら家の誰も料理など出来ない。困り切ったグリュメ伯爵は、まだ新人にも満たない料理人を破格の金額で雇うことで何とか話が付いた。
しかしながら、かつての料理で舌が肥えていた彼らにとって、経験が圧倒的に不足している料理人の作る食事では満足できないのは当然のことで。
日々の食事は、食物を胃に無理やりに詰め込んで、栄養を摂るだけの『作業』と成り果てていた。そこに喜びや満足など一欠けらもない。
(ああ、そうだ。あの料理の中に、何時の頃からか一際美味しく感じる料理があった)
ノマリスや部下の料理人が作ったものではない。
心当たりは嫌と言う程ある。
あれは、ボルダンが作ったものだと。
気が付いたところでもう遅い。ボルダンの行方もようとして知れないのだから。
「ああ……」
グリュメ伯爵は頭を抱えた。
クリムシュリンプのビスクスープ、オウガンのテリーヌと夢苺のコンポート、パフロウのシチュー、フィンパーンのムニエル、クックルのステーキ……どれもが素晴らしく美味しかった。
だがそれはもう過去のことに成り果て、手が届くことは無い。
さらにかつての使用人たちもゆっくり、潮が引くようにいなくなっていく。引き止める間も与えず、退職する旨を示した手紙のみがぽつんと置かれている、そんな風に。
新しい使用人を雇おうとしても、根回しをされたのか噂を立てられているのかやはり上手くいかず。
そこから思い当たることも一つしか無かった。
ボルダンが使用人たちから慕われていたということ。追い出した自分たちに深い失望と怒りを抱いているということも。
『家』は『人』がいないと成り立たない。それがどのように高い血統であったとしてもだ。
(まさかこのようなことになるとは……)
後悔しても遅い。
あの時、『才能がない』と決めつけてボルダンを追い出した時から、命運は既に決まっていた。
ゆっくりと衰退していく未来を変える術を見つけることは、出来る筈もなかった。
(終)
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