着陣

 木曽川の渡しに尾張・美濃・三河・飛騨の神軍連合がひしめいてしている。

 

 尾張神軍一万二千、美濃神軍六千、三河神軍八千、飛騨神軍千五百、総勢二万七千五百の兵が伊勢神宮奪還に向けて集結していた。

 

 渡しの手前に張られた本陣で、四人の国巫女と四人の国守が軍議を行っている。

 

 上座には筆頭の国巫女である、美濃国巫女みののくにのみこ南宮静女なんぐうしずめがいる。静女は国巫女になって四十五年になった。神夜伽で神と交わった国巫女は、巫女になった時の姿を保ち続ける。十四歳で国巫女になった静女は幼い顔立ちだが、筆頭国巫女として威厳を示していた。

 

 その横には、今回の神軍連合で一番兵力を供している尾張国巫女おわりのくにのみこ真清田朋絵まずみだともえ。ふくよかな身体をして愛らしい顔つきをしているが、戦場では恐ろしいまでの覇気を迸らせる気性の激しさを持っていた。

 

 続いて三河国巫女みかわのくにのみこ砥鹿穂乃とがほの。物静かで半眼をして常に無言でいる。

 

 少ない兵力ながら、強力な弓兵を率いる飛騨国巫女ひだのくにのみこ水無京子みなしきょうこが末席に座っている。国巫女が神剣を持って軍勢を率いると、その軍は「神軍」となる。だが、飛騨国では神剣の代わりに神弓を携えて神軍としている。


「先に渡河した我が軍によると、伊勢の国境には、仏教軍の姿は見当たらないとのこと」

 

 尾張国守おわりのくにのかみの織田圭介が、状況を報告する。

 

「全軍の渡河には、あと二日はかかりそうでございます」

 

 美濃国守みののくにのかみの斎藤文義が呟いた。

 

「二日も時間をかけてはいられない。兵を割って河田の渡しも使うべきだと存じます」

 

 三河国守みかわのくにのかみの松平友宏が提言する。

 

 国巫女は神軍の象徴的な存在であり、戦術的な議論は国守が中心となって行っている。

 

 議論が出尽くしたところで、国巫女が最終的な戦術を認可する、という形で軍議が行われていた。


 ◆ 


信濃国巫女しなののくにのみこ、着陣されました!」

 

 陣幕をくぐって、諏訪凛香が現れた。

 

 軍議の席に進み出て、ひざまずく凛香。

 

「遅れて申し訳ございません。信濃国巫女、只今参上いたしました!」

 

 頭を下げる凛香に、筆頭国巫女の静女が声をかけた。

 

「おお、信濃国巫女、ご苦労であった。それで兵はいかほど連れて来られたのか?」

 

「まだ遅れておる者もございますが、全軍一万に動員をかけております」

 

 凛香は軍勢を集める間も惜しんで先頭を切って着陣した。信濃兵たちには、おのおのできる限り迅速に尾張に向かうように命じていた。

 

「全軍、一万?」

 

 国巫女と国守達が驚く。伊勢国に一番近い尾張国はほぼ全軍を動員していたが、信濃国は抑えの兵を残さず動員可能な最大兵力を連れてきた。

 

日本巫女ひのもとのみこをお救いし、伊勢神宮を奪還するために、私の神軍は身命を賭して戦います!」

 

 国巫女は息を呑み、国守たちは感嘆する。

 

「信濃の忍びによりますと、関ケ原付近に仏教軍五千程が進み出ているようでございます」

 

「何?」

 

 凛香の報告に静女が声を上げた。

 

「南宮大社が危ない。すぐに軍を引き返そうぞ!」

 

 美濃国一宮である南宮大社は関ケ原から三里ほどしか離れていない。

 

「今は伊勢神宮奪還が肝要かと存じます。関ケ原の仏教軍は牽制にすぎません」

 

 朋絵が冷静に述べた。

 

「だが、敵が背後に回ったら挟み撃ちにあうぞ?」

 

 動揺した静女の声が上ずっている。

 

「美濃国巫女が抑えに残した五千の兵で関ケ原の仏教軍は抑えられるのでは?」

 

「我が神軍が伊勢神宮にさしかかったところで、敵は関ケ原から打って出て来るに違いない! そなたの一宮いちのみやも関ケ原から十里しか離れていないではないか!」

 

 「一宮」とは国巫女が常駐する各国で一番格式のある神社である。尾張国の一宮である真清田神社も関ケ原から近かった。

 

「今は日本巫女をお救いするのが最優先でございます。五千の兵で何ができるものでもないでしょう」

 

 朋絵は相変わらず冷静だ。

 

「いや、今すぐ兵を返して、関ケ原から追い払うべきだ!」

 

 静女が主張する。

 

「美濃国巫女は、ご自分の国のことしか考えていらっしゃらないのか?」

 

「何を言う、尾張国巫女! 筆頭の国巫女に対して失礼ではないか!」

 

 静女が思わず立ち上がって、朋絵を詰る。


「お待ちください。美濃国巫女。信濃の忍びが掴んでいる報せがまだあります」


 凛香の冷静な言葉が、静女と朋絵の間に風のように駆け抜けた。


「伊勢神宮には付近を流れる宮川沿いに仏教勢が一万五千で陣を張っております」


 先に木曽川を渡河した尾張兵の先鋒が仏教軍に接していないのは、仏教軍の防衛線が伊勢神宮付近にあるからだった。


「やはり、我らを引き付けて後ろから挟み撃ちを狙っているのだろう」


 静女はあくまで慎重だ。


「鈴鹿峠にも五千の兵が待機しております」


「なんと!」


 凛香の報告に皆が驚いた。


「敵の狙いはどこにあるのか……」


 そのとき陣幕の入口で声がした。


「火急の報せにて、失礼いたします!」


 一人の信濃の巫女兵が、凛香の元に歩み寄る。耳打ちしようとした巫女兵を遮って、凛香が言った。


「ここは軍議の席なれば、皆に向かってしらせを申せ」


「はっ!」


 巫女兵は、軍議の末席の手前に跪いた。


「申し上げます! 草津付近にありました仏教勢三万のうち、二万が中山道を関ケ原方面に進んでおります!」


 四人の国巫女と国守は、信濃の忍びの詳細な報告に驚いた。実は信濃の忍びの人員や規模は東国で一番大きかった。西国各地に潜入し、仏教軍の動きを常に把握していたのだ。


 中山道と東海道の分岐にあたる草津に仏教軍が集結している情報は、凜香が神軍を起こして信濃を発つ段階で掴んでいた。仏教軍が東海道を進めば、伊勢神宮に向かう神軍連合を横から突く意図がある。もし中山道を進むのであれば、神軍連合の背後を突き、美濃国と尾張国を一気に陥とすつもりだといえる。


 京の都を巡る攻防戦で、神道軍は仏教軍に破れた。撤退し、体勢を整えている間に、伊勢神宮が急襲され占拠されてしまった。


 今、集まっている四か国の神軍と信濃神軍は、急遽伊勢神宮奪還で集結した。だが、敵が背後から美濃・尾張を陥とそうと意図しているのは明白だった。


「敵は、前のめりになった我らの背後を突こうとしております。まずは関ケ原で敵を叩くのが先決かと存じます」


 凛香が言葉を発した。


「急ぎ兵を差し向け、中山道の敵二万が関ケ原に付く前に、五千の敵を叩くのです!」


 軍議の流れが関ケ原に向かうことで一致した。


「それにしても、坂東の国巫女はまだ参らぬのか……」


 静女が苦々しい表情をする。


 二ヶ月前の京都攻防戦には上方の国巫女と、この軍議の席にいた四人の国巫女が参戦した。兵の力量は神道軍も仏教軍も遜色ない。ただし仏教軍は「鉄砲」という新兵器を装備していた。神道軍の攻めをことごとく鉄砲が挫く。今回も兵数では優っている神道軍だったが、鉄砲の威力を考えると仏教軍の方が優勢といえた。


「武蔵国、甲斐国、相模国は直ぐにでも兵を出せる状況です」


 凛香の言葉に他の軍議の参加者は息を呑んだ。信濃の忍びの活動範囲と情報の詳細さは彼女たちの想像をはるかに超えていた。


「ただし、常陸国と下総国が組んで不穏な動きを見せており、今は動けない様子にございます」


鹿島綾女かしまあやめ香取唯花かとりゆいかか! あの者たちは軍神をいただきながら自らの欲を満たすことしか考えておらぬのか!」


 常陸国巫女ひたちのくにのみこの鹿島綾女と、下総国巫女しもうさのくにのみこの香取唯花は奥日本の制圧のために配された軍神を戴く国巫女だった。本来なら伊勢神宮奪還へむけて真っ先に参戦すべきだったが、混乱に乗じて領土を拡大しようと目論んでいる。


「他の国巫女を当てにしても仕方ありません。我々のみで仏教軍を叩くだけでございます」


 朋絵が言った。


 ◆


「それにしても、仏教軍の動きは早かったな……」


 関ケ原に向かう道で、諏訪凜香は信濃国守しなののくにのかみである牧野信義に語りかける。


「我が神軍連合が思ったより早く伊勢神宮に向けて動いたので、焦ったのでありましょう」


 信義が応える。


「われが仏教軍の軍師だったら、もっと伊勢神宮に神軍連合を引き付けてから動くのにな……」


「おっしゃる通りでございます」 


 信義は、国巫女になったばかりで実戦経験もない十七歳の女性の持つ卓越した戦略眼に驚きを隠せなかった。


「関ケ原にる仏教軍五千は、鉄砲を千丁備えておるそうだの」


「はっ。力攻めは危ないかと存じます」


「援軍が到着する前に叩かないと厄介じゃな」 

 

 木曽川の渡しから関ケ原まではおよそ十里(約40km)ある。軍勢の平均的な行軍距離は一日四里ほどなので二日半ほどかかる。


「草津から関ケ原までは何里ぞ?」


 凜香が信義に尋ねた。


「およそ十七里(約68km)となります。四日はかかるかと思われます」


「よし。我らは今日中に関ケ原に向かうぞ」


 凜香が言う。


「信濃国巫女。兵たちは信濃から五十里(約200km)の行軍で疲れております。あまり無理をさせては……」


「ここは騎馬兵のみで関ケ原に向かい、夜襲をかけるのだ」 


「なんと!」


「夜では鉄砲も狙いが定まらず役には立つまい」


 信義は凜香の発想に驚く。敵は千丁もの鉄砲を擁していることで安心しているに違いない。神軍連合が先に関ケ原に着陣しても防ぎきれると思っている。意表をついて今夜、夜襲をかけたら混乱して崩れるに違いない。


「かしこまりました! 早速騎馬兵たちに命じます!」


 信義は配下の伝令に指示を伝えた。その時、背後から駆けてくる巫女と白馬が迫ってきた。凜香は立ち止まる。巫女は弓を持っていた。


「これは飛騨国巫女!」


 凜香の横に馬をつけたのは、水無京子だった。


「我ら飛騨の騎馬弓兵も先陣に加えてくださらぬか?」


「これは助かります。飛騨の弓兵があれば敵の鉄砲にも対抗できまする」


 凜香率いる信濃の騎兵は二千五百。飛騨の騎馬弓兵は五百で合わせて三千の兵力となった。凜香は夜襲の考えを京子に伝えた。

 


 


 

   

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